36話-6、無意識のスキンシップ
ゆったりと空中を舞う狐火に目を奪われつつ、上品な甘い匂いに囲まれた露天風呂を満喫した二人は、露天風呂から上がり、脱衣場で髪の毛を乾かし始める。
狐の耳が頭に生えているせいか、人間の時に比べるとうるさく感じるドライヤーの音に耐えながら乾かし、水分をたっぷり含んで萎んでいる狐の尻尾も、時間を掛けて乾かしていった。
約二十分掛けて丹念に乾かすと、元のふわふわな毛に戻り、二人は軽くなった尻尾を揺らしながら自分達の部屋へと戻る。
そして、部屋の扉を開けてからテーブルの上を見てみると、全体的に茶色い油揚げ一色の料理が目に飛び込んできた。
その料理を目にした花梨が、……あれ? 私、またなんか悪さしたっけ? と、身に覚えのないイタズラを思い返しつつテーブルの前に座ると、手前にクロの字で『
「ああ、よかった。罰の夜ご飯じゃなかった……。しかし、いなり寿司、小松菜と油揚げの胡麻和え。トマトとチーズが乗った油揚げのピザ……、これは珍しいなぁ。油揚げと大根、鶏肉とニンジンの煮物。そして、油揚げ揚げがふんだんに入った味噌汁、か。結構レパートリーがあるなぁ」
「全部すごくおいしそうっ」
「なんだかんだ言って、最高級の油揚げだしね。妖狐ならではのご馳走だ。それじゃあいただきまーす!」
「いただきますっ!」
二人は一斉に夜飯の号令を叫ぶと、花梨が箸を手に取り、油揚げ料理を口に入れる。すると、初めて妖狐神社で働いた日の夜飯の光景を、朧げながらに思い出す。
当時は温泉街に来てからまだ二日目であり、ぬらりひょんにイタズラをした罰として、夜飯が今日に似た光景になっていた。
その時は一人で
似ている状況ではあるが、決定的に違う箇所がいくつかあり、当時の記憶を思い返した花梨は思わず笑みを零した。
「花梨っ、急に笑ってどうかしたの?」
「ふふっ、なんでもないよ」
「そうっ? あっ、花梨っ、ご飯粒が付いてるわっ」
「えっ、どこどこ?」
「ここっ」
右手にいなり寿司、左手に味噌汁が入ったお椀を持っていて両手が塞がっていたゴーニャは、何気ない顔で花梨の頬に付いているご飯粒に向かい、軽くキスをしながら吸い取った。
完全に意表を突かれた花梨は、一瞬何をされたのか分からず、キョトンとした表情をゴーニャに向ける。
少しの間ゴーニャの顔をボーッと眺め、頬にキスをされた事を頭で理解すると、顔が瞬時にボッと赤く染まり、キスをされた頬を慌てて抑えた。
「なっ!? なっななっ、なぁぁぁあああーーーっっ!?」
「どうしたの花梨っ? 急に大声を出しちゃって」
「きっ、ききっきす……。てっ、てててっ、手で取ってよ!」
「両手が塞がってたから、つい」
「さっ……、さいでっか……」
我を見失うほど錯乱した花梨は、不意の出来事に心臓の鼓動が爆発しそうな勢いで早くなり、顔に帯びていた熱が全身に広がっていった。
錯乱状態から少しずつ我に返り、び、ビックリしたぁ……。悪気があったワケじゃないのは分かってるけど、取り方のせいでまた意識しちゃった……。と
「も、ものすごくビックリするから、次からは手で取ってね……」
「わかったわっ」
そこから、ゴーニャは油揚げ料理を微笑みながら食べ続けるも、花梨は完全に落ち着きが取り戻せず、胸を突き破りそうなほど強い鼓動音を聴きつつ、味がしない料理を食べ進めていく。
しばらくし、顔を赤らめながら夜飯を完食すると、食器類を洗って一階の食事処に返却し、自分達の部屋へと戻っていく。
部屋に戻ると、二人はえずきながら歯を磨き始め、窓から温泉街の様子を眺めてみた。
無数に飛び交っていたハズの狐火はほとんどいなくなっており、今では建物の
いつも通りである温泉街の風景が目に入ると、花梨は若干の物足りなさを感じ、一つの大きな祭りが終わったような寂しい喪失感が頭を駆け巡った。
そして、歯を磨き終えた花梨がパジャマに着替えようとしている途中。巫女服姿のままでいるゴーニャが、よそよそしく扉に向かいながら口を開く。
「ちょっと、ぬらりひょん様の所に行ってくるわっ」
「んっ? ああ、分かった。あまり迷惑をかけちゃダメだよ」
「うんっ」
ゴーニャの背中を見送った花梨は、こんな時間に何しに行くんだろう? 珍しいなぁ。と、心の中で呟いてから日記を書き始める。
今日は年に一度、温泉街に店を構えている妖怪さん達が大暴れする事を許される日だった!
今日暴れる事が許されているのは、妖狐神社で働いている妖狐さん達だ。だから今日は『妖狐の日』である。
と、言う事は『ろくろ首の日』や『雪女の日』。『八咫烏の日』とかもあるって事だな。楽しみに待っていよう。
それで今日は『妖狐の日』だったせいか、温泉街に来た妖怪さん達や、店を構えている妖怪さん達も全員、妖狐の姿に変えられていた。
その光景は圧巻だったなぁ、温泉街全体が妖狐さん一色だもの。ぬらりひょん様やクロさん、
しかし、ぬらりひょん様の妖狐姿は、なんか別のベクトルの恐怖を感じたなぁ……。声や表情が明らかに不機嫌そうだったし、なんとなくいつもとは違う威圧感もあった。
そういえば、
なんか、皆やる気が無さそうな表情をしていたよね……。きっと、
で、妖狐神社に行ってから私も妖狐の姿になったんだけど、そこでなんと! ゴーニャが楓さんから貰った特製の髪飾りで、大人の妖狐姿になったんだ!
