★38話-1、妖怪の血を呼び覚ます、満月の光。その2

「まずいまずいまずーーーいっ! ぬおおおぉぉーーーっ!!」


「花梨っ! もうすぐ日が暮れちゃうわっ!」


「グッ……。まだ温泉街までかなり距離があるけど仕方ない! 「座敷童子さんおやすみなさい!」」


 鮮やかな夕焼け空が、漆黒の闇に飲まれつつある中。


 かつてない程までに焦りを募らせている花梨は、座敷童子に変化へんげしてゴーニャを背負い、オレンジ色に染まるススキ畑の一本道を全力疾走し、提灯の灯りがともり始めている温泉街へと向かっていた。

 二人は午前中、牛鬼牧場うしおにぼくじょうで動物と触れ合いながら時間を潰していたが、昼食を食べ過ぎたせいか抗えない深い睡魔に襲われ、夕方近くまで仲良く昼寝をしてしまっていた。


 座敷童子から人間の姿に戻った花梨が再びゴーニャを背負い、遠くにポツンと小さく佇んでいる温泉街を目指し、全速力で走り抜けていく。

 淡い提灯の光に囲まれた温泉街までは、まだかなりの距離があるものの、無情にも夕日が完全に空から消え去り、辺りの闇が濃くなっていった。

 そして夕日に代わり、青白い光を妖々しく放つ満月が、遥か彼方に見える秋国山からその顔を覗かせ始める。


 かつて、茨木童子の酒天しゅてんを狂わせた満月を再び目にした花梨は、ううっ、間に合わなかったか! こうなったらゴーニャの目に悪いけど、最悪の場合、妖怪さん達と戦う事を視野に入れないと……。

 ……護身術や柔道技、関節技って、妖怪さん達に効果があるんだろうか? いや、こっちにはゴーニャが居る。接近戦自体がナンセンスだ。

 やはりここは、上手く攻撃を避けて逃げるしかないか。と、思考を駆け巡らせる。


 そのまま花梨は、居酒屋浴び呑みまでの逃走経路を模索しながら必死に走っていると、同じく温泉街に向かい、のそのそと歩いている二人組の妖怪の横を通り過ぎた。

 明かりが一切無く道が暗かったせいか、考え事をしていた花梨はその二人の存在に気がつかなかったが、背中にいたゴーニャは二人組の存在に気がつき、後ろを振り返ってみると、その二人組の妖怪と目が合った。


 薄っすらとした青い月明かりが、二人の顔を妖しく露わにする。二人は鬼のようで、一人は大柄でガタイがよく、もう一人は細身であり、背丈はガタイのいい鬼の半分ほどしかない。

 ガタイのいい鬼が横にいた細身の鬼に耳打ちをすると、話を聞いた細身の鬼はニタリと薄気味悪い笑みを浮かべ、近くに落ちていた太い木の棒を拾って肩に置いた。

 鬼達とは早々に距離が離れていくも、その二人の鬼の目であろうか、鈍い金色の光を放つ四つの発光体がいつまでも、ゴーニャの事を見据え続けている。


 そして、狙いを定められたかのように見られ続けていたゴーニャは、身の毛がよだつ気味の悪い寒気に襲われて背筋がゾクッとし、四つの発光体から慌てて目を背け、前を向いて花梨の背中をギュッと抱きしめた。





 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






 ゴーニャが背中で小刻みに体を震わせている中。休憩を一切取らずに走り続けていたせいか、花梨の走る速度がだんだんと遅くなっていく。

 しかし、一秒でも早くゴーニャを安住の地である居酒屋浴び呑みに連れて行きたいが為か、その足を止めることなくひたすらに動かし続けた。


 青白い満月が本格的に夜空に現れると、ススキ畑の一本道を歩いていた妖怪達が満月の光に照らされ、その場で一斉にもがき苦しみ、苦痛を含んだ唸り声を上げた。

 満月の光を浴びた妖怪達の体から薄っすらと湯気が昇り始め、その姿を目にした花梨は、一ヶ月前に見た酒天しゅてんの苦しんでいる姿と重なり、当時の記憶を鮮明に思い出してしまい、底無しの恐怖が蘇って思わず足を止める。


 顔を歪ませた花梨は、自分達が見つかる前に急いでススキ畑に身を潜め、温泉街がある方向を確認した後。

 満月の光で黄金色に輝くススキをかき分けながら前に進んだ。


 先ほどまで静寂に包まれていた一本道の方から、耳をつんざく奇声やおぞましい笑い声が聞こえ始めると、奥歯を強く噛み締めた花梨が、とうとう始まったか……。

 妖怪さん達に見つかる前に、早く温泉街まで行かないと! と、疲労が蓄積している足に鞭を打ち、道なき道を突き進んでいく。


 しばらくすると、疲労困憊になりながらも温泉街に辿り着いたのか、鬱蒼うっそうと茂っていたススキ畑が急に終わりを迎え、目の前には温泉街でよく見かける建物の壁が目に飛び込んできた。

