9話-5、恐怖の対象から、理想の人へ

 興奮が最高潮に達した雪女の雹華ひょうかによる、極寒甘味処で行われた花梨の撮影会は、雹華が興奮しすぎて鼻血を吹き出し、慌てた花梨のドクターストップにより幕を閉じる。

 花梨は、鼻に詰めているティッシュを真っ赤に染め上げ、後光が差す勢いでデレデレの表情になっている雹華に手を振りながら別れ、微笑みながら帰路に就く。


 鼻歌を交えながら永秋えいしゅうへと戻って支配人室に行き、キセルをふかしているぬらりひょんに自分の着物姿を、存分に見せつけながら今日の報告をし始めた。


「ねぇねぇ~、見てくださいよぬらりひょん様ぁ~。どうですか? 私の着物姿~」


「な、何回言っとるんだお前さんは……」


 花梨は、そう言いながら着物の袖を掴んで腕を伸ばし、にんまりとしながらその場でクルクル回るも、既に十回以上もそのやり取りをやってきたぬらりひょんは、いい加減反応をするもの億劫になってきており、小さくため息をついてから強引に話を進める。


「分かった、もう充分に分かった。それじゃあ、明日は十一時までにこの部屋に来てくれ」


「あれっ? 明日は結構遅いんですね」


「そうだな。明日は仕事というよりも、おつかいと言った方が正しいか。ああそれと、居酒屋浴び呑みで貰った剛力酒ごうりきしゅを忘れずに持ってくるように」


 剛力酒という単語を耳にした花梨は、脳裏に酒呑童子の酒羅凶しゅらきが、自分に向かって凄まじい蹴りを放ってくる場面が映り、あ、明日の仕事は、絶対にロクなもんじゃないな……。と、口をヒクつかせる。

 その、心底イヤそうにしている花梨の表情を見たぬらりひょんは、気持ちを落ち着かせる為に説明を続けた。


「安心しろ。明日は木霊農園こだまのうえんに行って、野菜をここに運んできてもらうだけだ」


「木霊農園? 木霊農園……。あっ、木霊農園っ! 焼き芋っ!」


 木霊農園と聞いた花梨は、この前、妖狐神社で妖狐のみやびの一緒に食べた焼き芋の味と、雅が言っていた言葉を思い出し、引きつっていた表情がだんだんと和らいでいき、最後はふわっと微笑んだ。


「焼き芋? ……ああ、木霊農園で作られたサツマイモを、妖狐神社で食べてきたんだったな。どうだ、少しは安心したか?」


「はいっ、明日の仕事が楽しみに変わりました! それじゃあ、失礼します!」


「うむ、お疲れさん」


 明日は木霊農園に行けると分かった花梨は、とりあえずは安心したものの、なぜ剛力酒が必要なのかは分からないまま支配人室を後にする。


 自分の部屋に戻ると、着ていた着物を脱ごうとするも、とある事を思い出し、その手をピタッと止めた。

 そして、脱いでいる途中の着物を見ながら、着物は貰った。だけど、それを保管するための桐箱が無ければ、着物ハンガーも当然あるワケがない……。どうしたものか……。と、頭を悩ませる。


 そもそも着物は正しく保管をしなければ、すぐに痛み始めたり、カビやシミができて鮮やかな色が台無しになってしまうので、せっかく貰った着物を綺麗に保管したかった花梨は、思わず眉間にシワを寄せた。


