40話、妹の看病

 カマイタチの辻風つじかぜから看病のイロハを教わったゴーニャは、自ら率先して花梨の看病を始める。


 花梨のひたいに置いてあるタオルが温くなれば、急いで冷たい水に浸して充分に冷やし、固く絞ってそっと花梨の額に置いた。

 じんわりと汗が滲んでくると、綺麗で清潔なタオルでゆっくりと拭き取り、拭き残しがないか念入りに確認した後。小さなため息をつく。  


 汗をかいた後は脱水症状にならないように、万能薬に近い癒風ゆかぜの塗り薬を溶かしたぬるま湯を、寝ている花梨の口の中に一滴ずつ垂らしていった。

 そのぬるま湯を花梨がコクンと飲み込むと、安心したゴーニャは口元を緩ませ、花梨の横にちょこんと正座して静かに見守り続けていった。


 途中途中に、花梨の様子を見に来た女天狗のクロに「代わろうか?」と聞かれるも、ゴーニャは頑なに拒んで自分が看病すると強く主張し、頬をプクッと膨らませる。

 観念したクロが苦笑いしながら花梨の事を託すと、ゴーニャは当然のように「まかせてっ!」と、真剣な眼差しを向け、部屋から退散していくクロの背中を見送った。 


 しばらくすると、花梨が苦しそうな表情で寝返りを打つ。あたふたしたゴーニャは、枕元に落ちたタオルを慌てて拾い上げ、花梨の額に当てて抑えつけた。

 そんな光景を後ろから見ており、ぬらりひょんに植え付けられた恐怖が未だに抜けず、縮こまってカタカタと体を震わせていた辻風が口を開く


「ゴーニャ君、そこまでしなくても大丈夫だよ」


「ダメよっ! こうしないと、花梨の体調が良くならないもんっ!」


「無暗に体を触るのも、あまりよろしくないんだ。静かに見守ってあげなさい」


「そうなの? ……むう」


 あまり納得していないゴーニャは、仕方なく辻風の言う事を聞き入れ、抑えていたタオルを離し、再び花梨の横に正座をした。


 依然として呼吸を荒げている花梨を見ていると、自分のせいで花梨がこうなってしまったんだという罪悪感に駆られ、タオルを握っている手が震えだし、思わず力が入る。

 的外れな罪悪感が不安を生み出し、膨らみつつある不安がゴーニャに良からぬ未来を想像させ、焦る気持ちを煽っていく。


 最悪な結末しか想定できなくなると、もしかしたら、花梨はこのまま目を覚まさないで、死んじゃうのかしら……? と考えてしまし、ゴーニャの目頭がだんだんと熱くなっていった。 

 罪悪感と不安と焦りがゴーニャの心を容赦なく蝕んでいくと、その重圧に耐えられなくなったのか、勝手に涙が溢れ出し、その場で息を殺しながら泣き始めた。


「ゴーニャ君……」


「私のせいで……、私のせいで花梨が死んじゃうかもしれない……。ヤダッ……、そんなの絶対にヤダァ……」


「さっきの話を聞いた限り、ゴーニャ君にはまったく非はないよ。そう自分を責めないでくれ」


「……違う。私がさらわれたせいで、花梨がこんな酷い目に遭っちゃったんだもん……。全部私のせいよ……。私が、花梨と出会っちゃったからいけないんだわっ……」


 全ての引き金になったと信じてやまないゴーニャは、軽傷で済んだのに対し、ゴーニャを助けてくれた愛する家族は多大なる傷を負い、今、目の前で苦しんでいる。

 誰もそんな風には思っていなく、ゴーニャだけがそう思い込んでいる事だが、負の感情がその考えを決定づけ、完全に固定してしまい、他の思考を蹴散らせていく。


 こうなってしまうと辻風の言葉も耳に届かなくなり、背後から流れてくる誤解を解く意見は、ゴーニャの耳に届く前にノイズへと変わり、弾かれていった。

 握っているぬるいタオルを、自分の熱い大粒の涙で更に温くしていく。その涙が花梨の手の上にポタッと落ちると、意識を取り戻した花梨が目を覚ます。


 起きたばかりのせいか、まだ視界がぼんやりと霞んでいる中。

 涙を流しているゴーニャが目に入り込むと、今まで寝ていた花梨には何でゴーニャが泣いているのか理解出来ず、掠れた声で喋り始めた。


「……ゴーニャ、なんで泣いてるの?」


「―――ッ! 花梨っ!!」


 花梨が目を覚まして声を掛けてくると、ゴーニャは、ぱあっと明るい表情になるも、またたく間に負の感情に心が飲まれ、目の前にある花梨の熱い手を強く握り締め、涙が溢れる青い瞳を花梨に向けた。


