36話-5、労いの言葉と妹の秘密

 二人は妖狐しか出入りしていない永秋えいしゅうに着くと、その妖狐達に混じりつつ中へと入る。


 ぬらりひょんが居る支配人室に向かう前に、受付にいた妖狐の姿になっている女天狗のクロを、携帯電話のカメラ機能を全て駆使し、様々なポーズを取らせながら写真を撮っていく。

 その間に、ゴーニャと手を離せて気持ちを落ち着かせる事が出来た花梨は、そのまま二人で中央階段を登り、静寂が佇む四階まで来ると、支配人室の扉の前で一旦立ち止まる。

 そして、扉を二度ノックしてから中に入ると、不気味な妖狐姿ではなく、普段通りである深緑色の和服を着ているぬらりひょんが書斎机にある椅子に座っており、ゆったりとキセルの白い煙をふかしていた。


「ぬらりひょん様、ただいま戻りました」


「おお、お疲れさん。んっ? 花梨の隣に居る妖狐は……、ゴーニャか?」


「そうよっ、特製の髪飾りで大人の妖狐になったの」


「ほう、そうか。大人になったお前さんは、なかなか可憐かれんな姿をしているじゃないか」


 可憐という言葉の意味を知らなかったゴーニャは、とりあえずは褒められていると思い、無垢な笑みを零して狐の尻尾を嬉々に揺らした。

 その二人のやり取りを静かに見ていた花梨が、微笑みながらぬらりひょんの元へと歩み寄り、「ぬらりひょん様、マッサージしてあげますんで背中を向けて下さい」と指示を出す。


「ど、どうしたんだ急に?」


「いいですからいいですから」


 ぬらりひょんは首をかしげるも、言われるがまま花梨に背中を預ける。そして、肩たたきや首の揉みほぐしを開始した花梨は、マッサージを施しつつ今日あった出来事の報告をし始める。

 マッサージを受けながら報告を聞いていたぬらりひょんは、いきなりの嬉しいサービスによる喜びと、気持ち良さのお陰で大半が耳に入っておらず、夢現ゆめうつつの中を彷徨いマッサージを満喫していた。


「―――と、言うワケです」


「……」


「あれっ? ぬらりひょん様?」


「……んっ!? あっ、ああ、そうか。なるほどな」


「ぬらりひょん様、ちゃんと聞いてました?」


「う、うむっ! ちゃんと全て聞いていたぞ」


「本当ですかぁ~? まあ、いいです。はいっ、マッサージ終わりましたよ」


 入念にマッサージを行った花梨が、ぬらりひょんの肩から手を離す。ぬらりひょんが小さなため息を漏らすと、軽くなった肩を確かめるようにグルグルと回した。

 錆びついていた肩と首のコリはすっかり取れており、上機嫌になったぬらりひょんが声を弾ませながら話を続ける。


「おおっ、すっかりとコリが取れとる。とても気持ちよかったぞ、ありがとさん」


「いえいえ、またどこかが凝ったら言って下さい。いつでもマッサージしてあげますからね」


「そうかそうか。それじゃあ、お言葉に甘えるとしよう」


 我が子を慕うような眼差しを向け、優しい口調でぬらりひょんがそう言うと、花梨は満足気にニコッと笑い、書斎机の前に戻っていく。

 花梨がゴーニャの横に並んで立つと、ぬらりひょんが和やかな表情で赤いキセルに火を付け、天井に向かって白い煙を大量にふかす。


「うむ。体が軽くなったお陰か、キセルがいつもより美味く感じるわ。それじゃあ最後に。明日は朝八時ぐらいにここに来てくれ、以上だ」


「了解です! それではお疲れ様でした! ゴーニャ行くよ」

「お疲れ様でしたっ!」


 花梨の後を追うように、ぬらりひょんに向かってペコッとお辞儀をしたゴーニャは、何か言いたげな表情を浮かべるも、後ろを振り向いて支配人室の扉へと歩いていった。

 先に扉を開けて待っていた花梨の元まで来ると、花梨は廊下に出る前に、完全に一息ついているぬらりひょんに向かい、再び口を開く。


「ぬらりひょん様、いつもありがとうございます。ぬらりひょん様のこと、大好きですよ!」


「ふっ、そうか。ワシの事が大好き……、んんっ!?」


「ふふっ、それでは失礼します!」


「ま、待て花梨! 今、ワシの事―――……」


 耳を疑ったぬらりひょんが、目を限界まで見開きながら慌てて問い掛けようとするも、扉は既に閉まっており、姉妹の姿はどこにもなかった。




 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 支配人室を後にした花梨とゴーニャは、誰もいない静かな廊下を歩いている中。ぬらりひょんの驚愕した表情を思い返し、顔を見合わせてクスクスと笑っていた。

