37話-1、クロと花梨の間食事情。その2

 待宵月まちよいづきが浮かぶ、夜のとばりが深い夜中の十二時頃。


 休暇を貰って休んでいた女天狗のクロは、自室にあるベッドでうつ伏せになり、耳が癒される虫の鳴き声を聴きつつ、煎餅を片手に雑誌を読んでいた。

 小腹を満たしながら雑誌に没頭していると、それを遮るように扉をノックする音と「クロさぁん、入ってもいいですかぁ……?」という、花梨の掠れた声が耳に入り込んできた。


「ん~? 鍵は開いてるから入っていいぞー」


 適当なクロの返事が聞こえたのか、扉は音も無く開く。口に煎餅をくわえていたクロが扉に目を移すと、そこには顔が青ざめている花梨が立っており、クロと目が合うや否や、膝から崩れ落ちてその場に倒れ込んだ。

 何事かと思い目を丸くしたクロが、口から煎餅を落とすと、慌ててベッドから抜け出して花梨の元へと駆け寄っていく。

 そして、仰向けで倒れていた花梨の上体を優しく起こし、体を揺すりながら「お、おいっ、どうしたんだ花梨!?」と、声を荒らげて問い掛ける。


 すると、心配そうにしているクロの声が届いたのか、閉じていた花梨の瞼が半分だけ開き、虚ろに覗かせている瞳をクロへと向けた。


「く、クロさん……。クロさんにしかお願い出来ない事なんですが……、聞いて、くれませんか……?」


「お願い? いいぞ、なんでも聞いてやる。言ってみろ!」


 その頼り甲斐のある言葉に花梨は、半開きになっていた口を僅かに緩ませる。


「……か」


「か? すまん、もっとハッキリ喋ってくれ!」


「か、カップラーメンとか……、持ってたり、します?」


「カップラーメンだな? いっぱいあるぞ、ちょっと待ってろ! ……はっ?」


 花梨の弱々しい願いを一度は聞き入れるも、焦っていて何かと聞き間違えたのかと思ったクロは、「……すまん花梨。もう一度言ってくれないか?」と、今度は落ち着いた様子で問い掛ける。


「カップラーメンが食べたぁ〜い……、お腹すいたぁ~……」


「……もう一度」


「カップラーメンが食べ、グエッ!?」


 目を細めていたクロは、何度聞き直しても間違いではない事を確認すると、心配していた表情が一気に呆れ顔へと変わり、抑えていた花梨の上体をパッと離した。

 いきなりの事で受け身が取れなかった花梨は、後頭部を思いっきり床に強打し、悶絶しながら声にならない悲鳴を上げ、後頭部に手を回して背中を反り上げる。

 そのままクロは、海老反りしている花梨にマウントを取り、柔らかい両頬を掴んで限界まで引き伸ばした。


「お・ま・え・なぁ~っ! 何事かと思って本気で心配したんだぞ、この野郎ぉ~」


「あいだだだだだ!! す、すみませんクロさんっ! 本当にすみませんでしだっだだだだっ! ち、ちぎっ、ほっぺがちぎれちゃぅううっ!!」


 頬をこねくり回し、何度も引っ張りあげた後。疲れのこもったため息を吐いたクロが、花梨の伸び切っている頬をパッと離して立ち上がり、鼻をフンッと鳴らして腰に手を置いた。


「ったく、ややこしい真似をしやがって。んで、なんでまたこんな夜中に?」


「いだぁ~い……。えっと、定期的になんですが、やたらと間食をしたくなる衝動に駆られるんですよ……。それで、クロさんなら何か持ってないかなぁ~と、思いまして」


「はっ、筋金入りの食いしん坊だなお前は。仕方ない、ちょっと待ってろ」


 鼻で小さくため息をついたクロは、押し入れに向かいながら、私が花梨に教えたようなもんだしな。そろそろ来るだろうとは思っていたが、まさかこんな演技をかまして来るとはね……。と、自分を責めつつ押し入れの戸を開ける。

 押し入れの中には、クロが大量に貯め込んでいる間食の山々があり、その間食用の山からカップラーメンとカップ焼きそばを取り出し、次々にテーブルの上に並べていく。

 一通り並べ終え、テーブルの上がカップラーメンとカップ焼きそばで占領されると、クロは頬を抑えている花梨に向かって手招きをした。


「ほれ、どうせ一個だけじゃ足らないだろう? この中から好きな物を二つ選べ」


「やったー! ありがとうございますっ! うわぁ~、いっぱいありますねぇ~」


 元気を取り戻した花梨がクロの元へと歩み寄り、テーブルの上に目を移すと、そこにはありとあらゆる種類のカップラーメンとカップ焼きそばが敷き詰められていた。

 よくコンビニで見かける物から、特定の地域でしか売られていない限定品。夜中にも抵抗無く食べられるヘルシーな春雨はるさめ類まであり、目移りが止まらず、目と首が忙しそうに動き回る。


