12話-1、薬屋つむじ風の手伝い

 気持ちのいい朝焼けが、まだ完全に起きていない温泉街を照らしつけている朝八時頃。


 花梨の部屋内に、寝る前にセットした携帯電話の目覚ましがけたたましく鳴り響くも、今日はいつまで経っても止まらないでいた。

 体の小さい座敷童子の姿のままで寝ていた花梨は、いつもより短くなっている腕を携帯電話を置いた場所に伸ばすも届かず、必死になってもがいていた。


 物理的に届かないと察した花梨は、まだ寝ている重い体で携帯電話がある場所までハイハイしていき、忌々しい音を放っている目覚ましを消す。

 そして、その体勢から頭をベッドに落とし、代わりに尻を高く突き出しながら再び眠りへとついていく。


 同時刻、座敷童子のまといも目を覚まし、寝ぼけまなこを擦りながら小さな口であくびをつき、花梨が寝ているであろう方向に目を向けると、不可解な姿勢で寝ている花梨が目に入り、首をかしげた。


「……花梨のお尻がちょうど良い高さにある、叩いて起こせってことなのかな」


 寝ぼけた頭で超解釈をした纏はスッと立ち上がり、花梨の体の右側まで行くと、花梨の尻を強く叩きながら口を開く。


「コラ、起きなさい。遅刻するよ」


「うっ……、あと八時間……、いてっ」


「寝すぎ、姉さん怒るよ」


「あっ、いたっ、いだっ、おっ、起きっ……、グゥ……、あだぁっ」


 花梨の尻を叩く音が部屋内に響いている中、二人分の朝食を持って部屋の中に入り込んできた女天狗のクロが、呆然としながら「なんなんだ、この状況は……?」と、声を漏らす。

 いつもより体が小さくなっている花梨が、座敷童子に尻を叩かれている光景はとてもシュールであり、なおかつそれでも起きない花梨の苦痛で歪んでいる表情は、とても滑稽であった。


