34話-2、仕事という名の撮影会

 イマイチ乗り気でない花梨は、まだ誰も居ない静寂が佇んでいる店の中に入り、いつもより明るい雹華ひょうかに着いていき、店の奥にあるレジの横を通り過ぎていく。

 白熱灯でぼんやりと照らされている廊下を進んでいくと、気温が下がってきたのか、だんだんと肌寒くなり始める。吐く息が僅かに白くなり、更に奥に進むにつれ、その白い息の濃さが増していく。

 そして、身震いするほどまでに気温が下がると、歩みを進めていた雹華が、氷に覆われた扉の前で立ち止まった。


 その扉の上には、『スタッフルーム』と霜が張っている看板が貼られており、雹華がその扉に手を差し伸べて「ここよ」と口にした。

 そのままニコッと微笑んだ雹華が、氷で覆われた木の扉を開けて中に入ると、絶えず白い息を吐いている花梨も、後に続いて中へと入っていく。

 扉の前よりも一層寒さを感じる部屋内を見渡してみると、床や壁、天井までもが一面厚い氷で覆われている。


 その、氷の世界に支配されている部屋にある物は、大体が氷で作られており、店員達が使うであろう椅子や机も全て、やや青く染まっている氷で出来ていた。

 唯一氷でない物は、天井でツララをぶら下げている白熱灯や、氷の机の上に置かれている筆記類とノート、そしてビデオカメラぐらいであった。


「さっむぅっ! この部屋だけ猛烈に寒いっ!!」


「ここは雪女の休憩室でもあるからね、これぐらいが丁度いいのよ。でも大丈夫! 花梨ちゃんもこれを身に付ければ、すぐに寒くなくなるからっ!」


 興奮気味に声を荒らげた雹華が、袖の中に手を入れ、雪の結晶が装飾されている青白く澄んだブレスレットを取り出し、身震いしている花梨に詰め寄りながら強引に手渡した。

 大体の予想がついている花梨は、無理やり渡されたひんやりとした青白いブレスレットに目を向け、眉と口を同時にヒクつかせる。


「あ、あのー、雹華さん? 一応質問だけさせて下さい。このブレスレットを身に付けたら、私は一体どうなってしまうんでしょうか?」


 恐る恐る花梨が質問をすると、雹華は待ってましたと言わんばかりの表情になり、肩を震わせながら不敵に笑い、両手を広げて高らかに叫び始めた。


「よぉくぞ聞いてくれたわっ! 妖狐神社では、モフモフの狐の耳と尻尾を生やしている妖狐に! 居酒屋浴び呑みでは、とても力持ちでカッコイイ茨木童子に! 座敷童子堂では、キュートでプリティな座敷童子になる花梨ちゃんっ! ならっ、極寒甘味処で働くなら、なるしかないじゃないっ! クールビューティーな雪女にねぇっ!」


「き、聞くまでも無かったか……」


 予想通りの返事ではあったが、雹華の氷が解けていきそうな勢いである熱弁に、花梨はその溶けた氷が元に戻りそうな、冷たくて白いため息を長めに吐く。

 全てに諦めがついた花梨は、青白いブレスレットを身に付ける前に、別の準備を始める。

 雹華から温かい毛布を数枚借り、背負っていたゴーニャを顔だけが出るようにそっと包み込み、起こさないよう氷のテーブルの上に寝かせた。

 

 そして準備が整うと、一度深呼吸をし、ブレスレットをゆっくり左腕に通す。すると、突然足の感覚が無くなり、ピクリとも動かせなくなる。

 いきなりの出来事にバランスを少し崩し、体勢をすぐに立て直してから足元を見てみると、いつの間にか足全体が氷で覆われており、その氷が体を伝うように、じわじわと上に登ってきていた。