「この地域限定のカップラーメン、かなり遠い地域のヤツだ。これなんか、その地域とまるっきり反対側にあるヤツだなぁ。クロさん、やたらと豊富な種類を持ってますねぇ」


「休日に日本各地を飛び回って、気になったヤツをどんどん購入しているんだ。まあ、大体が地域限定物のヤツだがな」


「はぇ~。ちなみになんですが、全国を回るとなると何時間ぐらい掛かるんですかね?」


 花梨の質問に対し、顎に手を置いたクロは「う~ん、端から端まで直線上に飛びながら時間を計った事はあるが……。確か、六、七時間ぐらいだったか?」と、やや自慢げに口にした。


「すごっ! めちゃくちゃ速いじゃないですか!」


「ふっふーん、天狗様を舐めるなよ? それは置いといてだ、さっさと二つ選べ」


 選べと言われた花梨であったが、テーブルの上にはスタンダードの物から見た事が無いカップラーメン。名前だけで美味しいと確信出来る物ばかりであり、当然すぐには選ぶ事が出来なかった。

 ラーメンだけでも、しょうゆ、塩、とんこつ、味噌、キムチと、各種他の味も揃っており。

 カップ焼きそばも普通の物から、からしマヨネーズ付き、わかめスープ付きと魅力のある付属が付いている物まである。


 眩暈を催すほど目移りし、苦渋を何杯も味わったような表情をしながら長時間悩んだ末。

 カップラーメンとカップ焼きそばを一つずつ選ぶ事にした花梨は、気合を入れるように目をカッと見開き、どれにしようか吟味を続ける。


「どうするべきかなぁ〜……。地域限定物で冒険する手もあるけど、手堅く間違いなく美味しい物を食べるという選択も……。ああでも、しかしなぁ〜……」


「悩んでる悩んでる。この容器がバケツ型のラーメンとか美味いぞ」


「あっ! それ私が大好きなヤツだ! ……むう、仕方ない。その容器がバケツ型のしょうゆ味と、普通のカップ焼きそばでお願いします!」


「なるほど、堅実に行ったな。んじゃあお湯を沸かすから、ちょっと待ってろ」


 悩んだ末に、自分の大好物である二つを選び抜いた花梨は、にんまりとしながら選んだ二つの封を開け、中に入っているかやくを取り出し、お湯が来るのをひたすらに待った。

 しばらくすると、ヤカンの口から蒸気が出始め、ピーッという甲高い音が鳴ると、コンロの火を止めたクロがヤカンをテーブルまで持ってきた。


「さて、どっちからお湯を入れるよ?」


「それじゃあ~……、カップラーメンの方からお願いします!」


「あいよ」


 やや眠たそうにしているクロが、バケツ型のラーメンの容器に白い湯気を昇らせながらお湯を線まで注ぐと、花梨はすぐさま蓋を閉め、食べる直前に入れる油の入った袋を蓋の上に置いた。

 用意した割り箸を花梨に差し出し、大きなあくびを一つついたクロが、テーブルの横で胡坐あぐらをかいてから話を続ける。


「そういや、よくゴーニャとまといを起こさないでここに来れたな」


「座敷童子に変化へんげしてから二人を起こさないように抜け出して、コッソリと壁を歩いて来ました」


「なるほどね」


 そこから会話が止まり、クロが掛け時計を見ている中。何気なく花梨に視線を移すと、既に痺れを切らしていたのか、カップラーメンの蓋を開けようとしていた。

 掛け時計に視線を戻すと、カップラーメンにお湯を入れてからまだ一分も経過していなく、慌てて花梨の腕を掴み、とぼけている顔に鋭い眼差しを向けた。


「おいコラ、いくらなんでも早すぎるだろ。まだ一分も経ってないぞ」


「あ、あれぇ~? おかしいなぁ、もう三分経ってますよ~」


「アホ、しっかり時間を確認してんだよ。あと二分待て」


「二分!? そ、そんなぁ~……。あと二分なんて長すぎる……」


 クロに注意された花梨が手を引っ込めると、ヨダレを垂らしつつ掛け時計に目をやる。そこから三十秒が経過すると、胃がカップラーメンを求めているのか、催促するように腹の虫を鳴らしてきた。

 その腹の虫を聞いた花梨は、潤んだオレンジ色の瞳をクロに向けるも、細目で睨んでいたクロは首を横に振り「あと、一分二十秒待て」と、死に値する宣告を言い放つ。 


 死の宣告を受けた花梨は、我慢の限界が来ているのか嗚咽おえつし始め、泣きながら掛け時計を凝視し、永遠にも感じる残りの時間を待ち続けた。

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