25話、雨の日の温泉街
窓に何かが打ち付ける音が聞こえる、朝九時頃。
いつもより部屋の気温が低いせいか、掛け布団からだらしなくはみ出している体が冷え、ブルッと体が震えた花梨が目を覚まし、同じく冷えている重い瞼をゆっくりと開けた。
「おおっ、さむっ……。なんでだぁ?」
もう一度身震いした花梨は、体を起こそうとするも抱きついて寝ているゴーニャに阻まれ、起こさないようにそっと抱えながらカーテンを静かに開け、灰色に染まっている窓の外を覗く。
「んげっ……、まだ雨が降ってるや」
窓から外を覗こうとする前に、水滴が線を引いているのが目に飛び込み、嫌な予感をしていた花梨だが、案の定温泉街は、灰色の厚い雲から降り注いでいる大粒の雨で閑古鳥が鳴いていた。
薄く霧がかかっていて景色は霞んでおり、普段なら見える周りの紅葉とした秋の山々は、雪が積もっているように白く色褪せている。
この時間帯であれば、大通りでは妖怪達が
「むう、肌寒いから目が冴えちゃったし……。起きようかなぁ」
「ん~……。おはよう、花梨っ」
「あっ、ごめん。起こしちゃったか。おはようゴーニャ」
ゴーニャは朝の挨拶を済ませると、まだ開いてない目を擦って花梨の体に顔を
花梨もあくびを一つつき、後を追うようにベッドから抜け出し、二人で露出している肌を手で擦りつつ歯を磨き、朝食が置いてあるテーブルの前に腰を下ろす。
朝食は肌寒い部屋の中で、熱々の湯気を昇らせ、ワカメとゴマが浮かんでいる黄金色をした中華風ワンタンスープで、コンソメとラー油のほのかな匂いが湯気に混じっていた。
「冷えた体には、うってつけの朝食だ。いただきまーす」
「いただきますっ!」
二人は手を合わせて朝食の号令を唱えると、花梨はそそくさと箸を手に取り、底に沈んでいる大判のワンタンを崩さないように掴み、数回息を吹きかけて丸ごと口の中へと入れた。
噛み砕いた瞬間。中に詰まっていた具と熱いエキスが弾け飛び、
特に、大量に入っていた細かく刻まれているショウガの風味が強く、冷めない内に飲み込むと、胃を中心にゆっくりと体全体を温めていった。
「う~んっ、ショウガの味が濃いっ。体がぽっかぽかに温まってきたや」
「ほおっ……。この白くて大きいのも、ワカメもスープもおいしいわっ」
「その白いのはワンタンっていうんだよ。サッパリしてて美味しいよねぇ」
アッサリとしたコンソメベースのスープの中に、ひっそりと漂っているラー油の
ワンタンスープを完食した頃には、二人の体は充分以上に温まっており、今では部屋の肌寒い気温が心地よいものへと変わっていた。
温かいため息をついた後。花梨は食器類を水で洗ってテーブルの上に重ねて置くと、腰に手を当て、鼻をふんっと鳴らしながら部屋一面を見渡した。
「特に出来る事も無いし、建築図面の続きでも……。いやっ、部屋の掃除をしようかな。妖狐になって、適当な物を
今日の予定を立てた花梨は、独り言を呟きながらリュックサックを漁りつつ、妖狐に変化できる葉っぱの髪飾りを取り出した途端。
突然背後から、ねっとりと絡みついてくるような熱い視線と、体を大きく身震いする程のイヤな予感を感じ取った。
恐る恐る背後に目を向けてみると、両手は
「花梨っ。早くっ早くっ!」
「……何を、かな?」
「いいからっ、その髪飾りを早く頭に付けてっ!」
催促された花梨は、葉っぱの髪飾りをそっとリュックサックの中にしまい込むと、それを見たゴーニャは、しょんぼりとした表情をして手を下げた。
そして、すぐさまリュックサックから髪飾りを取り出すと、再びゴーニャの目が獲物を狙う目に変わり、臨戦態勢へと入る。
何度か繰り返して遊んでいると、花梨は、そういや、この髪飾りを付けた人が妖狐に
「分かったよゴーニャ。いま付けるから、ちょっと目を閉じててくれる?」
「目を? わかったわっ」
言われた通りにゴーニャが目を閉じると、花梨はニヤつきながらつばの広い青白い帽子をそっと取り上げ、葉っぱの髪飾りをゴーニャの頭に付ける。
すると、白い煙がゴーニャの足元から螺旋を
妖狐に変化したゴーニャを見た花梨は、おおっ、ゴーニャも妖狐になった! 髪の毛の色が元々黄金色をしてるから、見栄えはあまり変わってないなぁ。それにしても、ものすっごくカワイイ……。と、心をキュンとときめかせ、右手で口元を隠した。
「花梨っ、まだかしら?」
「あっ、もう開けていいよ~」
声色のおかしい花梨から許可を得ると、ゴーニャは待ってましたと言わんばかりに、パッと目を開ける。
しかし目に前には、先ほどの格好と何ら変わりのない花梨の姿があり、「なによ花梨っ、妖狐になってないじゃないのっ!」と、頬をプクッと膨らませ、狐の耳と尻尾をピンと立てた。
