47話、嘘の手紙

 澄み切った空気を肌で感じ取り、思わず足を止めて深呼吸をしたくなるような、朝七時頃。


 奇跡的に時間通りに起床できた花梨とゴーニャ、座敷童子のまといは、歯を磨いて朝食を済ませた後。キセルの煙で空気が白く淀んでいる支配人に訪れていた。

 その空気を淀ましている元凶のぬらりひょんが、口を大きく開けてあくびをしている花梨に、今日の仕事内容を簡潔に告げる。


 今日の仕事内容は、リハビリも兼ねて永秋えいしゅうの手伝いをするという事らしく、昨日からある程度の内容を把握していた花梨は、あらかじめに七分丈で動きやすそうな赤い作業服を着ていた。

 キセルの煙をふかしつつ説明を終えたぬらりひょんが「それじゃあ行ってこい」と述べると、花梨は元気よく「分かりました。それじゃあ失礼します!」と返答し、扉へ向かっていく。


 そして、扉の取っ手に手を掛けると、書斎机の前に立っているゴーニャ達に向け、明るい笑みを送った。


「それじゃあゴーニャ、また夜に会おうね。何かあったらすぐに電話するんだよ」


「わかったわっ、お仕事頑張ってね!」


「うんっ! 纏姉さん、すみませんがゴーニャの事をよろしくお願いします」


「分かった、仕事頑張ってね」


 二人からやる気が出るエールを貰った花梨は、微笑みながら手を小さく振り、別れを惜しみつつ支配人室を後にした。

 花梨の哀愁が漂う背中を見送ったゴーニャも、少し物寂しそうな表情を浮かべるが、すぐに気持ちを切り替え、横に立っている纏に顔を向ける。


「それじゃあ纏っ、私達も座敷童子堂に行きましょ」


「何言ってるの、ゴーニャも今日は仕事だよ」


「へっ、仕事? ぬらりひょん様から貰った手紙には、そんな事書いてなかったわよ?」


 薄っすらと悪どい笑みを浮かべている纏に、首をかしげて言葉を返すと、背後にいるぬらりひょんも不敵に笑い始めた。

 訳も分からぬまま二人に笑われたゴーニャは、ニヤついている纏とぬらりひょんの顔を交互に見返し、「えっ、えっ?」と抜けた声を漏らす。


 ゴーニャが困惑している中。キセルを吸い終わったぬらりひょんが、口角を緩く上げる。 


「すまんすまん。それは花梨とお前さんを引き離す為の嘘だ」


「う、うそっ? ……それじゃあ、もしかしてっ!?」


 キセルに新しい詰めタバコを入れているぬらりひょんが、温かみのある表情をしつつ、コクンとうなずく。


「うむ、遅れてすまんな。今日はお前さんも、温泉街で仕事の手伝いをしてもらうぞ」


 待望とも言える待ちかねた言葉が耳に入った途端。ゴーニャの目と口が大きく開き、抑えきれない喜びで身体を震わせ、「お仕事っ! やったぁ!!」と叫びながら何度も飛び跳ねた。

 そして止まぬ興奮に身を任せ、鼻を大きく何度も鳴らし、太陽よりも眩しく輝いている青い瞳で、ぬらりひょんの顔を見据える。


「ぬらりひょん様っ! 私はどこのお店でお手伝いをすればいいのかしらっ!?」


「ふっふっふっ。やる気に満ち溢れておるな、感心感心。ゴーニャには『焼き鳥屋八咫やた』で仕事の手伝いをしてもらう」


「焼き鳥屋八咫っ! じゃあ八吉やきちがいる店ねっ!」


「そうだ。八吉も待っている事だろうし、そろそろ行って来い。詳しい話は八吉がしてくれるだろう。帰ってきたら、ちゃんとワシに報告をしに来るようにな」


「わかったわっ! それじゃあ失礼しますっ!」


 そう満面の笑みで答えたゴーニャは、纏と共に支配人室を後にした。一段一段が大きい階段をゆっくりと下り、宿泊客がまだほとんど居ない一階へ向かっていく。

 そのまま一階に着くと、女天狗のクロの指導の元。先ほど別れた花梨が、赤いふわふわの絨毯を掃除機で掃除をしており、下りてきた二人を目にすると、微笑みながら手を振ってきた。


