18話-1、牛鬼牧場へのおつかい

 腹の部分に重苦しさを感じる、朝九時頃。


 夢の中にいた花梨は、我慢できずに地蔵のお供え物を全て食べてしまい、怒り狂った二体の地蔵に追いかけられていた。

 そして体の上に、二体の地蔵が飛び乗ってくると、悲痛なうめき声を上げてじたばたと暴れ、必死になって命乞いを唱え始める。


「ううっ、うっ……。お、お供え物を食べてしまい、申し訳ございませ……、ハッ!?」


 花梨は、命乞いを言い終える前に現実世界に逃れて来て、ひとまずは安堵のため息をつくも、地蔵にのしかかられていた腹の部分に、妙な重さを感じた。

 ま、まさか、地蔵が夢の中から着いてきたんじゃ……? と、想像して恐る恐る目線を、天井から自分の体に移していく。


 すると腹の上には、座敷童子のまとい、更に纏の上にゴーニャがうつ伏せで乗っており、安らかな表情を花梨に向けながら眠っていた。


「な、なんだこの状況は……? まったく動けんぞ……」


 目が覚めてもなお、動けない状況下の中、ちょうど朝食を持ってきていた女天狗のクロも、開口一番に「花梨? なんだ、その状況は?」と、呆然としながら問いかけてきた。

 救いの声とも取れるような、クロの呆れ返っている言葉を耳にした花梨は、助けるを求めるように、クロに向かって震える手を差し伸べる。


「く、クロさーん、助けて~……」


「なんか見てて面白い状況だから、雹華ひょうか呼んでこようか?」


「やめて~……、仕事の手伝いに遅れちゃう~……」


 ニヤニヤと意地悪な言葉を言ったクロは、花梨の上で寝ているゴーニャと纏を、そっとどかしていく。ベッドの上に横たわらせると、二人の体をポンポンと優しく叩き、ゆっくりと起こしていく。

 心地よく起こされた二人は、目を瞑りながら同時にのそっと起き上がり、同時に大きなあくびをし、纏は左目を、ゴーニャは右目を擦った。


 しかし、深い睡魔に取り込まれたゴーニャが、隣にいた纏に寄りかかりながら倒れ込む。反射的に花梨の体だと思ったのか、纏の体をギュッと抱きしめると、そのまま再び眠りへとついていった。

 巻き込まれて一緒に倒れた纏も、ゴーニャの温もりを感じつつ睡魔を移され、重いまぶたを閉じて寝息を立て始める。


 その一部始終を見ていた花梨が、心をキュンとさせながら口を開いた。


「カワイイなぁ、もうっ……。ゴーニャも私みたいに、朝が弱いみたいだなぁ」


「こりゃあ、今まで以上に張り切らないとな。楽しみが増えてなによりだ」


「お、お手柔らかにお願いします……」


「お前達次第だな、朝食をテーブルの上に置いといたぞ。纏も来るだろうと思って三人分用意しといたから、仲良く食えよ」


「あっ、ありがとうございます!」


 そう要件を伝えたクロは、手を振りながら部屋を後にした。手を振り返して見送った花梨は、体を伸ばしてから再び眠りについた二人を起こし、身支度を始める。

 私服に着替えた後、花梨とゴーニャが仲良く歯を磨いている中、纏が手に持っている歯ブラシをしかめっ面で睨みつけ、その歯ブラシを花梨に差し出した。


「花梨、私は歯磨きしなくても大丈夫」


 纏の発言を耳にしたゴーニャが、ニヤニヤしながらここぞとばかりに「あれぇ~? 纏っ、歯磨きができないの? 私は、ちゃーんと出来るけどねっ」と、挑発し、歯磨きしている姿を見せつけてきた。

 その姿を見た纏は、心のどこかで完全に負けたような悔しさがこみ上げてきて、眉間に深いシワを寄せながら歯ブラシを口に入れる。


「ぐぬぬ、ゴーニャが出来るなら私も……、おえっ」


 顔を歪めてえずいている纏が、敗北感と悔しさを糧にして歯磨きを終えると、三人一緒になってテーブルの前に腰を下ろし、朝食に目を向けた。

 ふっくらとしている二枚の食パン。中央にちょんと添えられている、刻みパセリが目立っているコーンスープ。締めのデザートにと、みずみずしい紫色のグレープゼリーが三人分並んでいる。


「ザ・朝食みたいなラインナップだなぁ、美味しそうだ。それじゃあ、いただきまーす!」


「いただきますっ!」

「いただきます」


 花梨が元気よく朝食の号令を唱えると、ゴーニャと纏も後を追うように唱え、いつもより明るく楽しい朝食が幕を開けた。

 にんまりとしながら食パンを手に取り、真ん中から半分に綺麗に裂くと、ゴーニャも真似をして不格好に裂き、白い部分を小さな口の中へと入れる。


 ゆっくりと咀嚼そしゃくをすると、小麦粉のじんわりとした甘さが、口の中に広がっていくと共に、ふんわりとした食パンが溶けるようにスッと消えていく。

 初めての味と食感に感動したゴーニャは、もう一度食パンを大きく齧って風味を楽しみ、ゴクンと飲み込んでから口を開いた。


「おいひいっ! この白くて四角いの、ふわふわしててとっても甘いわっ!」


「よかったね、それは食パンって言うんだ。その黄色いコーンスープに浸してから食べると、もっと美味しくなるよ」


 花梨の説明を聞き、目を輝かせたゴーニャは、早速説明通りに食べると「ん~っ……!」と、感動の雄たけびを上げた。

 そこから夢中になり、食パンをコーンスープに浸して食べ続けていると、横目で覗いていた纏もこっそりと真似をして食べ「おいしい」と、満足そうな表情で声を漏らす。


 あっという間に、食パンとコーンスープを食べ終えたゴーニャは、残っているグレープゼリーを指で突っつき、プルプルと震えている様をじっと睨みつけた。


「な、なにこれ……、ぷるんぷるんしてるわっ」


「それはゼリーだね。柔らかいから、チュルンッって食べられるよ」


「ゼリー……。と、とりあえず食べてみよっと」


 ゼリーにおののいているゴーニャは、恐る恐るスプーンですくって口の中に運ぶと、すぐに表情が明るくなり「本当だわっ! すっごく柔らかくておいひいっ」と、にんまりとしながら警戒心を解き、ゼリーを食べ進めていった。

