30話-2、身に覚えのないトラウマ

 極寒甘味処ごっかんかんみどころという名の大食い対決決戦場に着いた二人は、熱い火花散らせながら睨み合い、巨大なカップに盛られた特大のいちごパフェをがっついていた。

 食欲魔である二人は、味わいつつも特大のいちごパフェを瞬時に平らげていく。目の前からまたたく間に消えていくパフェを見て、店長である雪女の雹華ひょうかが戦慄して慌てて店員達に指示を出し、いちごパフェの大量生産に取り掛からせる。


 お互いに十五杯までは同じペースで食べ進めていたが、二十五杯目になると花梨の表情に余裕の色が無くなり、食べるペースが徐々に落ちてぬえとの差が開いていく。

 鵺がまったくペースを崩さずに三十五杯目を平らげた頃。花梨はテーブルに突っ伏しながら小刻みに体を震わせており、新しく運ばれてきた三十杯目のパフェには一切手を付けていなかった。 

 その哀れな花梨の姿をニヤけながら見つつ、三十六杯目のパフェをペロリと食べ終えた鵺が鼻で笑い、勝ち誇ったように高らかと笑い始めた。


「はぁーっはっはっはっ! 大口を叩いていた割には呆気ないな」


「ギ、ギプアッ、オェップ……。鵺さんの化け物ぉ~……」


「元々バケモンだよバーカ。人間如きが鵺様に勝とうと思うなんざ、五百万年はえぇんだよ。そのパフェ食わないなら貰うぞ」


「く、くっそぉ~……」


 胃が限界まで来ている花梨が、手を付けていなかった三十杯目のパフェを奪われると、完膚なきまでに敗北の二文字を打ち付けられ、ゴッと音を立たせながらテーブルに頭を落とした。

 三十七杯目のパフェもケロッとした表情で食べ終えた鵺が、空になったカップをテーブルに置くと、悪魔染みた笑みを浮かべて口を開く。


「さ~てと、どんな恐ろしい事をしてやろうかねぇ~」


「ゔっ……。き、キツイのは勘弁してくださいまし……」


「はっはっ、冗談だよ。金だけ払っといてくれ」


「よ、よかったぁ~……。六十六杯分のパフェかぁ、いったいいくらになるんだろ……」


 鵺に惨敗して正気を取り戻し、値段の事で頭が埋め尽くされそうになった花梨は、ふと気になった事を思い出し、のそっと頭を上げる。


「そういえば鵺さん、急に電話に出なくなりましたよね。何かあったんですか?」


「ああ~。人間の警察に追われていたから、痕跡を残さないようにと色々バタバタしてたんだ」


「け、警察っ!?」


「そっ。派遣社員の一人が、私の会社の存在を警察にチクリやがってな。バレないようこっそりとやっていたのに、おおやけに晒されたもんだから大変だったんだ」


 秋空を仰いだ鵺は、コップに入っている水飲んで喉を潤しつつ愚痴を続ける。


「あ~あ、脅しが足らんかったんかなぁ? 誓約書も書かせたのによぉ、二十三年の苦労が一瞬で水の泡さ」


「鵺さんの会社って色々と危ないですからねぇ」


「まぁな、お前もよく五年以上も着いてきたもんだ。一番長くやってたんじゃないか?」


「えぇ、とても楽しかったですからね。初めての仕事がいきなりコンテナ船だったのは、少しビックリしましたけど」


 花梨の素直な感想に対し、鵺が思わずプッと吹き出して下駄笑いすると、目に浮かんだ涙をぬぐいながら視線を花梨に向けた。


「ほ、ほんとおかしい奴だよなお前は、何度も死にかけてんのによぉ。ジャングルで遭難した時は蛇を食ったとか言ってたよな」


「はい、あまり美味しくはなかったですねぇ。淡泊な味で水っぽかったんですよ。でも、そのお陰でサバイバル知識が身に付きました」


「砂漠に行ったり、溶岩地帯に行ったり……。色々やってきたけど、唯一断念したのは南極地域観測だったよな。確か、血と雪を同時に見て気絶したんだっけか?」


「あ~……、それと火、ですね。隊員の一人がヒョウアザラシに襲われまして」


 花梨が追加で入れてきた言葉を聞くと、鵺は当時の記憶を鮮明に思い出して手を叩いた。


「そうだそうだ。傷を焼いて塞ぐって言って、皆で火を起こしている最中に雪が降ってきたんだったよな」


「はい、血まみれの隊員、雪が降っている景色、それに加えて燃え盛る火。血と火だけはなんとか耐えられたんですけど、降ってきた雪を見た瞬間に体が震えだして、頭がズキズキ痛くなって、そのまま、意識を失って……」


 花梨も話している内に当時の記憶を思い出してしまったのか、声にだんだんと力が無くなっていき、こうべを垂らしていくと、そのまま黙り込んで喋らなくなってしまった。

 花梨の様子を見て精神状態を察した鵺は、再び水を飲んでから手を頭の後ろに組み、白い椅子にもたれ込みつつひつじ雲が流れる空をぼんやりと眺め、「ふうっ……」と、短いため息を漏らす。


