24話-1、雨が降る帰り道

「あっちゃ~、とうとう降ってきちゃったか……。ここに来てから初めての雨だなぁ」


「この雨、かなり強いわねっ」


 姉妹が秋国山あきぐにやま小豆餅あずきもちで夢中になり、メニュー表にある甘味を網羅している途中。気がつかないうちに晴天だった空は、厚い灰色の雲に覆われて辺りが薄暗くなっていた。

 空の異変に気がついた花梨は、大慌てで小豆洗いの洗香あらかに料金を支払い、ゴーニャを背負って下山している間に雨が強く降り始め、近くにあった葉が生い茂っている木の下で雨宿りをしていた。

 雨の勢いは強く、木の下から手を出すとすぐに濡れてしまう程の大粒で、濡れた手をジーパンで拭いた花梨が鼻からため息を漏らし、しょぼくれた表情で途方に暮れる。


「折り畳み傘はカバンの中だし、諦めて濡れて帰るしかないかぁ……」


「そこら辺にある物が、パッと傘にでもなればいいのにねっ」


「そうだねぇ、パッと傘にでも―――」


 ゴーニャの夢みたいな言葉を聞くと、相槌を打った花梨が何かを思い出したのかハッとし、見開いた目をゴーニャに向け「できる、できるよゴーニャ! ふっふっふっ、面白い物を見せてあげるよ」とニヤリと笑い、リュックサックを漁り始める。


「面白い物っ?」


「ジャーン! ここに取り出すは、なんの変哲もない葉っぱの髪飾りでございます。これを、頭に付けると~……」


 そう声を弾ませた花梨は、妖狐神社でかえでから貰った妖狐に変化できる葉っぱの髪飾りを頭に付けた。

 すると、花梨の足元から突然、螺旋をえがくに白い煙が出現し、花梨の体をまたたく間に覆い隠していく。

 その白い煙に驚いたゴーニャが、「えっ、えっ!?」と声を漏らしている中。花梨を覆い隠していた白い煙が霧散し、中から清楚な巫女服を着ており、髪の毛全体が黄金色で毛先だけが白く、狐の耳と大きなフサフサの尻尾を生やした花梨の顔をした妖狐が、無邪気にニッと笑いながら姿を現した。


「えっ? か、花梨っ? 花梨なの!?」


「そうだよ~、茨木童子に続いて二つ目の妖怪の姿さ。妖狐になるのは久々だなぁ。最後になったのは、初めて極寒甘味処ごっかんかんみどころに行った以来かな?」


「モフモフな耳と大きな尻尾が生えてる……。触りたいっ」


 状況を即座に理解したゴーニャは、花梨の頭の上でピクッと動いている耳と、背後から見え隠れしているフサフサの大きな狐の尻尾に虜になり、目をギンギンに輝かせ、小さな手をワキワキと動かし始める。

 その興奮しているゴーニャをよそに花梨は、足元にある落ち葉を拾い上げ「温泉街なら、普通のビニール傘より和傘の方が見栄えがいいかな?」と呟き、頭の中で赤い和傘を鮮明に思い浮かべた。 


 すると、持っていた落ち葉が白い煙に包まれ、その煙がだんだんと大きくなっていく。そして、煙がゆっくりと風に流されていくと、中から花梨が思い浮かべた通りの、真っ赤で大きな和傘が姿を現した。

 花梨がその傘をバッと開き、所々に穴が開いていないか確認し終えると、空いている手をゴーニャに差し伸べる。


「よし、完璧だ。それじゃあ永秋えいしゅうに帰ろっか」


「か、花梨っ。おんぶ、おんぶしてっ!」


「……君ぃ、私の狐の耳を触ろうとしてるね?」


「少しだけ、少しだけでいいからっ! お願いっ!」


 既に我を失っているゴーニャは、花梨が差し伸べてきた手をまったく見ておらず、頭の上でピクピク動いている狐の耳だけを凝視しており、ワキワキとさせている手を狐の耳に伸ばしていた。

 その様子を見た花梨は、苦笑いするもゴーニャに背を向け「もう、少しだけだからね」と、言いつつしゃがみ込む。

 許可を得れたゴーニャは、一目散に花梨の背中に飛び乗り、短い足をガッチリ体に回すと、逃げる狐の耳を無我夢中で追いかけ始めた。


「むっ……、思ってたよりもくすぐったいなぁ」


「花梨っ、耳を動かさないでっ!」


「いやー、無意識に動いちゃうん……、ひぇあっ!?」


「捕まえたっ! すごいモフモフしてるわっ」


「うひぃ~っ……、背中がゾクゾクするぅ~……」


 妖狐に変化した花梨は、ゴーニャに狐の耳をいじられるたびに「あぁひっ……、あっふぁ……」と、奇声を漏らしながら体を身震いしつつ、水たまりを避け、来た道を戻っていった。

