29話、クロと花梨の間食事情。その1

 魚市場難破船うおいちばなんぱせんから帰ってきた、その日の夜十二時頃。


 一週間という長期休暇をもらった花梨は、たっぷりと睡眠を取りつつゴーニャと露天風呂に入り、夜ご飯を堪能した後。自分の部屋で建築図面の続きを描いていた。

 鉛筆で描いてるせいで、右手の側面部分がみるみる黒くなっていくも、お構いなしに没頭して描いており、ゴーニャと座敷童子のまといは睡魔に打ち負けたのか、テーブルに伏せて仲良く寝息を立てて眠っている。


 そこから二十分ぐらい経過すると、鉛筆の描く音や線を引く音だけが鳴り響く部屋内に、扉をノックする音と女天狗のクロの、「かりーん、入ってもいいかー?」という疲れを含んだ声が割って入り込んできた。

 クロの呼ぶ声を耳にした花梨は、建築図面から目を離せる状況ではなかったので「どうぞー!」と、線を引きながら言葉を返す。

 花梨の返答にクロは「入るぞー」と答えると、扉を開けて静かな部屋の中に入り、ビニール袋の音を立たせながら花梨が座っているテーブルの対面まで来ると、腰を落として胡座あぐらを組んだ。


「お疲れさん。今日は変則的な時間に仕事をしたってのに、夜中までよく頑張ってるな」


「クロさんもお疲れ様で……、あれっ!? いつもと着てる服が違うっ!?」


「んっ? ああ、そうか。お前は初めて見る服装だったな。普段着だよ普段着」


 花梨が目線を建築図面からクロに移してみると、いつも着ている鮮やかな青色をした着物ではなく、山中で修行をしている修験者しゅげんじゃのような服を着ていた。

 着物とは打って変わり全体的に身軽そうであり、心なしかクロの表情はほがらかとしており、りんとした雰囲気がやや崩れている。

 修験装束しゅげんしょうぞくは全体的に明るい黄色で、肩から垂れ下がっている紐の部分に、左右二つずつ付いている桃色の結袈裟ゆいげさというふわふわした球が印象的であった。


「それがクロさんの普段着姿なんですね、すごく似合ってますよ!」


「そ、そうかぁ? ちょっと大袈裟じゃないか?」


 そう言いながらもクロは一切悪い気はしておらず、照れ笑いしながら口元を緩まし、若干赤くなっている頬をポリポリと掻いた。

 そして、初めて目にしたクロの姿に目が釘付けになった花梨は、建築図面の事をすっかりと忘れ、おもむろに携帯電話を取り出して興奮気味に話を続ける。


「クロさんっ、是非とも写真を撮らせてください!」


「はあっ? そこまでしなくてもいいだろう別に」


「いいからいいから! 早く立って!」


「なんか、いまのお前……、雹華ひょうかみたいだぞ?」


 花梨の鬼気迫る表情に負けたクロは、鼻からため息を漏らしつつ立ち上がる。そして、一人で舞い上がっている花梨の細かい指示に従い、嫌々ポーズを取りながらさげすんだ目を花梨へと向ける。


「おい、まだか?」


「もうちょい右に寄ってくださいっ、表情はキリッと! 右腕を締めて、左腕は後ろに伸ばして……、そう、それっ! そのポーズ非常に良いですよ! じゃあ撮りますねーっ! ハイッ、チーズ!」


 花梨のハキハキとした掛け声と共に、携帯電話から連続でシャッター音が鳴り始める。そのシャッター音はしばらく続き、クロが動けないまま約三十秒が経過した後。

 ようやく鳴り終わると、花梨はいま撮ったばかりの写真を見て、満足そうに笑みを浮かべて携帯電話を操作し始める。


「んっはぁ~、綺麗に撮れた! 保存っ保存っと~」


「どんな感じに撮れたんだ? 私にも見せてくれよ」


 そう言われた花梨は、ニヤけ面をしながらクロに携帯電話を差し出した。目を細めて自分の姿を確認したクロは、口をすぼめて「ほ~、良く撮れてるじゃないか」と、若干複雑な心境ながらも花梨に携帯電話を返す。

