18話-3、大人げない牛の乳絞り体験

 先を行った馬之木ばのきに追いつくと、牛の鳴き声が響き渡っている牛小屋へと入っていく。


 中に入ると、わらの匂いがふわっと香る小屋内を見渡してみる。開放的で広々とした柵の穴から、沢山の牛達が首を伸ばし、地面に敷かれている乾草やトウモロコシ類の穀物を、夢中で食べている姿が伺えた。

 入口付近のすぐ横には、牛の乳搾りが体験できるコーナーが設けられており、複数の妖怪の子供達が和気あいあいと牛の乳を搾っている。


 いつの間にか、空いている牛の横に馬之木が立っていて、花梨達に向かって手招きをしていた。

 その姿に気がついた花梨は、ゆっくりと馬之木の元へと歩み寄っていく。近くまで来ると、馬之木が牛の体をパンッと叩いてからニコリと笑う。


「そんじゃ今から、この牛の乳を搾ってもらうど。やり方は分かるけ?」


「牧場で働いた経験があるので、屠殺とさつと出産の立会い以外でしたら大体は出来ます!」


「ほう~、すげぇなぁ。それにしても、なんでその二つはできねぇんだ?」


「いやぁ~、昔から大量の血を見るのはどうも苦手でして……。ほんの少しの量でしたら、平気なんですけどもね」


「ほ~う、まあええ。牛の横にバケツがいっぱいあるから、それに絞った牛乳を入れてくれればええ。飽きたら小屋にいる適当な奴に声かけて、バケツを回収してもらえな。んだばオラは、肉の用意をしてくるけ。楽しんでけな」


 そう説明を終えた馬之木は、メモを片手に牛小屋を後にした。その姿を横目で見送った花梨は、抱っこしていたゴーニャを地面へと下ろし、近くにあったバケツを四つ持ってきて話を始める。


「それじゃあゴーニャ。これからバニラアイスの元である牛乳を、この牛さんから絞るよ~」


「さっきも言ってたわよね。そもそも『しぼる』って、なんなのかしら?」


「そう言うと思った。じゃあ、牛さんのお腹辺りにちゅうも~く」


 微笑んでいる花梨が牛の近くでしゃがみ込むと、ゴーニャも真似をしてしゃがみ込む。そして花梨は、牛の腹部よりも下の方にある、パンパンと膨らんだ乳に指を差した。


「この膨らんでいる箇所に、何本も突起している物があるでしょ? この突起物を手で……」


 説明を続ける花梨が、牛の乳の下に持ってきたバケツを置いた。

 そして、牛の乳の根元を親指と人差し指で挟み、「こうやって、後は中指から順番に指を握っていくと~……」と言うと、突起物の先から白い液体が大量に勢いよく飛び出し、下に置いたバケツの中へと入っていった。


