8話-5、成功と失敗の試飲会

「さあ、着きました。ここが我が店の酒蔵ッス」


「ぬっは……、窓が無いから酒の匂いが凝縮されている……」


 花梨は幸せな昼のひと時から一転、スタッフルームの奥にある鉄の扉をくぐり抜け、店で新しく出す予定の、酒羅凶が丹精込めて作った酒の味見をする為に、強烈な酒の匂いが充満する酒蔵へと来ていた。


「この酒蔵から更に、酒の種類によって部屋が分かれているんスよ。ちなみにここは、清酒・どぶろくゾーンっス。まずはフルーティーな甘さがウリの、薫酒くんしゅからどうぞっス」


「どれどれ……。おおっ、果物みたいなサッパリとした甘さがある。お酒って言うよりも、ジュースに近いですね」


「でしょー。店長、果物の風味を種類別に分けて作るのが得意なんスよ。ちなみに、樽に貼られたラベルの絵通りの味が楽しめるっスよ」


 花梨はその説明を聞き、辺りに並んでいる自分の伸長よりも高くて大きい樽に目をやると、ぶどう、リンゴ、みかん、イチゴ等などの絵が描かれているラベルが貼られている。

 試しに、みかんの薫酒くんしゅを飲みたくなった花梨は、酒天にお願いしてコップに酒を注いでもらい、味を確かめながら飲んでみると、確かにみかんの爽やかでスッキリとした甘さが、口の中に広がった。


「どうっスか、薫酒は?」


「いいと思いますよ。色々なおツマミや料理に合わせてお酒を選択できるっていうのは、お店にとって強みになるんじゃないですかね?」


「おー、参考になる意見ありがとうございます。薫酒はOKっと。んじゃ、次っスね」


 酒天は、持っていたバインダーに挟まれた紙に記してある、薫酒の文字に丸を付け、部屋の奥へと進んでいく。

 今度は爽酒そうしゅ醇酒じゅんしゅ熟酒じゅくしゅのラベルが貼られた樽の前で止まり、爽酒そうしゅをコップに注いで花梨に手渡した。


 花梨は、その爽酒を飲んでみると、薫酒のフルーティーな味とは一転し、辛口ながらもスカッとした風味で喉通りもよく、注がれた分だけ一気に飲めそうになっている。

 しかし、まだ先は長く、最初から飛ばすのはマズいと感じた花梨は、残りを酒天に渡して代わりに飲んでもらった。


「とても飲みやすくていいんですけども、先に薫酒を飲んじゃったせいか、少しインパクトに欠けるかなぁ。でも、辛口の後味がクセになって、何杯でも飲みたくなっちゃいますね」


「ほうほう、それじゃあ爽酒もOKっスね。えっと、次は醇酒じゅんしゅっス」


 作業は、休みを挟まず進んでいく。醇酒はガツンと来る強い酒の風味が口の中を支配し、濃い味をしたおツマミを食べつつ、お酒の味も楽しみたい人向けという意見を、花梨から貰ってOKになった。


