12話-4、優しい死神を庇う人間

 薬屋つむじ風を後にした花梨は、辻風つじかぜから貰った壺を大事に抱えつつ、あちらこちらから白い湯気が昇っている永秋えいしゅうへと入っていく。

 四階にある支配人室の部屋に入ると、キセルの煙をふかしながらリラックスしているぬらりひょんに、一部の物騒な件を省いて今日の報告を済ませた。


「こんな時間まで話し込んでいたんだ、かなり楽しめてきたようだな。んでだ、お前さんにひとつ質問がある」


「はい、なんでしょう?」


「辻風は、お前さんになんかやってこなかったか? あいつは気は真面目だが、少々抜けているところがある。例えば……、鎌で首を斬られそうになったとか」


 的のど真ん中を射られた花梨は、ぬらりひょんに悟られない程度に体を小さく波立たせる。

 そして、……まずいっ。あの人、普段からそんな事をやっているのかな……? と、内心焦りつつ、ギクシャクとしながら返答した。


「い、いやぁ〜っ? そんなっ、物騒なこと……、ありませんでしたけどっ?」


 挙動不審な花梨の姿を見たぬらりひょんは、キセルをふかしながらニヤリと笑う。


「お前さん、嘘をつくのが下手だな。バカめ、午前中だけ外からこっそりと中の様子を覗いていたんだ」


「み、見てたんですか!? あっ、えあっ……、あのっ、ちょ、ちょっと相談が……」


「あっ? なんだ」


 花梨は壺を書斎机の上に置き、手でゴマをすりながら恐る恐る話を続ける。


「その~……。あの件に関しましては、もうまったく気にしていないので……、辻風さんを怒るのは、やめてくれません、かね……?」


 その言葉に対しぬらりひょんは、明らかに不機嫌そうな表情を浮かべ、鋭い眼光で花梨を睨みつけ凄まじい威圧感を放ちながら口を開く。


「なんでだ? あんな恐ろしいことをされたんだぞ? あの時のお前さんは、目の前にある死の恐怖に怯えていた。殺されかけたのに、お前さんは怒っておらんのか? ん?」


 いつもと雰囲気が違い、殺気すら覚えるぬらりひょんの言葉と表情に花梨は畏怖し、思わず怯むも、おどおどとしながら自分の意思を伝える。


「そ、そのっ! 辻風さんも悪気があってやったわけでは……、ない、ので……。私は、別に……」


 花梨がしどろもどろになりながら話を終えると、支配人室内に薬屋つむじ風でも感じた不気味な静寂が訪れる。

 違う点を挙げるとすれば、部屋の空気には肌を突き刺すような殺気がまみれており、その殺気は薬屋つむじ風へと流れているようであった。


 鉛のように重苦しい間に包まれた花梨は、今すぐでも支配人室から逃げ出したい気持ちに襲われている中、ぬらりひょんが鼻で笑ってからその間を断ち切る。


「どこまでお人好しなんだお前さんは。安心しろ、なんもせんよ」


「ほ、本当ですか!? よかったぁ~……」


 殺気にまみれた空気が霧散していくと、花梨は胸を撫で下ろしながら大きな安堵のため息をついた。拍子抜けしたぬらりひょんが、キセルの煙をふかしてから話を続ける。


「まあ、辻風はワシが外で一部始終を見ていた事は知らんからな。あいつを叱ったところで、花梨がワシにチクッたと思われ、お前さんだけが損をする事になる。そんなん後味が悪すぎる。だから、今回はおとがめは無しにしておこう」


「やった! ありがとうございますっ、ぬらりひょん様!」


「はあ~……。なーんか、お前さんのお人好しには調子が狂うな。明日は朝の九時ぐらいにここに来い。以上だ、お疲れさん」


「了解ですっ! お疲れ様でした!」


 何事もなく話を終えられた花梨は、内心ホッとしながら支配人室を後にする。足取り軽く自室へと戻り、テーブルの上に壺を置いてから露天風呂へと向かっていった。

 露天風呂に浸かりつつ、今日あった出来事を思い返すのも悪くないと思うと、薬屋つむじ風が見えるであろう『美の湯』をチョイスして脱衣場に入っていく。


 服を脱いで体にタオルを巻き、風呂場へと向かう。薬屋つむじ風で染みついた、独特な薬の匂いを念入りに洗ってお湯と共に流し、上品な甘い香りがするトロッとした黄金色のお湯に体を沈めていった。

