8話-4、酒と料理は表裏一体

 最後の配達先である、焼き鳥屋八咫やたの配達が終わり、居酒屋浴び呑みに戻ると、先ほどは居なかった茨木童子の酒天しゅてんが、店の前で何かを探すように辺りを見渡していた。

 探していたのは花梨だったのか、花梨の姿を見つけるや否や大きく手を振り、手招きをするようなジェスチャーをしてきた。それを見た花梨も、手を振ってから急いで酒天の元へと駆け寄っていく。


「酒天さーん、配達終わりましたー!」


「お疲れっス花梨さん、待ってましたよー。店長がまかない料理を作ってくれたんで、一緒に食べましょー!」


「あっ、もう昼時だったんですね。って事は、今は稼ぎ時じゃあ?」


「稼ぎ時は夕方から夜にかけてっス。今はほとんど客がいないんで、座敷で食べましょー。あっ、荷車は店の横に押し込んで、シートをかけておいてくださいっス」


「分かりました。それじゃあ先に、荷車を片付けてきますね!」


 そう指示を出された花梨は、店の左側にある隙間に荷車を押し込み、畳んであった紐付きの茶色いござを荷車に覆いかぶし、風で飛ばされないよう紐をキツく締める。

 手の汚れをはたき落としながら「これでよしっと」と呟き、酒天と賄い料理が待っている店の中へと入っていった。


 店の中を見渡してみると、酒天が言った通りに客は数名しかおらず、各々静かに酒をたしなみながら己の世界に酔いしれている。

 座敷の方を見てみると、こちらに向かって手招きをしている酒天の姿が目に入り、靴を脱いで座敷へと上がり、酒天の対面の席に腰を下ろし、テーブルに並んでいる料理に目をやった。


 炙られたたいと普通の鯛の刺身が、ご飯を覆い隠すほど乗っており、その上に白ごま、万能ネギ、刻み海苔が散りばめられている鯛丼。備え付けに山盛りにすりおろされたワサビ。

