14話-4、泣き虫で甘えん坊な同居人

「違う違う。箸の持ち方は、こう」


「こ、こう?」


「そうそう。こうやって食べ物を箸で掴んで、口まで運ぶんだよ」


 何も知らないメリーさんの世話係になった花梨は、早速メリーさんに、ご飯の食べ方の指導を始める。

 箸の持ち方、熱い物には息を吹きかけて冷ます事、そして、麺のすすり方などを親が我が子に教えるように、分かりやすくかつ丁寧に、メリーさんが覚えるまで優しく教えていった。


 今日の夜飯は味噌煮込みうどんで、長時間煮込まれて味が染み込んでいる、いちょう切りされた大根やニンジン。

 大きめに斜め切りされているネギや、薄切りにされているゴボウ。多めのワカメと半熟を保っている卵などが乗っている。


 備え付けに七味唐辛子と、うどんを冷まさせるようにと別皿。そしてレンゲがある。大体の事を教えた花梨が、うどんと具材を別皿に盛り、メリーさんの前に差し出した。


「さっき言ったように熱いから、フーフーって、息を吹きかけて冷ましてから食べるんだよ。それじゃあ、いただきまーす」


「い、いただきますっ。……フーフー」


 花梨に習って夜飯の号令を唱えたメリーさんは、花梨に言われた通りにちゃんと箸を持つと、別皿に盛られたうどんを掴んでから持ち上げ、息を数回吹きかけてギクシャクしながらも口の中へと入れる。

 その光景を微笑みながら見ていた花梨が「口に入れたら、よく噛んでから飲み込むんだよ」と説明し、メリーさんは小さな口をモグモグと動かし、初めてのうどんを噛み締めた。


 噛むたびにうどんから染み出してくる、濃厚でガッシリとした味噌の風味が口の中に広がっていくと、最初はちゃんと元気よく動いていた口が、だんだんとゆっくりになっていく。

 コクンと飲み込むと「ほぉっ……」と小さくため息をつき、初めて風呂に浸かった時よりも、とろけるようなうっとり顔へと変わっていった。


「ふふっ、またそんな顔をしちゃって。どう、美味しい? ……あっ、分からないか。食べ物を食べた時に幸せだと感じたら、『美味しい』って言うんだよ」


「……うん、おいしいっ!」


「そっか、よかった。どんどん食べてね」


「うん、うんっ!」


 そこからメリーさんは、無我夢中で味噌煮込みうどんを食べ始める。ニンジンを食べれば「おいしいっ!」と花梨に笑顔で報告し、大根を食べても「おいしいっ!」と言いながら微笑んだ。

 ワカメも卵もネギも、口に入れるたびに「おいしいっ、……おいしい」と、花梨に報告を続けるも、だんだんと声が弱々しくなっていき、最後には箸をテーブルの上に置いて黙り込んでしまった。


