26話-1、小さな女王様と岩盤浴

「それじゃあ花梨っ、私は今日一日……。えっと、なんだったかしら?」


「女王様でございます」


「そうそれっ、女王様よ!」


「ははぁ~」


 午前中、ゴーニャに狐の尻尾を触れ続けて観念した花梨は、「なんでもするから許して」と、ついうっかり口走ってしまい、ゴーニャは今日一日小さな女王様に。花梨は、女王の家来として過ごす形になってしまった。

 小さな女王はベッドの上で、得意気な表情をしながらふんぞり返っており、家来はベッドの下でひれ伏せていた。女王になったはいいが、何をすればいいのかまったく理解していないゴーニャが、首をかしげてから口を開く。


「花梨っ。女王様って、いったい何をすればいいのかしら?」


「え~っと。まあ、ゴーニャがやりたい事を私に言ってくれれば、その通りに私が動くよ」


「そうなのねっ! じゃあ、葉っぱの髪飾りを―――」


「それ以外でお願いします……」


 早速願いを断られたゴーニャは、頬を大きく膨らませて家来である花梨を睨みつけ、「ぶーっ」と、不満を漏らす。

 そして、花梨と一緒に居られれば他に望む物は何も無いゴーニャにとって、お願いと言われても特に思いつく事が無く、腕を組んで更に首を傾げる。


「う~ん……。じゃあ、花梨がやりたい事を言ってちょうだいっ」


「えっ、いいのそれで?」


「うん、私は花梨と一緒にいられるだけで充分だものっ」


「……ふふっ、そっか」


 ゴーニャの嬉しい言葉に花梨は自然と笑みがこぼれ、花梨の微笑んだ顔を見たゴーニャも、ふんわりとほくそ笑む。


「やりたい事ねぇ~。肌寒いしお風呂にでも……、まだ早いか。そうだ! 岩盤浴なんてどう?」


「がんがん、よく?」


 花梨は苦笑いしながら「違うよ、岩盤浴」と、言い直して話を続ける。


「少し暑い部屋の中で、板状の岩に寝そべるんだ。そうすると、汗がじんわりと出てきて気持ちいいんだよねぇ」


「えっと、それだけなのかしら?」


「まぁ、ね。ゆっくりと時間を潰すには打ってつけだけど、どうしますか女王様?」


「じゃあ、それでっ! 花梨っ、抱っこして!」


「はいはい。どうぞ、甘えん坊な女王様」


 満更でも花梨は、ピョンピョンと飛び跳ねながら両手を差し伸べている小さな女王を抱っこし、そのままカバンから小銭入れを取り出して、千円札を三枚入れてから部屋を後にする。

 一階まで降り、雨が降っているせいで外に出れず、いつもより大勢の妖怪達で賑わっている食事処とマッサージ処を通り過ぎ、三つの大きな出入口がある広場まで来て歩みを止める。 


 左側が、銭湯とサウナがある場所に続く通路。右側が、露天風呂へと続く階段。そして、真ん中が岩盤浴場へと続いている通路で、二人は真ん中の出入口をくぐり、奥へと進んでいく。

 温かみのある光に包まれた通路を抜ける前に、両サイドに受付があり、岩盤浴専用のピンク色をした厚手の半袖とハーフパンツ。岩盤の上に敷く大きなタオルとシャワー用のタオルを受け取り、二つの受付を抜けていった。


 少し進むと、脱衣場と書かれた二つの入口があり、左側の青いのれんに『男』。右側の赤いのれんに『女』と白い文字が記されており、二人は赤いのれんをくぐって中へと入っていく。

