7話-2、看病に励む、半人前の座敷童子

 座敷童子に変化へんげした花梨は、縁側に座ってから温泉街を見渡してみると、見慣れつつある街並みもいつもと違うように見え、不思議な違和感と新鮮さを覚えた。


「背丈が変わるだけで、こんなに街並みの雰囲気が変わるもんなんだなぁ。さて、縁側に座ったはいいけど、これから何をしようか……」


 座敷童子のまといに、縁側で座ってるだけでいいと指示を出されるも、じっとしているのが苦手な花梨にとって、座っているだけというのは辛いものがあり、なにより落ち着かなかった。

 やる事が思い付かないまま、足をパタパタとさせたり、体を前後左右に揺らしたり、目が合った通行人に微笑みながら手を振ったりして、亀が歩くような遅さで流れていく時間を潰していった。


「暇だぁ〜、今なら悟りを開けそうな気がする……。纏さんは大丈夫かな?」


 ガラス戸越しからそっと纏の姿を伺ってみると、来た時よりも苦しそうに表情を歪め、ここまで聞こえてきそうなほど大きく息を荒らげている。

 焦りを感じた花梨が急いで纏の所へ駆け寄り、ひたいに手を当ててみると、かなり熱くなっていて、見るからに容態は悪化していた。


「おでこがすごく熱い……。あの、本当に大丈夫ですか!?」


「……ハァハァハァ……だっ、だいじょう……ぶ」


 纏の掠れた弱々しい「大丈夫」という返事は、見栄っ張りで強がりにしか聞こえず、余計に不安を募らせた花梨が、焦りながら言葉を返す。


「嘘ですよ、熱が上がっているしすごく辛そうじゃないですか! ……あの、私に何かできる事はないですか? 何か食べたい物とか、飲みたい物はありませんか? お願いです。些細な事でもいいので、何でも言って下さい!」


「……ハァハァ、ゴホッ……。……な、なん、でも?」


「はい、遠慮しないで私に甘えて下さい!」


 纏は意識が朦朧としている中、花梨の言葉が弱まっている心身共に深く染み渡り、優しい温かな安心感を抱き始める。

 同時に、甘えてみたいという感情も芽生えてしまい、とうとう折れた纏は、心配と不安が混ざっている眼差しで、こちらを見据えている花梨に目を向けた。


「……じゃあ、リンゴとか……食べたい。喉も……カラカラ。……冷たい水が飲みたいな」


「リンゴとお水ですね、分かりました。ちょっと待って下さいね、すぐに用意します!」


「……うん」


 やっとの思いで願いを託された花梨は、急いで外へと飛び出し、「極寒甘味処なら、両方同時に手に入る!」と呟き、全速力で極寒甘味処に向けて走り出した。

 座敷童子の能力かは定かではないが、走るスピードが人間の時に比べると格段に速くなっており、制御がままならないまま、通行人の横をスレスレにかわして走り続ける。


「あっ、やばっ……!」


 目の前にいた通行人を危なげに避けると、更にそのすぐ先に、横一列に並んで談笑している一行いっこうが目に飛び込んできた。

 左右どちらに避けようが、慌てて急ブレーキを掛けて止まろうが、絶対に間に合わないでぶつかると瞬時に判断した。


 そして、どうせぶつかるならと一か八かに賭けた花梨は、目を思いっきり瞑りながら地面を力いっぱい蹴り上げ、決死のジャンプをする。

 来たるであろうぶつかった時の衝撃と、いつまでも終わらない無重力感を肌で感じている中、いくら待てどもその衝撃は訪れず、不思議に思った花梨が恐る恐る目を開けた。


「……あれっ? 山が、見える」


 開けた視界に映った光景は、観光客が行き交う温泉街の街並みではなく、彼方まで続いている紅葉とした山々であり、目をパチクリとさせた花梨が下に目をやる。

 すると、全体が見渡せるほど温泉街は小さくなっており、そこで初めて、自分は予想より遥かに高くジャンプした事を理解した。


「うそっ、いくらなんでも飛びすぎじゃあ……。んっ、待てよ? 着地はどうするんだこれ?」


 そう疑問を抱いた瞬間、上昇していた翼の無い体が重力に捕らわれ、ゆっくりと地面に降下していった。

 そのスピードはまたたく間に加速し、遠くにあった温泉街が徐々に迫り、茶色い地面が近づいてくる。


「ちょ、ちょっ……! どうすんのこれ? どうすんのこれ!? ……ええいっ、ままよ!」


 凄まじい速度で落下する中、無い覚悟を無理やり決めると、奥歯を食いしばって目を瞑り、手足を前に突き出して着地の体勢に入る。

 そのままカカトの先から地面に着くと、砂埃を巻き上げながら観光客が行き交う大通りを滑り抜け、その観光客にぶつかる事無くスピードを徐々に落としていき、ゆっくりと止まった。


 体が止まった事を感覚で把握すると、瞑っていた目を片目だけ開ける。そして、自分の体をまじまじと見て無傷だと分かると、体中からどっと汗が吹き出し、呼吸を荒げながら膝に手を置いた。