 熟酒じゅくしゅは、本来であればトロッとした口触りと、ピリッと刺激のある辛味が特徴らしい。

 が、今回は酒羅凶が管理を間違えたせいか、手で掴めるほど固いゲル状になっている。


 好奇心に打ち負けた花梨が、そのゲル状化した酒を舐めてみると、タバスコを大量に舐めたような鋭い刺激が舌を襲い、耐えかねてその場でのたうち回った。

 その悲惨な光景を見てもなお、舐めてみたいという好奇心に駆られた酒天も、恐る恐るペロッと舐めてみると、一気に顔が青ざめ、嘔吐えずきながら熟酒にバツの文字を記した。


「これは……、過去トップ10に入るほど酷い酒ッスね……オエッ」


「こ、これでも一位じゃないのか……。一番酷いのは、どんな物で……?」


「えーっと、紫色をしたマグマみたいな見た目で、なんかボッコンボッコン音を立ててたっスね……。店長も味見をする前に捨てろって言ってたっス」


「いったい、どうすればそんな物体が……」


「わかんねーっス……。気を取り直して、次行きましょー。この部屋の最後はどぶろくっスね」


 二人は、凶悪な後味を忘れつつ、小粒、中粒、大粒と記されたラベルが貼られている樽が、奥までズラっと並べられている区域まで足を運んだ。


 ラベルの文字が気になった花梨は、酒天に質問をしようとするも、先に酒天の説明が割って入る。

 どぶろくには『もろみ』と言う固形物が入っており、そのもろみは『酒粕』とも言われているらしい。


 その酒粕の粒の大きさを表しており、大きくなるほど酒の風味と共に、食感も楽しめるようになっている。


 味は、大体が米本来の味が残っているものの、後に残る口当たりや風味が千差万別で、まろやかで甘い物。どっしりとしているが、スッキリとした風味の物。

 口にへばりついて、喉通りが最悪な物。単に腐っているのか、尖った酸味で後味が苦い物などがあった。


 九種類三セットの内、五種類は花梨からOKを貰い、残りはボツという名の廃棄になった。


「ふう……。色んなお酒を飲んだから、口の中で味が喧嘩し合ってきちゃったなぁ」


「それならレモン水をどうぞっス。何回か口をゆすいでから飲んで下さいっス」


 そう言った酒天は、袖の中にあるレモン水入りのペットボトルを取り出し、花梨に手渡す。花梨は、言われた通りにレモン水を口に含み、数回ゆすいでから飲み込んだ。

 レモン水でゆすいだ口の中は、多数あった酒の風味がリセットされ、代わりにサッパリとしたレモンの風味が、口の中に留まった。


「次は、蒸留酒じょうりゅうしゅ・洋酒ゾーンっスけど……。店長ってば作るのが苦手っスから、ここら辺は特に失敗作が多いんスよねー。酒の度数も半端なく高いっスけど、どうします?」


「み、見てから判断します……」


「了解っスー。んじゃあ、次の部屋に行きましょー」


 そう酒天に案内され、部屋の突き当りまで行くと、『蒸留酒・洋酒ゾーン』と記された看板がある鉄の扉があり、二人で軽々と開けて中へと入る。

 中は、何も無い小部屋になっており、更に奥にも同じような鉄の扉があった。


 その奥の扉を開け、蒸留酒・洋酒ゾーンの部屋に入った瞬間、酒の海にでも溺れたのかと錯覚におちいるほど、濃いアルコール度数を含んだ霧状の湿気と、機械から甲高く発せられる蒸気音が花梨達を出迎えた。


「ぬあっ、くっさ! すっごいお酒臭いし、めちゃくちゃ蒸し暑いこの部屋!」


「あ~、機械から蒸気が漏れてるっスねー。ここが蒸留酒・洋酒ゾーンけん、限度を知らない蒸留酒製造所っス。匂いの発生源も、主にここっスねー」


 花梨は咄嗟とっさに鼻と口を手で覆い隠すも、呼吸をするたびに、アルコール度数の高い湿気が手の隙間から入り込み、露出した皮膚からも絶え間なく体の中へと浸透し、体全体がカッと熱く火照り始める。


 そして、ヤバい……、全身で酒を一気飲みしているみたいだ……。と、酔いが回り始めた身体をフラつかせ、ここに長居をしたらマズイと悟り、目の前にいる酒天の肩を叩く。

 気がついた酒天が振り向くと、花梨が指で奥に行こうというジェスチャーをし、それが伝わったのか酒天は「うぃっス」と呟き、花梨の腕を黙って握り、白い視界の中を早足でエスコートしていった。


