41話-2、戻ってきた日常

 ひつじ雲が悠々と漂っている青空が、紫色に染まりつつある夕方頃。


 花梨達の部屋でお祭り騒ぎをしていた妖怪達は、様子を見に来た女天狗のクロの喝により、部屋を圧迫しているお見舞い品を残し、全員渋々と帰宅していった。

 夜になるとぬらりひょんが部屋に入ってきて、起きている花梨が、無抵抗なゴーニャをいじくり回している姿を目にした後。かなり狭くなっている部屋内に目を移す。


「元気そうで何よりだが……。少し見ない間に、部屋がすごい事になっとるな」


「お疲れ様です、ぬらりひょん様。これ全部、温泉街の皆さんから頂いたお見舞い品です」

 

「それはいいんだが、個性的というか……、ありがた迷惑というか……」


 花梨に目を戻したぬらりひょんが、呆気に取られながら改めて部屋内を見渡してみる。

 そこには明らかに過剰である品物や、病人に渡すには、はた迷惑な品々が山を成していた。


 旬である野菜が、多種類豊富に積まれている山。獲れたてなのか、未だに口をパクパクとさせている魚や、圧倒的な存在感を誇る大きなマグロが一匹。

 霜降りの特上ロースもあれば、骨付きカルビ、丸焼きにしてくれと言わんばかりに下処理が済んでいる豚が一匹。


 犯人は、木霊農園こだまのうえん牛鬼牧場うしおにぼくじょう魚市場難破船うおいちばなんぱせんの連中だと確信が持てるほど色濃い品々であり、一通り目を通したぬらりひょんが、手で顔を抑えつつため息をつく。


「あの馬鹿共め、限度を知らんのか限度を」


「はっ、はははっ……。流石にマグロと豚が登場した時は、皆さんビックリしていましたねぇ」


「当たり前だ。ったく、個人でマグロ一匹なんぞ食い切れるワケなかろうに」


「えっ? 三日ぐらいあれば食べられますよ~。刺身に炙りでしょ? 鉄火丼や天ぷら。お寿司やカルパッチョもいいなぁ~。……へっ、へへへっ」


 当たり前のように花梨が発言し、想像と妄想の世界でマグロの海に溺れ始めると、顔をヒクつかせたぬらりひょんが、こいつなら本当に食いかねんな……。と、ゴーニャとマグロ料理を堪能している姿を想像した。