「ぬおおおおっ!? 私の体が氷に覆われ始めてるんだけどぉっ!? 本当に大丈夫なのこれ!?」


「安心して! 河童の流蔵りゅうぞうちゃんで先に試してみたら、氷が全身を覆い尽くした後にすぐに割れて、ちゃんと雪河童になったから!」


「雪河童!? な、なにそれ、ちょっと見てみたい……。いやっ、そんな事言ってる場合じゃない! 分かっててもすごく怖い、んです……、け……」


 雪河童という珍しい単語に気を取られている隙に、氷が口を覆い隠してしまい、話を終える前に、花梨は全身が氷で覆い尽くされてしまった。

 しばらくすると、花梨を覆っていた氷に亀裂が入り始め、その亀裂がたちまち全体に広がっていく。

 そして、ガラスが割れるような音を立てながら氷が飛び散り、床に落ちる寸前で煙の様に霧散していった。


 割れた氷の中からは、雹華と同じ純白の着物を身に纏っている花梨が現れ、ふわりと地面に降り立つと、目一杯力を込めて閉じていた目をゆっくりと開ける。

 朧気に霞んだ視界に入ってきたのは、鼻血を垂らしながら温かな笑みを浮かべている雹華であり、目をパチクリとさせた花梨は、一度小さなため息をついた。


「い、生き、てる……? 雹華さん、私の外見どうなっちゃってますか?」


「もう、どこからどう見てもバッチリ雪女よ! 手鏡があるから、これで見てみなさい」


 鼻血をまたたく間に凍らせた雹華が、現状を把握し切っていない花梨に手鏡を手渡す。手鏡を受け取った花梨は、まず初めに自分の顔を手鏡に映してみた。

 先ほどまで血色の良かった顔は、血の気を全く感じさせないほど白くなっていて、露出している手足も同様に白くなっている。

 瞳の色も、薄いオレンジ色から透き通ったターコイズブルーに変わっており、髪色も全体的に雪を思わせる白色に染まっていて、毛先に向かって少しだけ青くなっていた。


 着ていたTシャツは、清楚な純白の着物に変わっていて、所々に、万年氷のように淡い青色をした雪の結晶の刺繍が施されている。

 腰に巻かれている帯は、清流を彷彿させる薄水色で、純白の着物と腰の帯を見比べてみると、その色がより際立って見えた。

 そして、雪女に変化へんげしたせいか、人間の姿の時には身震いするほど寒く感じていた部屋の気温が、今では適温となっているのか、とても過ごしやすくなっていた。


「見た目はほぼ人間だけども、決定的に何かが違う気がする……。あ~あ、目の色も変わっちゃってまあ。オレンジ色だった髪の毛も、すっかりと真っ白に染まっちゃってるや」


「花梨ちゃん、今のその姿とっても素敵ね。そうだ、特別サービスよ。今日だけは私の事を『お母さん』って、呼んでもいいわよ?」


「なんでっ!? い、いや、それは遠慮しておきます……」


「むう、別に照れなくてもいいのに」


 雪女に変化した花梨から手鏡を返されると、雹華はその手鏡をゴーニャが眠っている机の上に置き、別の物を手に取り、再び興奮しながら話を続ける。


「それじゃあ、始めるわよっ!!」


「……ビデオカメラを持ってますけど、いったい何を始めるんですかねぇ?」


「そんなの、記念撮影会に決まっているじゃないっ!!」


「やはりか……。聞かなくても分かっていたけども……。あの、お仕事は?」


 花梨が、当初の目的である話を持ち掛けると、その単語を耳にした雹華がキョトンとし、不思議そうな目をしながら首をかしげる。


「仕事ぉ? なにそれ。そんな後よ、後っ!」


「へっ? も、もしかして、撮影会をメインに進めるつもりですか?」


「当たり前じゃないっ! 開店までに研修も含め、ミッチリ撮ってあげるからね!」


「い、言い切っちゃったよ、この人……」


 興奮が更に加速し、最高潮を超えた雹華からは逃げられないと悟った花梨は、仕方ない。これも仕事の内だと思って、観念するしかないか……。と、自分に無理やり言い聞かせ、長丁場になるであろう撮影会が幕を開けた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 同時刻。大地を揺るがすような雹華の大声により、深い眠りに落ちていたゴーニャが目を覚ます。一度身ぶるし、重い瞼を擦りながら白いあくびをついた。


「しゃ、しゃむいっ。……あれっ、花梨の背中じゃない? ここは、どこかしら? ものすごく寒いけど、花梨はどこに行ったのかしら?」


 眠る前は花梨の背中にいたのに対し、目を覚ましたら凍てついた空間におり、いつの間にか温かい毛布に包まれていて、透明でひんやりとした机の上に居たゴーニャは、現状を確認する為に辺りを見渡した。

 屋外ではなく屋内にいるようで、床や壁、天井は全て厚い氷で覆われていて、天井には大小様々なツララがそこら中に垂れ下がっている。

 部屋の中心に目を移すと、雹華とその隣に、着ている服は違うが花梨と思わしき人物がおり、片や嬉々としながらビデオカメラを構えていて、片や両腕を垂らし、やる気が無さそうな表情をしつつ、うなだれていた。


「あれは、雹華と……、花梨っ? 服装と髪色が変わってるけど、どうしたのかしら? お仕事中みたいだし、邪魔にならないように見てよっと」


 そう決めたゴーニャは、冷たい机の上に座り、毛布を顔だけ出るように巻き直し、いつもと様子が違う花梨と雹華のやり取りを静かに見守り始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る