「ごめんなさいっ! 私のせいで花梨がこんな目に……!」


「えっ?」


「私が昨日、攫われなければ花梨はこんなに傷つかなかったし、高熱を出して苦しむ事もなかったっ! 全部、全部私が悪いのっ! 私が、花梨と出会わなければ……、こんなにひどい目に、遭う事もなかったの……」


 手を握り締めてきたゴーニャが早口で喋りだすと、昨日の夜から記憶が一切無い花梨は、困惑しながらも自分が今、置かれていた状況を少しだけ把握する。

 体の節々や関節に鈍痛が響き、頭も鉄の帽子でもかぶっているのかと疑う程に重く、高熱のせいからか、気分がすぐれなくボーッとしており、まともな思考はまだ出来そうになかった。


「……待ってゴーニャ、一旦落ち着い―――」


「私は花梨にとって……、いやっ、温泉街のみんなにとって悪い疫病神なの! 私がここに来なければ、みんなにも迷惑がかからなかったし、花梨もこんな風にはならないで普通に過ごせたハズ……! 私が、ここからいなくなれば……、花梨はまた平和な生活に戻れ、んっ」


 花梨の制止に意を介さず、溜め込んでいた物を全て吐き出すようにゴーニャが喋っていると、ふと花梨の人差し指が、ゴーニャの小さな口を抑えつける。

 その指は熱くて微かに震えており、これ以上ゴーニャには喋らせまいと思ったのか、代わりに花梨が口を開いた。 


「……それ以上、寂しい事を言わないでよ。今の私にはもう、ゴーニャが居ない生活なんて有り得ないし、考えられないんだ。だって、ゴーニャは私の大切な家族だもん」


 花梨が口を抑えていた指を離し、涙で濡れているゴーニャの頬に手を添えた。その手はとても温かく、負の感情で凍りついているゴーニャの心を、優しく溶かしていく。

 心にポカポカの愛が注がれていくゴーニャが、頬にある大きな花梨の手に自分の手を重ね、顔をくしゃくしゃにさせながら話を続ける。


「でも、私がいたら花梨がまた、不幸な目に遭っちゃうっ……! 私みたいな疫病神が、花梨のそばにいたらダメなのっ! 花梨が、私のせいで……、傷ついて、また何かあったら、死んじゃうかもしれないんだもん……」


 止まらずに増えていくゴーニャの涙が、温かい花梨の手を巻き込みながら伝い、点々とベッドに落ちていく。しかし花梨は、その言葉を否定するかのように首を左右に振った。


「ううん、ゴーニャは何も悪くないよ。昨日だってゴーニャのせいなんかじゃない。それは私が一番よく分かってる 。だから、もう自分を責めるのはやめな。ねっ?」


「でも、でもぉ……」


「私はゴーニャの事がとっても大好きだし、ゴーニャが私の元からいなくなるなんて絶対にイヤだ。これは、心の底からの本音だよ。……ゴーニャの本音も、聞きたいなぁ」


 本音を口にした花梨が、涙が滲んでいる目を閉ざし、優しく微笑んだ。

 その温かな微笑みで、愛が充分に満たされたゴーニャの心がカッと熱くなり、抑え込んでいた本当の感情が爆発し、小さな口から溢れ出す。


「……本当は、本当は花梨と離れたくなんかないっ! これからもずっと、一緒にいたいっ!! 私も花梨がいない生活なんて、絶対にイヤッ!! だって私も、花梨の事が、大好きなんだもんっ……」


 ゴーニャも本当の本音を出し終えると、感情の波が暴走し、泣き叫びながら花梨の体に飛びつき、体をギュッと強く抱きしめた。

 その感情の波に飲み込まれた花梨も、オレンジ色の瞳から一粒の涙が零れ落ち、胸元もいるゴーニャを強く抱き返す。


「よかった、ゴーニャの本音が聞けて。すごく嬉しいや。これからもずっと、一緒にいようね」


「……うんっ、うんっ!」


 泣きながら甘えてくるゴーニャの頭にそっと手を添え、残っているしがらみを振り払うかのように、何度も何度も優しく撫で続ける。

 悲涙から感涙に変わった妹の涙は、しばらく間止まらずに流れ続け、姉はずっと妹を抱きしめ、慈愛に満ちた表情を送り続けていた。

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