9話-4、遅めの食事とマッサージ
一つ目入道の大きい服を、保管庫の棚に置いた花梨達は、ぞろぞろと店内へと戻っていき再び接客をこなしていった。
背中に翼が生えている天狗。見た目が獣に近いが、人間みたいに二足歩行をしている化け狐。虎柄の布を腰に巻いている、全身が赤い赤鬼。
ここまでは難なく着付けをできた花梨だったが、四つん這いの妖怪を着付けした後から、雲行きがだんだんと怪しくなっていく。
そして、からかさ小僧や一反木綿といった、体格に個性のある妖怪に関しては、すぐさま
休憩する暇もなく、常に慌ただしく客の対応に追われていた花梨は、
「ふうっ、もうこんな時間か。結構ハードだなぁ。絶え間なくお客様が店に入ってくるや」
「これからぁ、着物を返却しに来るお客様も来るようになってぇ、もっと忙しくなるからぁ、今のうちに休憩してきなさいなぁ〜」
花梨が、店の入口から入ってくる客を見ていると、目の前に突然、
その花梨の驚いている様を見た首雷は、満足気に笑いながら花梨の目前へと顔を寄せていく。
「うふふふふ〜、とぉ〜ってもいいリアクションと表情だわぁ〜。ゾクゾクしてきちゃう〜」
「ふおっ……おおおっ……。ゆ、油断してた……」
「油断は禁物よぉ〜。それじゃあ〜、店の右側にも引き戸があるでしょう〜? そこはぁ、店員の休憩室になっていてねぇ〜。おにぎりとお味噌汁をたくさん用意してあるからぁ、食べてきなさいなぁ〜」
「あ、あそこですね……。分かりました。それじゃあお言葉に甘えて、少しだけお昼休憩をしてきますね」
そう言った花梨は、尻をはたきながら立ち上がり、おにぎりと味噌汁が待っている休憩室へと向かっていく。
ごくごく普通サイズの引き戸を開け、中に入ってから辺りを見渡してみる。
室内は白い壁に覆われており、部屋の中央には二列に並んだ長机がある。その長机の周りには、グルリと囲むように沢山のパイプ椅子が並べられていた。
部屋の左側には、キャスター付きの大きなホワイトボードが置かれており、休憩室というよりも、まるで会議室のような印象を受けた。
部屋の右側には、ステンレス製の流し台や三口コンロ、電子レンジや電気ポットなどが置かれている。
流し台の物を置けるスペースに大きな皿があり、その皿の上に、大量の大きなおにぎりがズラッと並べられている。
三口コンロがある方で、艶やかな着物の上からエプロンをし、頭に三角巾をかぶっているろくろ首が、完成間近の味噌汁をゆっくりとかき混ぜていた。
花梨は、部屋内に広がる食欲をそそる味噌汁の匂いを嗅ぐと、疲れで忘れていた食欲が一気に湧き上がり、急に腹の虫が元気よく鳴り始め、おにぎりと味噌汁を早くよこせと催促をしてきた。
その音を真摯に受け止めた花梨は、
「すみませーん、お味噌汁くださいっ」
「はーい。おにぎりの具は左側がシャケ、右側が梅干しになっているから、自由に食べてください」
そう説明したろくろ首は、出来たての味噌汁を器にたっぷりと注ぎ、こぼれないように花梨にそっと手渡した。
器を受け取った花梨は、その場を離れてから熱々の味噌汁に息を吹きかけ、ゆっくりとすする。
赤味噌で作られた味噌汁は、塩分がかなり濃くなっているも、大量に汗をかいて塩分を失っている体には、嬉しい味付けになっていた。
「う〜ん、濃いめの塩分が身体に染み渡るぅ〜……。それじゃあまず初めに、梅干しが入ったおにぎりからいただきまーす。……くぅーっ! 酸っぱいっ!」
大口で頬張ったおにぎりの中には、大粒の梅干しが入っており、塩気と酸味がとてつもなく強く、思わず口を酸っぱく尖らせる。
米の風味が感じ取れないほどに強いせいか、梅干しを先に完食しつつ、合間合間に味噌汁を流し込み、梅干しの味が少しだけ移っているおにぎりも完食した。
指に付いた米粒を食べると、次にシャケが入っているおにぎりに手を伸ばす。
先ほどのように大口を開けて口に入れると、甘みの強い米の風味の中から、ふっくらとしたシャケの身が現れると同時に、薄っすらとした塩気を帯びた脂が溢れ出てくる。
