11話-2、忍者修行という名の遊び

 花梨と座敷童子のまといは、腕をブランと脱力させつつ、多数の妖怪達が行き交う温泉街の大通りを、猛スピードで駆け抜けていった。

 のたのたと歩いている妖怪の横を通り抜け、道幅を大きく取りながら歩いている一行いっこうの頭をスレスレに飛び越え、巨大な妖怪の股下を器用に通っている纏を見習い、花梨も真似をしながらすぐ後ろを着いて追いかけていく。


 花梨は、座敷童子の姿で全力疾走するのはこれで二回目であるが、既に体を自由に動かす事ができるようになっていた。

 人間の姿では味わえない爽快感を肌で感じ、耳に絶えず入り込んでくる風切り音が、自分が風になっているような気分にさせてくれて、走るのが余計に楽しくなっていた。


 が、しかし、その楽しみは無情にも、次の纏の発言で終わりを迎える。


「そろそろ屋根に飛ぶよ」


 背後にいる花梨を見ながら説明した纏は、右側にある建物の方へと振り向き、左足で滑るようにブレーキを掛ける。

 そして止まった瞬間に、バッと建物の屋根に向かって弧をえがくようにジャンプをし、屋根の真ん中部分にあるかんむりかわらへと着地をした


「むう、もう少し走っていたかったけど……。よーしっ!」


 覚悟を決めた花梨は、纏と同じ要領で屋根に飛び移ろうと意気込み、屋根に向かって軽くジャンプをするも、力加減を誤ってしまったのか、そのまま屋根を飛び越えてしまう。

 わめきながら手足をバタつかせ、空中で制止をしようと試みるもその抵抗は虚しく、建物の裏に生えているイチョウの木に、バサバサと音を立たせながら豪快に突っ込んでいき姿を消していった。


 纏は、慌てて花梨が突っ込んでいったイチョウの木に飛び移り、枝をかき分けて奥に進んでいくと、着物の股下部分に枝が引っ掛かり、イチョウの葉にまみれながら静かにぶら下がっている花梨を見つけた。


「大丈夫?」


「あっはははは……、ジャンプはまだ上手くいかないみたいですねぇ」


「手、貸そうか?」


「いえ、大丈夫です。……よっと」


 ぶら下がっていた花梨は、着物に引っ掛かっている枝先を折って落下し、体を猫みたいに捻りながら地面に着地をした。

 すぐに木が邪魔にならない場所まで移動すると、先に屋根に戻っていた纏がいる所に目掛けて軽くジャンプをし、今度は纏と同じように、両手を広げつつ冠瓦の上に綺麗に着地を決める。


 無事に成功すると、花梨はにんまりと笑みを浮かべ、その様子を見ていた纏は「おおー」と、言いながら拍手を送った。


「花梨もできた」


「よしっ、だんだん力加減が分かってきました!」


「飲み込みがとても早い。じゃあ次は屋根の上を走るよ」


 そう言った纏はクルリと体を後ろに回転させ、丸くて細い冠瓦の上を全速力で走り始める。


 花梨も負けじと後を追うも、地面を走るのとはまったくワケが違い、細くて足場の不安定な冠瓦の上を走るのは、かなりの苦戦を強いられた。

 走るスピードが遅くなっていく一方で、途中途中、建物と建物の隙間を危なっかしく飛び移り、何度か苔で足を取られて滑りそうになるも、なんとか体勢を整えて纏の後ろを着いていく。


 永秋がだんだんと近づいてくると、涼しげな表情で前を走っていた纏が口を開いた。


「そろそろ反対側にある建物の屋根に飛び移るよ」


「で、出たっ! あのっ! 冠瓦にじゃなくて屋根に着地をすればいいですよね!?」


「なるべくなら冠瓦の上がいいな。大丈夫、花梨ならできる。先に飛ぶね」


「おっ、おおおっ……。や、やったるでー!」


 花梨は泣きながら右腕を掲げ、ヤケクソが混じった決意を纏の送ると、それを受け取った纏はクスッと笑い、反対側にある建物の冠瓦に目掛け、綺麗な弧を描きながらジャンプをした。

 その様子を見ていた花梨は、纏の飛んだ高さを走りながらおおよその力加減を予測し、いざ自分も反対側の建物へジャンプをしようと試みる。


 が、走りながら飛び移るのにはまだ恐怖心の方が勝っており、その場で立ち止まってから両足に少し力を込め、纏ほど綺麗にとは言えないが、弧を描いて反対側の建物に目掛けてジャンプをする。

 飛んでいる最中に下に目をやると、大通りを歩いている妖怪達と目が合った。手を振ろうかと思ってみたがそんな事をしている暇は無く、お構いなしにすぐさま建物の屋根に目を移す。


 だんだんと屋根が迫り、上手くいけば冠瓦に着地ができるかもしれないと感じて着地の体勢に入るも、多少力が足りなかったのか、足は屋根に、手は冠瓦に突いてしまい「ぬわっ、惜しいっ!」と声を上げ、指を鳴らして悔しがった。


「あれっ? 纏さんの姿が見えない……」


 気を取り直して冠瓦の上に乗り、先ほどよりも早く走り始めた花梨は、前方に目を向けても纏の姿は無く、辺りを見渡してみると、纏は既に先ほどいた建物の屋根を走っていた。

 そしてすぐにまた、花梨がいる列の建物の屋根に飛び移ってきたかと思うと、再び反対側にある屋根に飛び移り、最終的には走る事すら止め、バッタとようにピョンピョンと冠瓦の上に着地しながら建物と建物の間を飛び跳ね、永秋に向かっていっていた。