 そして、ここに置いておくと傷むだろうと判断したぬらりひょんが、咳払いをしてから手を大きく数回叩く。

 すると、その音を聞いた女天狗数名が、扉を開けて部屋の中へと入り込んできた。


「お呼びでしょか?」


「すまんが、この山になっている物を全部、花梨達の分だと分かるように食事処の冷蔵庫に入れといてくれ」


「了解致しました」


 にんまりとしている花梨が、妄想の世界でマグロを食らいついている隙を見て、女天狗達が山になっている食材を運び出し、その標高をどんどん低くさせていく。

 食材の山が更地に戻ると同時に、マグロの海を完食した花梨が現実世界に帰還してくると、殺風景になった部屋が目に映り込み、驚きながら辺りを見渡した。


「……あれ、あれっ? 野菜と魚と肉はっ!? もしかしてぬらりひょん様、全部食べちゃったんですか!?」


「阿呆。腐るといかんから、女天狗達に食事処に運ばせたんだ。明日からはそれらを使って、お前さん達が食べる料理を作らせるつもりだ」


「あっ、そうだったんですね。ビックリした~。んふふっ、明日からの料理が楽しみだなぁ。ねっ、ゴーニャ」


「ふぇあっ? ……ふぁい」


 ほがらかな表情をしている花梨にそう言われるも、頭と喉を撫でられ続けていたゴーニャは心あらずで、緩み切った顔をしていた。

 普段となんら変わりない日常を垣間見たぬらりひょんは、口元を緩めつつ鼻で笑い、扉の方に向かっていく。


「いつも通りに戻って安心した。しばらくの間、ゆっくりと休んでおれ」


「はいっ、ありがとうございます!」


 ぬらりひょんがキセルを片手に部屋から出ていくと、すれ違うように鼻歌を歌っているクロが、白い湯気を昇らせた物が乗っているお盆を携えつつ、部屋に入ってきた。

 扉を足で閉めると、ご機嫌でいるクロが花梨の元まで歩み寄り、持っていたお盆をベッドに乗せ、すぐ横に座ってから口を開く。


「調子はどうだ? 少しは良くなったか?」


「お疲れ様です、クロさん。皆さんのお陰でこの通り、すっかり元気になりました!」


 花梨が元気になった事をアピールする為に、不器用なウィンクをしながらガッツポーズすると、その姿を見たクロが笑みを浮かべ、静かに胸を撫で下ろす。

 惨憺さんたんたる花梨達の姿を見てきたクロにとって、今後、その出来事を引きずるのではないかと危惧していただけあり、普段通りの明るく振る舞っている姿に、温泉街の妖怪達の中で一番に喜んでいた。


「油断するなよ? 治りかけが一番危ないんだからな。ほれ、今日は体に良いおじやだ」


 そう言ったクロが、持ってきたお盆を手前に寄せる。花梨がお盆に乗っている二つの土鍋を覗き込んでみると、中には色彩豊かなお粥みたいな物が入っていた。


 溶き卵が入っているのか全体的に黄色く、所々がカニの身で赤く彩られ、上には深緑色の万能ネギが散りばめられている。

 白い湯気の中に、ほんのりとショウガの匂いを感じ取り、その匂いが花梨の食欲を爆発的に増幅させていった。 


「う〜ん、ショウガのいい匂い~」


「ちょいと出汁だしも入れてるから、味もしっかりついてるぞ。ほら、食べさせてやるから口を開けろ」


「へっ? い、いやっ、大丈夫ですよ。一人で食べられますって」


「うるさい、今日ぐらい甘えろ」


 納得がいっていないのか、花梨は口を尖らせるも渋々言う事を聞き、目を瞑りながら口を大きく開けた。

 花梨の甘える準備が整うと、クロは出来立てで熱々のおじやをレンゲですくい、息を数回吹きかけて冷まし、花梨の口の中へと運ぶ。


 まだ中が熱かったのか、花梨が口をすぼめてはふはふとさせ、味わうようにゆっくりと咀嚼そしゃくを始める。


 まず初めに、醤油とカツオ節が効いた出汁と、ショウガの風味が口の中に広がるも、すぐに全体を覆っている卵の甘みが、それらを包み込んでいく。

 全てが薄味ながらも、噛めば噛むほど出てくるカニの身の塩っ気が、丁度いい塩梅となり、薄味に味付けされたおじやの味を、食欲をそそる味へと染め上げていった。


 一口目を存分に味わい、丹念に噛み締めからコクンと飲み込んだ花梨が、「ほうっ……」と小さくため息をつく。


「とっても優しい味だ、美味しい……」


「だろう? 丹精込めて作ったんだ。どんどん食え……、うん?」


 りんとしているクロが、二口目のおじやをレンゲですくおうとした途端、不意に着ていた和服をグイグイと引っ張られた。

 和服が引っ張られた方に目をやると、夢心地の世界から帰ってきていたゴーニャが、何かをやりたそうな上目遣いをクロに送っていた。


「ゴーニャも食うか? 待ってろ、いま冷ましてやるから―――」


「ち、違うのっ。私も花梨に食べさせてあげたいなって、思って……」


 ゴーニャの言葉に目をキョトンとさせたクロが、やや諦めた様子で話を続ける。


「なるほどな。ほら、熱いから気をつけろよ」


「やったっ! ありがと、クロっ」


 本当は、土鍋の中身が空になるまで食べさせてやりたかったクロは、ゴーニャの甘えた瞳に観念し、レンゲを置いて少し横に移動した。

 すぐさまベッドによじ登り、空いた場所にちょこんと立ち膝をしたゴーニャは、まだ熱いおじやが乗っているレンゲを持ち上げる。

 

