27話-2、初めて別れる姉妹

 明日はお留守番をする事になったゴーニャは、少々浮かない表情をしつつ、自分達の部屋にある脱衣場で服を脱ぎ、いそいそと風呂に入る準備を進めていた。

 二人は体にタオルを巻いてから風呂場に入場し、先に入った花梨が、浴槽に栓をしてからお湯を溜め始める。

 そして、シャワーヘッドをゴーニャに差し出し、風呂場に備えられている椅子に腰を下ろした。


「それじゃあ、頭を洗ってもらおうかな。……お湯と水、間違えないでね?」


「目をちゃんと開けてるから大丈夫よっ! 青い蛇口が水、赤い蛇口がお湯でしょ? 完璧よっ」


 シャワーヘッドを両手で持ち、えっへんと言わんばかりの表情で言い切ったゴーニャを見て、花梨は「ふふっ、なら安心だ」と笑みを浮かべ、髪の毛を結わいていた紐を外した。

 髪の毛を洗う事を託されたゴーニャは、赤い蛇口に指を差して「こっちがお湯っ」と確認し、蛇口を捻ってシャワーからお湯を出す。

 お湯が適温になった事を肌で感じると、花梨のオレンジ色の髪の毛を満遍なく濡らし、シャワーヘッドを床に置いてからお湯を止めた。 


 花梨がゆっくりと目を開けると、ゴーニャが目の前で「これがシャンプー。これがこん……、コンディショナー、言えたっ! これがボディソープ!」と、指差し確認をしており、最初に指を差した容器からシャンプーの液体を手に取る。

 そして花梨の背後に再び戻ると、小さな手にシャンプーの液体を揉むように馴染ませ、そのまま頭をわしゃわしゃと洗い始めた。


「ゴーニャ、やっとコンディショナーって普通に言えるようになったね」


「ふふんっ、当然よ。そのうち、漢字っていう文字もマスターしてやるんだからっ」


「おっ、いい心構えだ。ビシバシと教えていってあげるからね」


「望むところよっ」


 会話をしている間に、後ろの髪の毛を洗い終わったゴーニャは、手に泡を残しつつ前に移動し「花梨っ、頭を下げてちょうだいっ」とお願いし、花梨は指示に従って頭を下げる。

 前髪を洗われ始めると、ゴーニャの手の感覚が直に頭皮に伝わってきて、丁寧に洗われている事が分かった花梨が、「髪の毛洗うの上手だねぇ」と、素直な感想を口から漏らす。


「花梨のお陰よっ! よしっ、終わった。これからシャワーで洗い流すから目を瞑っててちょうだいっ。泡が目に入ると、とっても痛いんだからねっ」


「ああっ。それ、私が初めてゴーニャに頭を洗った時に言ったセリフじゃんか」


「花梨から教えてもらった事は、ちゃんと全部覚えてるんだからっ! すごいでしょっ?」


「うん、すごいや。とっても偉いよ」


 花梨がお湯よりも温かい声で褒めると、シャワーのお湯が床に打ちつけている音に混じり、「やったっ! 花梨に褒められちゃったっ!」と、ゴーニャの弾けるように喜ぶ声が聞こえてきた。

 コンディショナーも同様、髪の毛全体に馴染ませた後に洗い流される。髪の毛が洗い終わると、花梨が椅子から立ち上がり、ゴーニャに目を向けてニコッと微笑んだ。


「ふう~っ、サッパリした。ありがとうゴーニャ」


「これからも、どんどん私に頼ってちょうだいねっ!」


「ふふっ、分かった。困った時があったら、その時はよろしくね」


 花梨に頼られて嬉しくなったゴーニャは、満足そうに微笑んでから自分の髪の毛を洗い始める。今回はお湯と水を間違えることなく洗い終わり、二人で一緒に体を洗ってから風呂に浸かった。

 風呂の湯をいつもより少なめにしたつもりだったが、やはりゴーニャが座ると顔まで沈んでしまい、溺れないよう花梨の体の上に乗り、顔を見合わせながら風呂を満喫した。


 しばらくの間、時間の流れを忘れて風呂に浸かっていると、部屋の方から扉が開く音とクロの「かりーん、テーブルの上に夜飯置いといたからなー」と声が聞こえてきて、花梨はすかさず「はーい! ありがとうございまーす!」と、元気よく返事をした。

 そして、時間の流れを思い出しながら二人は風呂から上がり、脱衣場で体を拭いてからパジャマに着替え、夜飯の匂いが漂う部屋へと戻る。

 テーブルの上に目を向けると、大皿に敷き詰められている焦げ目が嬉しい大量の餃子。湯気が昇っている山盛りのご飯と、ワカメの味噌汁。二枚の小皿と醤油差し、ラー油の容器が置かれていた。