 脱衣場はロッカールームになっていて、二人は早速受付で渡された専用の服へと着替え、小銭入れをポケットに入れて岩盤浴場に向かった。


 抜けた先は主に休憩室になっており、ゆったりとくつろげるチェアの半分以上は、マッサージチェアになっている。

 オレンジ色の白熱灯が薄っすらと休憩室内を照らしており、全体的に落ち着いた心安らぐ雰囲気を醸し出していた。


 雨が降っているせいでかなり混み合っており、辺りでは人間達を驚かせた武勇伝を熱弁する妖怪や、昔の方が脅かし甲斐があった、と文句を垂れている妖怪達が談笑をしている。

 クーラーがかかているせいか、自分達が居た部屋よりもずっと寒く、身震いをしたゴーニャが花梨の服をグイッと引っ張った。


「花梨っ、この部屋寒いわっ」


「大丈夫。一回岩盤浴を体験すれば、ちょうど良い温度になるから」


 現在いる部屋の周りには、岩盤浴場へと続いている入口がいくつもあり、花梨達はどの岩盤浴場に入るか選び始める。

 岩塩や、黒いゲルマニウム石が敷き詰められた岩盤浴。様々な異なる効用が期待できるスタンダードな岩盤浴。

 川のせせらぎや波の音、リラックスできる音楽が流れている岩盤浴。各妖怪ごとの特性に合わせた岩盤浴など。他にも多種多様の岩盤浴がある。


「へ、部屋の温度が千℃以上もある岩盤浴がある……。気のせいか、地響きに似た音が聞こえてくるなぁ……。」


「花梨っ、数字の横に棒がある部屋があるわっ」


「どれどれ、……マイナス百四十三℃? 私達が入ったら一瞬で凍りつくぞ……。間違えて入らないようにしないと」


 二人は細心の注意を払いつつ、部屋内の温度が適温の岩盤浴を探し、約四十℃前後のゲルマニウム石が敷き詰められた岩盤浴をチョイスして、部屋の中へと入っていった。

 部屋の中は蒸し暑くて静まり返っており、時折、寝返りを打った際、ジャリジャリとゲルマニウム石が擦れる音だけが部屋内に響いている。 

 その中から花梨は、ちょうど二つ分空いている場所を見つけて持っていたタオルを敷き、静かな声でゴーニャに説明を始めた。


「こうやって石が敷き詰められた所の上にタオルを敷いて、その上で寝っ転がるんだよ」


「わかったわっ」


 説明を聞いたゴーニャは、花梨の真似をしてタオルを敷こうと試みる。が、なかなか上手くいかず、一旦ぐちゃぐちゃにシワが寄っているタオルの上に乗り、「よいしょっ、よいしょっ」と言いつつ、少しずつタオルを綺麗に伸ばしていく。

 タオルを綺麗に伸ばし終わり、「よしっ」と満足気にうなずいたゴーニャは、仰向けになって大の字で寝っ転がった。

 蒸し暑い中で一息つき、冷たいため息を吐く。しばらくして部屋の温度に慣れつつあり、オレンジ色に染まる天井をボーッと眺めていたゴーニャが、目線を隣で寝ている花梨に送る。


「この部屋暑いわね」


「それがいいんだ。暑い割には、かなりリラックスできるでしょ?」


「うんっ。何分ぐらいこうしていればいいのかしら?」


「う~ん、十五分から三十分ぐらいかな? あまり長く居過ぎると、逆に体に良くないんだよねぇ」


「そうなのね、わかったわっ」


 そう言ったゴーニャは口を閉じ、再びオレンジ色に染まる天井に目を移し、初めての体験である岩盤浴を静かに満喫した。

 少し時間が経つと、ひたいから汗がじんわりと滲み始め、後を追うように顔、首、腕、背中、足にもぷつぷつと汗が出始める。

 十五分もすると全身から汗が噴き出しており、着ていた服は汗をたっぷり吸い取り、色濃くなっていた。全身が汗まみれになり、普段より呼吸が荒くなっているゴーニャが花梨に体を向ける。


「花梨っ……、そろそろ出たいかも……」


「んっ、じゃあ一回出よっか」


 ケロッとした表情の花梨がそう言うと、敷いているタオルを持ちながら立ち上がり、ゴーニャも真似して立ち上がると、二人揃って休憩室に戻っていった。

 初めて来た時は寒かった休憩室は、岩盤浴を体験した後だと心地よいものに変わっており、二人はタオルで身体中の汗を拭き取り、近くにあった空いている席へと腰を下ろす。

 ゴーニャがもう一度タオルで顔を拭き、「ふぅ~っ」と声の混じった熱いため息を漏らすと、笑みを浮かべて横に座っている花梨に目を向けた。


「これが岩盤浴なのね、暇な時にはいいかもっ」


「おっ、気に入ったみたいだねぇ。おっと、忘れてた。ちょっとそこで待ってて」


 花梨はタオルを確保するように席に置き、様々な物が売っている販売所へと向かう。そして、すぐに水が入ったペットボトルを二つ携え、駆け足で席へと戻ってきた。


「はい、これを飲んで。たっぷりと汗をかいたから、岩盤浴から出た後は必ず水分補給をするんだよ」


「ありがとっ」


 花梨が席に座ると、ペットボトルの蓋を開けてゴーニャに差し出し、花梨もペットボトルの蓋も開けて一気に飲み始める。

 ゴーニャも両手でペットボトルを持つと、コクッコクッと喉を鳴らして飲み始める。充分に冷えている水が、カラカラに乾いている喉を冷やしながら潤していき、同じく乾いている体全体へと染み渡っていった。

 飲む勢いがまったく衰えず、ペットボトルの水を飲み干したゴーニャが「ぷはぁっ!」と、気持ちのいい声を上げる。


「ただのお水が、いつもよりずっとおいしく感じるわっ」


「でしょ? それも岩盤浴の醍醐味の一つなんだ」


「そうなのねっ。この後はどうするのかしら?」


「もう少し休憩してからまた岩盤浴に入るよ。あと二、三回繰り返す感じかな?」


 その説明を聞いたゴーニャは、ペットボトルの底に残っている水を口に含んでから話を続ける。


「一回だけで終わりじゃないのねっ」


「うん。一回だけだと物足りないし、効果もあんまり感じないからね。まだ時間はたっぷりあるし、ゆっくりしてこ」


「そうねっ! そうだ花梨っ、膝の上に座ってもいいかしら?」


「ふふっ、いいですよ女王様。こちらへどうぞ~」


「やったっ!」


 家来からのお許しが出ると、小さな女王はすぐに家来の膝の上にちょこんと座り、顔を見上げてニコッと微笑んだ。

 カワイイ女王の微笑みを見て家来も微笑み返し、汗で湿っている頭を撫でつつ、残っている水を飲んで乾いた喉を潤していった。

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