24話-2、雨音が聞こえる露天風呂
力が入らない足で
乱暴に扉を開けて部屋に入るなり、夢中で狐の耳を触っていたゴーニャをそっと畳の上に降ろし、慌てて葉っぱの髪飾りを外して元の人間の姿に戻ると、色付いた吐息を漏らしつつ、その場で膝から崩れ落ちた。
「ハァ……、ハァ……。い、色々と、危なかった……」
「花梨っ、尻尾ぉ」
「い、今はダメェ~……。詳しくは言えないけど、非常にマズイ……」
「ん~……」
ゴーニャは帰ったら隙を見て、花梨に生えているモフモフの狐の尻尾を触ろうと企んでいたが、それが叶わずじまいで終わり、残念そうに自分の指を咥える。
しばらくして、ある程度体の火照りが収まってきた花梨は、更に落ち着かせるように何度か深呼吸すると、ゴーニャと手を繋いで露天風呂へと向かっていった。
今日は珍しく、ゴーニャから白い濁り湯に入ってみたいと言うリクエストがあり、花梨はそのリクエストに応えるため、濁り湯がある露天風呂を目指していく。
脱衣場で服を脱いでから体にタオルを巻き、雨音が聞こえる風呂場に入場する。
少し肌寒さを感じる中。温かいシャワーを浴びて頭を洗っていると、またお湯と水の蛇口を間違えたのか、隣からゴーニャの「ヒャアッ!?」という、聞きなれつつある甲高い叫び声が聞こえてきた。
「ゴーニャってば、ほぼ毎回間違えてるよねぇ。そろそろ慣れようよ」
「だって……。目を瞑るとどっちがどっちだか、わからなくなっちゃうんだもの……」
「まあ、気持ちは分かるけどさ。いい加減……、うぇあっ!?」
唐突に花梨の珍しい叫び声が風呂場に響き渡ると、ゴーニャは急いで蛇口を閉め、ニヤついている表情を花梨に向けた。
「花梨っ、もしかしてぇ~?」
「……」
黙ったまま身震いをした花梨は、横目でゴーニャの様子を覗いてみると、左手で緩んだ口元を隠してニヤニヤとしている。
そして静かに
ゴーニャも釣られて笑って全てをうやむやにすると、気を取り直してから体を丹念に洗い、ゴーニャのリクエストした白い濁り湯へと向かう。
白い濁り湯も、この前入った青空のような濁り湯同様、床底にライトが仕込まれていて明るく光っており、まるで雲の上にいるような気分にさせてくれて、二人の胸を躍らせる。
二人は、
呼吸をするたびに、脳がだんだんとリラックスしていくのが分かり、その呼吸が自然と深呼吸に変わっていった。
トロみのある湯質が肌に絶え間なく吸いついていき、馴染むようにしっとりと優しく潤していく。そのトロみを肌で感じた花梨が、右手を左腕に滑らせて白い濁り湯の中へと落とした。
「んっはぁ~……。雨の降る音と甘い匂いが相まって、すっごく落ち着くや〜。ん~、気持ちいいっ」
「ブクブクブク……」
「あっ、ゴーニャ。温泉でそういうのは、あまりやらない方がいいよ」
目を離していた隙にゴーニャが、口を湯船に沈めて空気を出して遊んでおり、花梨に言われて沈めていた口を上げると、不満そうな眼差しを花梨に向ける。
「このお湯、全然甘くないわっ……」
「そりゃそうだ……。もうやっちゃダメだよ? お腹壊しちゃうかもしれないからね」
そう注意をした花梨は、ふと夜空に目を向ける。今日は厚い雨雲が空を覆い隠しているせいで、天然のプラネタリウムの開園は見送られており、仕方なく温泉街に目を移した。
誰も歩いていない温泉街では、
その弱い光を、心を空っぽにして眺めていると、視界がだんだんと霞んでホタルのような輝きに見えてきて、落ち着いた気分をノスタルジックな物へと塗り替えていく。
眠気にも似た夢心地気分の中。隣で静かにしていたゴーニャが口を開いた。
「こういう景色も悪くないわね」
「そうだねぇ。雨はあまり好きじゃないけど、たまにはいつもと違う雰囲気のある温泉街も、悪くはないかな」
