36話-3、危機感を抱く九十九歳

 しばらくし、危うくゴーニャにファーストキスを奪われそうになった花梨と、下駄笑いしながら地面を転がっていたみやびが、落ち着きを取り戻す。

 そして、人知れず咳払いをし続けていたかえでから説明を受け、温泉街の一角にある指定された白いテントへと足を運んでいた。

 楓の説明は、今朝ぬらりひょんが言っていた通りであり。妖狐になっている客に油揚げの尊さを叩き込み、妖狐神社で働けば毎日食べられると説明し、あわよくば妖狐神社の従業員にしてしまおうという魂胆である。


 三人は指定されたテントに着き、中に入って辺りを伺ってみると、料理に使うであろう道具と食材が既に一式揃っていた。折り畳み式の長テーブルには、割り箸や使い捨ての白いプラスチック容器。

 ご飯が炊きつつあるのか、香り豊かな白い煙を昇らせている巨大な炊飯器が二つ。二口コンロも設置されており、その上には、透き通った水がたっぷりと入っている寸動鍋が置いてある。

 それらの後ろに、客に振る舞うであろう生麺タイプのうどんと、文字通り山積みにされている油揚げ。立派な米俵が積み重ねらていた。


 花梨達が振る舞う料理は、きつねうどんといなり寿司の二種類で、三人で軽く話し合った結果。受付は雅が担当し、花梨とゴーニャは料理作り担当に振り分けられた。

 特製の髪飾りの効果により、大人の妖狐へと変化へんげしたゴーニャは花梨から説明を受け。側面が切られた油揚げに酢飯を詰め、不格好ないなり寿司を作り、透明のプラスチック容器に三つずつ入れて梱包していく。

 その様子を横目で覗いていた花梨も、手慣れた様子でうどんを次々に茹で、使い捨ての白い容器にうどんを盛り、カツオ節ベースの出汁だしを注いで油揚げを乗せていく。


 妖狐に変化しているせいか、人間の時よりも嗅覚が鋭くなっており、奥深く香ばしい油揚げの匂いが常に誘惑してきて、鼻をくすぐってくる中。その匂いに負けそうでいる花梨が口を開いた。


「なんか、油揚げの匂いがいつもより美味しそうに感じるや」


「私、我慢するので精一杯だわっ」


「私もだよ、思わずつまんじゃいそうだ」


「仕方ないさー。楓様はこの日の為に、最高級の油揚げを大量に仕入れてきたからねー」


 一通りの接客を済ませた雅が、二人の会話に割って入り、説明をした。油揚げをトングで持ち上げた花梨が、その油揚げをまじまじと眺めながら話を続ける。


「最高級品かぁ。そんなの絶対美味しいに決まってるじゃんか」


「昼休憩になれば私達も食べられるから、それまで我慢しよー。どうせ食べたら、すぐ楓様にバレるだろうしねー」


「だねぇ、誘惑に負けないようにしないと。あっ、雅、お客さん来たよ」


「はいはーい、いらっしゃいませー」


 雅が慣れた様子で再び接客を始めると、二人がいる方向に振り向き、「きつねうどんといなり寿司を二つずつ頂戴ー」と、指示を出してきた。

 指示を出された二人は、予め用意していた分に割り箸を添えて雅に渡す。その二セットを受け取った雅は、客に差し出しつつ油揚げの素晴らしさについて説明を始める。

 雅のお腹がすくような説明を聞いていた客らが、生唾を飲み込んでから油揚げを齧ると、狐の耳と尻尾をピンと立てつつ「うんまっ!」と唸りを上げ、またたく間に完食していった。


