37話-2、不穏な胸騒ぎ

「モウ……、サンプン、タッタ……」


「うるさい、まだ三十秒あるぞ」


「ううっ……、もう大して変わらない気がする……」


 カップラーメンは硬麺派であり、いつもはお湯を入れてから一分もしない内に食べている花梨であった。が、今はクロの厳しい監視の元、三分間待たされるという地獄の窮地に立たされている。

 残り一分の時点では、流していた涙はとうに枯れ果て。残り三十秒の時点では、精魂尽きて真っ白な灰となり、テーブルに突っ伏していた。


「残り二十秒、十九、十八―――」


 クロのカウントダウンが始まると共に、生ける屍と化していた花梨の瞳に生気が宿り始め、蓋の上に置いて温めていた脂が入っている袋を手に取り、いつでも食べられる態勢へと入る。

 カウントダウンが十秒を切ると、持っていた袋の封を開け、割り箸を咥えて空いている手を駆使し、慣れた手つきで綺麗に割った。


「―――三、二、一、よし、食っていいぞ」


「待ってましたーっ! いっただっきまーすっ!」


 永遠にも思えた三分が終わりを迎えると、花梨は水を得た魚の如く元気になり、油を容器に投入してスープに馴染むよう満遍なくかき混ぜた。

 そして、まずは口の中に麺を迎え入れる準備をする為に、油の匂いが濃いしょうゆベースのスープを冷ますよう息を数回吹きかけ、ゆっくりとすする。 


 数ヶ月ぶりに飲んだせいか、それ以上に長く感じる時間を待たされてから飲んだせいなのか、サッパリとしたしょうゆの風味が飢えている体に染み渡り、「ほぅっ……」と、幸せのこもったため息が自然と漏れた。

 真夜中にジャンクな物を口にした背徳感から、その風味を更に昇華させ、質の高い余韻が全身を駆け巡る。


「ああ~、うんまぁ~い……。さてと、お次に待望の麺をっと」


 口が麺を迎え入れる準備が整うと、お目当てである麺を大量に箸ですくった。

 瞳をキラキラと輝かせながら「はぁ~……」と、震えた甲高い声を漏らすと、目の前にいるクロにはお構い無しに、豪快な音を立たせて一気にすすっていく。


 ウェーブがかかった中太麺という事もあり、口の中へと流れていく麺にはスープがふんだんに絡んでいて、口の中で麺とスープが大渋滞を起こした。

 箸を止めずにすすり続けていたせいか、頬張り過ぎて頬がリスのように膨らむも、花梨は満面の笑みで麺で咀嚼そしゃくし、徐々に飲み込んでいく。


 大きくふくらんでいた頬が萎んでいき、口の中が空になると、右手で力強い渾身のガッツポーズをしながら雄叫びを上げた。


「くうぅ~〜っ! うんまーーいっ!!」


「おいおい、いくらなんでも大袈裟じゃないか?」


「そんな事ないですよ~。この、さり気なく入っているネギとメンマのアクセントも最高っ!」


「くっそ~。美味そうに食ってるもんだから、私まで食いたくなってきちまった。……味噌味でも食うかな」


 花梨の幸せそうな表情に触発されたクロは、容器がバケツ型の味噌味のカップラーメンをチョイスし、封を開けてかやくを取り出した。

 既に半分以上食べ終えていた花梨が、油が浮いているスープをゴクッと飲んでからクロに目を向ける。


「ぷはぁっ、味噌味もいいですよねぇ。そのシリーズのキムチ味も美味しいですよ」


「分かる、私も大好きだ。……これを食べた後に食っちまおうかな」


 部屋の中に充満している食欲を刺激してくる匂いのせいで、食べる前から歯止めが利かなくなってきたクロは、同じ容器であるキムチ味のカップラーメンの封も開けた。


「そんなに食べると太りますよ~」


「うるさい、お前も人の事を言えんだろうに」


 そうボヤいたクロが自分のカップラーメンにお湯を注ぎ終えると、ヤカンのお湯が無くなったのかおもむろに立ち上がり、ヤカンに水を入れて再び沸かし始めた。

 麺をすする音だけが聞こえてくる中。ふと花梨に目を向けると、カップラーメンを完食したのか、ほっこりとした顔で至福の余韻を味わっている。

 しばらく心を空っぽにして様子を伺っていると、クロがお湯を入れたカップラーメンを狙うかのように、チラチラと怪しく見始めた。


「おいコラ、私のカップラーメンを狙うな」


「あっ、いやっ! もう五分以上も経っているのに食べないのかなぁ~、と思いまして」


「なにぃっ!? それを早く言え! 食いたいからヤカンを見ててくれ!」


 その鬼気迫る言葉を聞き、慌てて立ち上がった花梨とすれ違うようにクロがテーブルに駆け寄り、自分専用の箸を手に取りながらカップラーメンの蓋を開けた。

 かやくを入れてスープに馴染むようかき混ぜるも、麺は伸びているのか手応えがあまり無く、小さなためいきをついてから柔らかくなっている麺をすすった。


「グッ、伸び始めてやがる……。……まあ、これはこれで美味い、か?」


「え~、私は柔らかいのはイヤだなぁ」


「気休め程度だが胃にも優しいだろう、……たぶん。うん、スープも美味い」


 味噌の香ばしくも奥行きのあるガッシリとした匂いが、ほのかに香るしょうゆの匂いを塗り替えつつ部屋内に広がっていく。

 クロがカップラーメンに舌鼓したつづみを打っている途中。ヤカンから音が出始め、花梨がコンロの火を止めてからヤカンをテーブルまで持っていき、自分がチョイスしたカップ焼きそばにお湯を注いだ。