 尻を何度も叩かれながらも、クロの存在に気がついた花梨が口を開く。


「あっ、クロさんいだっ。おはようござイデッ」


 花梨の挨拶を聞いて纏もクロの存在に気がつき、尻を叩くのをやめてクロの元へと駆け寄っていった。

 クロは朝食をテーブルの上に置き、足元で小さく飛び跳ねている纏を抱っこしてから花梨に目を向けた。


「おはよう二人共、花梨えらく小さくなったな。それが座敷童子の姿か?」


「ええ、そうです。どうですかこの姿?」


 花梨はニコッと笑いつつベッドの上で立ち膝をし、着物の袖を手で掴んで引っ張りながら答えると、クロが「うん、カワイイんじゃないか?」と、はにかんで言葉を返す。

 クロの返答を聞いた花梨は満足気に微笑むと、二人の会話を聞いていた纏も、クロに詰め寄りながら問いかけた。


「クロ、私は」


「んっ、纏も充分カワイイぞー」


「むふーっ」


 クロは、鼻をふんっと鳴らして嬉しがっている纏をそっと床に降ろし、扉に向かいながら話を続ける。


「それじゃあ、私は行くぞ。纏の分の朝食もあるから一緒に食ってけ。じゃあな」


 そう言ったクロは手を振りながら廊下に出て、静かに扉を閉めて去っていった。座敷童子の姉妹は喜びながらテーブルの前に座り、顔を見合わせながら花梨が口を開く。


「纏姉さんの分もあるって! 食べましょ食べましょ!」


「食べるっ」


 花梨はニコッと笑ってからテーブルの上にある料理に目をやると、和やかにしていた表情が一気に強張っていく。

 テーブルの上には、てっぺんに少量のゴマが振られている大きなあんパンが二つずつ。そして、そのパンのお供にと牛乳が置かれていた。


「これは、あんパンかな? まさか、昨日の夜飯からまだ罰が続いていると……? 考えすぎかな、まあいいや。いただきまーす」


「いただきます」


 二人は、自分の手よりも遥かに大きいふっくらと焼けたパンを、両手で半分にちぎってから一気に頬張り始める。

 焼きたてのパンの芳醇な香りと、中にぎっしりと入っているしつこくなく丁度いいあんこの甘みが、起きたばかりの体の隅々まで広がっていく。


 そして、充分に冷えている濃厚な甘みのある牛乳を飲み、口周りに白いヒゲを生やしながら「ぷはぁ!」と声を上げた。


「ふうっ。なんだかんだ言っても、やっぱりすごく美味しいや」


「花梨と一緒に食べてるから更に美味しい」


 二人は、微笑み合いながら楽しい朝食を食べ終え、食器類を水で洗ってテーブルの上に置いた後、纏は「それじゃあ座敷童子堂に帰る」と言い、窓のふちに飛び乗った。

 しかし、纏はそこで立ち止まり、ゆっくりと振り向くと、寂しそうな表情をしながら花梨に向かって口を開く。


「花梨」


「んっ、なんですか?」


「……少し言いづらい」


「なんですが今更~。気を遣わないでどんどん言ってください」


「……じゃあ、ちょくちょく花梨の部屋に泊まりに来てもいい?」


 纏が恥ずかしそうに言った言葉に、花梨は一瞬だけハッとした表情になるも、すぐにふわっと笑みを浮かべて言葉を返す。


「はいっ、大歓迎です! なんなら毎日来てくれてもいいですよ」


「本当? 嬉しいっ、じゃあ今夜もここに来るっ」


「ええっ、待っていますね」


「ありがとう、それじゃあまた夜に会おうね。バイバイ」


 花梨は手を振って纏を見送ると、纏も笑みを浮かべて小さく手を振りながら外に飛び降りていった。すかさず窓まで駆け寄り、纏の姿を追うように外を覗いてみる。

 纏は既に建物の屋根の上を凄まじい速度で走っており、遠くから見ても分かるほど幸せそうにニコニコと笑っていた。


「これからは、寝る前の時間が楽しくなりそうだなぁ。さってと、すっかり忘れていたけど歯を磨かないと。その前に、人間に姿に戻らねば」


 そう呟いた花梨は、ベッドに座りながら「座敷童子さんおやすみなさい」と唱えると、ポンッと音を立たせて一日ぶりに人間の姿へと戻る。

 すっかり座敷童子の姿に慣れていたせいか、急に部屋内が一気に狭くなったような感覚におちいり、まるで自分が巨人にでもなったような気分にさえなった。


 いつもの味に戻った歯磨き粉を使って歯を磨き終え、狭くなった自室を後にして支配人室へと向かっていく。

 昨日よりも小さく見える支配人室の前まで来て、ドアノブに手を掛けようとするも、よからぬ好奇心が頭の中をよぎってしまい、その手を止めて目の前にある扉をじっと睨みつけた。


「……なーんでこのタイミングで、人間の姿でも壁を歩けるんじゃ? って、思っちゃったかなー、私。歩けるワケがないけども……、好奇心には逆らえないなぁ」


 花梨は、現在いる廊下を見渡して誰もいない事を確認すると、胸の鼓動を早めつつ右足の裏をそっと扉に着ける。

 感覚的には座敷童子の姿の時と同様でやはり分からず、生唾を喉を鳴らして飲み込むと、意を決してそのままバッと左足の裏も扉に持っていった。


 次の瞬間、静まり返っている廊下にドスンッという鈍い落下音と、一人の女性の悶え苦しむ声が響き始める。

 その音と声が耳に入ったのか、支配人室の扉がひとりで開き、中からぬらりひょんが廊下へと出てきた。


 何事かと思っていたぬらりひょんが視線を下にやると、そこには背中を思いっきり反らし、背中の部分に手を当てながら「ゔゔっ……ゔっ」と、苦しそうに呻き声を上げている花梨の姿が目に入る。


