41話-1、騒がしい幸せの過剰看病

 黒ずんだ暴風が収まりつつある、雲一つない晴天が広がる二時過ぎ頃。


 姉妹の絆が確たるものになった後。体調が良くなってきた花梨は、カマイタチの辻風つじかぜによる念入りな再検査を受けていた。

 万能薬に近い塗り薬を溶かしたぬるま湯を飲み、計測を終えた体温計の数値を確認し、目の前に居る辻風へと渡す。


 辻風がその体温計の数値を確認すると、「うん」と呟きながら小さくうなずき、胸を撫で下ろした。


「三十七度九分か、薬が効いているね。このまま行けば、熱はすぐに下がるだろう」


「だいぶ下がりましたね。まさか、四十度の高熱を出していたなんてなぁ」


「念のため、後三日ぐらいはしっかりと養生ようじょうするように。その頃にはゴーニャ君の右頬のアザや、花梨君の身体中や頭にある傷も綺麗サッパリ消えているだろう。その間に無理は禁物だ、いいね?」


「分かりました、色々とありがとうございました!」


 花梨が感謝の言葉を述べると、辻風は口元を緩ませ、腰を床に下ろした。そして、辻風の言う通りに重い体を布団の中に潜らせると、すぐ左側から凄まじい視線を感じ始める。

 恐る恐る横目を送ると、そこにはじぃーっと睨みつけてきているゴーニャがおり、その顔がじわじわと花梨の顔元まで近づいていく。


「あのー、ゴーニャさん? 顔がものすごく近いのですが……」


「花梨に異常がないかチェックしてるのっ」


 目前まで迫るその表情には説得力が皆無に等しく、花梨は思わず苦笑いをする。

 反応に困り言葉を詰まらせていた花梨が、おもむろに左手でゴーニャの喉を擦り、右手で頭を撫で始めた。

 すると気持ちがいいのか、花梨に撫でられたのが嬉しいのか。ゴーニャはぽやっとリラックスした表情になり、花梨になされるがまま、その場から一切動かなくなる。


 あまりにリラックスし過ぎたのか、ゴーニャがコテンとベッドに倒れると、花梨は心の中で、猫みたいだなぁ。心なしか、喉が鳴ってるような気がするや……。と思いつつ、追撃するように喉と頭を撫で続けた。

 そのまま無抵抗なゴーニャをいじくり回していると、不意に扉を二回ノックする音と共に、「花梨、入ってもいい?」という尋ねる声が耳に入り込んできた。


まとい君の声だね、開けてこようか?」


「あっ、すみません。お願いします」


 率先した辻風が立ち上がり、扉へと向かっていく。ドアノブに手を掛けて扉をゆっくり開けると、お盆を両手で持っている座敷童子の纏の姿が現れ、テクテクと部屋の中に入ってきた。


