12話-2、妖怪の本質を語る、死神の鎌

辻風つじかぜさぁ~ん……、また塗り薬くださいっス~……」


 掠れた声を出しながら店内に入ってきたのは、前に居酒屋浴び呑みで一緒に働いた茨木童子の酒天しゅてんだった。

 チリンチリンと鳴るガラス戸を閉め、赤く腫れがっている右頬をさすりながらカウンターに歩み寄ってくると、花梨の存在に気がついたのか、にんまりと笑みを浮かべる。


「花梨さんじゃないっスか、奇遇っスねー」


「お久しぶりです酒天さん。その右頬どうしたんですか? すごい腫れてますけど……」


「んあー……、ちょっとやらかして店長にぶん殴られちゃいましてねー。蹴りより効くんスよー……」


 酒天の腫れている頬を見ながら花梨は、酒羅凶しゅらきさんって、蹴りだけじゃなくて殴ってくる事もあるんだ……。やっぱり怖いなぁ、あの人……。と、改めて戦慄をして体をブルッと震わせる。

 二人の会話を静かに聞いていた辻風が、「やれやれ」と呆れつつ小さなため息をついた。


「前に持っていった塗り薬はもう使い切ったようだね。また十キロ分でいいかな? お代は後ででいいから、ちょうど君の右側にある壺を持っていきなさい」


「いつもすみませんっス、ありがとうございますー……。それじゃあ花梨さん、お疲れっスー」


「酒天さんも、お大事にしてくださいね」


 いつもより歪んでいる笑みを浮かべた酒天は、右側にある大きな壺を片手で軽々と持ち上げ、二人に手を振りながら店の外へと出ていった。酒天を見送った辻風が「ふうっ」と息を漏らし、話を続ける。


「さて、花梨君。君の今日の仕事はこれで終わりだ」


「えっ、もうですか!? ここに来てまだ五分ぐらいしか経って……、えぇっ?」


「はっはっはっ、仕事というのはただの名目さ。本当の目的は今日一日、私の話し相手になってもらいたかったんだ」


「話し相手、ですか」


 辻風はコクンとうなずき、カウンターの前にある椅子に腰を下ろした。そのカウンターに肘を突き、ふわふわの毛皮で包まれている頬を置き、ニッと笑う。


「夜まで私一人でね、とても暇なんだ。それに、人間とゆっくり話す機会なんて皆無に等しいからね。ぬらりひょん様に無理を言ってお願いしたんだ」


「はあ……、こんな私でよければ。普段は誰かと一緒にいるんですが?」


「ああ、カマイタチは三位一体でね。弟の薙風なぎかぜと妹の癒風ゆかぜがいるんだが……。今日は二人共、駅事務室の見張りに行っていて不在なんだ。薬全般は主に癒風ゆかぜが担当、薙風なぎかぜは整体担当。で、私が主に診察担当をしている」


「そうなんですね。そのうち、その二人にも会ってみたいなぁ」


「そうだね、花梨君がまたここに来る機会はあれば会わせてあげよう。二人共なかなか個性的でね。まあ、退屈はしないだろう」


 その辻風の言葉に対し、薙風と癒風に興味が湧いてきた花梨が後ろに手を組んだ。


「二人はどんな性格をしているんですか?」


「薙風は、素直で考え方が体育会系のそれかな。とにかくうるさいし暑苦しいが、基本良い奴だ。正反対に癒風はおしとやかで、物静かでとても清らかな心を持っている」


「へぇ~、面白そうな人達ですねぇ。辻風さんも、とても優しくて博識そうなイメージがあります」


 花梨の何気ない返答に、辻風は眉をピクっと動かし、口角を大きく上げて不気味な笑みを浮かべる。


「私が優しい、ねぇ……。なるほど、面白い事を言うじゃないか。そうだ花梨君、君にひとつ質問をしたいんだが」


「はい、なんでしょう?」


「君は、この温泉街が好きかね?」


「この温泉街ですか? ええっ、とても大好きです!」


 質問に即答して微笑んだ花梨を見て、辻風が大きく鼻で笑いながら話を続ける。


「異形な姿形をした妖怪しかいないこの温泉街を、即答で大好きと答えるか。いやはや、君もなかなかおめでたい人間だね」


「妖怪と言いましても、みんな優しくて面白い人達ばかりですからね。まあ……、別の意味で怖い人も若干名いましたが」


「……妖怪が優しい、妖怪が優しい! ふっ、ふふっ、あっはっはっはっはっはっ!!」


「辻風、さん?」


 花梨の言葉を耳にした辻風が、顔を抑えながら高らかに笑い始める。


 その笑い声には、今までの会話を全て否定するような不快な音が込められていて、花梨の表情から笑みが消え、だんだんと曇っていく。

 耳を受け付けてくれない笑い声が少しずつ収まっていくと、肩を震わせていた辻風が、顔を抑えていた手の隙間から花梨を睨みつけた。


「妖怪が優しい、か……。甘い、その考えはとても甘いよ花梨君。君はまだ、妖怪の本質を知っていない。その人の上辺を見ただけで、その人を完全に理解したように思っている」


「……どういう、意味ですか?」


 ニヤリと笑った辻風がこうべを垂れ、再び肩を震わせながら不敵に笑う。


「私と少しだけ会話を交わしただけで、優しくて博識そうと言ったのが良い例だ。本当の私はね、こうだ」


 辻風がそう答えた瞬間、目の前からふっと煙を撒いたかのように姿を消した。花梨は、「えっ?」と声を漏らした矢先、左耳から鼓膜が破けそうなほど鋭い風の流れる音が入り込む。