 その鯛丼の隣には白くて大きな茶器があり、蓋を開けて中を覗いてみると、茶色く透き通った出汁だしが入っていて、湯気に乗ってカツオ節の匂いがフワッと漂ってくる。


 テーブルの中央には、中身が透明に透き通っている一升瓶が三本置いてあり、ラベルには『桃源鬼とうげんき』と、記されいた。


「鯛っ! 賄い料理で鯛っ!? しかも、これでもかってぐらいに乗ってる!」


「さあさあ、食うっスよー飲むっスよー!」


 テーブルの上に、一升瓶が三本も置かれている時点で嫌な予感がしていた花梨は、やっぱり飲むのか~……。と、心の中でボヤキ、そのボヤキが思わず口からも漏れ出した。


「やっぱり、飲むんですね?」


「当たり前っスよー! 酒と料理は表裏一体、切っても切り離せない関係っス! さあさあ、飲んで飲んでー」


 完全に飲みの体勢に入っている酒天は、有無を言わさず花梨の目の前にコップを置き、慣れた手つきで一升瓶の蓋を片手で開け、限界ギリギリまで注いでいった。

 花梨は酒が注がれたコップを睨みつけ、今朝、ぬらりひょんが言っていた言葉を思い出し、口をヒクつかせながらコップを手に取る。


 そして、既に自分のコップに酒を注ぎ終わっていた酒天が、乾杯を今か今かと待ちわびており、目をギンギンに輝かせていた。


「それじゃあ、乾杯といくッスよー。かんぱーい!」


「ええい、ヤケだ! かんぱーい!」


 二人は、注がれた酒を零しながらコップをぶつけ合い、店内に景気の良いガラス音を響かせる。

 すきっ腹で一気飲みするのはマズいと感じた花梨は、少量だけ口に含もうとすると、先に酒を飲み干した酒天が、「プッハァー!」と、気持ちのいい声を上げた。


「うおっ、酒天さん飲むのはやっ!」


「花梨さんが遅いんスよー。早く飲まないと、全部あたしが飲んじゃうっスよー」


「い、いや、私はこれだけで充分ですよ。あとは、酒天さんが飲んでください」


「いいんスか! それじゃあ……、んぐっ、んぐっ」


 酒天は、にんまりとしながら一升瓶を片手に持ち、ラッパ飲みで一気に酒を流し込み、口から離すと、既に三分の二ほど酒が減っていた。

 その一部始終を見ていた花梨は、丼ぶりを持とうとしていた手が止まり、目を丸くしながら「すげえ……」と、口走る。


 呆気に取られた花梨は、気を取り直して丼ぶりを手に取り、白みがかっている鯛の刺身を、ご飯と一緒に口の中へと運ぶ。

 噛むとプリッとした歯ごたえと共に、ほどよい塩気が効いた脂が弾け飛び、ご飯の甘みと混ざり合い、鯛の強い風味と一緒に口の中を駆け巡る。


 次に、炙った鯛の刺身を口の中に入れる。カリカリに炙られた皮が、噛むたびにパリッと食欲をそそる音を奏でていく。

 普通の刺身とはまた違う風味で、火が通ったことにより香ばしさが格段に上がり、脂の塩気も更に強くなっている。


 その二つの風味を全力で味わい、咀嚼そしゃくをしながら鼻から大きく息を吸い込み、鯛の香りを楽しみつつ、静かに息を吐いた。


「おおっ、鯛の風味の余韻も強いっ……。すんごい美味しいっ!」


「んまいっスよね〜。出汁でお茶漬けにして食うと、更にんまいっスよー」


「うわぁ、想像しただけでヨダレが……。じゃあ早速っ」


「あっ、ワサビも忘れずに乗っけてくださいねー」


 ヨダレを拭き取った花梨は、はやる気持ちでご飯と各刺身を別の器に盛りつけ、真ん中にワサビの山を乗せ、出汁を満遍なくゆっくりと器に注いでいく。

 カツオ節の香りを含んだ湯気を堪能していると、熱い出汁が掛かった白みを帯びている半透明の刺身が、熱が通って白みがより濃く色づいていった。


 溶けたワサビがバラバラに散っていき、全体に行き渡るよう優しくかき混ぜる。そして、二、三度息を吹きかけて冷ますと、一気に口の中にかき込んだ。


 まず初めに、ワサビのツンとした尖った風味が鼻を通り抜け、すぐさまカツオ節の優しい風味が後を追い、ワサビの刺激を和らげていった。

 出汁により、一層塩気が際立った鯛の刺身と白ごまの相性が抜群で、そこに小さく刻まれながらも、芳醇な香りを放つ海苔が加わり、お互いの長所を譲り合いながら風味が混ざり合っていく。


 様変わりする風味を満喫した後、惜しみながら飲み込むと、自分の意志とは関係なく「ほうっ……」と、ため息が一つ漏れた。


「良い表情してますねー。どうっスか、味は?」


 酒天が味の感想を聞くも、今の花梨にはその問いかけがまったく聞こえず、目と口を半開きにしながら悦に浸り込んでいた。

 少ししてから酒天の声が脳に届いたのか、十秒ほど間を置いてから「……へっ?」と、小さい声を出して反応を示す。


「反応が遅いっスよー。今、完全に違う世界に飛んでいましたねー」


「……はい、若干意識が飛んでましたぁ……」


「うんうん。その気持ち、痛いほど分かるッス。あたしも初めて食った時は、そんな感じでしたからねー」


 既に二本目の一升瓶を飲み干していた酒天は、相槌を打ちながら三本目の一升瓶に手を伸ばし、話を続ける。


「そうだ、花梨さん。お酒は飲める方っスか?」


「えっ? まあ、多少なら……」


「なら、話は早いっス。午後の花梨さんの仕事は、酒蔵の清掃と、新しく店で出す予定の酒の味見をしてもらいたいっス! 一般目線の意見を聞きたいんスよねー」


 午後の仕事の説明を一気に済ませた酒天は、三本目の一升瓶の中身も一気飲みし、ようやく鯛丼に手をつけ始める。


「あの強烈な酒の匂いが漂う場所で、清掃とお酒の味見、かぁ……。お酒の種類は、どのくらいあるんですかね?」


「店長張り切ってましたかねー。おおよそ三十種類以上だと思うっス」


「三十種類以上……、すごい量だなぁ」


 酒天の説明で気分が沈むも、鯛茶漬けを食べて気を持ち直し、コップに注がれている酒を一気に飲み干す。


「まあ、花梨さんは今、あたしと同じ茨木童子になっているんで、お酒にかなり強くなっているハズだから大丈夫ですって。店長は厨房で付きっきりで、午後はずっとあたしだけなんで安心してくださいっス」


「ぬう……。仕事だし、やるしかないかぁ」


 午後の仕事内容を聞いた花梨は、鯛の風味が薄れていく中、ぬらりひょんの言葉を再び思い出しつつ鯛茶漬けを口に頬張り、無い覚悟を無理やり決めていった。

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