 無我夢中で走っていたせいか、不意の場面の切り替わりに理解が追いついていなかった花梨は、息を荒げつつキョロキョロと辺りを見渡す。

 そして、温泉街に戻って来れた事を頭で理解すると、大きな安堵のため息を漏らし、物陰に隠れてからゴーニャをそっと地面へと降ろし、力無くその場にへたれ込んだ。


 そのまま花梨は、リュックサックからタオルと冷たい水が入ったペットボトルを取り出し、全身から吹き出している大粒の汗を拭き取り、限界まで乾いている喉を潤したいが為に、ペットボトルに入った水を一気に飲み干した。


「プハァッ! ハァハァハァ……、ふぅーっ。どうにかして温泉街まで戻って来れたか。さてと、ここからどうしようかな……」


「大通りの方からものすごい声が聞こえてくるわっ……」


「そうだねぇ。ちょっと様子を見てみるから、ゴーニャは私の後ろに隠れててね」


 息を整えた花梨が、気配を完全に消して恫喝どうかつ慟哭どうこくが木霊する温泉街の様子を伺ってみると、そこにはいつもの平和な街並みとはかけ離れた光景が広がっていた。


 既に何かを切り裂いたのか、赤い液体を滴らせた爪をペロリと舐めつつ獲物を物色している狩人。血走った眼を満月に向け、耳障りな高笑いをしている狂人。

 決して致命打を与えずに、ジワジワとなぶるように殴り続けている暴漢。全身血塗れになりながら命乞いをしている弱者。


 その殺伐とした光景を酒のツマミにし、カラカラと不気味に笑う者。何食わぬ顔で歩き回っては、相手の隙を突いて攻撃を始める者。

 他にも、虚空こくうに向かって灼熱の火柱を放っている者。暴れている妖怪や道端、建物の軒先のきさきにぶら下がっている提灯を凍らせ、満足気に微笑している者など。


 正常な人物はほとんどおらず、居たとしても、屋根の上で静かに高みの見物をしていたり、物理的に肌を刺してくるような強烈な殺気を放ちつつ、胡坐あぐらをかいてニヤニヤとしている者だけであった。

 数多の暴徒が蔓延はびこる温泉街を目の当たりにした花梨は、ここが本当に秋国なのかと疑うほど酷い光景だなぁ……。こりゃあ流石に、大通りから居酒屋浴び呑みに向かうのは無謀かな? と、眉をひそめて思案する。


「か、花梨っ、温泉街の様子はどうなってるのかしら……?」


「ゴーニャは絶対に見ちゃダメだよ、もうちょっと待っててね」


「わかったわっ……、んぐっ!?」


 視線を温泉街に送ったまま花梨は更に、裏からなら安全に行けるだろうか? そこにも正気を失っている妖怪さんが居たらどうしよう。裏だと道が狭いし、逃げるなら後退あるのみ。……前後挟まれる場合もあるのか。

 もし、そうなったら……。暴力は嫌いなんだけど、そんな悠長な事を言っている場合じゃない。妖怪さんの体はすごく頑丈だけども、近接格闘術で挑めばなんとかなるかな? いや、倒す前提の考えは危ない。体勢を崩して全速力で逃げよう。と、覚悟を決め始める。


「んーっ……! んーっ!! ……ぷはっ、花梨危ないっ!!」


「えっ―――」


 ありとあらゆる想定を頭の中で思い描き、全ての対策を考えていたせいで完全に油断をしていた花梨が、慌てて後ろを振り向こうとした瞬間。

 ゴッ、という鈍い打撃音と共に、頭全体に重い衝撃が走り、背後を見ようとしていた視界が意に反して地面へと移る。


「がっ……!?」


 何をされたのか分からぬまま体の自由が利かなくなった花梨は、頭から少量の血を流しながら地面へと倒れ込んだ。


「花梨っ!? あんたよくも花梨を!! 離して! 離しなさいよっ!! 離せって言ってんでしょこのあんぽんたんっ!!」


「ごっ、ゴー……、ニャ……」


 頭に重苦しい鈍痛が鳴り響き、霞んだ視界が暗くなっていく中。最後に目にした光景は、血が付着している太い木の棒を右手に持ち、ニタニタと不敵に笑っている細身の鬼。

 その鬼の背後に、暴れて抵抗しているゴーニャを肩に置き、この場から去っていくガタイのいい鬼の後ろ姿。そして、その三人に向かって伸ばしている自分の震えた腕であった。

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