 ゴーニャは完全に狐の耳に夢中になっており、体をビクッとさせている花梨の事はお構いなしに、フンッフンッと鼻息を鳴らしてヒートアップしていく。 


「ご、ゴーニャ~、そろそろ耳を触るの、やめてぇ……。なんか、変な気分に、なってきたぁ……」


「……」


「あの、ゴーニャさん? 聞いてる?」


「も、もう少しだけっ!」


「ひぃえやぁぁっ……」


 色付いた悶え声を発している花梨に、まったく聞く耳を持っていないゴーニャは、ひたすら無心になりながら狐の耳を触り続けた。

 足腰に力が入らなくなってきた花梨が、昼頃にお世話になったぶんぶく茶処を通り過ぎようとすると、その店の方から、化け狸の釜巳かまみの叫ぶような声が聞こえてきた。


「花梨ちゃ~ん! ゴーニャちゃ~ん! 気をつけて帰りなさいねぇ~!」


「か、釜巳ひゃん……。私だって、分かるんで……、ふぇあっ……」


「当たり前じゃないの~。トロンとした目をしちゃってまぁ~。ゴーニャちゃん! あまり耳を触るのは、よしなさいねぇ~! そこ、妖狐や化け狸にとってモロに性感帯だから~」


「せいかん、たい?」


「ぬあっ! 釜巳さん! ゴーニャにはまだ、そういうのは早いですって!」


 花梨が慌てて忠告をするも、釜巳はニヤけている口を右手で覆い隠し、左手をパタパタとさせながら煽るように話を続ける。


「尻尾は、もっと触っちゃダメよぉ~。引っ張られたら体がビクンッてなって、一発で腰が抜けちゃうからねぇ~」


「あ、あんまりそういう事を言わないで下さい! 狙われちゃいますから……」


「尻尾も、いっぱいモフモフしたいわっ」


「あぁ~……、ほらぁ~……」


 逃げ場のない花梨が軽く嗚咽おえつすると、釜巳の嬉しそうに動いている太い狸の尻尾が目に入り、小悪党のような笑みを浮かべる。


「ゴーニャさん? あっちにも大きくてモッフモフの尻尾があるよ~」


「あらぁ、花梨ちゃんってば! オバサンのいやらしい喘ぎ声を聞きたいのぉ? もうっ、いけず~」


 体をクネクネとうねらせ、両頬を赤らめながら手で押さえている釜巳を見た花梨は、あれ? 満更でもないご様子……? ……なんかご近所さんに、こんな人がよくいるような……。と、アパート暮らしをしていた時の記憶が、ふと蘇る。

 花梨がピンと立たせていた狐耳を垂らし、八重歯が覗いている口をヒクつかせている中。雨足がだんだんと強くなり、傘を打ち付ける音が激しくなってくると、それに気がついた釜巳が「あらっ?」と声を漏らしてから話を続ける。 


「雨が強くなってきたわねぇ〜。風邪をひくといけなから、早くお帰りなさい」


「ですねぇ、そうします。今日は本当にありがとうございました! 釜巳さんの作った甘味の数々、とても美味しかったです!」


「あらぁ~、ありがとうね。そう言ってくれると嬉しいわぁ~。これからも、秋国を満喫していってちょうだいねぇ~」


「はいっ、それでは!」

「釜巳っ、今日はありがとうございましたっ!」


 そう言って笑みを浮かべた花梨とゴーニャは、手を振ってきている釜巳に向けて一礼し、ぶんぶく茶処を後にする。

 すっかりと雨に濡れた秋国山を下山し、点々と傘が歩いている橋を渡っている途中。午前中、大いに賑わっていた河童の川釣り流れに目をやる。

 が、そこにはもう人っ子一人おらず、雨を浴びて色濃くなった土俵だけが目に入った。


 雨の音を聞きながら橋を渡り切り、白驟雨はくしゅううが降り注いでる温泉街に入るも、妖怪の姿は一切伺えず、雨で霞んでいる提灯の儚い灯りだけが姉妹を出迎えた。

 その提灯の灯りが、ぞんぶんに濡れている地面に薄っすらと移り込み、霞んでいる灯りを更におぼろげにしている。


「花梨っ、誰もいないわね」


「そうだね、ちょっと寂しい光景だなぁ」


 普段、夕方から夜にかけての時間帯は、大勢の妖怪達で賑わっており、和やかなで明るい音が飛び交っているが、今聞こえるのは、強い雨音と花梨が地面に溜まった雨水を踏んだパチャッという音だけだった。

 冷たい雨が降っているせいか、いつもより気温が低くなっており、妖狐に変化して体温が上がっている花梨は何も感じていないものの、背中にいるゴーニャの事が気になり、首を少しだけ後ろに回した。


「ゴーニャ、寒くない? 大丈夫?」


「前は花梨の体であったかいけど、背中が少し寒いわっ」


「背中ねぇ~……、そうだっ!」


 声を上げた花梨は、濡れた地面に着かないよう垂らしていた大きな狐の尻尾を上げ、空いているゴーニャの背中を覆い隠し、全身を包み込む為にギュッと押し当てた。


「これならどう? 温かい?」


「ありがとっ! モフモフしてて、とっても温かいわっ! ……触っても、いいかしら?」


「だ、ダメッ! 釜巳さんが言っていた事が本当なら、立てなくなっちゃうからダメッ!」


「す、少しだけっ……」


「今は絶対にダメェ! ううっ……。さ、触るなら、耳に、して……」


「わかったわっ!」


「にぇあっ!? そ、そんな急に、強く、握らないでぇ……、ふぇえやぁ……」


 今までにない程に必死な花梨から、泣く泣くお許しが出たと同時に、ゴーニャは再び飽きる事なく花梨の狐の耳を触り始める。

 普通に歩けば、二十分掛からないぐらいで永秋えいしゅうに着く距離だったが、耳を触られた事によって歩みが非常に遅くなり、三十分以上も掛けてようやく到着し、小刻みに震える足で永秋へと入っていった。

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