「ふっふっふっ……。ゴーニャ、いまの姿、とってもカワイイよぉ~」
花梨のねったりとした口調にゴーニャは、目をパチクリとさせて首を
「私の、姿? あれ、着てる服が変わってる……。も、もしかして……」
「鏡で姿を見せてあげるね~、抱っこするよ~」
言われるがままに抱きかかえられたゴーニャは、不安を覚えつつ脱衣所に連れて行かれる。鏡の前まで来て、鏡に映っている自分の姿を確認するや否や、ゴーニャは一気に目と口を見開いた。
着替えて間もない青みがかった青白いロリータドレスは、パリッとした清楚な巫女服に変わっており、頭には勝手にピクッと動いている狐の耳が生えている。
背中の後ろには、自分の身長と同じぐらいの大きさをしている、フサフサな狐の尻尾が垂れ下がっていた。現在の姿を確認し終えると、青色から黄金色に変わった獣の瞳が、更に大きく見開いた。
「わ、私が妖狐になってるっ!? ヤダッ、早く元に戻してよっ!」
「んっひっひっひっ……。ゴーニャさぁ~ん、その狐の耳、触ってもいいかなぁ~?」
既に自我が崩壊している花梨の耳には、ゴーニャの言葉は届いておらず、鏡には、困った表情でうねうねと体を動かしているゴーニャの姿と、後ろで不気味な笑みを浮かべている花梨の顔が映っていた。
「か、花梨っ? 顔が、ものすごく怖いんだけど……」
「だ、ダメだ、もう我慢できん! その可愛らしい狐の耳、触らせていただきまぁ~す」
「ヤダッ……。花梨っ、やめてっ……! イヤッ! イッ……、やぁぁ……」
自制心も崩壊した花梨は、ゴーニャが逃げないようガッチリと抱え込みながらしゃがみ込み、両手で狐の耳を触り始めた。
耳を触られた途端にゴーニャは、頭からつま先にかけて初めて感じる衝撃が一気に駆け抜け、体に一切の力が入らなくなり、脱力した体が不本意な形で花梨の体に寄り掛かる。
「ひゃ、ひゃりんっ……。くしゅぐったぃ……」
「なるほど、こりゃゴーニャが夢中になるワケだ。クセになりそう……」
「ひゃめへぇぇ~……」
狐の耳の虜になった花梨は、更に耳を触り続けようとするも、ゴーニャには刺激が強すぎるせいか、ものの数秒でぐったりとして声すら発しなくなった。
このまま続けるのはマズイと悟り、自我を取り戻した花梨は若干惜しみつつ、ゴーニャの頭から葉っぱの髪飾りを外して元の姿へと戻らせる。
元の姿に戻っても「ふぇぁ……」と、トロンと色付いた目をしているゴーニャを見て、ゴーニャには悪いけど……、今のうちに部屋の掃除を済ませちゃおうかな。と、体に寄りかかっているゴーニャを抱っこし、部屋に戻ってベッドの上にそっと寝かせた。
そして、花梨は自分の頭に髪飾りを付けて妖狐に変化すると、畳に落ちていた髪の毛を箒とチリトリに変え、余裕を持って掃き掃除を開始する。
この部屋に住み込み始めて二週間以上が経ち、初めて掃き掃除をしたものの、ゴミはほとんど落ちておらず、結局、予定よりもかなり早く掃き掃除を終えてしまった。
「ゴミが全然落ちてなかったなぁ。もしかして私達が部屋にいない間に、クロさんか誰かがやってくれてるのかな?」
花梨は狐の尻尾を揺らしつつ、そう思案しながら箒とチリトリを元の髪の毛に戻し、ゴミ箱の中へと入れる。
「どうしよっかな~。お風呂とトイレの掃除をしちゃ、にゃっ!?」
「花梨の尻尾ぉ……、やぁ~っと捕まえたわっ……」
花梨が脱衣所に向かおうとした瞬間。不意に、腰の部分に雷が落ちたような激しい衝撃が走り、一気に体から力が抜け、受け身を取らないまま膝から崩れ落ちた。
全身を駆け巡っている、電気が流れているような刺激を我慢して目を後ろに向けてみると、正気に戻ったゴーニャが不敵な笑みを浮かべ、花梨の狐の尻尾を大事そうにギュッと抱きしめていた。
「ご、ゴーニャ~……。尻尾は、本当にマズイってぇ……」
「ウフフフフ……、フワフワしてて気持ちいいっ」
話をまったく聞いていないゴーニャは、夢中に花梨の大きな狐の尻尾に顔を
「ひぇあっ!? こ、腰にビリビリくるぅ……。ゴーニャ、許してぇ……」
「ダーメッ、今度は私の番よっ」
「ご、ゴーニャさん……? 顔が、とても怖いのですが……」
「ふふっ。それじゃあ、たっぷり触らせてもらうわっ!」
「にひぃっ!?」
体に一切の力が入らない花梨は畳に倒れたまま、しばらくの間はゴーニャにされるがままになり、か細い助けを求める叫び声を上げるも、強い雨音によってかき消されていった。
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