 そして露天風呂に行く準備をする為に、一旦自分達の部屋へと戻り、タオルを持って露天風呂に向かっていく。


 温泉街を飛び交う狐火を眺めながら露天風呂に浸かりたいと思った花梨は、秋国山を一望出来る『美の湯』をチョイスし、脱衣場に入っていく。

 花梨が巫女服を脱いでいる途中。普段ならば下を向けば床と足だけが見えるのに対し、今は床よりも先に、いつもよりふくよかになっている胸が目に入り込んできた。

 一瞬目を疑い、眉間にシワを寄せつつ細目で胸を凝視し、……もしや? と思い、全身が映る鏡の前に立ち、重く感じる胸を両手で持ち上げてみた。


「……間違いない、胸が大きくなってる。Cカップ以上はあるな……。マジか……。茨木童子といい妖狐といい、なんで妖怪の体になるとこうも胸が大きくなるのかなぁ」


 通常時はAカップであり、歩いても揺れる事がなく悩みの種であったが、妖狐の姿になっている今。DカップよりのCカップへと昇格しており、ジャンプをすれば上下に踊るほどの豊満な胸になっていた。


「おっ、おおっ! 揺れる揺れるっ! ほほう、これがCカップの揺れ具合かぁ。たまらんなぁ、うぇっへっへっへっへっ……」


「花梨っ、鏡の前でジャンプをして何をしてるの?」


「ふぉっ!? い、いや、あのっ……。き、気にしないで……」


 にへら笑いをしながら謎の行為をしていた花梨の返答に対し、ゴーニャは目をパチクリとさせつつ首をかしげる。

 その後に二人は、巫女服を脱いで体にタオルを巻こうとするも、大きな狐の尻尾が邪魔でタオルが巻き切れず、ひとまず体の前だけを隠して風呂場へと入場する。


 露天風呂内を見渡してみると、ここでも妖狐達で溢れ返っており、他の妖怪の姿は一切見当たらなかった。

 二人はシャワーがある場所に向かい、頭に生えている狐の耳の中にお湯が入らないよう注意しながら頭を洗う。そして体を洗い始めると、花梨が自分の狐の尻尾を掴み、じっと睨みつけた。


「そういや、尻尾も洗った方がいいよなぁ。……洗うならどうやって洗うんだろ? 髪の毛を洗う要領でわしゃわしゃと? そもそも、シャンプーを使えばいいのかボディソープを使えばいいのか分からんぞ……」


 初めての体験である尻尾を洗うという行為に頭を悩ませ、水を含んで萎んでいる狐の尻尾を眺め続け、一人では出そうにない答えを必死に考える。

 数分ほど悩んだ末。毛を洗うという答えに行き着き、シャンプーで慣れない手つきで洗い、シャワーで綺麗に泡を流すと、念の為にコンディショナーでも洗う事にした。


 十二分に濡れた尻尾は、普段の時に比べるとかなり萎んでいて見栄えが悪くなっており、それを見た花梨が苦笑いをする。

 隣に居たゴーニャも、花梨の真似をしてぎこちなく自分の尻尾を洗い、洗い終わると湯船に向かっていった。


 トロトロした湯質で、上品な甘い匂いがふわっと香る露天風呂に肩まで浸かった二人は、視線を温泉街の方へと向ける。

 黄色と紫色をした大量の狐火達は、未だに温泉街や夜空を優雅に飛び交っていて、その数の多さからか、夜空にある星々が地上まで降りてきたかのような錯覚におちいった。

 ため息をつきながらボーッと眺めていると、一際大きな狐火が眩い光を放ちつつ飛んできて、他の狐火とぶつかっては合体し、その体と輝きが更に増していく。


「あの狐火、たぶんみやびが出したやつじゃない? まだ暴れまわってるや」


「絶対にそうよ。あの狐火だけ雅みたいにものすごく元気があるもの」


 そう予想した二人は、顔を見合わせてから笑いし、再び温泉街に視線を向ける。たまに狐火が露天風呂内に入ってきては、その場をグルグル回っていたり、ジグザグに不規則に飛んでは、満足したのか外へと去っていく。

 星々と狐火達が織り成すプラネタリウムを眺めていると、何かを思い出した花梨が、同じく夜空を見上げているゴーニャに目を移す。


「そういやゴーニャ、体が大きくなった時すごく喜んでいたよね」


「うんっ、本当に嬉しかったんだもんっ!」


「そっか、よかったね。ってことは、大きくなって何かやりたい事でもあるの?」


「あ、あるけど……」


 言葉を濁らせたゴーニャが、花梨から一度視線をらすも、笑みを浮かべてから花梨に視線を戻す。


「花梨にはまだ内緒っ」


「ええ~、気になるなぁ。少しでいいから教えてよ」


「ダメっ。先になっちゃうけど、時が来たら教えてあげるわっ」


「むう。今知りたいけど、ゴーニャがそう言うなら仕方ないか」


 あまり気にしてもゴーニャに悪いと感じた花梨は、先の言葉をなるべく忘れるようにして、中身の無い別の事を考え始める。

 そこから二人は、今日あった出来事を振り返るように話し合い、時折、再び露天風呂内に入ってきた狐火を目で追いつつ、仕事で疲れた身体を癒していった。

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