30話-2、身に覚えのないトラウマ(閑話)

 花梨との大食い対決を制したぬえは、永秋えいしゅうに着き、チェックインを済ませて荷物を部屋に置いた後。

 ぬらりひょんに顔を見せる為、四階にある支配人室を目指し、誰もいない廊下を歩いていた。

 四階へと続く階段にある『ここより先、従業員以外立ち入り禁ず』の看板を横目で睨みつけ、「ふんっ」と鼻で嘲笑してから横を通り過ぎ、四階にある支配人室の扉のまで来て一旦立ち止まる。


 扉を軽く三回ノックすると、扉の向こう側から「さっさと入ってこんかい」と、扉をノックしたのが誰だか分かっているような口振りで、怒りがこもったぬらりひょんの声が催促をしてきた。

 その強い殺気が含まれている催促に鵺は、おー、怖っ。千里眼でも持ってんのかあの人は? と、余裕の表情でニヤリと笑みを浮かべ、扉を開けて支配人室へと入っていく。

 部屋の中に入ると、不愉快そうな顔をしたぬらりひょんと、大量にふかされたキセルの煙が出迎え、鵺が入ってきたと共に煙の量が更に増していく。そして、すこぶる機嫌の悪いぬらりひょんが、鋭く凍てついた眼光を鵺に向けた。


「貴様ァ、よくも花梨を命が関わる仕事に連れ回してくれたもんだなぁ?」


「お久しぶりですねぇ、ぬらさん。久々に会ったっていうのに、開口一番がそれですか? こう、昔のよしみで懐かしい顔だなとか言ってくださいよ」


「ぬかせ。もし花梨の身に何かあったら、貴様を殺していたところだぞ。今さら何しに戻ってきたんだ?」


「一悶着ありましてね、ここに逃げてきたんですよ」


 少しずつ落ち着きを取り戻してきたぬらりひょんが、終始落ち着きを見せている鵺に向かい、キセルの白い煙を吐きながら話を続ける。


「昔から相変わらずだな貴様は、色々と手を付けても長続きせんな」


「耳が痛いですわ。まあ、今回は私のせいじゃないんですけどもね。お金はちゃんと払うんで、しらばく客としてここに居させて下さいな」


「勝手にせい」


「ありがとうございます。それと、一つ提案がありまして」


「……なんだ?」


 不敵に笑った鵺が書斎机に手を置き、その表情を保ったままぬらりひょんとの距離を詰める。


「何もしないでボーッとしているのは性に合わないんで、温泉街の更なる活性化に向け、プロデュースをしてみたいと思いましてね」


「プロデュース?」


「そう、プロデュース。その店に合った商売を持ち掛けてみたり、イベントの開催などを行ったり、ですかね」


「……例えば?」


 書斎机の上に座った鵺が、腕を組んでから何かを思案する表情を天井に向け、目を半周ほど泳がせてから口角を上げる。


「パッと思いついたのは、木霊農園こだまのうえんなら農作業体験教室。牛鬼牧場うしおにぼくしょうなら不定期で行う焼き肉屋。魚市場難破船なら釣り大会……。まあ、こんなところです」


「ふむ、なるほど」


 一応、鵺の提案に耳を傾けたぬらりひょんは顎を手で抑え、各イベントに対する内容や風景を頭の中に思いえがき、想像を膨らませていく。

 煙が漂う静寂の中。強張っていたぬらりひょんの表情が徐々に和らいでいき、いつもの落ち着いた表情まで戻ると、「ふむ、悪くはないな」と素直な感想を口から漏らす。

 そして、わざとらしくキセルの煙を大量にふかすと、煙がゆらゆらと昇っているキセルを鵺に向けた。


「よろしい、ただし条件が二つある。一つは、木霊農園の朧木おぼろぎ、牛鬼牧場の馬之木ばのき、魚市場難破船の幽船寺ゆうせんじの許可を貰え。そして、最初の一回目の資金は全てお前さんが出せ」


「いいですよ、私は楽しめれば何でもいいんでね。他にも何か案が浮かんだら、また知らせに来ますよ」


「ふんっ、暇人めが」


「いちいち心を刺すのはやめてくださいな。……そういえば、あの二人は元気にしてますか? 久々に大食い対決を仕掛けてやろうと思ったのに、探してもどこにもいないじゃないですか」


 鵺が胸を弾ませて肩をすくめると、その言葉を耳にした途端、ぬらりひょんの表情が神妙な面立ちへと変わる。

 そのぬらりひょんをよそに鵺は、嬉々とした表情で腕をパシッと鳴らし、悪どい笑みを浮かべた。


「大食い対決で唯一私を負かし続けた奴らだ。二十四年ぶりぐらいだから、今は五十歳いかないぐらいか? チャンスだ、これから負けた分を全部取り返し―――」


「もう、その二人は、この世にはいないぞ」


「―――……はっ?」


「あの二人は、この温泉街オープン前日に自宅に帰った後……、亡くなったよ」


 未だにぬらりひょんにからかわら、とんでもなくタチの悪い冗談を言われたように感じた鵺は、心底憤慨し、奥歯が砕けんばかりの勢いでギリッと噛みしめ、書斎机に向かい、手を思い切り叩きつける。