 そして、メリーさんからすすり泣くような声が聞こえてきて、「んっ?」と反応した花梨が口を開く。


「急にどうしたの? 口に合わなかった物でもあった?」


「グスッ……、違うのっ。こんなにおいしい物を食べたのも、私の事をこんなに優しくしてくれる人間に出会えたのも初めてで……、嬉しくなっちゃって……」


 その言葉を聞いた花梨は、まだ素性も何も知らないメリーさんの過去についてだんだんと気になり始め、「あの」と、思わず言葉を出しかける。

 が、本当に嬉しそうに泣いているメリーさんを見ると、その事について今聞くのは野暮だと思い、喉から出かけていた言葉をゴクンと飲み込んだ。


 そして、慰めるようにメリーさんの頭をそっと撫でると、何か良い案が思いついたのか花梨が「あっ!」と、声を上げた。


「そうだ! 美味しい物が食べられるお店があるんだけど、明日行ってみない?」


「ヒック……、おいしい物っ?」


「そう、とろけるような濃厚な甘さ、ふわっとした柔らかい感触……。もう、やみつきになっちゃうかもよ?」


「あまさ……? それも、おいしいの?」


「うん! 君の顔も一緒になって、トロットロにとろけちゃうんじゃないかな~って、ぐらい美味しいよ」


「……た、食べてみたいわっ!」


「よーし、そうと決まれば! 明日は、極寒甘味処ごっかんかんみどころに行こう!」


 休日である明日の予定が決まると、泣き止んだメリーさんと共に、笑みを浮かべながら味噌煮込みうどんを食べ進めていった。

 二人で一緒にスープまで飲み干すと、至福のため息を天井に向かって吐いた花梨が、同じく満足そうな表情をしているメリーさんに目を向ける。


「はあ~、美味しかったねぇ。食べ終わったら、こうやって手を合わせて「ごちそうさまでした」って言うんだよ」


「ご、ごちそうさまでしたっ」


「よし、それじゃあ食器類を返却しに行こっか」


 そう言った花梨は食器類をまとめ、一階にある食事処の返却口に返す事をメリーさんに説明し、自分達の部屋へと戻っていく。

 まだ夜飯の匂いが残っている部屋に戻ると、花梨がニヤニヤしながらカバンを漁り始め、替えの歯ブラシを手に取って再び説明を始める。


「この部屋で暮らすのであれば、必ずやってもらう事が一つあります!」


「な、なによ?」


「ふっふっふっ、それは歯磨き! 朝は起きてから、夜はご飯を食べてからの一回ずつやってもらいます!」


「はみがき……?」


 ニヤつきが増している花梨は、替えの歯ブラシを一度洗ってから歯磨き粉を付け、キョトンとしているメリーさんに手渡した。そのまま花梨も歯磨きをしながら説明を続ける。


「こうやって、奥歯からシャカシャカと優しく磨いていくんだよ。ちゃんと全部の歯を磨いてね」


「こ、こうかしら? ……おえっ」


 やはり、怪異のたぐいや妖怪には人間用の歯磨き粉が合わないのか、メリーさんも苦い顔をしながらえずいてしまう。

 眉間に小さなシワを寄せて「花梨っ、私これ嫌い……」と、ダダをこねるも、花梨がすかさず言葉を返す。


「嫌いでもやるの。……そういや、妖怪用の歯磨き粉とかってあるのか? 手が空いてる時にぬらりひょん様に聞いてみよっと」


「ううっ、うっ……、おえぇ〜……」


 言われた事を聞くしかないメリーさんは、何度もえずき、半べそになりながらも全ての歯を磨き終え、口ををゆすいで拷問とも言える歯磨きを終える。

 花梨も後を追って口をゆすいでいると、大きなあくびをしているメリーさんが、花梨のパジャマを引っ張った。


「ねえ、花梨っ……。眠くなってきちゃった……」


「んっ、じゃあ特にやる事もないし寝ようか。日記は……、明日まとめて書いちゃおっかな」


 口をゆすぎ終わった花梨は、寝ほげまなこを擦っているメリーさんと共にベッドに向かい、布団に潜り込んでからお互いに顔を見合わせた。

 顔を、掛け布団で半分近く覆い隠し、もじもじとしながらメリーさんが口を開く。


「花梨っ……」


「んっ、どうしたの?」


「その、もっと……、近づいても、いいかしら?」


「うん、いいよ」


 そう花梨から許可を得ると、少しずつ体をスライドさせて花梨の胸元まで近づいていき、ほぼ体を密接させるとメリーさんが話を続ける。


「……花梨の事、ギュッてしても……、いいかしら?」


「ええっ、あ、甘えん坊さんだなぁ。私の体でいいなら、別にいいよ」


「やったっ!」


 少々戸惑っている花梨がそう言うと、胸の鼓動を高まらせつつ花梨の体にギュッと抱きつき、そのまま顔を深くうずめた。

 甘えるように何度も頬ずりをした後、微笑んで見ていた花梨に目を向ける。


「花梨の体、とってもあったかい。これが人間の温もり……。初めて感じたわっ」


「温かい? ふふっ、よかったね。それじゃあおやすみ」


「おや、すみ……、花梨っ」


 既にうとうととしていたメリーさんは、「おやすみ」と言ってからものの数秒で眠りに落ち、静かに寝息を立て始める。

 その表情はとても穏やかで、安心し切って眠っている無垢な赤ん坊のようだった。







 ―――――同時刻、支配人室。


 クロを支配人室に招いたぬらりひょんは、自分が知っている限りのメリーさんの情報を全て、何も知らないクロに説明をしていた。

 ぬらりひょんが説明を終えてキセルの煙をふかすと、その煙を吹き返すようにクロが、神妙な面持ちで重いため息をつく。


「あの子に、そんな事があったなんて……」


「あやつが話していた事だから、全てが真実かどうかは分からんがな」


「そんな酷い精神状態で、嘘がつけるとはとても思えませんがね」


 ぬらりひょんは、コクンと静かにうなずいてから話を続ける。


「まあな。そういう事だ、あやつには優しく接してやってくれ」


「分かりました。それじゃあ、私は仕事に戻ります」


 そう言ってりんとした表情に戻ったクロは、軽く会釈してから支配人室を後にする。

 一人部屋に残されたぬらりひょんは、座っていた椅子を背後にある窓の方へと回転させ、夜空で黒く染まっている窓に向かい、白いキセルの煙を吐いた。


「生まれた瞬間から身近に頼れる者もいなければ、周りにいる全ての人間は恐怖の対象、か。なかなか辛いものだな……」


 ぬらりひょんの独り言と、椅子の軋む音が部屋内に反響し、消えゆくキセルの煙と共に混じり合い、静寂の中に溶け込んでいった。

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