51話-1、午後は呼吸をする暇もなく

 突如として訪れた花梨を出し抜き、賑やかな昼食を済ませ、店を後にする花梨を見送ったゴーニャは、特製の髪飾りを再び頭に付け、大人の妖狐の姿へと戻る。

 焼き鳥丼を食べて心身共に回復した身体をグイッと伸ばし、座敷童子のまといと一緒に丼ぶりを厨房にあるキッチンに運んでいく。


 そしてレジの前に立ち、午前中のあやまちを繰り返さぬよう舞い戻ってきた緊張をほぐす為、大きな深呼吸をする。

 そのまま両頬を力いっぱい二度叩き、気持ちを引き締め、湧いてきたやる気を後押しするように鼻をフンッと鳴らし、午後の作業をする準備を整えた。


 午前中の反省を生かせたお陰か、午後三時までに訪れてきた客の数は二十人とやや多いものの、午前中に比べると疲労感はかなり軽減されていた。


 しかし、太陽が沈み始めた午後五時頃。接客業本来の顔を覗かせ始める。


 点々と一人ずつ訪れていた客は、主に団体客に変わり。席に客を案内しておしぼりとお冷を出し終えた頃には、入口で新たな客が席に案内されるのを待っていた。

 注文を受けて厨房に向かおうとすると、違う客から新しい注文の波が押し寄せてきて、それを幾度となく繰り返す。


 注文の波が止んで厨房に着いた時には、八つ九つと注文を受けており、貼るスペースが少なくなってきているマグネットボードに、大量の伝票を無理矢理貼り付けていった。

 すぐさま店内に戻ろうとするも、料理が一気に出来上がってしまい、慌てて両手に抱えて各席に運んでいく。


 開閉を激しく繰り返す入口の引き戸。間髪を入れずに次々と押し寄せてくる、注文や山盛りの料理。料理が盛られた皿を大量に持っていっては、帰りに空いた皿を倍以上下げていった。


 嵐のような接客対応が一時期だけ過ぎ去ると、最早休憩時間と言っても過言ではない、キッチンに溢れ返っている皿を洗い始める。

 安息地とも言えるキッチンで皿を綺麗に洗っている途中。ゴーニャは呼吸をする事さえ忘れていたのか、「ぷはぁっ!」と口を大きく開け、ため息の混じった深呼吸を繰り返した。