こちらの塩気は米とよく馴染み、シャケのおにぎりを気に入った花梨は笑みを浮かべつつ、
「んっふ~。シャケの方はまろやかな塩気がたまらんっ。んまいっ!」
指に付いている米を食べるのも忘れ、お気に入りになったシャケのおにぎりを無我夢中で食べ進め、七個目を食べ終わった所で味噌汁のおかわりも貰った。
そして、味わいつつ味噌汁を飲み干し「ほおっ……」と、満足のこもった至福のため息を漏らし、パイプ椅子に座りながら、シャケおにぎりと味噌汁の温かな余韻を存分に浸る。
ある程度の体力が回復すると、味噌汁をよそってくれたろくろ首にお礼を言い、食器類を綺麗に洗ってから元の場所へと戻し、すぐさま午後の仕事に取り掛かった。
午後四時を過ぎた辺りから、着物を返却しにきた客がポツポツと目立ち始める。
今までは着付けだけで済んでいたが、今度は服の返却と料金の支払い、客が着ていた着物を後でまとめて洗濯をする為に、着物の保管庫にある大きな洗濯カゴの中に入れる作業が増えた。
花梨達は、絶えず押し寄せてくる客の対応を淡々とこなしていき、辺りがすっかりと暗くなった午後八時過ぎ頃、最後の客を店員一同で見送りながら一礼し、何事もなく、無事に閉店時間を迎えることができた。
最後の客がいなくなった事を確認した花梨は、その場にペタンと座り込み、天井に顔を向けながら疲労が溜った大きなため息をつく。
「ぬっはぁ~……。ずっと動きっぱなしだったから、さすがに疲れたぁ~……」
「お疲れ様ぁ、花梨ちゃん~」
「ふおっ!?」
花梨は、天井にぶら下がっている蛍光灯をボーッと眺めていると、急に視界が暗くなり、普通に歩いてきた首雷の顔が目に映り込む。
脊髄反射で驚いた花梨は、その拍子に床に突いていた手が思いっきり滑り、そのまま後頭部を床にゴッ、と音を立たせながら強くぶつけ、頭を抱えてその場でうずくまった。
「ぐおっおぉぉ~っ……。お、お疲れ様、でした……」
「うっふふふふ~。花梨ちゃんってばぁ、本当に面白い子ねぇ~。ちょっと最後にお願いがあるんだけどぉ……、一緒に休憩室に来てもらってもいいかしらぁ~?」
「お願い、ですか? 分かりました」
今日最後の指示であろう言葉を聞くと、花梨は後頭部を擦りながら立ち上がり、首雷を後ろに着いて、昼過ぎにおにぎりと味噌汁を堪能した休憩室へと向かっていく。
中に入ると誰もおらず、しんと静まり返っており、近くにあったパイプ椅子に座った首雷が、花梨に向かって手招きをすると、なんだろう? と、首を
「これはぁ、私個人のワガママなんだけどぉ~。首ぃ、マッサージしてもらってもいいかしらぁ~?」
「首のマッサージですか。はい、いいですよ!」
首雷に首のマッサージをお願いされた花梨は、すぐにマッサージに取り掛かる。
首根っこを強く揉み始めると、それに合わせて徐々に首が伸びていき、本当に気持ちがいいのか、時折色気づいた声を漏らしていった。
「はぁ~……。花梨ちゃん、
「首雷さんってば、あの時も私の事を驚かせてきましたよねぇ」
その言葉を聞いた首雷は、当時の花梨の怯えた表情を鮮明に思い出し、クスクスと笑いながら話を続ける。
「あの時の花梨ちゃんもぉ、最高に良い表情をしていたわぁ~」
「あっははは……。あの時は、この温泉街に来てから半日も経っていなかったので、本当に怖かったんですからねっ」
会話に花を咲かせつつマッサージを続けていき、十分以上が経った頃になると、首雷の首が一メートル以上も伸びており、その首の長さをまじまじと見ていた花梨は、ちょっとした好奇心が生まれて口を開いた。
「首雷さん。首雷さんの首って、いったい何メートル以上伸びるんですか?」
「ん~? 大体、十五メートル前後かしらぁ~?」
「そんなにっ! 長いですねぇ~」
「すごいでしょう~。でもぉ、狭い部屋とかで伸ばし過ぎるとぉ、自分でもどうなっているのか分からなくなっちゃってぇ、首がこんがらがっちゃうのよねぇ~」
「も、文字通りに自分で自分の首を絞めるワケですか……」