小さかったゴーニャが、あっという間に私と同じぐらいの身長になったんだ! あれはビックリしたよ。ゴーニャってば、本当に嬉しそうにしていたなぁ。
でも、そこで
おまけに、雅がゴーニャにキスと言う単語を浅はかに教えてしまい、ゴーニャからキスをせがまれてしまった……。
ちぐはぐな説明をして、なんとかキスは
そこから楓さんの説明を受け、私とゴーニャと雅。この三人で、妖狐になっている一般客に油揚げを使った料理を振る舞い、あわよくば妖狐神社の従業員に引き込んでしまおうといった、悪どい作業が始まった。
適当に話し合った結果。私はきつねうどん、ゴーニャはいなり寿司、雅は受付を担当したんだ。ゴーニャと初めて一緒に仕事をしたけど、やっぱり物覚えがすごくいいんだよね。
最初はちょっと形の悪いいない寿司を作っていたけど、午後にもなるとコツを掴んだのか、すごく綺麗な形をしたいなり寿司になっていた。
これからも、ゴーニャと一緒に仕事の手伝いが出来る場面が増えてくるんだろうか? う~ん、楽しみだなぁ。
それでお昼ご飯を食べている時に、雅に来世は妖狐にならないかって勧められたんだ。正直な話、私は悪くないと思っている。
妖狐はとても長生きで、長くて三千年以上も生きるらしいんだよね。(あまりにも長すぎて、想像がまったくできない……)
もし私が妖狐に生まれ変わったら、この温泉街で働きたいと思っている。それだったら、天国にいるお父さんとお母さんとも一緒に
「あっ、しまった……。なるべく考えるのはやめておこうと思っていたのに……」
気分が乗っていて書く手が止まらず、日記にも書きたくなかった心の奥底に閉まっている本当の本音が零れてしまい、花梨の気分が一気に沈んでいった。
一度思ってしまうと、必死に忘れようとするも忘れられず、自らも制御出来ない強い想いとして頭にこびりつく。
その強すぎる想いは、意に反して勝手に増殖を始め、抵抗する前に全身へと広がっていき、やがては涙に変わって金色の瞳から零れ落ちていった。
「名前も顔も声も知らないけど……、やっぱり、会ってみたいなぁ……」
誰にも決して伝えず、日記にすら書きたくない震えた本音が口から漏れると、涙の量が一気に増えていく。
誰もいない部屋の中で、花梨のすすり泣く声だけが響き渡っていると、不意に背後から扉の開く音が割って入ってきた。
涙を流していた花梨は、ゴーニャが部屋に戻ってきたと瞬時に悟り、泣いている弱い自分の姿を見られたくないが為に、すぐに大粒の涙を雑に拭き取り、口を大きく開けてあくびをしている演技をする。
拭いても拭いても出てくる涙を更に
「ゴーニャ戻ってきたんだ、それに纏姉さんも。お疲れ様です」
「お疲れ花梨。ゴーニャとは支配人室の前でバッタリ会った。最初は誰だか全然分からなかった」
「あはははっ、いきなり大きくなっちゃいましたからねぇ」
ゴーニャが抱えていた纏を床に降ろすと、花梨は涙で濡れている書きかけの日記を閉じ、カバンにしまい込みながら話を続ける。
「そういや、ゴーニャは支配人室に行って何をしてたの?」
「えと、ぬらりひょん様の肩たたき」
「ああ、ゴーニャもサービスをしてきたんだね」
「う、うんっ」
歯切れの悪いゴーニャの返答を聞くと、花梨は本当のあくびをしてから体をグイッと伸ばし、「それじゃあ、寝よっか」と言いながら立ち上がる。
纏も花梨から貰ったパジャマに着替えるも、ゴーニャは体が大きくなっていたので、花梨が普段自分が着ているパジャマを差し出して着替えさせた。
そして、ベッドに向かっている途中、……あれ? 確か、ゴーニャと纏姉さんは、私の体に抱きついて寝ているよなぁ。ゴーニャの体は今、大人のサイズになっているから、もしや……。と、嫌な予感を抱きつつベッドに入り込む。
その後に、纏は花梨の左側、ゴーニャは右側に来ると、先ほど感じた予感が見事に的中する。
いつもであれば、二人共腰から胸の辺りに顔が来ているが、今はゴーニャの顔が花梨の真横にある形になっていた。
「えへへっ、花梨の顔がすぐそばにあるわっ」
「ゴーニャの顔も、いつもよりすごい近くにあるや」
仰向けで寝ていた花梨が、横目をチラッとゴーニャに向けると、自分の顔との距離は十センチあるかないかぐらいであり、たまにゴーニャの吐息を感じるほど近くにあった。
ゴーニャは既にうとうととした表情になっているが、やたら顔が近いせいか、再び意識をし始めてしまい、体を包み込んでいた眠気が吹っ飛び、心臓の鼓動が静寂を破るほどに早くなっていく。
「おやすみ、花梨っ」
「おやすみ花梨」
「ふ、二人、共……、おやす、み……」
はち切れんばかりに高まる鼓動の中。顔が赤く発光している花梨は、ね、眠れん……。ゴーニャには悪いけど、十二時過ぎたら髪飾りを取っちゃお……。と、決心する。
そして、時計の稼働音が鳴り響いている暗い部屋の中で一人、十二時が来るのをじっと待ちながら天井を眺めていた。
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