 その悲惨な光景を目の当たりにしたぬらりひょんが、口をヒクつかせなが腕を組んだ。


「……お前さんはそこで、いったい何をやっとるんだ?」


「なっ、なんでもない……、です……」


「ふんっ、大体予想はつくがな。扉、歩けたか?」


「……ご、ご覧の通り、です……。はい……」


「バカもんが、このまま話を続けるぞ。今日は『薬屋つむじ風』に行って、仕事の手伝いをしてきてくれ」


 その説明を聞いた花梨は、「おっ」と、声を漏らし、その場で体を起こして女座りをしながら話を続ける。


「そこって確か、纏姉さんを診察してくれたカマイタチの辻風つじかぜさんがいる所でしたよね」


「おお、そうだ。っと言っても、手伝う事はほとんどないと思うがな」


 ぬらりひょんの言葉に対し、花梨はおもむろに首をかしげた。


「まあ、行けば分かる。とりあえず行ってこい」


「了解ですっ!」


 今日の仕事内容の説明を終えたぬらりひょんは、キセルの煙をふかしながら支配人室へと戻り、扉をゆっくりと閉めて姿を消した。

 その場で立ち上がった花梨は、体全体についているホコリを手で払い、一階を目指して目の前にある階段を下りて永秋えいしゅうを後にする。


 今日の目的地である薬屋つむじ風は、永秋から出て左側の秋国山に続く道のとおりにあり、そっちの方面に足を運ぶのはここに来てから初めてのことだった。

 初めての景色を堪能しようと胸を弾ませるも、薬屋つむじ風の建物は永秋からかなり近くにあったようで、歩き始めてから五分もしない内にたどり着いてしまった。


 若干物足りなさを感じるものの、建物の外見に目を向ける。


 周りにある建物とほぼ変わらない外見をしているが、薬屋とすぐ分かるように、入り口の上に木目が際立つ看板が設置されており、太くて艶のある黒文字で『くすり屋』と表記されている。

 建物の外見を見終えると、中の様子が伺えるガラス戸を引いて中に入っていく。ガラス戸を開けた際に、頭上からチリンチリンとベルの音が鳴り、その音を再び鳴らしながらガラス戸を閉めた。


 店内を見渡してみると誰もおらず、何かの薬品だろうか、それとも多種多様の薬草でも使っているのか、何物にも例えられない独特の薬のような匂いが、店の人よりも先に花梨を出迎えてくれた。


 口をポカンと開けながら改めて店内を見渡してみると、大小様々な茶色い壺が壁際に置いてあり、半分以上の壺は蓋が開いている。

 壺の中を覗いてみると、空っぽの物や白濁色の塗り薬のような物が入っており、手で仰いで匂いを嗅いでみるもほぼ無臭だった。


 触ってみたいという好奇心が湧いてくるも、効用も薬さえも分からない得体の知れない物だったので、好奇心を抑えながら壺から距離を取る。

 壁には上に向かって等間隔で木の板が設置されており、そこにも茶色い壺があるも、見た事が無い名前が直に書かれている。


 背が届く距離にある壺の中身を覗いてみようとしてみるも、棚にある壺には全てちゃんと蓋が閉まっており、中身を見ることができなかった。


 この部屋の奥は襖になっており、その襖は少しだけ開いている。手前にはカウンターらしき木の机が設置されていて、筆記類やカルテであろう資料が乱雑に置かれていた。

 一通り部屋を見渡した花梨は、誰もいない部屋内で一人ポツンと立って人が来るのを待ってみるも、いつまで待っても来る気配が無く、開いている襖に向かって「すみませーん」と声を上げる。


 すると、襖の奥から「はい」と、聞き覚えのある声がしたと同時に風の音と共に襖が開き、そこからカマイタチの辻風つじかぜがのっそりと出てきた。


 寝ていたのか目がしょぼついており、クリーム色の毛皮で覆われた短いマズルを大きく開き、鋭い牙を覗かせながらあくびを一つついた。

 店にいるせいか白衣は来ておらず、温かそうなクリーム色の毛皮に身を包んでいる。寝ぼけまなこを擦った辻風が、花梨の姿を見るや否や笑みを浮かべた。


「おお、来たね花梨君」


「お久しぶりです辻風さん。座敷童子堂で初めて会った以来ですね」


「そうだね、その件についてはお礼を言わねばな。纏君の看病、本当にありがとう」


「いえいえっ、こちらこそ纏姉さんの診察ありがとうございました。それで、私は何をすればいいですかね?」


「なに、簡単さ。そこにある椅子に座ってここに来た客の対応をしてくれればいい。まあ、すぐに終わるがね。おっと、早速最初で最後の客が来たよ」


「えっ?」


 辻風がそう言うと背後にあるガラス戸の方から、チリンチリンと言うベルの音と共に、一人の客が店内へと入り込んできた。

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