 クロの見様見真似で「ふーっ、ふーっ」と、声を出しつつ息を吹きかけて冷まし、頃合いを見て、レンゲの下に手をかざしながら花梨に差し出した。


「花梨っ、口を開けて」


「ありがとうゴーニャ。……ん~っ、美味しいっ!」


 花梨が微笑みながらおやじを食べる姿を見て、嬉しくなったゴーニャは満面の笑みになり、更におじやを冷まし始める。

 適度に冷めたおじやをもう一口食べると、花梨がおもむろに手を付けていない土鍋を手前にずらし、レンゲでおじやをすくう。


「それじゃあ、私もゴーニャに食べさせてあげるね」


「ダメよっ、花梨は大人しくしてなきゃ!」


「いいからいいから。はい、あ~んして」


「むぅ~っ……、あ~ん」


 言う事を聞こうとしない花梨に対し、ゴーニャは頬をプクッと膨らませるも、甘えたい気持ちの方が勝ってしまったのか、小さな口を大きく開ける。

 念入りに冷ましたおじやをゴーニャの口の中に入れると、ニコニコしながらおじやを噛み締め、コクンと飲み込んだ。


「ふうっ、おいひい~っ」


「だよねぇ、なんせクロさんが作ってくれたおじやだもん。いくらでも食べられそうだ」


「そうやっておだてても何も出ないからな~。……ったく、二人揃って人の楽しみを奪いやがって」


 いじけているクロが、拗ねた目で食事を楽しんでいる姉妹を睨みつけると、全てを察した花梨が苦笑いをする。

 そのままお互いに食べ合いさせていると、おかわりが必要になるだろうと独断したクロが、おじやが入った土鍋を新たに二つ追加した。

 そして最終的には、クロが花梨とゴーニャに交互におじやを食べさせて、共に満足がいく明るい夜を過ごしていった。









 ―――食後の花梨の日記、一ページ目






 昨日は何も無かった、以上。






 ―――二ページ目




 今日は人生で初めて、四十度近くの高熱を出してしまった。


 目を覚ますと、目の前でゴーニャが泣いていたからどうしたんだろう? って思ってたけど、どうやら私は相当苦しんでいたらしい。

 辻風つじかぜさんの治療と塗り薬が無かったら、危なかったかもしれないなぁ。後でもう一度、お礼を言いに行かないと。


 それにしても、今日一日は本当に嬉しかった。なんたって、温泉街にいる妖怪さん達がお見舞いに来てくれたんだもん。

 一時期は、部屋がぎゅうぎゅうになるほどの人数が来てくれたんだ。全員が全員、私の事を心配してくれていた。


 本当は心配されるのが苦手なんだけども、その気持ちを跳ね除けるぐらいに今日は、心の底から嬉しかった。

 あんな大勢の人達から心配されるのは初めてだったから、思わず泣きそうになっちゃったや。


 みんなに温かな元気を分けてもらったお陰か、高かった熱がだんだんと下がってきたし、体調は思っているよりもずっと早く回復しそうだ。

 でも、すぐに無茶をすると全員に怒られそうだから、あと三日間ぐらいは大人しくしていよう。(出来るだろうか? あまり自信がない……)


 これからやりたい事が沢山あるし、焦らずゆっくりと休んで、英気を養っていかないとなぁ。

 やりたい事の大半は、ぬらりひょん様からお許しを貰わないといけない事だろうし、治ったら直談判しに行かねば。


 ぬらりひょん様、許してくれるだろうか……? いや、何とかしてお許しをくれるまで粘らないと! それが出来ないと、今後ゴーニャとは一切連絡が取れなくなっちゃうしね。

 そうだ。お金がそれなりにあるし、お見舞いに来てくれた人達のお礼の品もそこで買おう! ふっふっふ、ナイスアイディアだ、私。


 そうと決まれば、なおさらちゃんと体調を万全にしないとね。楽しみだなぁ。

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