13話-3、午前の敵は、午後の友

 花梨が釣った大量の川魚を流蔵が丁寧に下処理をし、塩を満遍なく振りかけて串打ちをしていく。

 外に設置した簡易的の囲炉裏に、串打ちを済ませた合計二十匹の魚を、火を囲むように刺して焼いていくと、パチパチと音を立たせ、食欲を湧かせる香ばしい匂いが辺りに立ち込め始めた。


 その誘惑の強い匂いに、完全に負けて虜になっていた花梨が、ヨダレを垂らしながら囲炉裏にそっと手を伸ばす。


「もう、もうっ……、食べられ、ますよね?」


「まだや、腹から水分のしたたりが無くなったら頃合や。カリッカリのホックホクになるから、もうちょい待ちい」


「そ、そんなぁ〜……。うっ、ううっ……、う〜っ……」


 腹が極限までへっている花梨は、焼けつつある川魚達を凝視するように睨みつけ、悲痛に近いうめき声を漏らし続けた。

 その様子を見ていた流蔵は、「なんか、犬に待てって言ってるような気分やな……」と、ボソッと呟き、内心申し訳なさそうにしつつ、ほくそ笑みながら花梨の事を見ていた。


 花梨の濃くなっていくうめき声と、囲炉裏から聞こえてくる木炭の弾ける音と、川から聞こえてくるせせらぎの音が混じり合い、永遠とも言える長い時間が過ぎていく。

 しばらくすると、うめき声が嗚咽おえつへと変わっていき、見かねた流蔵が囲炉裏に視線を向けると、いつの間にか魚の腹から水分の滴りが無くなっていた。


「お前さん、頃合や! 食ってええぞ!」


「本当? 本当っ!? やったー! いっただっきまーす!」


「おうおう、あんま急いで食うなや。火傷するで?」


 花梨は、流蔵の「よしっ」に、似た掛け声と共に、囲炉裏から待望の焼き魚をバッと取り出した。


 無我夢中で取り出した焼き魚はアユで、たっぷりと振りかけられた塩が、アユ全体をうっすらと白く染めあげ、外に逃げ出そうとしている旨味を閉じ込めている。

 表面はカリカリに焼けていて、所々に美味しそうな焦げ目が付いており、焼きたての脂が混じった香ばしい匂いと、その見た目だけで食欲を沸き立たせていった。


 花梨はゴクリと生唾を飲み込み、二、三度息を吹きかけて表面を冷ますと、腹の部分を大口を開けてかぶりつき、ゆっくりと咀嚼そしゃくを始める。

 ほどよく焦げた皮のほろ苦さと強めの塩気と、ホクホクとした身からジュワッと溢れ出てくる甘みのある脂が、飢え切っている口の中へと広がっていく。


 鮮度が高いおかげで生臭さは皆無に等しく、外敵がいないせいか丸々と太っており、身は柔らかいながらも非常に食べ応えがあった。

 とろけ切った表情をしている花梨は、鼻で大きく息を吸い込み、焼き魚の旨味を含んだ息を口から吐き出し、身体全体で焼き魚の風味を楽しんだ。


「うんまぁ〜い……。ああ〜、幸せぇ〜」


「ほんっとうに、美味そうに食っとるなぁお前さん。食われとるアユも幸せ者やで。なんか、いつもより焼き魚が美味く感じるわ」


「う〜ん、骨まで美味しいっ! 小さいから、気にしないでどんどん食べられるや」


「もし残すならとっとき。あとで、それもカリッカリに焼き上げてから塩を振って食うんや。煎餅みたいな食感をしててうんまいでぇ」


「余すことなく食べられるというワケですね。それも美味しそうだなぁ」


「はらわたも調理をすれば、ちゃ〜んと食えるで。まあ、手間が掛かるから今回はやらんがな」


 和気あいあいとしながら二人は焼き魚を食べ進めていくと、坂道の方から、複数人のガタイのいい妖怪達が、二人の元にゆっくりと歩み寄ってきた。

 その不穏な空気と妖怪達に気がついた流蔵は、明らかに不機嫌そうな表情へと変わり、目の前まで来た妖怪達に向かって無愛想に口を開く。


「んー? なんや、客か?」


「さっき橋の上で見ていたんだが、そいつに似た嬢ちゃんと相撲を取っていただろう? 俺達とも是非、相撲を取ってくれないか?」


 ガタイのいい妖怪達の予想外の言葉に、流蔵の表情が一気にほころび、嬉しそうに立ち上がりながら妖怪達に詰め寄った。


「おっ、相撲かっ! ええでええで! やろうやろう! なんべんでも付き合ったるで!」


「流蔵さーん、頑張ってくださーい! ここで応援してますねー!」


「おーう! よろしく頼むでー!」


 心強い仲間からのエールが届くと、流蔵は嬉々としながら妖怪達と土俵に向かい、相撲を取り始める。

 その土俵に熱い眼差しを向けている花梨は、焼き魚を食べつつ「いけーっ! そこだっ! ……やったー!」と、流蔵に士気の上がる声援を送った。


 流蔵は相撲に勝つたびに花梨に顔を向け、ニッと笑みを浮かべて親指を立てると、花梨もウィンクをしながら親指を立てて祝福を送る。


 そして、その相撲のやり取りを橋の上から見ていた血の気の多い妖怪が、我も我もとぞくぞくと川に下ってきては相撲を始め、迎え撃った流蔵が土俵の外へと吹き飛ばしていった。