雨音が奏でるヒーリングミュージックを聴き、雲の湯船で甘い匂いを堪能し、温かみのある提灯の灯りを細目で眺めていると、リラックスし過ぎて気持ちのいい睡魔が二人を襲い始め、寝落ちする前に露天風呂から上がっていった。
タオルで濡れた体と眠気を拭き取り、あくびを交えて服に着替え、いつもより冷たい空気を感じつつ自分達の部屋に戻っていく。
廊下よりやや温かい部屋に入ると、テーブルの上には存在感のある大きな土鍋が置いてあり、取り皿と山盛りのご飯。締めに入れるのであろうと予想される、うどんが土鍋を囲んでいる。
まだ熱い土鍋の蓋を開けてみると、中にはザク切りにされたキャベツや、厚めに輪切りされているニンジンとタマネギ。
一口大に斜め切りされたネギ。それらを覆い隠すほど大量に入っている豚肉。そして、その具材ら全てを真っ赤に染めているキムチ鍋が、湯気を昇らせながら現れた。
「んっはぁ~っ、食欲を刺激するいい匂い~! 肌寒い時には嬉しい夜飯だ」
「花梨っ、これはきっと
「正解! これはかなり美味しいよ~。それじゃあ、いただきまーす!」
「いただきますっ!」
二人が元気よく夜飯の号令を唱えると、花梨が取り皿を手にし、土鍋から具材とエキスが凝縮された赤いスープを入れてゴーニャに渡す。
花梨も同様に、自分の取り皿に一通りの具材とスープを入れると、二人は同時に大きな豚肉を箸で取り、一斉に口の中へと入れた。
まず初めに、程よくピリッとした辛さとニンニクの風味が口の中に広がるも、
しかし、その二つの風味で食欲が一気に増進され、堪らなくご飯が欲しくなり、二人は同時にご飯を口の中にかき込んだ。
「う~ん、キムチ鍋とご飯の相性抜群っ! ご飯が足りなくなっちゃいそうだなぁ」
「ちょうどいい辛さでおいしいわっ」
「ねっ、いくらでも食べられそうだ」
豚肉を更に食べると、歯ごたえが充分にあり、辛さを吹き飛ばす甘みのあるニンジン。箸で持ち上げると、崩れるほど柔らかくなっているタマネギ。
そして、下にまだ隠れていた大量のキャベツやニラ、ウィンナーを食べ進めつつ、合間にご飯を沢山口の中に入れていく。
案の定、土鍋の中にはまだ具が残っているにも関わらず、二人は先にご飯を完食してしまい、早めの締めに取り掛かる。
うどんを土鍋の中に入れてから少しかき混ぜ、キムチの赤い色がうどんに移り始めてから取り出し、花梨は豪快にすすり、ゴーニャは一本ずつちゅるんと食べた。
「コシが強くて、んまいっ。一度に二度鍋を楽しめるから、やっぱり締めは最高だなぁ」
「花梨っ、もっと食べたいわっ」
「おっ、いい食べっぷりだねぇ。はい、零さないように気をつけてね」
「ありがとっ!」
ゴーニャが笑顔でお礼を言うと、嬉しそうにうどんをすすり始め、その姿を見た花梨が微笑みながら話を続ける。
「ゴーニャ、美味しそうにうどんを食べるよねぇ」
「うんっ。初めて食べた物だから、うどんが一番大好きなの」
「なるほどね。それじゃあ今度にでも、うどんを使った料理が沢山ある『定食屋
「ほんとっ? 楽しみだわっ!」
「私も妖狐に変化して、油揚げがたっぷり入った裏メニューの料理を……、へっ、へへへっ……」
「妖狐? ……尻尾ぉ」
「ゔっ……」
体を小さく波立たせた花梨が、「た、食べてる時はなるべる触らないでね……」と言ってうどんをすすり、ゴーニャが「えぇ~っ……」と、文句を垂らしながらうどんを一本だけ口の中に入れた。
締めのうどんを食べ終え、残ったスープまで飲み干して土鍋の中を空っぽにすると、二人は体がポカポカに温まった事を感じつつ、天井に向かって余韻が含まれたため息をつく。
そして体が冷める前に、食器類を全て一階にある食事処に返却し、まだ夜飯の匂いが立ち込めている自分達の部屋へと戻る。
念入りに歯を磨いてからパジャマに着替えると、ゴーニャはベッドの上でゴロゴロと転がって遊び、花梨は日記を書き始めた。
今日は休みなので、ゴーニャと一緒に秋国山にある『ぶんぶく茶処』と、『秋国山小豆餅』に行ってきた!