 部屋の突き当りまで来ると、白く染まっている視界から急に鉄の扉が現れ、酒天が急いで扉を開けて花梨を中へと連れ込んだ。

 鉄の扉が閉まり、視界が晴れたことを確認した花梨は、「ぶっはぁ!」と、声を上げながら止めていた呼吸をし始め、受け身を取らずに、仰向けで地面に倒れ込んでいった。


「ハアハアハア……、はぁ~っ……。い、一生分の酒を飲んだ気がする……」


「蒸留器の調子が悪いのか、蒸気がダダ漏れでしたねー。あそこまで酷いのは久々っスよー」


「居酒屋浴び呑みっていう、この店の名前の由来を、肌で感じた気がするや……」


「あっははー、大袈裟っスよ花梨さーん。しゃーないっス。あそこは後で、あたしが味見をしておくんで、ラスト一本。とっておきの奴の味見をお願いしますねー」


「や、やっと終わる……」


 修行僧を通らせただけで、地獄の一つである普声処ふしょうしょに落とされかねない蒸留酒・洋酒ゾーンを抜け、今日最後の部屋である「純米酒ゾーン」に入り込んだ。


 部屋の内装も、樽の配置も清酒・どぶろくゾーンとはほぼ変わらず、違いがあるとすれば、棚に貼られているラベルの文字だけであった。


 純米酒じゅんまいしゅ吟醸酒ぎんじょうしゅ大吟醸酒だいぎんじょうしゅ

 純米吟醸酒じゅんまいぎんじょうしゅ純米大吟醸酒じゅんまいだいぎんじょうしゅ特別純米酒とくべつじゅんまいしゅ

 本吟醸酒ほんぎんじょうしゅ特別本醸造酒とくべつほんじょうぞうしゅとあり、さっきの地獄のような部屋とは打って変わり、食欲を刺激する炊きたての米のような芳醇な香りが、ほんのりと部屋内に漂っていた。


「ああっ、いい〜……。すっごい良い香りがするこの部屋ぁ〜。地獄から天国に来たみたいだぁ〜」


「いい表情をしてますねー、花梨さん。飲んでもらいたいのはあの酒っス」


 花梨はヨダレを垂らしながら、にへら笑いを浮かべている中、酒天が指を差した一際大きい樽に目をやる。

 その樽には『超特濃本醸造酒ちょうとくのうほんじょうしゅ』と、書かれたラベルが貼られており、酒天がにんまりとしながら説明を始めた。


「店長が我が子のように、丹精込めて大切に育てた酒の一つっス。店の看板酒にする予定なんで、是非とも味見をしてくださいっス」


 説明を終えた酒天が、新しいコップを手に持ちながら樽に歩み寄っていき、樽の中にある酒を丁寧にコップへと注ぎ、花梨にそっと手渡した。

 部屋内に米の匂いを充満させている正体は、この超特濃本醸造酒ちょうとくのうほんじょうしゅだと分かるほど、コップから米の豊かな匂いが漂ってきている。


 花梨は、いつの間にか口の中に溜まっていた生唾を飲み込み、超特濃本醸造酒ちょうとくのうほんじょうしゅを口の中へと入れる。

 テイスティングをするように舌の上で転がすと、白米を口の中に入れたような錯覚を起こすほど、強い米の風味が口に中に広がり、思わず二回ほど咀嚼そしゃくをしてしまった。


 よく味わってから飲み込み、胃に到達する頃には、白米を食べたという満足感が脳に押し寄せてきた。

 その余韻を楽しんでいる途中、口の中に広がっていた白米の風味は一切無くなっており、もう一度飲んでみたいという欲求が新たに生まれ、今度は一気に飲み干した。


「……これはすごいや。あまりお酒は飲まないんだけど、これは何杯でも飲みたくなってきちゃうなぁ」


「お褒めの言葉、ありがとうございまーす! 店長も喜ぶっスよー」


「このお酒は、大体の料理やおツマミに合うと思いますよ! 今回は常温で飲みましたけど、熱燗で飲んだらもっと美味しいだろうなぁ〜」


「その通りっス! ありとあらゆる料理に合う酒を目指して作った結果、この超特濃本醸造酒に辿り着いたらしいっス。いいっスねー。後で、いろんな温度で試飲してみるっス」


 そう言った酒天は、超特濃本醸造酒に大きく花丸を記し、にんまりと笑いながら話を続ける。


「んじゃー、花梨さん。これで酒の味見は全て終了っス。ご協力ありがとうございましたー!」


「な、長かった……。一時期はどうなるかと思いましたけど、美味しいお酒が飲めましたし、とても楽しかったです。こちらこそ、ありがとうございました!」


「それじゃあ、後は清掃をして終わりっス! 掃除の仕方は、そのゾーンに合わせた抗菌作用のある酒を含んだ雑巾で、酒樽、壁と床の順で拭いて下さいっス。あたしは、蒸溜酒と洋酒の味見をしてくるんで、それが終わってから掃除に参加しますね」


「分かりました!」


 説明を終えた酒天が、数枚の雑巾とバケツを用意し、拭き掃除用の酒をバケツに注ぎ、雑巾をたっぷりと浸し、軽く絞ってから花梨に差し出した。

 その雑巾からも、微かに米の匂いが漂ってきて、もう一度超特濃本醸造酒を飲みたくなってきたが、その強い誘惑を振り払いつつ、酒樽の拭き掃除を始めた。

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