16話-2、世界で唯一、少女を救える人間の言葉

 体を小さく震わせて、目に涙を浮かべつつ自分の過去を語り尽くしたゴーニャは、うつむきながら口を開いた。


「こっ、これが……、私の過去と……、メリーさんと、よっ、呼ばれるのが……、イヤな、理由よ……」


「…………」


 事の発端を犯した花梨は、黙ってゴーニャの思いがけない過去の話を聞いていたが、かける言葉が一切見当たらず、上目でチラチラとゴーニャの姿を見て、静かにこうべを垂れる。

 それから会話は無く、気まずくて重苦しい静寂が続いていると、ゴーニャが再び息を荒げ、小刻みに震えている体をギュッと抱きしめた。


 その姿を見た花梨はハッとし、慌てて頭を上げ、静寂を破るように口を開く。


「ごめん、ゴーニャ……。私が、うっかり口を滑らせたばっかりに、話したくもない過去の話をさせちゃって……」


「か、花梨のせいじゃ……、ないわっ。それに、いつかは話さそうと思って……、あっ……」


 ゴーニャも俯いてた顔を上げ、花梨に目を合わせた瞬間、なんとか動かせていた口が完全に止まる。そしてその口に、体の震えが移ったかのようにガタガタと震わせ始めた。

 顔がみるみる内に青ざめていき、何かに怯え始めたゴーニャを見て、花梨が心配に思いながら話を続ける。


「ゴーニャ? どうしたの急に? 顔色がどんどん悪くなって―――」


「……い、イヤッ!」


「えっ?」


「こ、怖いっ……、見ないで……。私の事を、見ないでっ!!」


「―――ッ!?」


 ゴーニャの震えている口から飛び出した、「見ないで」という拒絶の言葉は、目の前にいる花梨に向けられて放たれた言葉だった。

 その言葉は、花梨の耳に入る前に鋭い刃物へと姿を変え、酷く動揺している花梨の心に突き刺さると、暴力的にメッタ刺しを始める。


 左胸がズキズキと傷んでいる中、花梨は、私の、せいだ……。口を滑らせたばっかりに、ゴーニャのトラウマを掘り返しちゃったんだ……。

 何も悪い事をしてないのに、あんな辛い仕打ちに耐え抜いて、勇気を振り絞って、やっと私の所に来れたっていうのに……。

 私は、ゴーニャにトドメを刺すような事をしちゃったんだ……。ああ、過去に戻れるのであれば、数十分前の自分を思いっきり引っ叩いてやりたい……。


 と、奥歯を食いしばり、痛みが増していく左胸を強く握り締め、底無しの自己嫌悪におちいる。


 更に花梨は、私は今、ゴーニャに一人の人間として、恐怖の対象として見られている……。そんなのは嫌だなぁ……。

 さっきまで、あんなに楽しく会話をしてくれていたのに、美味しい物を食べるたびに、微笑みながら私に報告してくれていたのに……。今は、あんな怯えた表情で睨まている……。

 私は、ゴーニャを救ってあげたい……。いやっ、救ってあげなくちゃいけないんだ! この私が、ゴーニャにとって最後の希望なんだ! ゴーニャを救える人間は、この世に私しかいないんだ!! まずは、この状況をどうにかしないと……。


 と、心を切り刻んでいる刃物を、跳ね除けながら固く決心し、ゴーニャに目を合わせず、こうべを垂れたまま口を開いた。


「ごめんゴーニャ……。本当にごめんよ……」


「…………」


「でも、これだけは聞いてほしいんだ。私は、ゴーニャを心の底から救ってあげたいと思っている。だから、私の事を怖がらないで―――」


「……嘘よ」


「う、嘘っ……?」


「花梨もきっと心の中で……、私の事をイヤがってたり、怖がってたりしてるんでしょ? そうよ、そうに違いないわっ!」


 ゴーニャが振りかざした言葉の刃が、再び傷を負っている花梨の心に斬りかかる。顔を悲痛に歪めた花梨は、致命傷に近い傷を負った心を鷲掴み、唇を震わせながら話を続ける。


「私は、そんな酷い事……、微塵も思ってないよ……? 本当だよ? お願い、信じてっ!」


「そ、そんなこと言ってっ! 花梨も、私の姿を見て怯えているに決まってるわっ! そのうち「化け物!」とか、「殺される!」とか言って、どっかに逃げていっちゃうんでしょ!?」


「わ、私は! 絶対にそんな事は言わない! ゴーニャから絶対に逃げ出したりなんかしない!! これっぽっちも怯えてなんかいないっ!! だから、私の事も……、怖がらないで……」