「ハァハァハァ……ハァ~ッ……。し、死ぬかと思った……。座敷童子の体って頑丈なんだなぁ……」


「……あら……? ……砂埃の中から座敷童子ちゃんが……」


 頑丈な座敷童子の体に感謝していると、ふいに左側からボソボソとした声が聞こえてきた。


 その声を耳にした花梨が左側を向いてみると、店の前で掃き掃除をしている雪女の雹華ひょうかが目に入り、キョトンとしてから目を細め、眉間にシワを寄せた。


「あれ、雹華ひょうかさん? うそっ、極寒甘味処ごっかんかんみどころまで飛んできちゃったんだ。……ちょうどいいや!」


 本来なら普通に歩けば十五分程度かかる道のりを、二分も掛からず来れた事に心底驚くも、本来の目的である纏まといの件について説明を始める。

 自分が座敷童子に変化へんげしている花梨だという事、ワケあって座敷童子の代行をしている事、まといが風邪をひいて倒れ、看病をする為にここまで来た事。


 そして、本題であるリンゴと水を用意できないか質問をすると、雹華は静かにコクンとうなずいた。


「……妖狐になって座敷童子になって、忙しいわね……。……ちょっと待っててね、いま用意するから……。……お代は後日でいいからね……」


「無理言ってすみません、ありがとうございます!」


「……纏ちゃんにはいつもお世話になっているからね、困った時はお互い様よ……」


 そう言って微笑んだ雹華が店内に戻り、しばらくするとラップに包まれたお盆を持ってきた。


 ラップに包まれたお盆の上には、一口サイズにカットされ、一つ一つ楊枝が刺さっているリンゴ。

 喉通りがよさそうな、すりおろされたリンゴとスプーン。氷水が入った容器とコップ。フワフワのきめ細かな氷が詰まった小さなビニール袋がそれぞれ乗っており、それらが乗っているお盆を花梨に差し出した。


「……ビニール袋はおでこに乗せて冷やしてあげてね、これ一つで一週間は使えるわよ……」


「こんなに……すみません、ありがとうございます!」


「……他に欲しい物があったら、また来てちょうだいね……」


 お盆を受け取った花梨は、雹華に深々と頭を下げから極寒甘味処を後にする。


 帰りも猛スピードで走るも、制御が効き始めてきたのか難なく観光客を掻い潜り、まったく息を切らす事なく一分足らずで座敷童子堂へと戻って来れた。

 急いで纏の所まで駆け寄ると、お盆に包まれているラップを外しながら口を開いた。


「纏さん、リンゴとお水を持ってきましたよ」


「……ありがとう、水から欲しいな」


「水ですね、分かりました」


 甘えるように纏がそう言うと、花梨はすぐにキンキンに冷えた氷水をコップに注ぎ、体を起こそうとしている纏の背中を支え、口元にコップを近づけた。


「飲ませてあげますんで、ゆっくり飲んで下さいね」


「……うん」


 纏は信頼して花梨に身を委ね、待望とも言える水を飲み始める。


 花梨に言われた通りにゆっくりと、コクッコクッと喉を鳴らしながら飲み、飲み干すと少し落ち着いたのか冷えたため息を漏らした。

 そして、花梨の小さな体に寄り掛かると、少し乱れていた息を整えてから口を開く。


「……ありがとう。……すりおろしたリンゴを食べさせてほしいな」


「いいですよ。はい、口をあーんってして下さい」


 そう言われた纏は、すぐに口を小さく開ける。花梨は、纏が倒れないよう注意を払いながら皿を手にし、少量のリンゴをスプーンですくい、垂れないよう丁寧に口の中へと入れる。

 果肉が少ないすりおろされたリンゴを、口の中で味わうように転がしてから飲み込むと、フルーティーな甘さが胃を通し、体中隅々まで染み渡っていった。


「……甘くて美味しい」


「よかった、まだありますよ」


「……うん、全部ちょうだい」


 食べ物を喉に通して食欲が湧いてきたのか、纏は口を休めること無く食べ進め、皿に盛られていたすりおろしリンゴを完食した。

 元気が無かった纏の表情に活気が戻りつつあり、お腹がすいたのか「……普通のリンゴも食べたいな」と、花梨にワガママを言い、口を開ける。


 すっかりと甘えん坊になった纏を見て、自分の子供を心配するお母さんの気持ちって、こんな感じなのかなぁ。と、纏に悟られぬように笑みを浮かべる。

 一口サイズにカットされたリンゴを、纏の口に運ぶと、シャリシャリと美味しそうな音を立てて噛み砕いいく。


 そして、一口サイズのリンゴも全て完食した纏が、ほがらかな表情しながら「ほうっ……」と、満足したように小さなため息をついた。


「……リンゴ美味しかった、ありがとう」


「いえいえ、他に何かあったらどんどん言って下さいね」


「……うん、とりあえず一回寝ようかな」


「あっ、じゃあこれを。雹華さん特製の氷袋です」


 そう言った花梨は、フワフワしたきめ細かな氷が入ったビニール袋を、布団の中に入った纏のひたいにそっと置いた。


「……冷たくて気持ちいい」


「よかった。それじゃあ、ゆっくりおやすみになって下さいね。私はまた縁側にいますから、いつでも呼んで下さい」


 役目を終えた花梨が立ち上がり、縁側に向かおうとすると、それを見た纏が「待って花梨」と、声を上げて止めに入る。


「はい、なんでしょう?」


「……私のそばに居てほしいな」


 纏の最後とも言えるワガママが耳に入ると、一度はキョトンした花梨は微笑みながら「ええ、分かりました」と言い、再び纏の横へと座った。

 花梨に見守られて嬉しくなった纏も、うっすらと笑みを浮かべてからゆっくりと目を閉じ、すぐに落ち着いた寝息を立て始める。


 その表情はとても穏やかで、花梨は再び母親の気分になりながら纏のそばにおり、一時も離れずに纏の寝顔を見守り続けた。

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