「美味しいでしょー? 妖狐神社で働けば、これが毎日食べられるんですよー」


「ふーん、そうなんだ。ちょっと考えてみようかな」

「俺もー、少しぐらいならいいかもしんねぇな」


「ありがとうございまーす、是非とお待ちしてますねー」


 少なからずの手応えを感じた雅は、ニッと笑いながら見込みのある妖狐達を見送り、次に来た客にも料理を提供しては、間髪を入れずに口説いていく。

 そして、太陽がかたむき始めた一時頃。順風満帆だった客の足取りが一旦途絶え、三人は少々遅めの昼食に入る。

 既にソワソワしている花梨が、きつねうどんが盛られた容器を手に取り、待ちかねた油揚げを箸で持ち上げる。

 濃厚かつ芳醇な香りが鼻を再度くすぐり、口の中に溜まった唾をゴクリと飲み込み、一気に口の中へと入れた。 


「んん~っ、んまーいっ!! 想像していたよりも遥かに美味しいっ! こりゃあお客さん達も唸るワケだ」


「お、おいひい~~っ!!」


「ぬっはぁ~、さっすが最高級の油揚げだー。美味いなあー」


 花梨は一口で油揚げを完食すると、すぐに新しい油揚げを容器の中に入れ、たっぷり出汁を吸わせ、今度は少しずつ口に入れて味わっていく。

 定食屋付喪つくもで食べた油揚げとは比べ物にならないほど美味しく感じ、無くなるとすぐさま新しい油揚げを追加していく。

 うどんには目もくれず、七枚目の油揚げを追加した花梨が、十枚目の油揚げを堪能している雅に目を向けた。


「そういや、毎年五十人以上は新しい従業員が入ってくるんでしょ? それでも足らないの?」


「あー、大体が油揚げ目当てで入ってくるじゃん? んで、味に飽きたらすぐに辞めていっちゃうんだよねー」


「なるほどねぇ。毎日同じ物を食べていたら、流石に飽きちゃうのか」


 そんな事ないと思うけどなぁ。と、あまり納得していない花梨が、九枚目の油揚げを口に入れてからすっかり伸びているうどんをすすり、十二枚目の油揚げに差し掛かった雅が話を続ける。


「たまーに、楓様目的で仕事を続ける輩もいるけどねー。そのまま妖狐として生きていく道を選んだ妖怪もいるよー」


「へえ~、そんな人もいるんだ」


「うん、花梨もどうー? 妖狐楽しいよー」


「妖狐かぁ、来世にでも考えておくよ」


 静かに話を聞いていたゴーニャが、五杯目のきつねうどんを完食し、四つ目のいなり寿司に手を伸ばして頬張る。その姿を見ていた雅もいなり寿司を手に取り、半分ほど口に入れてから視線を上に向けた。


「来世かー、人間の寿命って八十から百歳ぐらいだっけー? なら、花梨が輪廻転生したらまた会えるねー」


「へっ? そうなの? 妖狐の寿命ってどのくらいなの?」


「うーん、大体五百歳から三千歳以上かなー?」


「ながっ! ……えっ? 雅と楓さんって、いったい何歳なの……?」


 雅がいなり寿司を食べ終え、新しいいなり寿司を手に取り「えーっと」と、視線を半周泳がせる。


「楓様は千歳超えてて、私はもうちょいで百歳になるよー」


「千っ!? み、雅も百歳……!? えっ、み、雅、さん?」


「やめてよー、さん付けとかー。今さら気持ち悪いなー。人間の寿命で換算したら、私はまだ十歳にもなってないよー?」


「そ、そうですけど……。遥かに年上だと分かると、なんだかかしこまっちゃうんですよね……」


 いきなり態度がかしこまり、ぎこちない敬語で喋ってくる花梨を見て、雅が珍しく苦笑いをした。


「変な敬語もやめやめー、今まで通りにしてよー。なんかやりづらくなっちゃうじゃんかー」


「ご、ごめん……。それにしても百歳かぁ、全然見えないなぁ」


「当たり前だよー。百歳って言ってもまだまだ子供だからねー」


 いなり寿司を七つ食べて腹が膨れてきた雅が、ベタついている手を濡れたタオルで拭く。固まっていた体を思い切りグイッと伸ばし、軽いストレッチを挟みつつゴーニャに目を向けた。