「うっ……」


 疑心暗鬼でいるゴーニャは、花梨という人間から初めて言われた言葉の数々に対し、黒く冷えた心を熱く打たれていき、トラウマに囚われている全身の震えが徐々に収まっていく。

 しかし、深く根付いている人間への恐怖心が、まだ頭全体を覆うように蝕んでいた。花梨の言っている事は心では分かっているが、既に乖離かいりしている頭が、その言葉を拒絶して頑なに否定していた。


 だんだんと目頭を熱くさせていっているゴーニャが、鼻をすすってから否定を続ける。


「でも、私は人間じゃない……、化け物なの。メリーさんっていう、妖怪なのよ? 怖くないなんて、絶対にありえないわっ!」


「……化け物だからなに? 妖怪だから、なに? そんなもの、私には関係ない! 私の中では、君はゴーニャ。メリーさんなんかじゃない、人間の、ゴーニャだよ」


「……わ、私が、にん、げん?」


「そうだよ、ゴーニャ。これから人間として生きていけばいいじゃんか。今からでも遅くないよ?」


 化け物や妖怪ではなく“人間”と言ってくれた花梨の目は、一点の曇りも無くて力強く、怯えた様子や恐怖心に駆られている様子はまったくない。

 自分が何よりも願っていた言葉を耳にすると、ゴーニャの視界が溢れていく涙で徐々に歪んでいき、熱く霞んでいった。その涙を袖でぬぐうも、拭った以上に溢れ出し、ついには頬を伝い始める。


「でも、でもっ! 今はゴーニャだとしても、この温泉街から去ったら私は、ゴーニャっていう人間じゃなくなっちゃうの! また、メリーさんっていう化け物に……、戻っちゃうのよっ!?」


「何を言ってるの? ゴーニャはもう、私の部屋の住人だよ? もう、あんな酷くて辛い思いをしなくても、いいんだよ?」


「うっ……!」


 花梨の優しく包み込んでくれるような言葉が、ゴーニャの涙の量を、際限なく増やしていく。拭っても拭ってもその涙は収まる事なく、どんどん溢れ出していった。

 そしてゴーニャは、凍てつく恐怖心ではなく、別の温かな思いで体と声を震わせ、顔を涙でぐちゃぐちゃにさせながら話を続ける。


「で、でもぉ……。花梨は、こんな私がずっとそばにいるなんて、イヤ、でしょ……?」


 自らの存在を否定するゴーニャの言葉に対し、花梨は目に涙を浮かべつつ首を左右に振り、ゴーニャに温かな笑みを送る。


「そんな事ないよ、大歓迎さ。ゴーニャ、一緒にあの部屋に住もう。……ねっ?」


「いいのっ!? ……あっ、う、嘘よっ……。……グスッ」


 一瞬だけゴーニャは笑顔を取り戻すも、頭の片隅に微かだけ残っているトラウマが、その無垢な笑顔を奪い去り、表情を濁していく。

 椅子に座っていたゴーニャは、席から崩れるように下り、大粒の涙を流しながら花梨の元へと歩み寄っていった。


 そして、別の思いで震えている両手で、花梨のジーパンをギュッと握りしめ、その腕を涙で濡らしつつ花梨の顔に目を向ける。


「……花梨っ。いま言った言葉に、嘘偽りが無かったら……、「うん」って言って……、うなずいて……、お願いっ……」


 ゴーニャの震える声でお願いをされた花梨は、しっかりと応えるように微笑みながら頷き、優しい声でハッキリ「うんっ」と、答えた。


「……ほ、ほんとだよっ? 花梨っ、絶対に……、絶対だからねっ!? 約束だよぉ……?」


 右目から涙を頬に伝わせた花梨は、目の前にいるゴーニャの小さな体を強く抱きしめると、左目からも涙が溢れ出し、ゴーニャの服を涙で湿らせていった。


「うん。絶対に、絶対に約束する……!」


「うっ……ううっ、うわぁぁぁああんっ!!」


 ゴーニャは花梨の温かな懐で、頭に残っていた人間への恐怖心を大粒の涙へと変え、忘れ去るように目から流していく。

 そして大声で「花梨っ、花梨っ! ……花梨っ!」と、何度も嬉しそうに名前を叫びに、花梨もそれに応えるように小さな声で「うんっ、うんっ、……うんっ!」と、何度も頷き、ゴーニャに悟られぬよう涙を流した。


 店の中で終始様子を伺っていた雹華が、「……落ち着いたら、お祝いにとっておきのケーキでもご馳走してあげようかしらね……」と呟きながら、目に浮かんでいる涙をそっと拭い、笑みを浮かべる。

 人間にも妖怪にも、なれなかった少女の願いの片方は、最後の希望である人間によって叶えられ、何者でもなかった者は人間になる道を選び、歩み始めていった。

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