 熱いヤカンをテーブルの上に置き、ソースが入った袋を蓋の上に置いて正座をすると、麺を完食したクロが、何かを思い出した口ぶりで話を始める。


「そういや花梨。ぬらりひょん様からも言われているとは思うが、明日ってか今日の夜は満月が出る日だからな。ちゃんと夕方までには居酒屋浴び呑みに行くんだぞ?」


「分かってますって、ゴーニャと一緒に泊まってきますね」


「酔っぱらって、酒天しゅてん酒羅凶しゅらきに迷惑かけんなよ? 午後から明日の朝までの間、ぬらりひょん様は不在になるんだ。何かあっても対応は出来ないからな」


「まあ最悪お酒を勧められたら、お酒に強い茨木童子に変化へんげして事なきをを得るようにしますんで、安心してください」


「そうか、それならいいんだが……」


 おどけている花梨の表情に、一旦は胸を撫で下ろしたクロであったが、ざわめきが止まない心の中で、んー、胸騒ぎが収まん。なんだかとても嫌な予感がする。何事も無けりゃいいが……。と、一人不安を募らせていく。


 飲んでいるスープの味が分からなくなる程の胸のざわめきを感じている中。気がつくと目の前に居たハズの花梨が、いつの間にか消えていた。

 おかしいと思って辺りを見渡してみると、突然背後からボコンッ、という音と「やばっ……」という、焦りを含んだ声がほぼ同時に耳に入る。

 慌てて後ろを振り返ってみると、台所でカップ焼きそばのお湯を捨てていたのか、両手で大事そうにカップ焼きそばを持っている花梨と目が合った。 


「おい花梨、三分経ったのか?」


 クロが何気ない口調で質問をすると、花梨の体全体が大きく波打ち、引きつった表情をしながら震えた声で話を続ける。


「や、やだなぁ~クロさんってば。ちゃんと三分経ってますよぉ~」


「本当だろうなあ?」


 鋭い漆黒の眼光で睨みつけてきたクロに対し、誤魔化しは利かないと悟った花梨の表情が、更に引きつっていく。


「あ、あっはははは……。すみません、まだ二分も経ってないです……」


「ったく、ちょっと目を離すとすぐこれだ。……さて、もう一つも頂こうかな」


 味噌味のカップラーメンを、スープまで綺麗サッパリに完食したクロは、すかさずキムチ味のカップラーメンにお湯を注いでいった。

 お湯を流し終えた花梨が、笑みを浮かべつつ台所から戻ってきて座り、付属のソースを入れてから麺全体に絡ませるようにかき混ぜていく。


 かき混ぜている拍子に、部屋内に漂っている味噌の匂いを上書きし、食欲を増進させる濃厚なソースの匂いが広がっていく。

 そしてかき混ぜ終えると、かやくのふりかけを入れてから大口を開け、一気にすすっていった。

 先ほど食べたサッパリとしたしょうゆ味のカップラーメンとは違い、ドッシリとしていながらもやや酸味のあるフルーティーなソースがクセになり、手と口を止めること無く食べ進めていく。


「んっふ~! ソースの味が濃くて溜らんっ! んまいっ」


「やっぱり美味そうに食うよなお前は。後で私のヤツを一口やるから、焼きそば一口くれよ」


「んっ、いいですよ~」


「サンキュー」


 鼻をくすぐってくる濃厚なソースの匂いと、満面の笑みで食べている花梨に打ち負けたクロは、花梨からカップ焼きそばが入った容器を受け取り、ほんの少しだけ口に入れる。

 すると、そこでカップ焼きそばの虜になってしまったのか、二口、三口と手が止まらず、黙々と無我夢中で口の中へと入れていった。


「く、クロさん? そろそろ私の分が無くなっちゃう……」


「……」


「クロさん? クロさんっ!? クロさ……、あああああーーーっ!! ぜ、全部食べちゃった!」


 カップ焼きそばの容器が空になると、クロが我に返ったのか「はっ!?」と声を上げると同時に、花梨の断末魔が耳へと入る。

 現状をまったく把握していないクロが、持っていた容器の中を恐る恐る覗いてみると、中身はすっかりと無くなっており、目線を前に移すと、この世の終わりを彷彿とさせる表情をして涙ぐんでいる花梨の姿があった。


「あっ……、私が全部食っちまったのか。す、すまん……」


「あ、あんまりだぁ~……、クロさんの鬼ぃ~……。天狗だけども鬼ぃ~……」


「わ、悪かったって! ほら、私のカップラーメンをやるから許してくれ」


「やったー! ありがとうございまーす!」


 瞬時に明るい表情へと戻った花梨に、クロは、こいつ、チョロいな……。と、内心ホッとすると共に、キムチ味のカップラーメンが食べられなくなり、残念な気持ちと本格的な飢えが芽生えてきた。


 満月になり切っていない月が、闇に染まる温泉街を鈍い光で照らしている中。

 二人の間食はしばらくの間続き、結局二人で計六個のカップラーメンを食べ、背徳感と満足感を共有し合っていった。

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