7話-3、とある夢の始まり
静かに寝息を立てている
静寂で線香の匂いが香る部屋の中、時折、氷水が入っている容器がカランと音を立たせる。縁側からは明るく賑わっている声と、秋の心地よい風が混じり合いながら部屋の中へと入り込んでくる。
その風に全身を包み込まれた花梨は、ピンと張っていた緊張の糸がプツンと途切れ、無かった眠気を生み出し、だんだんと瞼が重たくなってきた。
正していた背筋が前へと倒れ、
「す、すごく眠くなってきた……。ね、寝ちゃダメだ……。纏さんの、看病、を……しない、と……」
花梨の弱々しい抵抗もむなしく、無情にも全身を蝕む強い睡魔に抗えず、正座をしたまま体が前に倒れ込み、腕を枕にして眠りの世界へと落ちていった。
そして、花梨はとある夢を見た。
一定のリズムで感じる、ゆりかごのような揺れを感じ、閉じていた重い
視界がぼやけているせいで女性の顔はよく見えず、二、三回、
今度は視線を下に持っていくと、地面は滑るように勝手に動いており、そこで初めて、自分は見知らぬ女性に抱えられている事が分かった。
その女性と男性は、白い息を吐きながら楽しく会話をしているようであったが、夢心地の自分にとって、その会話はほとんど聞き取れず理解もできずにいた。
ぼーっとしながら見えない女性の顔を眺めていると、ゆりかごのような揺れが心地いいのか、再び強い睡魔に襲われ始める。
何も出来ないまま視界が真っ暗になり、遠のいていく意識の中、扉を開ける音と共に「久々の我が家だぁ、ただいま~」と、懐かしく思える女性の声が耳に入り込んできた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……て、……起きて花梨」
ゆりかごの揺れとは違う揺れを感じ、夢の世界から引き戻された花梨が、ゆっくりと目を覚ます。
意識が混濁する中、寝ぼけ眼を擦りながら辺りを見渡すと、女性と男性の姿は消えており、代わりに元気な表情をしている
「……あれっ、纏さん? 今のは、夢……? えっ、私寝ちゃってたの……?」
「おはよう花梨。ぐっすり眠ってた」
「……あっ、ごめんなさい! 看病していたのに寝ちゃいまして……」
「いい、ずっとそばにいてくれたから」
多大なる失態を犯したと感じた花梨は、「ああ……」と、声を漏らし、申し訳なさそうな表情をしながら再び纏に頭を下げた。
頭を上げて、眠気が吹き飛んだ目で纏の姿を見てみると、初めてここに訪れた時よりも活気に溢れており、咳もしておらず呼吸もだいぶ穏やかになっていた。
「纏さん、体調はどうですか?」
「だいぶ良くなった。花梨の看病のおかげ、本当にありがとう」
「そんなぁ。でも、本当によかったです。初めて会った時は、とても苦しそうにしていたんで、体調が良くなって安心しました」
そう微笑みながら花梨が言うと、纏も釣られて微笑み返す。そして、冷静になった頭の中に、次々と疑問が湧き上がり、すっかりと花梨に心を開いた纏が、なんの気兼ねもなく話を続ける。
「そういえば、なんで初めて会ったのにこんなに心配してくれたの? それがずっと不思議だった」
纏が首を
「うーん、そう言われるとなぁ……。困っている人を見ると、ほっとけない性分というか……。居ても立っても居られなくなるというか……、なんでだろう?」
「自分も分からないの? なにそれ、面白いね」
「あっはははは……。そう言ってくれると助かります」
花梨が苦笑いをしながら頬をポリポリと掻くと、表情豊かになった纏が、全てを
「私、人見知りだから、初めて花梨に会った時にどう接すればいいのか分からなかった。冷たく当たってごめん。でも、すごく嬉しかった」
「いえいえっ。
花梨が胸を叩きながら鼻をふんっと鳴らすと、纏が急にもじもじとして視線を逸らし、「……それじゃあ、私の最後のワガママを聞いてほしい」と、小さい声で口にした。
その問いに対して花梨は「ええ、なんでしょうか?」と、言葉を返す。
「……私と、友達になってほしい。たまにここに来て、私と一緒に遊んでほしいな」