「な、なんか出てきたわっ! ……これが、牛乳って奴なの?」


「そう。でも、このまま飲むとお腹を壊しちゃうから、まだ飲まないでね。さっ、ゴーニャもやってみな」


 花梨がそう言うと牛の乳を離し、体を少し横へとずらす。牛の大きな体を見ながら隣に来たゴーニャが、下へと潜り、小さな手で恐る恐る牛の乳を握った。


「うわっ、生暖かいっ! それに、とってもプニプニしてる……」


「でしょ? そのプニプニが気持ちいいんだよねぇ~。んじゃ、中指から順番に握ってみな」


 牛の乳をじっと睨みつつ、親指でプニプニと乳を触っていたゴーニャは触るのを止め、花梨の説明通りに指を握っていく。

 すると少量ながらも、牛乳の元である生乳せいにゅうが出てきて、バケツの中にチョロッと落ちていった。


「出たっ! でも、花梨みたいにいっぱい出てこないわね」


「うーん、ちょっと力が弱いかな? それでも、最初にしてはかなり上手い方だよ」


「ほんと? よし、このままバケツの中身をいっぱいにしてやるわっ!」


 花梨の言葉により自信がついたゴーニャは、「キュッキュッキュッ」と言いながらテンポ良く、乳搾りをこなしていく。

 徐々にコツを掴んでいくと、一回で出る量がだんだんと増えていき、五分もしない内にバケツを生乳せいにゅうで満たしていった。


「ふっふーん、どうかしらっ?」


 乳を搾り終わり、手をパンパンと音を立たせて払ったゴーニャが、自慢げな表情をしながら腰に手を当て、鼻をフンッと小さく鳴らす。

 その言葉に対し、心に大人げない火が付いた花梨は、バケツを取り換えながら不敵に笑みを浮かべる。


「ふっふっふっ……。ゴーニャ、これから大人の力って奴を見せてあげよう……。これが、私の本気だあっ!」


 瞳に熱い炎を燃やしている花梨は、両手を巧みに使いこなし「シュシュシュシュシュ」と、呟きながら乳を高速で絞り、またたく間にバケツを生乳で満たしていく。

 その、圧倒的な速さに呆気を取られたゴーニャは、目を丸くしながら眺め続けていると、一分とも掛からずバケツが生乳でいっぱいになった。


 花梨が、ひたいから出てもいない汗をぬぐう素振りをすると、ニヤッと笑みを浮かべる。 


「……どう? これが、職人技って奴よぉ」


「す、すごい花梨っ……」


「えっへへ~、もっと褒めてぇ~」


 花梨の燃える瞳が鎮火し、デレッとした表情へと変わると、呆気に取られていたゴーニャの表情も、ふわっと微笑んだものに変わる。

 残り二つのバケツはゴーニャが独占し、大人げない花梨による指導の元。更にコツを掴んでいったゴーニャが、絞りたての生乳で並々に満たしていった。


 全てのバケツを満タンにすると、満足したゴーニャが口を開く。


「すごいいっぱい出るのね、楽しかったわっ!」


「まだ出そうだけど、これでやめにしよっか。それじゃあ、牧場なら販売所とかあるハズだから、美味しい物でも食べに行く?」


「おいしいものっ! 私、牛乳を飲んでみたいわっ!」


「おっ、いいねぇ。私も念願のソフトクリームを……、うぇっへっへっへっ……」


 次の目的を決めた二人は、近くにいた牛鬼に声を掛け、四つの生乳が入ったバケツを託してから牛小屋を後にする。

 そして、辺りの景色を眺めながら足を進めていく。点々とふれあいコーナーが設けられており、柵に囲われたその中で、豚や羊、馬をブラッシングしている妖怪達が、はしゃぎながら楽しんでいる。


 適当に牧場内を散策していると、『販売所』と記された看板が設置されている薄緑色の建物を見つけ、胸を弾ませながら中へと入っていく。

 様々な香りが入り混じっている店内でも、商品やお土産を物色している妖怪達で溢れ返っていた。


 牛乳やソフトクリームはもちろんの事、シュークリームやプリン、焼きたてのミルクパンなど様々な商品が売られている。

 更に、加工された牛肉、馬肉、豚肉、ラム肉や鶏肉までもが売られており、多種多様な加工製品の品々を見て、体をわなわなと震わせている花梨が、どんどん店の奥へと進んでいった。


「も、盲点だった……。ウィンナーやビーフジャーキー、コーンビーフもあるじゃないか……! 買い溜めして部屋で食べたいなぁ。あ~、でも、ウィンナーは日持ちしないからすぐに食べないと……」


「花梨っ、このうぃ……、うぃんなぁや、びぃふじゃあきぃ? っていう物も、おいしい物なのかしら?」


「もうね、すっごく美味しいよ」


「すごく、おいしい……」


 ゴーニャは、花梨が美味しいと言う食べ物は『食べたら幸せになれる物』と認識し始めており、ウィンナーやビーフジャーキーに目が釘付けになり、まだ味わった事の無い風味を思いえがき、頭の中で食べ始めた。