「花梨っ。確かこれって、朝食で出てきたワンタンっていう食べ物だったわよね?」


「かなり似てるけど、これは餃子っていう食べ物なんだ。色々と種類があるんだよねぇ」


「へぇ~、そうなのねっ」


 説明を終えると二人はテーブルの前に座り、花梨が二枚の小皿に醤油を適量分垂らし、一枚をゴーニャの前に置いた。そして、手を合わせながら「いただきまーす!」と、綺麗に声を揃えて夜飯の号令を唱え、餃子を食べ始める。

 箸を手に取った花梨は、カリカリに焼けた表面に付いている、餃子の羽を箸でパリッと音を立てながら割き、大きめの餃子を醤油にチョンと付けてから口の中に入れた。

 咀嚼そしゃくをすると、口の中でもパリパリと食欲が進む音を鳴らす。それと同時に、最初に程よいニンニクの風味がブワッと口の中に広がり、溢れんばかりの肉汁と共に、細かく刻まれた野菜の甘い風味が後を追って広がっていく。


「うーん! 餃子と言ったらやっぱりニンニクだ! これがご飯と本当によく合うんだよねぇ~、んまいっ!」


「おいひいっ! ご飯が足らなくなっちゃいそうだわっ」


「だねぇ。ペース配分を考えて食べないと、あっという間に無くなっちゃいそうだ」


 一つの餃子で倍以上の量のご飯と食べていた二人は、微量ながらもご飯の量をセーブしつつ、ご飯をかき込みたいという衝動を抑えつけながら着々と餃子の量を減らしていく。

 途中でサッパリとしたワカメの味噌汁を挟み、口の中に残っている餃子の脂と風味を流し、更に食べ進めていく。

 醤油が先に無くなりつつある小皿に、味を変える為にラー油を入れる。そして口に入れると、ピリッとした丁度良い刺激のせいか、二人は完全に歯止めが効かなくなり、変わった風味を楽しみながら一気にご飯と餃子を完食していった。


 まだ食べ足りなさを感じる余韻を堪能した後。二人はいつものように、一階にある食事処に食器類を戻し、自分達の部屋へと戻って歯磨きを始める。

 餃子の後味が残らぬよう、いつもより念入りに長く歯磨きをし、口を洗い流して脱衣場から部屋に戻った瞬間。「花梨、ゴーニャを迎えに来た」と、開いている窓の方から 座敷童子のまといの声が聞こえてきた。


「あっ、纏姉さん。わざわざすみません。窓から来たっていう事は、雨はもう止んでいるんですか?」


「カラオケが終わった頃には止んでた。地面はまだ濡れてるけど、屋根が乾いてたからそっちから来た」


「……」


 纏が迎えに来ると、ゴーニャは花梨のパジャマを弱々しく引っ張り、寂しげな表情を向けながら「花梨っ……」と、震えたか細い声を漏らす。

 その声と表情で心境を察した花梨は、微笑みながらゆっくりとその場にしゃがみ込み、ゴーニャの頭を優しく撫で始める。


「大丈夫、さっきも言ったでしょ? 電話をしてくれれば、何があっても必ずすぐに出るからね」


「……絶対電話に出てね、約束よっ?」


「うん、約束する。ちゃんといい子にしてるんだよ?」


「……うんっ」


 再び花梨と約束を交わしたゴーニャは、別れを惜しみつつ重い足取りで纏の方に歩いていくと、纏が「それじゃあ、座敷童子堂に行くからおんぶしてあげる」と言い、背中を向けてしゃがみ込んだ。

 首をかしげながらも、言われるがまま小さな背中に乗ったゴーニャが、花梨がいる方向に顔を向けて「花梨っ、お仕事頑張ってねっ」と、元気の無い声で言い、寂し気な笑みを送った。


「ゴーニャ行くよ」


「わかったわっ。……あれっ? ちょっと纏、なんで窓の方に歩いていくのかしら? 扉は後ろにあるわよ?」


 ゴーニャの不安がよぎる言葉を耳にすると、纏は口角の上がった顔をゴーニャに向け、更にその口角を上げる。


「窓から飛び降りて行く」


「う、嘘っ!? ヤダッ、ちょっと待って纏っ!! イヤッ……、イヤァァァァーーーーッッ!!」


 ゴーニャの慌てた制止も虚しく、纏はニヤニヤしながら窓からバッと飛び降りた。そのまま地面に着地するや否や、永秋えいしゅうの屋根よりも高く飛び上がり、正面にある建物の屋根へと着地する。