 相撲を取っている時の流蔵は、全身が漲るパワーに溢れており、最初に出会った時のだるそうにしていた流蔵はどこにもおらず、童心に返りながら相撲を楽しんでいた。


 しかし、久々に連続で相撲を取ったせいか、二十戦目以降には疲労が見え隠れし、危なげに勝つ場面が増え始める。

 三十戦以降にもなると、全身が汗だくで肩で呼吸をしており、とうとう限界が訪れたのか膝に手を突いた。


 が、気がつけば土俵の外には、相撲目的で釣り場に訪れた妖怪達が長蛇の列を作っており、その列を見て驚愕した流蔵が、土俵で対峙している妖怪に「ちょ、ちょっとたんま!」と言い放つ。

 そして、滑り落ちるように土俵から下り、フラフラしながら花梨の元へと歩いていき、崩れるようにその場で倒れ込んだ。


「す、すまぁん……。少し、代わってくれぇ……」


「えっ!? 私がですか!?」


「た、頼むっ。十五戦……、いや、十戦ぐらいでええから! あいつら多少の力はあるが、相撲に関しちゃド素人や。ワシと同等ぐらいの力があるお前さんなら、ワケない連中やで」


「ぬう〜っ……、少しだけですよ? ちょっと待っててくださいね、力を解放する儀式をするんで」


「すまんっ、恩に着るで!」


 小さくため息をついた花梨は、流蔵に背を向けてリュックサックを開き、儀式の要である赤いひょうたんを取り出した。

 長蛇の列を横目で見ると、……長丁場になりそうだから、少し多めに飲むかな。と予想し、剛力酒ごうりきしゅをゴクッと一口飲み、今日二度目である茨木童子の姿へとなる。


 再び怪しいスイッチが入った花梨は、倒れている流蔵に「そこで、ゆっくりと休んでいて下さい」と、落ち着いた口調で言ってから土俵へと向かい、体の大きさが花梨の何倍もある妖怪と対峙した。


「さあ、ここからは私が相手をしてあげましょう」


「あっ? ガリガリの小娘じゃねえか。さっきの河童連れて来いや」


「ふっ、私は河童さんよりも強いかもよ? 本気で掛かって来て下さい」


「はっ! 本気を出すまでもねえ。さっさと吹っ飛ばしてやらあ!」


 そう叫び上げた妖怪は立ち合いもせず、肩を突き出しながら猛スピードで花梨に向かって突進をしてきた。

 しかし花梨は、涼しい表情をしながらその突進を左手のみで受け止め、空いていた右手で渾身の張り手をかまし、向かってきた妖怪を軽々土俵の外まで吹き飛ばしていった。


 今の一撃で自信と余裕が出てきた花梨は、更に調子に乗りながら次の相手も同じように吹き飛ばし、次々と勝ち星を上げていく。


 途中、相手に動きを読まれ、張り手を避けられて取っ組み合いにもつれ込むも、相手の力は茨木童子と化した花梨の力には到底及ばず、無情にも土俵の外へと投げ出されていった。

 二十戦程度で止める予定であったが、三十戦、四十戦と間髪を入れずに勝負が続いていき、徐々にではあるが体力が削られていく。


 百戦目近くにもなると、花梨の体力が限界を超えてヘトヘトになってしまい、泣く泣く体力が全快した流蔵とバトンタッチをした。


 そこから時折交代しつつ、着々と長蛇の列を薙ぎ倒して短くしていき、川がオレンジ色に染まりつつある夕方頃。

 二人はボロボロになりながらも無敗のまま、最後の挑戦者を土俵から吹き飛ばし、終わりが見えなかった交代制相撲対決リレーを完走させた。


 疲労が溜まりに溜まった二人の勝者は、仰向けになりながら地面へと倒れ込み、息を切らしつつ勝利の余韻を存分に浸った。

 花梨が静かに人間の姿へと戻っていき、燃えるように赤く染まる夕焼け空を眺めながら口を開く。


「ハァハァ、はぁ〜っ……。や、やっと終わったぁ〜……」


「お、お疲れさぁ〜ん……。まさか、三百戦以上するとは思わなんだ……。流石に堪えるでぇ……」


「本当ですよ〜……。でも、楽しかったなぁ」


「ワシもや、花梨やったか。今日は、ほんまにありがとう。最高に楽しい一日やったわ」


「私も、流蔵さんと熱い相撲が取れたり、一緒に食事が出来てとても楽しかったです。こちらこそ、ありがとうございましたっ」


 二人は、お礼を言い合いながらくたびれた体を起こし、顔を見合わせてから微笑んだ。不意に流蔵が、何かを探すように辺りをキョロキョロと見渡し始める。


「なんかお礼をしたいんやが、何も無いなぁ……。せやっ! お前さんが使ってた赤い釣竿、あれ持って帰り。伸縮ができるから邪魔にならんやろ」


「いいんですか? ありがとうございます!」


「おう、ツマらんもんやが、お前さんとの出会いを形にしたいからな。持って帰ってくれや」


 その言葉を聞いた花梨は、早速自分の物になった赤い釣竿を小さく畳み込み、リュックサックの中へと入れ、流蔵の顔を見てニコッと微笑んだ。


「それじゃあ、そろそろ夜になるから帰れ。また、相撲取ろうや」


「はいっ、次こそは絶対に負けませんからね!」


「言ってろ、最後までワシが勝ち続けたるわ。そんじゃあ、お疲れさんっ」


「お疲れ様でしたー! それではっ!」


 そう言って一礼をした花梨は、再び流蔵に向かって笑みを送ると、身体中土まみれになりながら河童の川釣り流れを後にする。

 橋を渡っている最中も、ずっと流蔵に向かって手を振り続け、流蔵も花梨の姿が見えなくなるまでの間、ニコニコしながら手を振り返していた。


 赤い光を乱反射させている川が見える橋を渡り切り、「次こそは負けないぞっ」と、鼻を鳴らしながら意気込み、重くとも軽い足取りで永秋えいしゅうへと戻っていった。

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