14話-3、同居人は、名無しのメリーさん

 しばらく経つと花梨は、放置しているとお湯が冷めるまで浸かり続けていそうなメリーさんを、のぼせる前に浴槽から引き揚げ、濡れている体をタオルで丹念に拭いていく。

 脱衣場に備えられているドライヤーで長い髪を丁寧に乾かし、服は自分で着てもらおうと指示を出そうとしたが、メリーさんは依然としてうっとりとした表情をしており、意識はまだ別世界に居座っていた。


 「仕方ない……」と、鼻でため息をついた花梨は、多少の言うことは聞いてくれる大きな人形のドレスを、右往左往しながら着せていく。

 ドレスを着せ終わり、メリーさんの背中を押しながら部屋へと戻ると、花梨は困り顔をしながらも笑みを浮かべる。


「どうだった、初めてのお風呂は?」


「……きもちよひゃっひゃ……」


「ふふっ、若干意識がまだ戻ってきてないようだねぇ。気持ちよかったか、そりゃよかった」


 メリーさんの頭から昇っているポカポカとした湯気が、窓から入り込んでくる涼しい秋の夜風でゆっくりと流れていく。

 そして、芯まで温まった体が冷めてきたのか、意識がだんだんと戻ってきたメリーさんが、「ハッ!?」と声を上げ、辺りをキョロキョロと見渡すと、背後にいた微笑んでいる花梨に向かって口を開いた。


「私、お風呂に入っていたんじゃ……?」


「おっ、ようやく意識が戻ってきたか。おかえり」


「ただい……、えっ?」


 まだ半覚醒の意識の中、首を小さくかしげると、気持ちを落ち着かせるように頭の整理を始めた。そして、頭の整理が終わると、浴室で花梨から学んだことを復習するように口に出す。


「体をシャワーで濡らすっ。次に、頭をシャンプーとコンデソナーの順番で洗う!」


 その復習を聞いていた花梨は、苦笑いしながら「違うよ、コンディショナーね」と間違いを指摘すると、メリーさんが頬を赤らめながら復習を続ける。


「こ、こんでぃしょうなぁー……、で、洗う。で、体を全部洗う。最後に温かいお風呂に入るっ。どうかしらっ!?」


「ふふっ。まあ、よしとしよう」


「ふっふーん、完璧ねっ」


 教授をしてくれた花梨から合格を貰ったメリーさんは、腰に手を当て、得意げな表情をしながら鼻をフンッと可愛く鳴らした。

 すると、背中に涼しい風が当たるの感じ、トコトコとベッドに駆け寄ってからよじ登り、小さな手で窓のふちを掴みつつ、温かな提灯の光に包み込まている温泉街の景色を、夜風に当たりながら眺め始める。


 異形な姿をした者達が歩いているのに対し、それに似つかない落ち着いた街並み。ふと夜空を見上げれば、様々な色をした星々が躍り明かしている天然のプラネタリウム。

 辺りを見渡してみれば、欠けた月に照らされながら眠りについている紅葉とした山々。その景色達を黄昏て眺めていたメリーさんが、ベッドに腰を掛けている花梨に目を向けた。 


「ねえ、あんた。なんでこんなヘンテコリンな場所で住んでるの?」


「んっ? まあ、色々とワケがあってねぇ。でも、ここはヘンテコリンな場所じゃないよ。ここは妖怪の理想郷と言われているあやかし温泉街、秋国っていう名前で、とっても良い場所さ。人間は私だけしかいないんだけどもね。みんな優しくて、温かな心を持っていて、とっても面白くて……、ずっとここに居たいなぁ」