「そういや、ゴーニャちゃんは何歳なのー?」


「私っ? えっと、ゼロ歳よ」


「ゼロ歳!? はえ~……、今年生まれたばかりなんだー。その割にはしっかりしてるよねー」


「えへへっ、花梨のおかげよっ」


 ゴーニャの嬉しい言葉に対し、隣で聞いていた花梨は照れ笑いしながら頭をポリポリ掻き、ゼロ歳という衝撃の年齢を聞いた雅が、思わず止まったストレッチを再開する。

 屈伸している最中、ゴーニャちゃんゼロ歳かー。私はそろそろ百歳だけど、もっとしっかりした方がいいのかなー……?と、軽く危機感を抱いた。


 雅に芽生えた危機感が大きくなり、再びストレッチを止めて頭を抱えているところを、照れながらニヤニヤしていた花梨が、思い出したように口を開く。


「楓さんは千歳かぁ。なんかもう、想像すら出来ないなぁ」


「でしょー。ちなみに妖狐は、年齢によってくらいや呼び名が変わってくるんだー」


「へぇ~、そうなんだ。どんな位と呼び名があるの? ちょっと教えてよ」


「オッケー」


 一旦忘れるように危機感を置いた雅が、袖から一枚の葉っぱを取り出して黒縁メガネへと変え、装着して得意げに説明を始める。




 最初は『阿紫あし』。これは、一歳から百歳ぐらいまでの妖狐を差すよー。もうちょいで次の位になるけど、私も今ここだねー。立派な妖狐になる為に、日々修行に励むペーペーのヒヨコさー。

 ちなみにだけど、妖狐神社にいる妖狐のほとんどが阿紫だよー。


 次に『地狐ちこ』。百歳から五百歳ぐらいまでの妖狐だよー。大体ここら辺がいっぱいいるかなー。うちの従業員は数えるほどしかいないけどねー。


 お次は『仙狐せんこ』。五百歳から九百歳ぐらいの妖狐かなー。仙人の仙に狐だよー、なんか響きがカッコよくなーい? ここまで来ると、神社でまつられるレベルのお偉いさんになるんだー。

 なんと、妖狐神社には二人の仙狐様がいるよー。ずっと本殿の中にいるからあまり姿を見せないけどー、なんかの行事や狐の嫁入りをする時とかに出てくるよー。


 んで、次が『天狐てんこ』。千歳から三千歳の間で、神格化した善狐ぜんこがここさー。お待ちかねの楓様もここだよー。

 もんのすごい神通力を持ってて、おまけになんでも見透かす千里眼せんりがんを使えるのだー。すごいよねー。


 最後に『空狐くうこ』。三千歳以上から肉体が無くなって、自然と一体化してるんだー。もはや妖狐の中でも伝説の存在だねー。私は会ったことないやー。楓様は、たまーに会ってるらしいんだけどねー。




 つらつらと説明を続けていた雅が、説明を終えたのか黒縁メガネを葉っぱに戻し、袖にしまってからニッと笑う。


「っとまあ、こんな感じかなー」


「せ、千里眼……。そりゃあ楓さんに隠し事が出来ないワケだ」


「だねー。初めて花梨と出会った時、一緒に隠れて焼き芋を食べたじゃんかー。それが楓様にバレたのも千里眼のせいだよー」


「あーっ! そんな事もあったねぇ。あの時の焼き芋、本当に美味しかったなぁ~」


 二人は、妖狐神社に建っている店の一つであるおみくじ屋で初めて出会い、一緒に仕事をしつつ焼き芋を食べた事と、その風味を鮮明に思い出し、顔を見合わせてふふっと笑った。

 テント内に、花梨と雅の談笑が響き渡る中。受付の方から「ほれ、いつまで休憩しとるんじゃ。早く再開せんか」と、喝を入れるように聞き慣れた声が聞こえてきた。

 ぽやっとした表情をしている雅が、その表情を保ちつつ受付に目をやると、そこには妖々しく笑みを浮かべている楓がおり、その姿を見た雅の表情が一瞬で驚愕の色へと変わる。


「ぬわっ!? 楓様っ! す、すみませーん……」


「雅が説明した通り、千里眼でお主らの行動を全て見ておるぞ。今回は焼き芋の差し入れは無いからな、大量にある油揚げで我慢せえ」


「ゔっ……。か、会話の内容まで分かっているんですね……」


 体を波立たせた花梨が、言葉を濁らせながらそう言うと、口を手で覆い隠した楓がクスクスと笑い、その場からゆっくりと立ち去っていった。

 楓の後ろ姿をテント内から見送り、全てを見透かされていると改めて痛感した二人は、顔を見合わせて苦笑いしてから立ち上がり、雅が体を伸ばしながら短いあくびをついた。


「そいじゃー、午後の部を始めますかー」


「そうしよっか。ゴーニャ、仕事を再開するよー」


 今まで黙々といなり寿司を食べ続けていたゴーニャが、花梨の言葉を聞いて「わかったわっ」とコクンとうなずき、タオルで手を拭いてから立ち上がる。

 そして各担当の持ち場に戻り、妖狐に変化へんげしている妖怪達に声を掛けては料理を振る舞い、従業員獲得に精を出していった。

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