「な~んでそれらがダメなんだろうな、トラウマでもあんのか?」


「……さあ? 思い当たる節がないんですよねぇ」


「ふぅ~ん……。まあここはずっと秋の季節だし、それらを同時に見ることはまず無いだろ。さてと……」


 勝利を収めた鵺が、ノートパソコンを持って椅子から立ち上がり、花梨の肩をポンッと叩きながら話を続ける。


「そいじゃ、ぬらさんに顔を合わせてくるわ。ほとぼりが冷めるまでの間、永秋えいしゅうに滞在するから、なんかあったらそん時はよろしくな。んじゃ、あばよ~」


「あっ、それじゃあまたいつか大食い対決しましょうねっ! お疲れ様でした~!」


 鵺は振り向かないまま花梨に手を振り、人混みの中へと消えていった。鵺を見送った花梨は椅子に座り直し、コップを両手で包み込んで小さなため息をつく。


「血と雪と火、かぁ……。火だけだったら問題ないんだけどなぁ、なんでなんだろう?」


 ため息が溶け込んだコップの中にある水を、グイッと飲み干した後。記憶をさかのぼり、血と雪と火の組み合わせがダメになった理由を探り始める。

 しかし、一番古い記憶であろう初めて祖父の顔を見た時の記憶まで辿るも、やはり皆目見当がつかず更に頭を悩ませた。

 腕を組みながら唸り上げ、物心が付く前の記憶も何とかして辿ろうとするも叶わず、唸り声が大きくなっていく中、雹華が花梨の肩をトントンと叩きながら一枚の紙を差し出してきた。


「……花梨ちゃん、結構いい値段になってるけど大丈夫……?」


「ふぇっ? いい値段……、ぬおおおおおっ!? 六万二千七百円!?」


「……そりゃあ、ねぇ……? ……六十六杯も特大のパフェを食べたら、ねぇ……」


 伝票の驚愕する値段を見て、顔がみるみる青ざめていった花梨は、カタカタと震えている手で財布の中身を確認してみるも、僅か八千五百円しか入っておらず、更に手の震えが増していく。


「ぜんっぜん足りん……。す、すみません、永秋に戻ってお金を取ってきてもよろしいでしょうか……?」


「……いいけど、妖狐と座敷童子と茨木童子の姿をいっぱい撮らせてくれたら、むしろ私がお金を払うわよ……?」


 そうニヤリと笑った雹華は、いつの間にか持っていた最近購入したであろうデジタルカメラを素早く構えるも、花梨は聞く耳を持たずにすぐさま座敷童子に変化へんげし、極寒甘味処の屋根へと飛び移る。


「い、今すぐお金を取ってきます!」


「……ああ、せめて十枚だけでも……。……行っちゃった……」


 一人ポツンと残された雹華は、花梨を引き止めようと伸ばしていた腕を下ろし、購入したばかりのデジタルカメラにしょぼくれた目を移す。


「……張り切って五千枚ぐらい保存できるカメラを買ったのに……。……早く撮りたいわ……」


「あれ、花梨がいない」


「……んっ……? ……あら、纏ちゃんとゴーニャちゃん……」


 雹華が使われる事のなかったデジタルカメラを眺めていると、不意に背後から聞き慣れた声が流れてきた。

 ゆっくりと声がした方向に振り向いてみると、纏が立っていてその背中には、意識が戻ったゴーニャがちょこんと乗っていた。

 活気ある表情を取り戻したゴーニャが纏の背中から降り、小走りで雹華の元に駆け寄ってから口を開く。


「ねぇ雹華っ、花梨はどこに行ったのかしら?」


「……永秋にお金を取りに行ってるわ……。……すぐに戻ってくるでしょうから、テーブル席に座って待ってなさい……。……いま、お水を持ってくるわね……」


「わかったわっ、ありがとっ」


 既に綺麗サッパリに片付けられているが、何も知らないゴーニャと纏は、先ほどまで鵺と花梨が熾烈な戦いを繰り広げていたテーブル席へと座る。

 しばらくすると、雹華がキンキンに冷えている氷水を二つ持ってきて、それをゴーニャが一気に飲み干して乾いた喉を潤した。

 同じく水を飲み終えた纏が、おもむろにメニュー表に手を伸ばし、適当に眺めてから視線をゴーニャへと向ける。 


「何か食べる? 奢るよ」


「えっ、いいの?」


「うん、座敷童子ロケットのお詫びに」


「やった! じゃあバニラアイスが食べたいわっ!」


「分かった。それじゃあ私は、おしるこでも食べようかな」


 そう呟いた纏が、メニュー表を元の場所に戻してから雹華を呼び、超大盛りのおしることバニラアイスを三つ注文した。

 そして、二人は運ばれてきた甘味に舌鼓したつづみを打ち、微笑みながら花梨が帰って来るのを待ち続けた。

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