「す、既に走ってすらいない……。あれが出来たらかなり気持ち良さそうだけど、今の私には無理だなぁ」


 とりあえず花梨はしばらく冠瓦の上を走り、頃合いを見て反対側にある建物の屋根に飛び移った。二度目の飛び移りはちゃんと成功し、渾身のガッツポーズをしながらゴールである永秋を目指していく。

 永秋の前の建物まで来ると、屋根の先まで歩み寄り、一旦立ち止まって建物の下にある丁字路に目をやると、纏がこちらに向かって手を振っている姿が見え、纏のすぐ横を狙い建物から飛び降りていった。


「ゴール! 纏さんすごいですねぇ~」


「花梨も初めてにしては上出来、すごい」


「えへへっ、ありがとうございます。んで、次が問題の……」


 花梨は、口をヒクつかせながら巨大な永秋を見上げると、横にいた纏が説明を始める。


「うん、永秋の壁を走って屋根まで登る」


「ぬう~……、やっぱり想像ができない……。あの、お手本を見せてくれませんか?」


「いいよ」


 そう言われた纏は永秋へと歩いていき、花梨もその後を追う。建物の前まで来ると、纏が右足の裏を壁につけ、すぐに左足もひょいっと上げて足の裏を壁につけた。

 じっと見ていた花梨は、纏がそのまま地面に落ちる思い、慌てながら駆け寄っていくも、纏の両足は壁に吸い付くようにピッタリとくっついており、本来の地面に向かって髪の毛を垂らしながら花梨をじっと見ていた。


 その不可思議な光景を目の当たりにした花梨は、驚愕して目と口をあんぐりと開けた。


「か、壁に立ってる!?」


「花梨もやってみて」


「いやっ、無理ですって! ど、どうやってやればいいんですか……?」


「普通にできる。足の裏をつけた場所が、花梨にとっての地面になる」


「……んっ? えっと、右足の裏を壁につけたら壁が地面になる……? じゃあ、左足の地面は……?」


「左足の裏がついている場所が、今の地面になる」


 纏の遠回りな説明に理解が追いついていない花梨が、眉間にシワを寄せながら首をかしげた。


「じゃあその場合、壁と普通の地面の二つの地面に足をついていることに……? 自分で何を言っているのか分からなくなってきたぞ……」


「簡単、壁も天井も最初から全部地面だと思えばいい」


「なるほど、理解し難いけどそう思えばいいのか……」


 頭が混乱している花梨は、とりあえず体を壁に向けて深呼吸をする。心臓の鼓動が高まり、緊張が抑えきれないまま右足の裏をそっと壁につけた。

 壁につけた右足の裏は特に変わった様子も無く、本当にこれで壁につけた右足の裏が、地面になっているのかどうか分からず、不安に襲われている花梨が纏に目を向ける。


「これで右足は今、壁という名の地面についている状態で……?」


「そう」


「これで左足を地面から離しても、本来の地面に向かって落ちない、ですよね……?


「うん、右足は壁という名の地面についているから落ちない」


「……そうか、理解はできた。いやっ、できていないけど……。やっぱり怖いなぁ~」


「花梨ファイト」


「……仕方ない、とりあえずはやってみるか」


 無い決心を無理やり決めた花梨は、もう一度大きく深呼吸をし、まぶたをギュッと力強く閉じ、地面についていた左足を勢いをつけて壁に持っていった。

 普通ならば、そのまま地面に落ちて背中に強い衝撃が走るだろうが、いくら待ってもその衝撃は背中に訪れず、閉じていた瞼を恐る恐る開けていった。


「……あれっ? 空と雲が見える……」


 目を開けてみて最初に入った光景は、永秋の屋根の影から流れてくる羊雲と、雲の遥か上に広がっている鮮烈な青さをした澄み渡る空だった。

 首を上げたり、地面に寝っ転がれば見える何の変哲もない見慣れた光景であったが、花梨はなにか言い難い不思議な違和感を覚える。


「花梨、壁に立ってる」


「……へっ?」


 纏の言葉によりハッとした花梨は、すぐに目線を下に持っていくと、自分の足は今、土の地面ではなく永秋の木の壁についており、そのまま後ろを振り向いてみると、先ほどまで立っていた土の地面が目に入った。

 まだ実感がイマイチ湧いていない花梨が、目をパチクリとさせながら横にいる纏に目を移した。


「……私は今、壁に立っています?」


「うん、立ってる」


「……本当に?」


「うん、おめでとう」


「……ぅぉおおおおおおーーーーっ!? 立ってる! 私、今壁に立ってる!! うわぁ、すごいすごいっ!! 見て見て纏さん! ほらっ、壁を歩けるよ!!」


 過度の興奮が理性をぶち壊し、大いにはしゃいでる花梨の歩いている様はとても不自然で、肘と膝が曲がっていないでギクシャクとしており、ロボットが歩いているような固い歩き方をしていた。


「花梨、歩き方が変」


「えっ!? あっ、えあっ……。……あっははははは、本当だ。肘と膝が真っ直ぐに伸びちゃっているや」


 纏に指摘をされた花梨は、赤く染まっている頬をポリポリと掻きながら苦笑いをした。オレンジ色のポニーテールが本来の地面に向かって垂れており、首が若干重く感じる中、興奮している花梨が話を続ける。


「それじゃあ纏さんっ! 屋根に上に行きましょう!」


「うん、行こう」


 酷く興奮している座敷童子と、冷静な座敷童子は、屋根の上を目指す為に永秋の壁を走り始める。

 壁を駆け上がるつれ広がっていく光景は、このまま空に落ちていきそうな錯覚におちいり、人間では決して味わえない不思議な感覚が花梨の事を包み込んでいった。

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