 着々と花梨化が進んでいるゴーニャが、目の前にあるウィンナーに指を差し「花梨っ、これ食べてみたいっ!」と声を上げ、ヨダレが垂れている小さな口をジュルッと鳴らす。


「ウィンナーか、ゴーニャもこれが気になるんだねぇ。携帯コンロとガスボンベがあるから、茹でて食べられるな。よしっ、帰りに買ってこっか!」


「やった! ありがと花梨っ!」


「私も食べてみたいからねぇ、六袋ぐらいでいいかな? それじゃあ、先にお目当てである牛乳を買おう」


 二人は一旦加工製品売り場を後にし、乳製品売り場にある『牛鬼牧場産、特製牛乳』のラベルが貼られた牛乳瓶を二つ購入し、店の外へと出ていく。

 牛乳瓶の封を開けてゴーニャに手渡し、残りの一本の封も開けると、その様子をじっと見ていたゴーニャが「それじゃあ、飲みましょっ!」と言い、二人同時に腰に手を当てて飲み始める。


 口当たりは良くサラッとしており、スッと喉を通っていく。それにも関わらず、市販で売られている牛乳とは比べ物にならない程に甘さが濃厚で、飲む事を止めず一気に飲み干していった。

 先に一気飲みした花梨が、口周りに白いヒゲを作りながら「ぷっはぁ~っ!」と、気持ちの良い声を上げ、手の甲で口をぬぐった。 


「くぅ~っ! とてつもなく濃厚っ! スーパーで売っている牛乳を何十倍にも凝縮したような濃さよ! う~ん、牧場でしか味わえない甘さだなぁこれは」


「ふぁぁ~、これが牛乳……。すっごくおいひいっ」


 花梨の後を追うように、コクッコクッと喉を鳴らして牛乳を飲み干したゴーニャも、白いヒゲを生やしつつ、うっとり顔をしながら小さなため息をつく。ゴーニャの白いヒゲを見て、花梨が笑いながら話を続ける。


「これが、さっき牛さんから絞った牛乳だよ。……そしてぇ、待ちに待ったソフトクリームを~……! ゴーニャ、ちょっとここで待ってて!」


 そう叫び上げた花梨は、ゴーニャが両手で持っていた空き瓶を奪い去ると、二つの空き瓶を素早く回収箱へと入れ、全速力で販売所の中へと駆けていった。

 その気迫に満ちた表情に圧倒されたゴーニャは、訳の分からぬまま呆然と立ち尽くし、花梨の言う通りにその場でじっと待ち続ける。


 そして数分経つと、満面の笑みで鼻歌を交えつつ販売所から出てきた。両手には螺旋を描いた白い物を持っており、その内の一つをゴーニャに差し出した。


「お待たせゴーニャ、はいこれっ」


「……これは?」


「これはソフトクリームっていう食べ物だよ。いやぁ~、ここのソフトクリーム食べてみたかったんだぁ! 初めて極寒甘味処ごっかんかんみどころに行った時に、雹華ひょうかさんが絶品だって言ってたからさぁ~。もう、楽しみで仕方なかったんだよね〜!」


 花梨の興奮している姿に、このソフトクリームを美味しい物だと認識したゴーニャが、キラキラと輝かせた瞳を花梨に向ける。


「じゃあ、これもおいしい物ねっ!」


「間違いないね~。それじゃあ、いただきまーす!」


「いただきますっ!」


 間食の号令を高らかに叫んだ花梨は、ワクワクしながらソフトクリームに齧りつくと、ゴーニャも真似をするように、先の尖った部分を口の中へと入れ、唇でなぞるように舐め始める。

 口の中に入れると、冷たいソフトクリームが瞬時に溶けていく。牛乳の濃厚な風味と、ねっとりと絡みつくような甘さが一気に口の中に広がり、嬉しい後味を残して喉を通っていく。


 その後味を存分に堪能しつつ、やっとの思いで牛鬼牧場のソフトクリームを食べられた花梨が、力強くガッツポーズをし、同時に目をギュッと瞑る。


「かぁ~っ! バニラビーンズを使っていないのに、この底知れぬ甘さっ! 雹華さんが作ったアイスクリームよりも遥かに美味しいっ……! 雹華さん、ごめんなさいっ!」


 花梨が、ソフトクリームに向かって直角礼で雹華に謝っている中。ゴーニャはにんまりとしながら、無我夢中でソフトクリームをペロペロと舐めていた。

 秋の季節から解放され、春と夏が入り交じった牧場にいる動物達の鳴き声が、いつもより低い場所で流れている雲の中へと吸い込まれ、温泉街に向かって旅立っていった。

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