 そして、殺意と怒りが入り混じった鮮血の瞳で、愚かなるぬらりひょんを捉えると、隙だらけの胸ぐらを掴んだ。


「おいクソジジイ、その冗談は通じねぇぞ? 私をおちょくんのも大概にしとけよ? 殺すぞ?」


「阿呆、冗談だったら死んでも口に出さんわ。……事実だ」


 真剣な表情で『事実』だと言われた瞬間、冗談ではないと悟った鵺の殺気が、呆気なく辺りに霧散していく。

 怒りで歪んでいた表情が一気に緩み、口をだらしなくポカンと開け、丸くなった目で五回ほどまばたきをすると、胸ぐらを掴んでいた手が書斎机の上に落ちた。


「……う、嘘だろ? 本当に言ってんのか、それ? 私がここを去ってから、鷹瑛たかあき紅葉もみじに何があったんだよ!? あいつらは死んでも死なねぇような奴らだったじゃねぇか! おい、ぬらさん……、教えてくれよ……。なあ、おいっ!!」


「落ち着け、全て教えてやるから一つだけ約束をしろ。時が来るまでの間、花梨には絶対に喋るなよ?」


「……なんだよ、それ? その口振りだと、秋風には何も伝えねぇでここに連れて来たのかよ? あいつは、何も知らないままこの温泉街にいるのかよ……? そんなの、あまりにも可哀想じゃねえか!」


「色々とワシにも事情ってもんがあるんだ、いいか? 一度しか説明せんから、ちゃんと聞いていろよ」


 そこからぬらりひょんは花梨の過去も含め、その二人について知っている事を全て打ち明け始める。話は鵺がここを去った所から始まり、淡々と説明が続いていく。

 話を進めるにつれ鵺の表情から覇気が無くなり、だんだんと体から力が抜けていき、話が終盤に差し掛かった頃にはこうべを垂れ、話が終わると鵺は床にへたれ込んでいった。


「……と、いうワケだ。ちゃんと聞いていたか?」


「……聞いて、ました……。まさか、そんな事があったなんて……」


 床一点を見据えている鵺の瞳に光は無く、表情は絶望の色に染まっており、ズレていた黒縁メガネが太ももの上に落ちていった。

 今の鵺には、その黒縁メガネを拾う気力すら残されておらず、書斎机に引っ掛かっていた右腕も床に落ちていくと、そのまま鵺が話を続ける。


「……ぬらさんに、悪い事をしちゃいましたね。私が全てを知っていたら、秋風が私の会社に来た事を、すぐにぬらさんに知らせていましたよ……」


「ったく。お陰で花梨を見つけるのに、四年以上も掛かってしまったじゃないか」


「……本当にすみません」


 ぬらりひょんは腕を組んでから「ふんっ」と鼻を鳴らし、キセルの白い煙をふかした。


「まあ、事情も何も知らなかったんだ。そこは仕方なかろう。まったく、花梨に少しずつ仕事を教えていってやろうと楽しみにしていたのに……。あんな超人に育ておって」


「……申し訳、ありませんでした」


「もういい、お前さんに罪は無い。そんなに改まって謝られるのも気持ち悪いから、さっさと頭を上げろ」


 そう言われた鵺は、黒縁メガネを拾いつつゆっくりと立ち上がり、垂らしていた頭を上げ、ぬらりひょんに顔を合わせた。

 鵺の表情は先ほどとは打って変わり、殺意も怒りも全てが消え失せていて、ただひたすらにしゅんとしていた。


「ぬらさん、私が言うのもアレですが……。十七年もの間、クロと共にお疲れ様でした」 


「なぁに、あっという間だったさ。それに、色々とあって楽しかったし何の苦もなかったよ」


「そうですか、それならよかったです。鷹瑛と紅葉に関しましては……、未だに信じられません……」


「……ああ、それはワシもだ」


 短い沈黙の中。鵺が思い切り口をつぐみ、肩が小刻みに震えだすもグッと耐えたのか、その震えをため息に変えてから話を続ける。


「今の温泉街に、花が売ってる店ってありますか?」


「無い、街に戻るしかないな」


「そうですか……。それじゃあ、一旦街に戻って花を買ってきます。ついでに食い物も買って一緒に添えてきますね」


「そうだな、二人も喜ぶだろう。それが終わったらお前さんも少し休め、急な話で精神的に参っただろう?」


「ええ、ショックがデカ過ぎて心が折れちゃいました……。しばらくは休みに徹します。それじゃあ行ってきますね」


 疲れ切ったように掠れた言葉を漏らした鵺は、おぼつかない足取りで支配人室を出て、永秋を後にした。

 活気に溢れている温泉街の大通りを歩いている中、そうか、秋風のトラウマの原因はこれか……。物心がついていない時だろうし、そりゃあ思い当たる節も無いわな。と思いつつ、タバコに火を付け、街に続く地下鉄のホームへと降りていった。

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