 そして、肉眼でも確認できるほど近くにある薬屋つむじ風に目を向けると、辻風が言っていた言葉を思い出し、ニコッと笑みを浮かべる。


「辻風さんにお咎めが無くて、本当によかったや。……この温泉街にいる妖怪さん達全員が私の味方、か。嬉しいなぁ、私もその気持ちに全力で応えないとっ!」


 体の外側からは温かい露天風呂の湯が、内側からは辻風が言っていた温かい言葉により、体の隅々までポカポカと優しい温かさに包まれていく。

 全身余すことなく温まった後、露天風呂から上がって体を拭き、私服を着て鼻歌を交えながら自室に戻っていった。


 自室の前まで来て扉を開けると、嗅ぎ覚えがあるもどこか違和感のある匂いが部屋内に漂っていた。


「この匂いは、カレーの匂いだな? ふっふっふっ、大好物だぜぇ……。でも、なんだか少し違う匂いが混じっているような……」


 花梨は少々戸惑いつつも、テーブルの前に腰を下ろし、テーブルの上にある四角い黒い容器の蓋を開けると、部屋内に更に濃いカレーの匂いが立ち込める。

 見た目はごく普通の特盛カレーであるが、やはり何か違う匂いも混じっている。匂いだけでは判断できなかった花梨は、早速スプーンを手に持ち、ご飯とルーの境界線の部分をすくって口に運ぶ。


「あ~っ、なるほど、蕎麦屋仕様のカレーか! 出汁だしが効いてて普通のカレーよりも風味がまろやかだ。んまいっ」


 普通に作られたカレーに、かつお節が効いた出汁を入れることにより、スパイスの尖った風味をまろやかに包み込んでくれて、辛い物が苦手な人でもどんどん食べ進められる味になっていた。

 最初はカレー本来の風味が口の中に広がるも、中に潜んでいた出汁がゆっくりと滲み出てきて、一気に和風の味へと塗り替えていく。


 途中途中に、隅っこに添えられている真っ赤な福神漬けを食べ、あっという間に特盛カレーを完食した。皿は水洗いせず、全ての食器類を一階にある食事処へと返却した。

 そして、少し膨れた腹を擦りながら自室に戻り、ちゃっちゃと歯を磨き終え、パジャマに着替えてから日記を書き始める。









 今日は、前にまとい姉さんを診察してくれたカマイタチの辻風さんがいる、薬屋つむじ風の店の手伝いに行ってきた!

 ……が、その手伝いは五分もしない内に終了してしまった、本当に。客として来店してきた酒天しゅてんさんと、少しだけお話をしただけで終わり。本当に。


 最初は、えっ!? って思ったんだけど、本来の目的は仕事ではなく、私と会話がしたかったらしい。予想外すぎて驚いちゃったや。

 実は、もっと驚いたというか、死にそうになったというか……。会話をしていたら辻風さんの様子がおかしくなって、目の前でパッと消えたかと思ったらパッと私の横に現れて、私の首元に鋭い鎌を向けていたんだ。


 いきなり過ぎて最初は理解が追いつかず、ピクリとも動けなかった。久々に感じたねぇ、あの感じ。目前まで死が迫ってきているというか、なんというか……。

 でも、辻風さんも本気でやろうとしていたワケではなく、単なるお芝居だったらしい。普段からそんな事をしているんだろうか……? 優しくて博識で、やんちゃでお茶目な人だ。


 そこから十時間以上も話し込んじゃったな~……。ずーっと、私がぬえさんに紹介された仕事で起きた、トンデモ体験をみっちりビッチリと話してしまった……。

 そしてお礼にと言われて、辻風さんがちゃんと妖怪をやっていた頃に、癒風ゆかぜさんが使用していた大事な壺を譲り受けてしまった。


 いいのかなぁ、こんな大事な壺……。癒風に怒られないんだろうか? って、この壺、辻風さんの物じゃないじゃん! 癒風さんの物じゃんか! いいのかな本当に……?







「ほ、本当に大丈夫なのか、これ……? 明日、辻風さんに聞いてみようかなぁ」


 不安が生まれ始めた花梨は、辻風から貰った癒風の壺をじっと睨みつける。壺に映っている自分の湾曲している顔も一緒に睨みつけていると、窓の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「花梨、泊まりに来た」


「あっ、纏姉さんだ。こんばんわ~」


「また何か書いてる、お姉さんにその恥部ちぶを見せなさい」


「だ、ダメッ! 今日は特にダメッ! えっと……、その、ば、爆発するから!」


「ぶー」


 苦しい言い訳をした花梨は、また慌てて日記をカバンの中にねじ込み、歩み寄ってきた纏をひょいっと抱え上げ、有無を言わさずベッドの上にそっと下ろした。

 携帯電話の目覚ましを朝の八時にセットし、二人は布団の中へと潜り込む。纏が掛け布団を首元まで引っ張りあげると、ニヤリと口角を上げた。


「花梨、明日の朝の起こし方はどうする」


「えっ? えーっと……、尻叩き以外の方向でお願いします……」


「ラジャ、おやすみ花梨」


「あっははは……。おやすみなさい、纏姉さん」


 二人は顔を見合わせながら微笑み、ゆっくりと眠りの世界へと落ちていく。しばらくすると、今まで一人分の寝息しか聞こえていなかった部屋内には、二人分の静かな寝息が流れていた。

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