「お見舞いに来たよ」


「纏姉さん! ありがとうございます、それは……」


 ベッドに飛び乗ってきた纏が持っていた物には、花梨だけに見覚えがあり、懐かしい思い出と感情が心に押し寄せる。


 ラップが包まれているお盆の上には、楊枝が刺さっている一口大にカットされたリンゴ。喉通りが良さそうな、すりおろされたリンゴとスプーン。

 氷水が入った容器とコップ。それに、フワフワのきめ細かな氷が詰まった小さなビニール袋が二セットずつ乗っていた。


 それらはかつて、纏が風邪を引いて寝込んでいたところを、花梨が看病した際、雪女の雹華ひょうかに無理を言って用意してもらった物と、まったく同じ物であった。

 纏が無表情のままラップを丁寧に取り、カランと音を立たせながら氷水をコップに注ぐ。そして、目をパチクリさせている花梨に差し出した。


「飲んで」


「わあ、嬉しいなぁ。いただきます」


 差し出されたコップを手に取ると、氷が再びカランと音を鳴らす。コップには既に、氷水の冷たさが移っていて、熱く火照っている手をじんわりと冷やしていく。

 その冷たさが喉の飢えを刺激すると、花梨は喉を慣らす為に一口だけ飲み込み、間を置いてから一気に飲み始める。

 心地良さがある冷たい水は、熱のこもった食道を癒しながら胃まで到達し、そこから体の内部を一気に冷やしていった。


「ぷはぁっ! ふう~っ、美味しい」


「よかった。すりおろしたリンゴもあるよ、食べさせてあげる」


「それじゃあお言葉に甘えて……。ん~っ、甘いっ!」


 花梨の気持ちがいい唸り声を聞くと、普段ほとんど表情を変えない纏が、僅かながらにほくそ笑む。

 そのまま纏は、もう一つのすりおろしリンゴが盛られている皿を手に取り、腑抜けっ面で倒れているゴーニャの方を向いた。


「ゴーニャも口を開けて」


 纏の指示により、夢現ゆめうつつの世界から現実世界に引き戻されたゴーニャが、垂らしていたヨダレを吸い、ぽけっとした表情をしながら自分を指差す。


「ふぇっ、私も? 私は大丈夫よっ」


「問答無用」


「じゃ、じゃあ一口だけもらおうかしら。……う~ん、おいひいっ」


 ゴーニャが満面の笑みになると、纏も温かな笑みを浮かべる。二人がすりおろしリンゴを完食すると、間髪を入れずに一口大にカットされたリンゴも食べさせた。

 リンゴは糖度が高い透明の部分が非常に多く、みずみずしくサッパリとしたフルーティーな甘さが、二人の食欲を少しずつ促していく。


 山盛りだったリンゴはどんどん無くなっていき、食欲が湧いた二人は、少々物足りなさそうにしながらも完食し、花梨が甘い余韻が残っているため息をついた。


「とっても美味しかったです、ありがとうございました!」

「ありがとっ、纏っ」


 ゴーニャも感謝の言葉をかけると、二人して氷水を飲み始める。纏が達成感に満ちた表情で、「むふーっ」と言いながらガッツポーズをしている中。

 あっという間に氷水を飲み干した花梨が、一息ついてから纏に目を向ける。


「そういえば、なんで私が体調を悪くしてるって知ってたんですか?」


「風の噂で聞いた。温泉街は今、その話題で持ち切りだよ。騒がしくなる前に、私を看病してくれた時の恩返しに来た」


「騒がしくなる前に? それってどういう―――」


 花梨が首をかしげ、質問を返そうとした途端。その質問を遮るように、廊下から一つのけたたましい足音が割り込んでくる。

 だんだんと足音が大きくなり、扉の前でピタリと止まると、扉が壊れんばかりの激しいノック音が何度も聞こえてきた。


「花梨さーん! 入ってもいいっスか!?」


酒天しゅてんさんの声だ。どうぞー!」


 花梨の返答が届いたのか、扉がひとりでに開く。開いた扉の先には、今にも泣き出しそうでいる茨木童子の酒天が、山盛りのフルーツが積まれているバスケットを携えて立っていた。

 部屋の中に入って扉を閉めると、早足で花梨のベッドまで詰め寄り、バスケットの中身を崩さないよう床に置き、すっかりと冷えた花梨の手を握る。


「高熱で倒れたと聞きまして……。昨日の事もあったんで、とても心配してたんスよ……!」


「あっ……。す、すみません、ご迷惑をお掛けしちゃいまして……」


 涙目になっている酒天の言葉に、花梨は昨日の夜、頭から血を流しながら居酒屋浴び呑みに行った事を思い出し、心配を掛けた罪悪感から酒天の顔が見れなくなり、目線を握られている手に落とす。

 しかし酒天は、これ以上花梨の事を責めず、涙が零れそうでいる目を袖でゴシゴシと拭き、ニッと明るい無邪気な笑みを浮かべた。


「でも、元気そうでなによりっス! はいこれ、お見舞い品っス。よかったらゴーニャちゃんと一緒に食べてください」


「うわぁ~、美味しそうな果物が沢山ある! ありがとうございます!」


 笑顔の酒天から渡されたバスケットには、特大のマスクメロンや房の多いバナナ。丸々太った大ぶりのブドウ、淡く火照っているような色をした桃。

 他にも多種多様の果物が添えられており、それぞれが放つ甘く熟した匂いが混ざり合い、花梨達の鼻と食欲をくすぐり、口の中にじんわりと唾が溜っていく。


「あと、これもどうぞっス。アルコール度数が低い、滋養強壮に効果があるお酒っス。寝る前にちょびっと飲むと、体がポッカポカに温まるっスよ~」


 更に酒天が渡してきた茶色の一升瓶には、液体が限界まで入っているのか、揺らしても音がまったく鳴らず、それなりの重さを感じる。

 花梨が栓を取って匂いを嗅いでみると、薬独特の強い匂いを感じ、その匂いだけでも身体に良さそうだと容易に想像できた。


「寝る前に飲んでみますね、楽しみだなぁ」


「はいっス! 無くなったらいつでも言ってください!」


 役に立てて嬉しくなった酒天が、渾身のガッツポーズをしながら再び明るくニッと笑う。

 そして、更に何かの役に立とうしたのか、辺りを見渡しながらスクッと立ち上がった。


「花梨さん、果物で何か食べたい物はあるっスか? 台所を貸していただければ、あたしが切ってきますよ」


「本当ですか? じゃあ、え~っと……、メロンが食べたいです!」


「了解っス! ゴーニャちゃん達の分も一緒に切ってきますね」


 その嬉しい言葉を聞き、内心食べたがっていたゴーニャが「ありがとっ、酒天っ!」と、後を追って纏も「ありがとう」と、それぞれ感謝の言葉を返す。

 二人の感謝に、心が弾んだ酒天が三度みたびニッと笑い、特大のマスクメロンを片手に台所へ向かおうとした瞬間、扉が大きな音を立たせながら乱暴に開いた。


 平和だった空気を壊す音に、部屋に居た全員が驚いて体を波立たせ、一斉に扉へと目を向ける。

 扉の向こう側には、肩で息をしている雪女の雹華ひょうかと、手を振りつつ微笑んでいる化け狸の釜巳かまみが大量の袋を持って立っており、全員が目を丸くしているのもお構いなしに、既に号泣している雹華が叫び出す。


「花梨ぢゃん!! 大丈夫っ!?」


「ひょ、雹華さん……。それに、釜巳さんまで」


「あら~、二人とも思ったより元気そうね。よかったわ~」


 水たまりができんばかりに泣き叫んでいる雹華とは対照的に、釜巳は現状をしっかりと把握し、安堵のため息を漏らした。

 二人が部屋に入り込み、釜巳が扉を閉めると、雹華は猛ダッシュで花梨がいるベッドに駆けていく。


 そこから部屋が一気に騒がしくなってくるも、更に後から妖狐のかえでみやび、ろくろ首の雷首しゅらい

 八咫烏の八吉やきち、河童の流蔵りゅうぞうが各々のお見舞い品を持ちながら部屋に訪れ、お祭り騒ぎに発展していった。


 その雑音が入り乱れる部屋内で、辻風が「二人は病人なんだから、みんな静かにしていなさい」という注意をするも、花梨とゴーニャを心配している声にかき消されていく。

 それ以降、姉妹の安らぐ時間は無くなったものの、騒がしい温泉街の妖怪達から沢山の元気を分けてもらい、笑いが絶えない幸せな午後を過ごしていった。

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