50話、賄い料理と思わぬ来客

 初めての客である、ぬらりひょんの接客対応を完璧にこなしたゴーニャは、そこで確たる自信がついたのか、その後に訪れた客の対応も難なくこなしていく。


 客のお冷が無くなれば、一声掛けて水を継ぎ足し。追加の注文が入れば、我先にと席まで駆け寄り注文を受け。

 手が空いている時はレジの前に立ち、店内と入口を交互に見返し、いつでも臨機応変に動けるよう努めた。


 午前中に店内に入ってきた客は五人ほどであったが、全てが初めての経験であるゴーニャにとっては良い刺激となり、とても内容のある充実した三時間となった。

 そして、晴れ渡る空の真ん中を太陽が陣取り、暖かな陽の光を浴びている温泉街は、一気に昼食の匂いに包み込まれていく。

 

 この時間帯は、定食屋付喪つくも永秋えいしゅうの食事処の二つが根強い人気がある。

 それとは対照的に、夜から人で賑わい忙しくなる焼き鳥屋八咫やたと、近くにある居酒屋浴び呑みは、客足が少なく暇を持て余す時間帯であった。


 それでも健気に客を待ち構えていたせいか、絶える事のない緊張からゴーニャの精神力が擦り減り、だんだんと空腹になっていく。

 妖狐に変化へんげしているせいで、嗅覚が鋭く研ぎ澄まされ、外から漂ってくる香ばしい昼食の匂いが、何も入っていない胃を容赦なく誘惑していった。


 すると、静寂が佇んでいた店内に、小動物の鳴き声に似た腹の虫の音が響き渡る。


「ううっ、お腹すいた……」 


「そらみろ、神音かぐねの言った通りじゃねえか」


 ゴーニャの掠れた泣き言が耳に入ったのか、厨房で焼き鳥を焼いている八咫烏の八吉やきちが、笑いながら野次を飛ばす。

 しばらくすると、その八吉がお盆に二つの丼ぶりを乗せ、食欲を沸き立たせる匂いを振り撒きつつ店内に入ってきた。


「ゴーニャ、まかない料理を作ったから、暇なうちに食っとけ」


「まかない、料理?」


 まだ花梨から教わった事の無い言葉に、意味が分からなかったゴーニャが首をかしげる。


「ん~、店員専用の料理とでも言えばいいか? まあ、要はお前の昼飯ってことだ。まとい! お前の分も一緒に作ったから食っちまいな」


 天井を見上げた八吉がそう言うと、仕事の邪魔にならぬよう、天井で座っていた座敷童子の纏が地面に下りてきて、「私も食べていいの?」と無表情で尋ねてきた。


「おう、料理はカウンター席に置いとくからな。食い終わったら、丼ぶりはキッチンにでも置いといてくれ」


「ありがとっ、店長っ!」

「ありがとう」


 ゴーニャと纏が声を揃えてお礼を述べると、八吉は明るくニカッと笑い、厨房へ戻っていく。

 八吉の背中を見送った二人は、空腹に堪え兼ねたのか、すぐさま丼ぶりが置いてあるカウンター席に腰を下ろす。


 丼ぶりの中には、タレがふんだんにかかっている様々な焼き鳥がギッシリと乗っており、その隙間から滴ったタレを吸い取り、黄金色に輝いた大盛りのご飯が顔を覗かせている。

 出来立てを知らせる白い湯気を昇らせていて、ゆらゆらと昇る湯気には、焼き鳥の香ばしい匂いが存分に混ざっており、鼻で呼吸をする度に食欲の天井が底上げされていった。


 その食欲を刺激する匂いに、思わずヨダレをタラッと垂らしたゴーニャは、無意識の内に箸を手に取る。


「お、おいしそう~っ……。いただきますっ!」

「いただきます」


 二人は箸を持ちながら手を合わせ、大きな声で昼飯の号令を唱えると、まず初めにタレが馴染んでいる皮を箸で掴み、飢えた口の中へ運んでいく。

 タレは二度塗りされているのか、最初はサッパリとした醤油ベースの風味が口の中いっぱいに広がり、それを上塗りするように、焦げたコクの深いタレの風味が現れる。


 咀嚼そしゃくをすると、皮から甘さが際立つ脂が弾けんばかりに溢れ出し、タレの風味を更に染め変えていく。

 同時に、パリッとした食感がたまらなくてクセになり、咀嚼を進めるごとに魅了され、頬が徐々にたるんでいき、口元も緩んでいく。


 タレと脂、食感を余すことなく堪能すると、無性にご飯が欲しくなり、丼ぶりを持ち上げて焼き鳥の隙間から見えるご飯を、一気に口の中へかき込んでいった。


「おいひい~っ! タレがご飯にも合うから、どんどん箸が進んじゃうわっ」


「つくねの中に軟骨が入ってて、食感も楽しい」


 焼き鳥の他にも、ほんのり焦げ目のついた食欲を増進させるニンニク。シャキシャキの歯ごたえが堪らないネギ。稀に辛い物が混じっている、ギャンブル性の高いしし唐。

 主役を張っている焼き鳥に、負けずとも劣らない脇役達も口の中へ放り込む。その後レバーや砂肝、ぼんじりや鶏ももと、主役も食べ進めて腹を満たしていく中、厨房からとある聞き慣れた声が聞こえてきた。 