纏が恥ずかし気に告白すると、花梨は一度キョトンとするも、すぐに優しくふわっと微笑み「こんな私でよければ、喜んで! これからよろしくお願いしますね、纏さん!」と歓迎し、握手を求めて右手を纏に差し出した。
「ありがとう。よろしく花梨」
纏も無垢な笑顔を返しつつ、花梨の手を握りしめて握手を交わす。お互いの手を柔らかくとも固く結ばれ、その握手はいつまでも続いた。
友情の握手を交わしている中、纏がふと、縁側に視線を向ける。外は完全に暗くなっており、時間を確かめる為に時計に視線を移すと、夜の八時を過ぎていた。
「花梨、夜になってる。そろそろ帰った方がいいかも」
「えっ? うわっ、本当だ! 何時間寝てたんだろう……」
「花梨、とても気持ちよさそうに寝てた」
「あっはははは……、すみません……。あっ、そうだ、勾玉のネックレスお返ししますね」
そう言って、いそいそと首から下げていた勾玉のネックレスを外そうとするも、その手を纏が握りしめて止めに入り、首を横に振った。
「そのネックレスは花梨にあげる、好きに使って」
「えっ、いいんですか? 纏さんの大事な物じゃ……」
「大丈夫、まだある。それは花梨と私の友情の印。だから、あげる」
「……それじゃあ、お言葉に甘えて。ありがとうございます、大切に身に付けますね!」
花梨が勾玉のネックレスを外すのをやめると、纏は手を離してからコクンと
「うん、それじゃあまた来てね。いつでも待ってる」
「はいっ、それでは!」
全ての役目を果たして纏と友達になった花梨は、
帰りの道中、小さな歩幅で歩いている花梨は、あれっ、何か忘れているような気が……。なんだろう……? と、頭をモヤモヤさせながら首を
そして、店の閉店準備を進めている極寒甘味処に着き、外にあるテーブルを、店内へと運ぼうとしていた雹華に向かって声をかけた。
「雹華さーん、今日はありがとうございました! 借りていた物をお返しに来ました!」
「……あら、花梨ちゃん……。……纏ちゃんの風邪が治ってからでもよかったのに……。……それより、まだ座敷童子になっているのね、カメラで撮りたいわ……」
「えっ? ……あっ! なるほど、モヤモヤの正体はこれかっ!」
花梨はモヤモヤの正体が分かった瞬間、自分が今、座敷童子になっている事を思い出す。
朝から晩まで座敷童子の姿になっていたせいか、一度寝落ちをしてしまったせいか、適応力がやたら高いせいかは分からないが、人間の姿に戻るのをすっかりと忘れていた。
「す、すみません雹華さん! お盆ここに置いておきますね! 財布……、無いっ! どこ行った!? あー……、ごめんなさい、お代は後日払います!」
「……あっ、待って……。……写真撮らせ、……行っちゃった……」
夜になっていて人通りは少なく、ほぼ直線で全力疾走できたおかげか、極寒甘味処から座敷童子堂まで、三十秒足らずで戻る事ができた。
慌てて建物内へと入り、布団の中で夢心地気分になっていた纏の所まで駆け寄り、その眠りを妨げるように体を激しく揺すり始める。
「纏さん! 起きて、少しだけ起きて!」
「……んっ、どうしたの花梨」
「あ、あのっ、人間の姿に戻りたいんですけど、どうすれば……」
「あっ、忘れてた。「座敷童子さんおやすみなさい」って言えば元に戻る」
その言葉を聞いた花梨はすぐさま立ち上がり、二歩後ろに下がり「座敷童子さんおやすみなさい」と唱える。
すると、またどこからともなくポンッと軽い音がしたか思うと、視界が一気に高くなり、着ていた着物も見慣れた私服に変わっており、もはや懐かしささえ感じる元の人間の姿に戻っていた。
「……おっ、おお? おー、戻れた! 視界がものすごく高く感じるや」
「花梨大きい」
「えへへっ、大きくなっちゃいました」
花梨が微笑みながら言葉を返すと、纏も少し名残惜しみながら微笑み返す。
そして、温泉街に来てから出来た二人目の友達は、布団の中で再び花梨に手を振りながら見送りつつ、ゆっくりと眠りについていった。
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