「ふーん……。妖怪の理想郷、ねえ」


 その言葉を反芻するように呟いたメリーさんは、再び窓から見える景色を眺め始める。


 そのまま何かを考え込むようにこうべがだんだんと下がっていき、窓のふちを掴んでいた手にギュッと力が入り込んでいく。

 そして、「言うのよ、言うのよ私……」とブツブツと小言を漏らしたかと思うと、意を決したのか下げていた頭をバッと上げ、真剣な表情と眼差しを花梨へと向ける。


「あ、あのっ! お願いが、あるんだけども……」


 急に態度が改まったメリーさんに、花梨は「んっ、なに? どうしたの?」と、キョトンとしながら言葉を返す。

 その問いかけにメリーさんは、両手でロリータドレスをギュッと握りしめて黙り込むも、大きく深呼吸をしてから口を開いた。


「私を……、この部屋に住まわせてほしいのっ!」


「……えっ? え〜っと……、この部屋に、住みたいってこと?」


「そうっ! 迷惑もかけないし、なんでもするからっ! お願いっ!」


「んんっ、ん~っ……」


「だ、ダメッ……?」


「いやっ、私は別に構わないんだけども、まいったなぁ……。私もこの部屋に住まわせてもらっている身だから、そういった決定権が無いんだよねぇ……」


「そ、そんなぁ……」


 困り果てた花梨は、そこから次の言葉が出ないまま無言で頬をポリポリと掻いていると、扉の奥から待っていましたと言わんばかりに「話は聞かせてもらったぁ!」という叫び声と共に、扉が勢いよく激しい音を立たせながら開いた。

 すると、その扉からニヤニヤしているぬらりひょんと、両手に出来立ての料理が乗ったお盆を持っている女天狗のクロが、花梨の部屋へと入り込んできた。


 昼頃に続き、その音と声に驚いた花梨が、再び体を大きく波立たせてからバッと扉に目を向ける。


「だからっ! ビックリするから、いきなり入ってこないで下さいよ!」


「ふっふっふっ、細かいことは気にするでない」


 花梨の文句を軽く聞き流したぬらりひょんの姿を見たメリーさんが、「あっ!」と驚愕するように声を漏らし、ぬらりひょんに向かって指を差した。


「あんたは、あの時の! なんでこんな所にいるのよっ!?」


「おお、お前さんよ、久しぶりだな。当たり前だ、ワシはここの支配人だぞ? 居て当然のことだ」


「しはい、にん……?」


「この建物で一番偉い人物の事だ。それでだ、お前さんはあの後、どこに逃げていったんだ?」


 ぬらりひょんが質問を投げかけると、それを聞いたメリーさんは表情を暗くしてこうべを垂れる。


「……山奥」


「なるほど、山奥か。そりゃあいくら探しても見つからんワケだ。でだ、花梨よ。あやつはああ言っとるが、お前さんの意見はどうだ?」


「私、ですか? さっきも言ったように、私も住まわせてもらっている身なので……、なんとも言えません」


 花梨のうやむやな返答に対し、ぬらりひょんは手で顎を擦りながら「ふむ」と声を漏らし、話を続ける。


「質問を変えよう。この部屋に、あやつを住まわせてやってもいいのか、住まわせたくないのか。どっちなんだ?」


「えっと、私は全然構わないですよ」


 それを聞いたぬらりひょんは、「うむ」と呟きながらコクンとうなずき、メリーさんに目を向けてから優しく微笑んだ。


「そう言うことだお前さんよ。今日から、この部屋に住むがいい。ワシが許そう」


「えっ、いいのっ? 本当にいいのっ!?」


「ああ、もちろんだとも。実はあの時、お前さんをこの温泉街に招き入れようと思って誘おうとしていたんだが……。お前さん、自分の姿が見える人間に怯えて逃げてしまっただろう? 相当参っていたようだな」