 そんな、狐の尻尾の先まで疲れが溜まっているゴーニャを見て、膨大な数の焼き鳥を焼いている八咫烏の八吉やきちが、元気に満ち溢れている笑顔を送る。


「やってるねえゴーニャ」


「ふぇっ……?」


 午前中の三時間よりも、速く過ぎ去ったように思える八時間を体験したゴーニャが、懐かしささえ感じる八吉の声を耳にすると、その声がした方向に顔を向けた。


「店長ぉ……、お仕事ってこんなに大変なものだったのね……」


 その疲労感がふんだんにこもった言葉に対し、八吉はおどけた苦笑いを飛ばす。


「だぜ。それもあるが、お前は一人で頑張りすぎだ。もっと他の仲間を頼れ」


「仲間ぁ……?」


「あー、他の従業員だな」


 仲間を従業員に訂正した八吉が、焼き鳥をひっくり返しつつ話を続ける。


「仕事は一人で回すもんじゃねえ。厳しいと思ったら一人で抱え込まねえで、すぐに他の従業員に助けを求めろ」


「八吉の言う通りだぞー。チラチラ見てたけど、完全にオーバーワークだったからね」


神音かぐねっ」


 ゴーニャが軽い説教を受けていると、たまたま厨房に戻ってきた八咫烏の神音かぐねが、説教に加わってきた。


 神音も大量の皿を両手に抱えており、ゴーニャの作業が邪魔にならない場所に静かに置くと、未だに疲労を見せないやんちゃな笑顔をゴーニャに向ける。

 そのまま紫色の瞳でじっと眺めると、おもむろにゴーニャのひたいを指で軽くトンッと突っついた。


「にゃっ、いきなりなにすんのよ神音っ」


「へっへーん、私流の元気になるおまじないさ。どう、少しは効いた?」


 頬をプクッと膨らませたゴーニャがひたいを擦り、まじまじと自分の体を眺めた後、神音に顔を戻す。


「うーん、全然効いてないわよ?」


「ありゃ。私のおまじないが効かないという事は、相当疲れてる証拠だ。そりゃマズイなあ」


 わざとらしい説明口調で喋った神音は、演技染みた神妙な面立ちをしつつ腕を組む。


「こうなったら、今日はもう上がるしかないなあ。うんうん」


 自ら放った言葉を肯定するように二度うなずき、傍観していた八吉にこっそりとウィンクを送る。

 そのウィンクを受け取った八吉は、神音の思惑に気がついたのか全てを悟り、同調するべく口を開いた。


「そうだな、そろそろいいだろ。お前、午後は一回も休憩してねえしな」


「えーっ、私はまだ全然働けるわっ」


「休憩も仕事の内だぜ? 今日だけだからいいものの、毎日んな事をやってたらすぐにぶっ倒れちまうぞ?」


 八吉の言っている事は正論であり、充分に理解しているゴーニャは反論の言葉が見つからず、口をとんがらせながら皿を洗い続ける。

 ゴーニャの今までの行動から、皿を洗い終わったらこっそりと店内に戻るだろうと予想した八吉が、逃げ場を無くすトドメの一撃を放つ。


「ゴーニャ、今日はもう上がれ。これは店長命令だ、逆らう事は許さねえぜ?」


「えーっ!? ずるいっ! それはずるいわよ八吉……、て、店長っ!」


 あまりにも理不尽で優しい気遣いに、ゴーニャは先ほどよりも大きく頬を膨らませる。眉をひそめてキッと八吉を睨みつけていると、横から神音の下駄笑いが聞こえてきた。


「あっはっはっはっ! 今日しかない権力をフルで活用してやんの! 悪い奴だな~」


「むう~っ!」


 ゴーニャは更に頬を大きく膨らませ、今度は涙を流しながら笑っている神音を睨みつける。

 その、可愛らしくて愛嬌のある怒った顔を見るや否や、神音は怪しく口角を上げ、限界まで膨らんでいるゴーニャの両頬を両手で押し戻した。


「ぶにゅっ!」


「八吉店長の言う通り、今日はもう上がりな。自分が思っている以上に、体は疲れてるもんなんだよ?」


「むぅ~っ……」


 八吉と神音に言いくるめられて観念したのか、ゴーニャは狐の耳と尻尾を垂らして「わかったわっ……」と呟き、濡れている手をタオルで拭き始める。

 もう大人の妖狐姿でいる必要がなくなると、頭に付けていた特製の髪飾りを外して元の姿に戻り、髪飾りをショルダーポーチの中にしまい込んだ。


 そして店内へ戻り、ぬらりひょんと纏に事情を説明しつつ合流し、すっかりと暗くなっている外へと出ていく。

 明るい店の前に立っている八吉と神音の方に振り向くと、その店よりも明るくニッと笑った八吉が、一枚の茶封筒をゴーニャに差し出した。