 その横で、先にゼリーを食べ終えた纏が「ふうっ、ごちそうさまでした」と、手を合わせて静かに言うと、まだ眠たそうにしている目を花梨に向ける。


「花梨、今日は仕事?」


「そうですねぇ。またしばらく、纏姉さんとは遊べないかもです……」


「むう、残念。また夜来るね、ばいばい」


 寂しそうに纏がそう言うと、今日は窓からではなく扉の方へと向かい、花梨に向かって手を振りながら部屋を後にした。

 その頃には、ゴーニャもゼリーを完食しており、纏を見送った花梨が食器類を重ねると、リュックサックの中に剛力酒ごうりきしゅを入れ、ゴーニャと手を繋ぎながら部屋を出て、支配人室へと向かっていく。


 既に、キセルの煙が充満している支配人室に入ると、椅子に座って一切れの紙を見ていたぬらりひょんが、花梨達に目を向けてから口を開いた。


「来たな二人共。ゴーニャよ、昨日はよく眠れたか?」


「うんっ、ぐっすり眠れたわっ」


「そうかそうか、そりゃよかった。んでだ、花梨よ。今日は『牛鬼牧場うしおにぼくじょう』におつかいに行ってもらう」


「おっ、とうとう来ましたね牛鬼牧場! かつて雹華さんが言っていたソフトクリームを、やっと食べられるっ!」


 牛鬼牧場というワードを耳にした花梨は、瞬間的に頭の中が、莫大な量のソフトクリームに支配される。

 そして、頭の中で思いえがいた山のようなソフトクリームを、「へっへへへっ……」と、不気味な声を発しつつ食べ始めた。


 ヨダレを垂らし、にんまりとしている花梨を見て、呆れたぬらりひょんがゴホンと大きく咳払いをし、キセルの白い煙をふかした。


「まあ、今回は仕事と言うよりも、遊びと言った方が正しいな。ゴーニャと一緒になって、牧場体験をしてくるがいい。ただし、本来の目的であるおつかいを忘れるなよ? ほれ、必要な食材が書いてあるメモだ」


 不意に現実世界へと引き戻された花梨が、ぬらりひょんから小さなメモを受け取り、書かれている内容を見てみると





 牛:十頭 馬:十頭 羊:十頭 豚:三十匹 鳥:百羽





 と、簡素な内容ながらも、単位に多大なる違和感を覚え、「……へっ?」と、呆気に取られた声を漏らし、丸くした目をぬらりひょんへと向ける。


「ぬ、ぬらりひょん様? これらを生きたまま引き連れてくるんですか……?」


「阿呆、加工済みの肉だ。部位の名称を細かく書いたら、えらい事になるからそう書いたんだ。明日『気高き暴食連合』と言う無類の肉好きの団体が、ここ永秋えいしゅうに来て宴会を開くんだ。前よりも大きいリヤカーをクロに用意させてあるから、よろしく頼むぞ」


「さ、三トンリヤカーよりも大きなリヤカー……? 人間の姿で引けるといいけど……。仕方ない。ゴーニャ、行くよ」


 イヤな予感しかしていない花梨は、メモを無くさないようにリュックサックに入れると、ゴーニャと手を繋いで支配人室を後にする。

 一階まで下りて永秋の入口まで来ると、一人暮らしをするには、充分過ぎるほどの広さがある巨大なリヤカーが、待ちわびているように置かれていた。


 たたみ十二畳じゅうにじょう分はあろうリヤカーを目撃した花梨は、口をヒクつかせ「でけえ、でけえって……。私のアパートの部屋より広いじゃんか……」と、文句を垂らす。

 話はちゃんと聞いていたが、状況をまったく把握していなかったゴーニャが、首をかしげて花梨のジーパンをグイッと引っ張った。


「ねえ花梨っ、これからどこかに行くのかしら?」


「そうだよ。今日は牛鬼牧場って言う所に行って、とある食材をここまで運んでくるんだ。向こうに着いたら、美味しい物が食べられるかもしれないよ」


「おいしい物っ……、楽しみだわっ!」


「だねぇ~。それじゃあ、リヤカーに乗せてあげるから抱っこするね」


 そう言った花梨は、一人ではリヤカーに乗れないであろうゴーニャを、優しく抱き上げてそっとリヤカーに下ろした。

 リヤカーからひょっこりと頭だけ出し、両手でふちを掴んだゴーニャが、キョトンとしながら話を続ける。


「私は、こうしていればいいのかしら?」


「うん、そっちの方が楽でしょ? それじゃあ行きますか~」


 そう言いながらも、リヤカーが引けるか内心不安に思っていた花梨が、前ハンドルを握って持ち上げると、予想していたよりも遥かに軽く「おっ、これなら楽に行けそうだ」っと、機嫌を良くする。

 そして、巨大なリヤカーを引いて大通りの道を狭めつつ、木霊農園の先にある牛鬼牧場を目指して歩き始めた。

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