「しまったなぁ、浮かれててすっかりと忘れてたや……。明日仕事が終わったら、首雷しゅらいさんのところに行って買ってこないとなぁ……」


 そう決めた花梨は、とりあえずにと着物を裏返し、空いている棚の上に覆いかぶせ、シワが残らないように綺麗に整える。

 若干、汗を吸って湿っていたので、近くにある窓を少しだけ開けて換気を促し、「これでよしっと」と、無理やり自分を納得させる。


「うっへぇ〜、長襦袢ながじゅばんも汗を吸っててずぶ濡れだ。早く洗濯しないと……。風呂は、部屋にあるので済ませちゃおうかな」


 洗濯を始める前に先に風呂場へと向かい、浴槽にある栓を閉じると、蛇口を捻ってお湯を出し始める。

 脱衣場に戻り、汗で濡れている衣類を全て脱ぐと、洗剤と共に選択機に放り込んでスイッチを入れた。


「さて、お風呂だお風呂っ」


 意気揚々に再び風呂場へと向かい、シャワーから熱めのお湯を出し、今日流した大量の汗をお湯と共に洗い流し、頭と体を念入りに洗っていく。

 洗い終わった頃には、浴槽はお湯で溢れ返っていて、ザブンと豪快な音を立たせながら小さな滝を作り、くたびれた全身を湯の中に沈めていった。


「ふいぃ〜……。すっごい疲れていると、お風呂がより一層気持ちよく感じるや〜……」


 浴槽から身を乗り出し、腕を枕にしてくたびれた身体をお湯に温かいお湯に身を任せ、大きなあくびを一つつく。

 しばらくその状態で、何も考えずにボーッとリラックスしていると、脱衣場から洗濯が終わった事を知らせる音が流れてきた。


「洗濯終わっちゃったかぁ……。もう少し浸かっていたかったけど、上がろうかな」


 まだ身体が満足していないものの、風呂の栓を抜き、お湯を抜いてから風呂から上がり、タオルで体を拭こうとするも、用意をするのを忘れていたのか、タオルがどこを探しても見当たらず、「あれっ?」と、声を漏らす。


「……しまった、タオルも着替えも用意するのを忘れてたや……。まあ、自分の部屋だし……、このまま行っちゃうか」


 疲れていたせいか、タオルも着替えも用意をするの忘れ、風呂に入った自分に呆れながら部屋にのそのそと戻っていく。

 その矢先、ちょうど夜飯を持って扉を開け、部屋の中に入ってきていたクロと鉢合わせてしまい、花梨は「あっ……」と、呟きながら口をヒクつかせ、クロは「……はっ?」と、困惑した表情をしながら花梨を睨みつけた。


「……すっぽんぽんで何やってんだお前は?」


「あっはははは……、クロさんのエッチ」


「うるさいよ、さっさと服を着ろ」


 呆れた表情をしているクロに、強めのげんこつをされると、花梨は「ふげっ!」と、声を漏らしつつ、タオルで体を拭いてパジャマに着替える。

 そして、洗濯機から洗濯物を取り出してハンガーに掛け、風通しの良いカーテンレールに掛けると、シワが残らないように丁寧に伸ばした。


 洗濯物を干し終えてから後ろを振り向くと、まだ部屋に残っていたクロは、花梨の着ていた着物を手に取り、珍しい物を見るような目で眺めていた。


「なかなか良い着物じゃないか、どうしたんだこれ?」


「今日、着物レンタルろくろの仕事の手伝いをしに行ったら、帰りに首雷さんから貰ったんですよ。いいですよねぇ、とっても気に入っています」


「ふ~ん、なんで棚の上に置いてんだ? これじゃあ、せっかくの着物が台無しだぞ?」


 至極真っ当な事を言われた花梨は、頬をポリポリと掻き、「へへっ……」と、から笑いをしながら話を続ける。


「着物を貰ったはいいんですけど……。まだ、桐箱や着物ハンガーが無くて、仕方なく仮置きでそこに」


「ああ、なるほど、そういうことか。私が使ってない桐箱やら着物ハンガーがあるけど、いるか?」


「いいんですか? いりますいります!」


「りょーかい、ちょっと待ってろ」


 そう言ったクロは花梨の部屋を出ると、三十秒もしない内に薄い長方形の形をした桐箱と、伸縮が可能で、帯も掛けられるようになっている着物ハンガーを持ってきて、花梨にそっと差し出した。


「ほらよ。ちょっと古いが、まだまだ使えるぞ」


「ありがとうございます! それにしても、帰ってくるのがすごく早かったですね」


「んっ? ああ、そうか。そういや言ってなかったな。私の部屋はここの隣だ」


「えっ、そうだったんですか!?」


「そうだぞぉ~。夜中に悪さなんかしていたら、すぐにお前の部屋に駆けつけてやるからなぁ~」


 クロに太い釘を刺された花梨は、「き、気をつけます……」と、顔を引きつらせながら忠告を受け止め、よ、夜中に悪さをするのは、絶対にやめておこう……。と、心の中で誓う。

 そしてクロは、「ふふふふふ……」と、不気味な笑みを浮かべつつ部屋から出ていき、花梨は、更に顔を引きつらせながら手を振ってクロを見送った。


 見送りが終わると、花梨は早速、クロから貰った着物ハンガーに裏返しにしていた着物を掛け、空いているカーテンレールに引っ掛けると「よしっ」と呟き、笑みを浮かべる。

 桐箱は後で使用する為に、一旦邪魔にならない場所に移動させ、夜飯を食べる事にした。


 テーブルの上に目をやると、豆腐が沢山入っているも、見るからに辛そうだと直感させるほどの赤さで、大量のひき肉と、切り刻まれたネギが食欲をくすぐってくる大盛りの麻婆豆腐丼と、その横にレンゲが置かれていた。