「八吉さーん、食べに来ましたよー!」


「か、花梨!?」


「な、なんでそんなに驚いているんですか……?」


 今日だけは店に来てはならない花梨が来店したようで、店内に居たぬらりひょんとゴーニャ、纏の身体が一斉にビクッと波を打つ。

 八吉もある程度の説明をぬらりひょんから受けており、目の前に現れた花梨に驚きが隠せず、思わず声を上げてしまったようであった。 


 花梨がここに来る事を予想だにしていなかったゴーニャは、丼ぶりを両手に持ちながらひっきりなしに首を左右に動かし、焦点が定まらないでいる目で辺りを見渡していく。


「花梨が来ちゃった! ど、どうしようっ……!」


「ゴーニャ、ひとまず元の姿に戻って。お昼ご飯を食べに来た客としてやり過ごすしかない」


 やや動揺している纏の提案を耳にすると、慌てていたゴーニャがハッとした表情になる。


「あっ、そっか! ここでお仕事をしてるのがバレなければいいんだものね」


「そう。ただ自然にお昼ご飯を食べているだけでいい」


「わかったわっ!」


 これからすべき事を理解したゴーニャは、頭に付けている特製の髪飾りを外し、巫女服を身に纏っている大人の妖狐から、白いワンピース姿のちんまりとした少女の姿へと戻っていった。

 そして、慌ててカウンター席によじ登ると同時に、何も知らない花梨が引き戸を開けて店の中に入ってきて、ぬらりひょん達を目にするや否や、その目をパチクリとさせる。


「あれ? ぬらりひょん様がいる。それに、ゴーニャと纏姉さんまで」


「花梨か、お疲れさん。昼休憩か?」


 纏達の話を盗み聞ぎしていたぬらりひょんが、先行して口を開いた。


「お疲れ様です、ぬらりひょん様。そうです、なんとなく焼き鳥が食べたくなっちゃいましたので、来ちゃいました」

 

「ふむ、そうか。午後も長いからな、しっかりと休憩するんだぞ?」


「はい、分かりました! それじゃあゴーニャ達の所に行ってきますね」


 花梨が元気よく返答すると、夜まで会えないと思っていた二人に会えたせいか、ニコニコしながら二人に小さく手を振りつつ、ゆっくり歩み寄っていく。

 二人の傍まで来ると、ずっと花梨の姿を見ていたゴーニャが、満面の明るい笑みで出迎えた。


「花梨っ、お仕事お疲れ様っ!」


「お疲れゴーニャ。纏姉さんもお疲れ様です」


「お疲れ花梨」


 二人に声を掛けた花梨は、ゴーニャの横の席に腰を下ろし、運ばれてきたお冷を一気に飲み干し、乾いた喉を潤していく。

 そして、温かなおしぼりで手を拭き終えると、嬉々とした表情をゴーニャに向け、ふわりと笑みを浮かべた。


「ゴーニャ達もここでお昼ご飯を食べてたんだね。夜まで会えないと思ってたから、会えて嬉しくなっちゃったや」


「うんっ、初めてお店の中に入ったわっ」


 ゴーニャがそう言うと、花梨は客が少ない店内に顔を移し、辺りを舐めるように見渡した。


「そういや私も、初めてここに入ったなぁ。……あれ?」


 顔をカウンター席に戻した花梨が、ふとゴーニャ達の前にある焼き鳥丼に目をやる。 


「ゴーニャ達が食べているのって、焼き鳥丼? それってメニュー表にあったっけ?」


 花梨の何気ない疑問に対し、ゴーニャと纏の表情が一気に強張り、ひたいにじんわりと冷や汗が滲んでいった。

 確かめる為にメニュー表を手に取った花梨は、焼き鳥丼と交互に見返してみるも、やはり載っていなかったのか「無いなぁ」と声を漏らす。


 どうやってこの場を切り抜けるか、二人で頭をフルに回転させて考えていると、背後からぬらりひょんの「試作品だ」というフォローが入る。


「試作品、ですか」


 ぬらりひょんの言葉を追うように、花梨が同じ言葉を返す。


「そうだ。八吉が新しいメニューを考えていたらしく、ゴーニャ達に食べてもらっていたんだ。だからまだメニュー表には載っとらんよ」


「へぇ~、そうだったんですねぇ。ゴーニャ、それって美味しい?」


「ふにゃっ!? う、うんっ! とってもおいしいわっ」


 ぎこちない口調と、やや歪んだ笑顔でゴーニャが口にすると、それを聞いた花梨がふわっと微笑んだ。


「そっか、羨ましいなぁ~。メニュー表に載ったら、私も今度食べてみよっと」


 何とかこの場をやり過ごせた三人は、同時に顔を見合わせて、疲れと安堵がこもった小さなため息をついた。

 その後に、ぬらりひょんも花梨達がいる方に席を移し、四人で和気あいあいとした昼食の時間を過ごしていった。 

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