 二人も手を振り返してから誰もいない受付を通り過ぎ、観光客がまばらで、気持ちのいい朝日が降り注ぐ温泉街へと出ていく。

 目的地である焼き鳥屋八咫は、永秋えいしゅうを出て右側の通りに建っており、二人は手を繋ぎながらそこを目指して歩き出す。


 花梨がいない時に温泉街を歩くのは、これで二回目であるが、ゴーニャの目に飛び込んでくる見慣れた景色は、何もかもが新鮮に映り、ひっきりなしに首を動かして周りの景色を目に焼きつけていく。

 そのゴーニャをよそに、外に出てからずっと無言でいた纏が、何かを固く決意したような瞳を、ぽやっとしているゴーニャに向けた。


「ゴーニャを一人にするのは心配だから、今日は私がずっとそばにいる」


「えっ? そんなっ、纏に悪いわよ」


「気にしないで。花梨がいない間、ゴーニャは私が守る」


 無表情である纏が、やる気に満ちた様子で鼻をふんっと鳴らす。


「そういえば、ゴーニャはなんで仕事がしたいの」


「えっ!? ……えと、そのぉ……。お、温泉街にいっぱい貢献したい、からよ?」


 急に態度がよそよそしくなったゴーニャに対し、纏の口元が僅かながらに上がる。


「嘘つくのが下手だね。本当の事を言わないと座敷童子ロケットするよ」


「座敷童子ロケット!? い、イヤッ! それって、思いっきり上にジャンプするヤツじゃないの! 絶対にやめてっ! ……むうっ」


 座敷童子ロケットに恐れをなしたのか、観念して不貞腐れ気味になったゴーニャは、挙動不審に辺りを何度も見渡した後。

 両手で小さな輪っかを作り、その輪っかを纏の耳に当て、自分の顔を近づけていく。


「……誰にも言わないって、約束できるかしら?」


「まかせて。私の口はダイヤモンドより硬いから」


「ダイヤモンドよりも!? そんなに硬かったなんて知らなかったわっ。ちょっと触らせてっ」


「例え話だぶょ」


 纏が例えだと告げる前に、その言葉を信じ切ってしまったゴーニャは、はやる気持ちで纏の唇を触り始める。

 何度口先をつまんだり指で突っついてみても、纏が言ったようには硬くはなく、むしろぷにぷにとしていてとても柔らかく、程よい弾力すらあった。


 いくら弄り回してみても、柔らかくてずっと触っていたいような唇をしていたせいか、ゴーニャは不思議に思い、首をかしげる。


「なによ、全然硬くないじゃにゃぶぇ」


 話をまったく聞かないゴーニャに、纏はゴーニャの両頬を手で力強く押し込み、眉をひそめた顔を目前まで近づけた。


「例え話だって言ってるでしょ」


「ふぉ、ふぉめんなふぁい……(ご、ごめんなさい)……」


 両頬を抑えられ、口を限界までとんがらせたゴーニャが謝ると、その表情が面白かったのか、纏は無表情を崩して「ぷっ」と小さく息を漏らす。

 肩を震わせつつ手を離し、気を取り直して再び歩き出すと、話を蒸し返すように纏が口を開いた。


「で、なんで仕事がしたいの」


「えと……。私がお仕事をして稼いだお金で……、大好きな花梨にプレゼントを贈りたいなって、思って」


「そうだったんだ。わざわざ花梨と離れたって事は、花梨には内緒にしてるんだね」


「うんっ。纏っ、花梨には絶対に言わないでよ!」


 念を押すように、ゴーニャが不安の混じった真剣な表情で詰め寄ると、纏は無表情のままコクンとうなずいた。


「分かってる、絶対に言わない。花梨喜ぶといいね」


「うんっ! 今からとっても楽しみだわっ! ウフフッ、花梨に何をプレゼントしようかしらっ」


 嘘偽りなく、無邪気な笑顔でそう言ったゴーニャの足取りがだんだん軽くなり、無意識の内に軽快なスキップへ変わっていく。

 ついには陽気に鼻歌まで歌い出し、気分が最高潮に達したのか、お気に入りの歌まで口ずさみ始めた。


「本当に嬉しそうだね、応援してるよ」


「ありがとっ! 今日は張り切って仕事のお手伝いをしないと!」


「そうだね。頑張ってゴーニャ」


「うんっ!」


 それからゴーニャが終始ニコニコしていたせいか、無表情だった纏も感化されてしまい、自然と温かな笑みを零す。

 そして、目的地である焼き鳥屋八咫の店が見えてくると、二人は顔を見合わせてから小さく頷き、一斉に走り出していった。

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