「麻婆豆腐丼かぁ、なかなか辛そうな色をしているな~。いただきまーす!」


 花梨はにんまりとしながらレンゲを手に取り、真っ白なご飯と、赤く染まっているひき肉と豆腐が混じっているあんの部分を半々にすくい、ゆっくりと口の中に入れる。

 ピリッと刺激のある辛さが、口の中を刺しながら広がっていき、時折、ご飯と豆腐の甘みとひき肉の風味を少しだけ感じるも、再び辛いあんの中へと引きずり込まれていった。


「う~ん、カラうまっ! こりゃあ止まらんぞ~」


 口の中が辛さに慣れていくと、徐々に辛さ以外の風味も感じ取れるようになってきて、散りばめられているネギの味と食感も、だんだんと楽しめる余裕が出てきた。

 休むことなく食べ進めていくと、麻婆豆腐丼の辛さが体に移ったのか、少しずつ体に熱が帯びて火照っていき、ひたいにじんわりと汗が滲み出してくる。


 その暑さに耐えかねた花梨は、たまらずパジャマの長袖を急いで脱ぎ、両手で顔を仰いで火照った体を冷やしつつ、大盛りの麻婆豆腐丼を完食していった。 


「ふう~っ、あっつい。かなり辛かったけど、美味しかった~」


 カバンから小さい扇子を取り出し、熱く火照った体に風を送りながら休憩し、熱が収まってきたら食器類を一階にある食事処へと返却し、自分の部屋に戻っていく。

 そして、歯を磨きながら窓から着物レンタルろくろの店がある方角を見てみるも、店はとっくに閉まっているようで、店の軒先のきさきにぶら下がっている提灯の灯りが、店の前を通り過ぎていく妖怪を照らしているだけだった。


 少し寂しく思いつつも歯を磨き終え、筆記用具を手に取り、いつもの日記を書き始めた。









 今日は、着物レンタルろくろで仕事の手伝いをしてきた! 永秋えいしゅうのマッサージ処で、私をしこたま驚かせたろくろ首さんが働いているお店だ。

 正直に言うと、最初は行くのが怖くてあまり乗り気じゃなかった。でも、そんな事を言っても始まらないし、今日一日頑張って耐えれば終わる。そう考えていた。


 お店に行って、そこで例のろくろ首さんである首雷さんと出会った時も、首雷さんはやっぱり私の事を驚かせてきたんだ。とっても迫力があって、怖かったなぁ……。


 でも、仕事をして首雷さんと接していく内に、私を驚かせて楽しんでいた首雷さんのことを見る目は、百八十度変わっていたんだ。

 いじわるな部分もあるけど、根はとっても優しくて、本当に頼れる上司みたいな人なんだ。私がお客様の対応に困って相談をしても、嫌な顔を一つしないで変わってくれたし、あの時はカッコよかったなぁ。


 仕事が終わった後に、首雷さんにマッサージをお願いされたんだけど、一緒に会話をした時も楽しかった。私が永秋でマッサージをした事を覚えていてくれて、それを楽しみにしていたらしい。

 すごい気持ち良さそうにしてて、最後には優しい笑顔でお礼を言ってきてくれたんだ。思わず私も嬉しくなっちゃった。


 そして最後に首雷さんは、私が仕事を始める前に着た綺麗な着物を、あげるって言ってきたんだ。もちろん、驚いた私は最初は断ったさ。大した事もしていないし、申し訳なかったし、なによりとっても高価な物だもん。

 でも、欲しさの方がまさっちゃったのか、嬉しくなって結局もらっちゃった。その場でも言ったけど首雷さん、本当にありがとうございます! 大事に大事に着させていただきますね!










「あっははは……、首雷さんのことばっかり書いちゃってるや。でも、本当に嬉しかったなぁ」


 花梨は、首雷から貰った着物を見て、今日一日で変わった心境を思い返しながら、ふわっと微笑む。

 これまで首雷に対し、感じていた恐怖心もすっかりと消え失せ、今や尊敬の眼差しを向けている首雷に、もう一度会いたいという、昨日までには絶対に考えられなかった気持ちさえ芽生えていた。


 着物を見ながら体をグイッと伸ばし、携帯電話の目覚ましを、十時にセットしてからパジャマの長袖を腕に通す。

 大きなあくびをしてからベッドに入り込み、軽くなった心を感じつつ眠りへとついていった。

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