「今日はお疲れゴーニャ。ほれ、今日一日分の給料だ! 受け取れ」


「ありがとっ、八吉っ」


 人生で初めてである給料が入った茶封筒を受け取ると、すぐに中身を確認し始める。中には一万円札が三枚入っており、それを見たゴーニャが驚いた表情を八吉にやった。


「三万円っ! こんなにいいの!?」


「おう! 初めての仕事なのに即戦力級の力を出してたし、全てノーミスでこなしてたからな。それくらいが妥当だろ。また来いよ、いつでも歓迎するぜ」


「ゴーニャってば可愛いからなー。お客さんのウケも相当よかったし、うちの看板娘になっちゃうかもね~」


 神音が軽く危惧するように言い放ち、両手を後頭部に回して口を尖らせる。不貞腐れたのか、足でくうを何回か蹴り飛ばしてから、温かみのある笑みを浮かべた。


「今日はいつもより仕事が楽しかったよ。また一緒に仕事しようね」


 茶封筒をショルダーポーチにしまい込んだゴーニャが、仕事仲間となった神音に向かい、ふわっと微笑んだ。


「うんっ、私も楽しかったわっ! それじゃあ、今日一日ありがとうございましたっ!」


「おう! お疲れ!」

「お疲れゴーニャ~」


 ゴーニャが礼儀正しく一礼すると、手を振っている二人の八咫烏に手を振り返しつつ、今日一日お世話になった焼き鳥屋八咫やたを後にする。

 提灯の灯りが舞っている帰路に就くと、仕事から解放されたせいか、ずっと張っていた緊張の糸が切れ、小さな身体に重苦しい疲労感が襲い始める。


 その目が回るような疲労感のせいで、帰路は周りの景色を眺める余裕は一切なく、大きなため息を吐きながら永秋えいしゅうへ戻っていった。




 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 三人は、焼き鳥屋八咫以上にてんやわんやしている永秋に戻り、四階にある支配人室に向かうも、今日一日ぬらりひょんも同行していたせいか、特に話す事が無かったゴーニャは早々に支配人室を後にする。

 鉛のように重い足を引きずりながら自室へ戻り、部屋の中に入ると、体をフラフラと揺らしつつベッドの前まで歩み寄り、吸い込まれるように倒れていった。


「ふえぇっ……、つ、疲れたぁ……」


「お疲れゴーニャ」


「ありがとっ、纏っ……」


 掠れ切った声でお礼を言うと、強烈な睡魔が襲ってきたのか、口を大きくて長いあくびをつき、涙が溜った目を擦る。


「なんだか、眠くなってきちゃった……」


「花梨が帰ってきたら起こしてあげるから、少し眠ちゃいな」


「そ……、そうする―――」


「ただいまー」


 纏の睡眠を促す誘惑に、甘えて眠りに就こうとした瞬間。それを遮るように扉が開き、同じく疲れが溜った声を出しながら花梨が部屋に入ってきた。

 霞んでいく視界に花梨の姿が映り込むと、今まで襲ってきていた睡魔が一瞬で吹き飛んだゴーニャが、慌てて飛び起きて花梨の元へ駆け寄っていく。


「花梨っ、おかえりなさいっ!」


「ゴーニャ! ただいま~」


 花梨が嬉しそうに微笑むと、手を挙げて飛び跳ねているゴーニャを抱っこする。ゴーニャはすぐに花梨の体に顔をうずめ、甘える猫のように頬ずりをし始めた。


「ふふっ、甘えん坊さんめ」


「仕事お疲れ様」


 ゴーニャの豹変ぶりを垣間見て、呆気に取られていた纏も花梨に歩み寄り、見上げながらねぎらいの言葉を掛ける。


「纏姉さん、ありがとうございます。今日一日ゴーニャを預かってもらってすみませんでした」


「大丈夫、色々と楽しかった」


 纏の発言に、多少の引っ掛かりを持った花梨が首をかしげるも、極度の疲れから頭が全然回らず、余計な詮索は止めてほくそ笑んだ。


「ならよかったです。これから露天風呂に行こうかと思っているんですが、纏姉さんも一緒にどうですか?」


「行く」


「分かりました。それじゃあゴーニャ、支度をするから一回下ろすね」


 そう言った花梨がゴーニャを床に下ろすと、カバンから小さいタオルを三枚、大きなタオルを三枚取り出し、袋に詰め込む。

 そして三人は自室を後にし、溜りに溜った疲れを癒す為に、逸る気持ちで露天風呂へと向かっていった。

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