 静寂を保っていた部屋が騒がしくなってきたせいか、寝ていたゴーニャと纏がムクリと頭を起こし、開いていない目を擦る。

 眠気が頭を支配している中。ようやく開いた目に見慣れないクロの姿が映ると、ゴーニャの眠気がすぐさま吹き飛び、目をパチクリとさせた。


「あれっ? クロの格好がいつもと全然違うわっ」

「本当だ、私も初めて見た」


「あ~、二人とも起きちまったか。すまんな、騒がしくしちまって。これは普段着だよ」


「へぇ~、そっちの方が似合ってるわっ」

「うん、似合ってる」


「そうか、ありがとよ」


 ゴーニャと纏にも普段着姿を褒められたクロは、ふんわり微笑むと、ここに来た本来の目的を思い出し、「あっ」と声を上げ、持ってきたビニール袋を両手に掲げた。


「そうだお前ら、差し入れを持ってきたぞ。花梨、悪いがその建築図面をちょっとどけてくれ」


「わぁ~、ありがとうございます! 今どかしますね」


 花梨が描きかけの建築図面を折れないよう棚の上に移動すると、クロが「ほ~れ、好きな物を食え」と言いつつ、テーブルの上にビニール袋に入っていた物をばら撒き始める。

 中身の正体は、温泉街では売っていない大量の駄菓子やスナック菓子類であり、その菓子類を目にした花梨は瞬時に目をギンギンに輝かせた。


「お、お菓子っ! クロさん、これらはいったいどこで買ったんですか?」


「ふっふっふっ。休日に街に出ているんだが、帰りにコンビニやスーパーに寄って購入してきているんだ。ぬらりひょん様には内緒だぞ?」


 自慢げに言ったクロがウィンクを飛ばすと、ポテトチップスの封を開けてからテーブルの上に置き、パリッと軽快な音を出しながら口に入れ、にんまりとほくそ笑む。


「う~ん、この時間帯に食べるポテトチップスは美味いっ。コンソメやうすしおもいいが、やはりのりしおが一番だな」


「あ~、分かります。袋の奥に残っている細かいのが、味が濃くて堪らないんですよねぇ~。それじゃあ、私はポップコーンを……」


 クロがポテトチップスを食べている姿を見て、我慢が出来なくなった花梨も、ポテトチップスを数枚食べると、青い袋に入っているポップコーンの封を開ける。そして五つほど鷲掴み、全て口の中へと放り込んだ。

 口に入れた瞬間に、バターの濃い風味がふわっと口の中に広がっていく。柔らかいポップコーンを存分に噛みしめてから飲み込むと、今度は一つずつ間髪を入れずに食べ始めた。


「一回食べると、もう止まらないんだよなぁ~これ。んまいっ」


「花梨っ、この四角くて茶色いのもすごく甘くておいしいわっ!」


「それはチョコレートって言うんだ。この白いチョコレートも甘くて美味しいよ~」


 花梨の説明を聞いたゴーニャは、すぐさまホワイトチョコレートを手に取り、まじまじと眺めてから一欠片を口の中に入れる。

 舌の上で転がしながら溶かしていくと、それに合わせてゴーニャの顔もどんどんとろけていき、喉を鳴らして飲み込むと、うっとりした表情で「ふわぁ~……」と至福そうな声を漏らした。


「甘くておいひい~っ」

「本当だ、白いチョコも美味しい」


 ゴーニャの隣で説明を聞いていた纏も、ホワイトチョコレートが気に入ったのか、口の中に入れた物が無くなったらすぐに新しいチョコを手に取り、再び口の中に入れてゆっくりと味わっていく。


「あっ、纏っ! 私ももっと食べたいわっ」

「ごめん、五つ食べたから残りはゴーニャにあげる」


 その二人のやり取りを、手と口を一切休めずにポップコーンを食べていた花梨は、あれ? 二人が仲良くなってる? 私がいない間に座敷童子堂で何があったんだろう。……まあ、いいか。仲良くなってよかったよかった。と、残り少ないポップコーンを口の中に流し込んだ。

 三人に意を介さずポテトチップスを食べ終わったクロが、指に付いているのりを舐め取ると、花梨に手を差し伸べながら口を開く。


「花梨、私にもポップコーンを少しばかりくれ」


「あっ、ごめんなさい! たった今、全部食べ終わっちゃいました……」


「はやっ! それ、かなりの量が入っているハズなんだが……。まあいい、もう二袋あるからそっちを食うか」


 手をタオルで拭き取ったクロは、ビニール袋の中から新しいポップコーンの袋を取り出し、封をバリッと開けて「うん、美味い」と言いながら黙々と食べ始めた。

 花梨もバターの匂いが香る指をペロッと舐めると、串に刺さっている赤く染まった酢イカが入っている容器の蓋を開ける。

 そこから一本だけ取り出すと、横から豪快にかぶりつき、味わうようにゆっくりと噛み始めた。


「ん~っ、適度な食感と酸っぱさ。噛めば噛むほどにイカと酢の味が染み出てくる~、んまいっ」


「それも美味いよなあ、酒にも合うし。なんだか飲みたくなってきちまったな」


「じゃあ、居酒屋浴び呑みで貰った超特濃本醸造酒ちょうとくのうほんじょうしゅがあるんですけど、飲みますか?」


「おっ、飲む飲む! せっかくだし、花梨も一緒に飲もうぜ」


 タガが外れたクロが晩酌を勧めてくると、花梨は腕を組んでから視線を天井へと向ける。


「う~ん……。まあ、今日ぐらいいっか! とことん付き合いますよーっ!」


「よーし! そうと決まれば、ちょっと待ってろ。酒に合うツマミを部屋から持ってくる」


「やったー! じゃあこっちは、ビーフジャーキーとコーンビーフを開けちゃおっと」


 クロのちょっとした差し入れが小規模の飲み会に発展していき、明日はクロも休日とあってか、ゴーニャと纏が睡魔に負けて寝落ちしている中。

 クロと花梨の飲み会は夜遅くまで続き、朝日が顔を出した頃にはすっかりと酒に飲まれ、四人で仲良くテーブルに突っ伏しながら眠っていた。

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