 ゴーニャが絶えず断末魔を叫んでいる中。すぐさま隣側の列にある建物の屋根に向かって飛び移り、そのまま二人の姿が見えなくなるまでの間、助けを求めるような断末魔は夜の温泉街に響き渡り、終始窓から見ていた花梨の耳に入り続けた。


「私と遊んでいた時は、あんなに高くジャンプしてなかったよなぁ……? 絶対ワザとやってるな、纏姉さん……」


 花梨は唖然としながら口をヒクつかせ、ゴーニャの無事を祈りつつ窓から離れ、テーブルの前に腰を下ろして日記を書き始める。








 今日はせっかくの休日だってのに、生憎あいにくの雨だった。仕方ないから部屋の掃除でもしようと思って、掃除道具を用意する為に妖狐に変化へんげしようとしたら、またゴーニャが耳と尻尾を狙ってきてね……。

 そこで私は、ふっと悪巧みを思いついたんだ。葉っぱの髪飾りを他の人に付けても、妖狐になるのでは? ってね。

 早速それをゴーニャで試してみたら、ゴーニャが小さな妖狐になっちゃったんだ! 可愛かったなぁ~。今度また妖狐に変化させたら、いっぱい写真を撮っちゃおうっと。


 んで、ゴーニャの狐の耳をいじり倒して静かになった所で、ちゃっちゃと部屋の掃除を始めたんだけど、逆襲されちゃってね……。

 ついに、妖狐に変化した私の狐の尻尾を掴まれちゃったんだけど、ヤバイ。この一言に尽きる……。なんて言えばいいかなぁ? ……いや、別に言わなくていいか。恥ずかしいしね。

 そして、ゴーニャに屈服して「なんでもするから許して」って言っちゃったせいで、今日一日ゴーニャが女王様。私が家来として過ごす事になったんだけど、普段と大して変わらなかったや。


 その後に、甘えん坊の女王様と岩盤浴に行ってから、永秋の二階にある娯楽施設でマッサージ機を堪能したんだ。

 二階にあるマッサージ機って、全部無料なんだなぁ。普通だと二百円とか三百円ぐらいするんだけども、すごいなぁ永秋。太っ腹だ。


 それでマッサージが終わったらちょうど、みやび達に出会ったんだ! 久々に雅の顔を見れたなぁ。嬉しくなっちゃったよ! 酒天しゅてんさんやまとい姉さん。雹華ひょうかさんも居て、みんなで一緒にカラオケをする事になったんだ!

 私はみんなと一緒に歌う時に、雅と歌う時は妖狐に。酒天さんと歌う時は茨木童子に。纏姉さんと歌う時は座敷童子になって歌ったんだけど……。

 雪女にはなれなかったから雹華さんと一緒に歌った後、雹華さんってば、なんか意味深な発言をしていたなぁ……。そのうち私は、雪女にされてしまうんだろうか……。


 それにしても今日一日、楽しかったなぁ。本当に楽しかった! 雨はあまり好きじゃないんだけども、雨が降ってなかったら、こんな一日は味わえなかっただろうなぁ。今日だけは、雨に感謝しておこう。










「……ゴーニャってば、大丈夫かなぁ」


 日記を書き終えた花梨は、カーテンの隙間から見える晴れ上がった夜空を見て、鼻で小さくため息をつく。すると突然、携帯電話から着信を知らせる黒電話の音が鳴り始める。

 携帯電話をポケットから取り出し、画面を覗いてみると『非通知』と表示されており、それを確認した花梨は微笑みながら電話に出た。


「もしもーし」


「わ、わたっ……、わたたしっ、メリー、さん……。い、いまっ、座敷童子堂に、いるの……」


「こ、声が震えてるけど大丈夫なの?」


「とっても怖かったわっ……」


「だろうね、見ててヒヤヒヤしてたよ……。これからなんかするの?」


「纏が寝るって言ってたから、そろそろお布団の中に入るわっ」


「そっか。じゃあもう寝るんだね」


「うんっ。それじゃあ、おやすみ花梨っ」


「うん、おやすみゴーニャ」


 花梨がおやすみと言うと電話は切れ、花梨も寝る為にベッドへと向かう。布団の中に下半身だけを潜り込ませたところで、ふと、自分以外誰もいない静まり返った部屋内を見渡した。


「この部屋って、こんなに広かったっけ……? ……はあっ、ゴーニャがいないと寂しいなぁ……」


 しょぼくれた表情で花梨は、もう一度ため息をついてから布団の中に潜り込む。そして、いつもより温もりが足りない布団の中で、体を丸くしながら一人で眠りへと落ちていった。

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