 その音がした方向に向こうとするも、辻風の「死にたくなければ、動かない方がいい」と、体が凍りつくような冷たさを感じる声が聞こえてきた。


「そのまま動かないで、視線を首元に向けてみるんだ」


「首元……? ―――ッ!?」


 辻風の言う通りに視線を恐る恐る下に持っていくと、そこには、鈍く光りを放っている巨大な鎌が花梨の首元を捉えていた。

 その綺麗に湾曲している鎌は辻風の手から伸びていて、力を入れなくてもスッと首元を通っていきそうなほど鋭く、花梨は恐怖から叫び声が上げられず、その場から一切身動きが取れなくなった。


 死神の鎌を思わせるような凶器を構えている辻風が、ニヤニヤしながら口を開く。


「私の性格は冷酷で、残虐で、残忍でね。人を死なない程度に切り刻んでいくのが、この上なく好きなんだ」


「……つっ、辻風さん……、いったい、なにを……」


「言っただろう? 君はまだ妖怪の本質を知らないようだから、私が肌で教えてあげようと思ってね。どうだい、とっても怖いだろう? 今すぐ君の首を綺麗に切り落とすことができるが、やってみせようか?」


「うっ……」


 今まで続いていた会話が初めて止まり、独特な薬の匂いが充満している部屋内に、死を覚悟するには充分過ぎるほど長く思える時の流れと、精神を絶え間なくすり減らしていく静寂が訪れる。

 ピクリとも動けない花梨の頬に汗が伝い、顎まで垂れて地面へと落ち、ジワッと広がっていく。自分の激しく動いている心臓の鼓動が耳まで届き、煩わしささえ感じるようになってきた。


 底無しの恐怖と精神的な疲労に耐えられなくなり、花梨の呼吸がだんだんと荒くなっていく中、辻風が温かみを感じさせる笑い声を発する。


「はっはっはっはっはっ……、すまない花梨君。少々悪ふざけが過ぎたようだ」


「……えっ?」


 花梨が虫の息のような声を発すると、辻風は首元に構えていた死神の手の鎌をスッと離し、元の四本の指へと形状を戻し、先ほど座っていた椅子に腰を下ろした。

 それを呼吸を荒げつつ見ていた花梨は、極度に緊張して強張っていた体の力がふっと抜け、その場に膝を崩して座り込んだ。


 辻風が一度無邪気な笑みを浮かべるも、今度は申し訳なさそうな表情をしながら口を開く。


「いや、つい熱が入って脅かせすぎてしまった。申し訳ない」


「ハァハァハァ……、えっ?」


「今までの行為は全て、お芝居であり冗談なんだ。本気にしないでくれ」


 肩で呼吸をして花梨が、汗でビシャビシャになっているひたいを手で拭い、困惑しながら話を続ける。


「お芝居……? 冗談……? それは、本当、ですか……?」


「ああ、そうだ。本当にすまない」


「……だああぁぁぁぁーーーっ……」


 死神に扮していた辻風の行為が、全て芝居だと頭の中で理解ができた花梨は、体中に張っていた緊張の糸が一斉にブツンと切れ、体全体から力が抜けて前に倒れ込み、顔が地面に落ちていった。

 それを見て焦りを覚えた辻風が慌てて立ち上がり、花梨の元へと駆け寄っていく。倒れている花梨の肩を掴み、上体を起こしてから辻風が口を開いた。


「だ、大丈夫かね?」


「た、たぶん……。あの、お水を一杯くれませんか……?」


「み、水っ? あ、ああっ、水ね。ちょっと待っててくれ」


 花梨の予想以上に疲労している顔を見て、今度は辻風が落ち着きを失ってあたふたとし始め、慌てて襖の奥に駆け足で向かっていく。

 そして、十秒もしない内に並々と水が注がれたコップを持ってきて、花梨の上体を支えながらコップを差し出した。


 それを見た花梨は、「ありがとうございます……」と弱々しくお礼を言い、ゴクッゴクッと豪快に喉を鳴らして一気に飲み干していく。

 飲み終えると「プハァ〜ッ!」と安堵のこもった声を漏らすと、おどおどとしていた辻風がゆっくりと口を開いた。


「……お、落ち着いたかね?」


「はい……、なんとか。もう、本当に怖かったんですからね……」


「本当に申し訳ない……」


 二人は顔を見合わせると、花梨が「ふふっ」と乾いた笑みをこぼし、それに釣られた辻風も笑みを返す。

 五分前の物騒な雰囲気から打って変わり、だんだんと場が和らいでくると、落ち着きを取り戻した花梨が話を続ける。


「辻風さんってば、やんちゃでお茶目なところもあるんですね」


「今までの行為をやんちゃで済ませてくれるのか、ありがたいことだね」


「それでも、今まで生きてきた中でベストテンに入るほどの恐怖感はありましたけどね」


 花梨が頬を掻きながら苦笑いすると、その言葉を聞いた辻風が目をパチクリとさせる。


「い、一番ではないのか……。君は、その若さで相当な修羅場をくぐり抜けてきたようだね。少々興味が湧いてきた。その話、是非とも聞かせてくれないか?」


「ええ、いいですけど……。かなり長くなってしまいますけど、大丈夫ですかね?」


「ああ、君が満足するまで話してくれ」


「分かりましたっ! それじゃあ、第十位の人類未踏の地を探索中に密林で遭難した話からでも……」


 その後、花梨の武勇伝が混じったやや現実離れした実話は、あっという間に昼を過ぎ、日が沈むまで延々と続いた。

 辻風は、花梨の話した事を全て真摯しんしに受け止めて真面目に聞き、時には深くうなずき、時には「そうかそうか」と反応を示し、時には驚愕しながら花梨の話に惹き込まれていった。

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