「あの時は……。そうね、そうだわっ……」


 そのぬらりひょんの言葉で何かを思い出したのか、メリーさんは再びこうべを垂れ、着ているロリータドレスをギュッと握りしめる。

 心境を察したぬらりひょんは、これ以上当時の事を掘り返すのを止めにし、誤魔化すように咳払いをしてから口を開いた。


「まあ、なにはともあれここに来れたんだ。よしとしておこう。花梨よ、こやつはかなりの世間知らずだ。色々と教えてやってくれ」


「あっ、はい。分かりました」


 ぬらりひょんが簡潔にメリーさんの事を説明をすると、花梨はうつむいているメリーさんの前まで歩み寄り、そっとしゃがみ込んだ。


「なんか……、色々とワケありみたいだけども、これからよろしくね。私は、秋風 花梨っていう名前だけど、君の名前は?」


「……私、名前が無いの」


「そうなんだ……。じゃあ、メリーさんって呼んでもいいかな?」


 その単語を耳にしたメリーさんは、「ヒッ!?」と臆した声を発したかと思うと、みるみる顔が青ざめていき、逃げるように半歩後ずさりをした。

 酷く怯えた表情をしており、小さな体は小刻みに震えていて、今にも泣きだしそうな目を花梨に向ける。


「い、イヤッ! その名前だけは絶対にイヤッ! ……本当にイヤなの」


「あ~……、そう。じゃあ、どうしよっかなぁ……」


 それから二人の会話がピタリと止まり、部屋内に夜飯の匂いが混じった静寂が訪れる。

 花梨がこれから、メリーさんの事をどう呼ぶか腕を組みながら考えている中、メリーさんが何かを思いついたのか、「あっ……!」と声を上げ、下げていた頭をバッと上げた。


「そうだ、花梨っ! あんたが私に名前を付けてちょうだい!」


「……へっ? 私が付けるの!?」


「そうよ! 花梨が付けてくれた名前なら、なんでも受け入れるわっ!」


「えぇ~っ……、本当にいいの? 私、絶望的にネーミングセンスが無いよ?」


「それでも構わないわっ!」


 突然メリーさんの名付け親に抜擢された花梨は、これ以上に無いほどに表情を歪ませると、脳がオーバーヒートを起こさんばかりにフル回転させ、メリーさんの名前を絞り出そうとし始める。

 限界まで凝縮させた苦渋を口にしたような表情へと変わると、「んん~っ……!!」と、苦しみを含んだ唸り声を上げ、呼吸をする事すら忘れていたのか、不意に「プハッ!」と口を開き、脱力しながら深呼吸を始めた。


「ハアハアハア……。だ、ダメだ。ごめん、明日でも、いい……?」


「いつでもいいわよ! ずっと待ってるわっ!」


「そ、そっか……。じゃあ~、明日までには考えておくね」


 苦渋から解放された花梨が会話を終わらせると、その光景をずっと見守っていたぬらりひょんが、鼻で笑ってから話に加わる。


「花梨よ、そやつの名前が決まったらワシにも教えてくれ。それじゃあお前さん達よ、腹がへっただろう? 夜飯を用意してあるから食うといい」


 ぬらりひょんが場を締めるようにそう言うと、終始黙っていたクロが両手に持っていた料理を、テーブルの上にそっと置いた。

 料理はこの流れを想定していたかように二人分あり、出来立てだと知らせる白い湯気が立ち昇っている。


 初めて料理を目の当たりにしてキョトンとしたメリーさんが、首を傾げながら口を開いた。


「よる、めし?」


「えっ? 夜飯も知らないの?」


「うん、ずっと一人だったから……」


「なるほどねぇ、分かった。手取り足取り私が全部教えてあげるから、覚悟しなさいね」


「……ありがとっ。よろしくね、花梨っ」






――――――――――――――――――――――――――――――――――――






 クロが夜飯をテーブルの上に置いた後、ぬらりひょんとクロはこっそりと花梨の部屋を後にしていた。

 誰もいない廊下に出ると、事情をまったく把握していかったクロが、袖からキセルを取り出しているぬらりひょんに目を向ける。


「大丈夫なんですか? 見ず知らずの奴を、あんな簡単に受け入れちゃって」


「んー? 大丈夫だ。人間嫌いであるあやつが、わざわざ人間である花梨の元に訪れてきたんだ。それなりの深い理由があっての事だろう」


「……はあ」


「ワシの部屋に来い、ワシが知る限りの事を全て話してやろう。そうだな、この話に題名を付けるとすれば『人間にも妖怪にも、なれなかった少女』だな」


「……?」


 首を傾げたクロは、全てを知っているように語っているぬらりひょんの背中を追い、支配人室へと入っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る