秋国山に続く橋を渡っている途中、河童の川釣り流れを覗いてみると、相変わらず釣りをしている妖怪さんはいなかったけど、相撲目的なのか土俵に向かって長蛇の列が出来ていたんだ。
秋国山に着いて初めて山を登ってみたけど、秋がぎゅっと詰まった紅葉のトンネルは最高だったなぁ。次の休みにでも、また足を運ぼうかな?
その紅葉のトンネルの歩いていると、トンネルに囲まれているぶんぶく茶処を見つけたんだ。そこには化け狸の
でも、不思議とイヤな気分にはまったくならなかったし、むしろ、安心感のある懐かしい感じがしたんだよなぁ。昔どこかで会った事があったんだろうか? ……う~ん、未だに思い出せないや。
それで、なぜか釜巳さんの奢りで甘味を食べる事になったんだけど、釜巳さんってば、頼んでいないのにどんどん甘味を持ってくるんだよ……。
どれも本当に美味しかったけど奢りだったし、悪いと思って丁重に断って逃げ出しちゃった。今度行った時に、お金を払わないと……。
その時になったら、ゴーニャと一緒になって全メニューを制覇してやるんだ!(もちろん、お金もちゃんと払う!)
次に秋国山小豆餅に行ったけど……、行ったんだけど……。そこには、カワイイ静か餅の
最初は、硬嵐さんが女、洗香さんを男だと思っていたけど、逆でね……。すっごいビックリしたなぁ……。もう見た目だけで性別を判断するのは、絶対にやめておこう……。
で、雨が降ってきたから妖狐に変化して、和傘を作って帰ったんだけど、どうやら妖狐と化け狸にとって、耳と尻尾は性感帯らしいんだ。(釜巳さんから聞いた)
ゴーニャにずっと狐の耳をいじられていたけど、触られるたびに、こう、ね? ビクンと来るというか、ね? 感じた、というか……。とりあえず色々と危ない状況だった……。次に妖狐に変化する時は、気をつけねば……。
せっかくの休日だってのに、雨が降ってくるなんてなぁ。明日は止んでるといいんだけど……。
「……止んでなかったら何をしようかなぁ」
「花梨っ、
「雨が降ってるからねぇ。……今日も二人で寝よっか」
「やったっ!」
そう決めた花梨は、カバンの中に日記をしまい込み、雨の雫が線を引いている窓から外を眺め、座敷童子の纏が居ない事を確認すると、ゴーニャと共にベッドの中へと潜りこんだ。
すかさずゴーニャは、夜飯のせいかいつもより温かくなっている花梨の体に抱きつき、微笑みながら顔を
「今日も花梨を独占よ! 嬉しいわっ」
「ふふっ、甘えん坊さんめ。おやすみゴーニャ」
「おやすみ、花梨っ」
甘えん坊と言った花梨もゴーニャをそっと抱きしめ、姉妹は静かに眠りへと落ちていく。普段聞こえる二人分の寝息は、強い雨音にかき消され、雨と共に地面の中に吸い込まれていった。
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