「そうねぇ、かなりツライわよぉ~。ああ~! そこっ、そこもっと強く押してっ……、あぁ、いいわぁ~」
首雷と二人っきりで会話をしていた花梨は、基本いじわるな人だけど、本当は優しい人なんだろうなぁ。と、首雷に対して恐怖心しか抱いていなかったが、会話を楽しみながらマッサージをしていくうちに、恐怖心はだんだんと消えていき、多少なりの安心感と信頼感を抱き始める。
その後、止めどなく長くなっていく首雷の首のマッサージをしていると、鼻歌を歌って夢心地気分に浸っていた首雷が「花梨ちゃん~、もういいわぁ~。ありがとう~」と、優しい声を発しながら、首を元の長さに戻していく。
「はぁ~、気持ちよかったわぁ~……。ごめんなさいねぇ、仕事をして疲れていたのにマッサージをさせちゃってぇ~」
「いえいえ、私は全然大丈夫です!」
「うふふふっ。それじゃあ、今日一日ご苦労様でしたぁ~。はいこれぇ、今日のお駄賃よぉ~」
ニコリと笑った首雷は、着物の袖から茶封筒を取り出し、花梨に差し出した。
「ありがとうございます!」
茶封筒を受け取った花梨が、嬉しそうにしながら中身を見てみると、一万円札が五枚も入っており、大金を目にした花梨は「えっ、五万円!? こ、こんなにいいんですか!?」と、目を丸くしながら声を荒げ、予想通りのリアクションに、首雷はクスクスと笑ってから話を続ける。
「花梨ちゃん、初日からすごい頑張ってくれたからねぇ~。その中にぃ、マッサージ代も含まれていると思ってくれればいいわぁ~。それとぉ、今着ている着物。それもあげるから大事に取っておきなさいねぇ~」
「ええっ!? き、着物もいいんですか? それはさすがに悪いですよ……」
「いいのよぉ、気に入っているんでしょうその着物~? またこのお店の手伝いに来る時にでもぉ、着てきてちょうだいなぁ~」
首雷が温かく微笑みながらそう言うと、花梨は自分の着物姿を改めて見て、申し訳ないという気持ちよりも、これからもこの着物が着れるんだという純粋な嬉しさが込み上げてきて、それが勝ってしまい、ニコッと笑った。
「……すみません、本当に嬉しいですっ。ありがとうございます! 大切に着させて頂きますね!」
「ええ~。そうしてくれるとぉ、その着物も喜んでくれると思うわぁ~。それじゃあ、次の機会があったらまたよろしくねぇ~」
「はいっ! 今日一日ありがとうございました!」
花梨は着物をくれた嬉しさから、仕事の疲れが全て吹き飛び、満面の笑みで首雷にもう一度お礼を言い、着てきた私服を片手に持ち、着物レンタルろくろを後にした。
店から出て、予想だにしていなかった形で自分の物になった着物を見て、再び嬉しさが込み上げてくると、ふふっと笑みをこぼし、その場でクルクルと周りながら「やったー! 嬉しい〜っ!」と、素直な感情を口から漏らす。
その場で回っていると、ふと遠くの方で、自分の店の前で掃き掃除をしている雪女の
「雹華さーん! 見て見てー! どうですか、今の私の姿ー!」
「……んっ……? ……あら、花梨ちゃっはぁぁっ……!? ……ちょっとこっちに来なさい……!」
「えっ、えっ? ちょっ……!?」
花梨の着物姿を目撃した雹華は、一瞬、雷に打たれたような表情になるも、すぐ血相を変えながら花梨の腕を掴み、強引に店内へと引きずりこんでいった。
無理やり店内に引きずり込まれた花梨は、不意の出来事に何も対応できず、驚きながら口を開いた。
「び、ビックリしたぁ……。どうしたんですか急に?」
「……じゃない……」
「えっ?」
「……暗い外だとぉっ……! ……花梨ちゃんの、その素敵な着物姿が上手く撮れないじゃないのっ……!!」
花梨は、鼻から息を吹き出し、酷く興奮しながら既に、一眼レフカメラを構えている雹華を見て、全てを察し、あ~、なるほど、そうことか……。と、胸を撫で下ろし、着ている着物の乱れた部分を整える。
そして、撮影会場と化した
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