4話-3、油揚げと焼き芋と

 鳥居をくぐり抜けて温泉街を歩いている途中、ふと自分が今、妖狐の姿になっている事を思い出す。

 その事を意識し始めると、だんだんと凄まじい恥ずかしさが込み上げてきて、頬を赤らめながら手で体を覆い隠した。


「な、なんだろう、この狐のコスプレをしながら歩いているような気分は……。すごい恥ずかしい……。周りからしたら、ただの妖狐が歩いてるだけなんだろうけど……」


 目を泳がせながら辺りにいる妖怪達を見てみるも、誰も自分の姿を気にかけている者はおらず、少し落ち着きを取り戻した花梨は、堂々と歩くことにした。

 しばらく歩くと、食欲を刺激する匂いを振り撒いている、定食屋付喪つくもにたどり着く。


 入口の上には大きいしゃもじと鍋の看板があり、そこに「定食屋付喪」と、黒文字で書かれている。

 その下に少し小さく、開店AM10:00閉店PM11:00と赤文字で記されていた。


 『付喪』と書かれたのれんをくぐって中に入ると、椅子が二十個以上並んでいるカウンター席と、左側に十個以上の長テーブルが設置されているのが目に入る。


 その各々の席で、素手で丼物を食べている妖怪、器用に箸を使って蕎麦をすすっている妖怪。

 汗だくになりながら、スプーンを使ってカレーを食べている妖怪達などで賑わっていた。


 カウンター席の向こう側が広い厨房になっており、そこで大きいしゃもじを背負っていたり、鍋をかぶった人間の姿に近い妖怪達が作業をしている。

 妖狐姿の花梨に気がつき、ニコニコしながら歩み寄ってきたしゃもじを背負っている店員が、花梨に声をかけてきた。


「いらっしゃーい、空いてる席にどうぞー」


 そう言われた花梨は、様々な音が行き交う店内を見渡してみると、奥のカウンター席が二つ空いているのを見つけ、そこに歩いていく。

 一番奥のカウンター席に腰を下ろすと、胸の部分に飯笥ミシゲーと書かれた作業服を着ている妖怪が、目の前にお冷を置いてニコッと笑う。


「お冷でーす。メニューが決まったら声をかけてくださいねー」


「ありがとうございます。さてと、どれにしようかなーっと」


 花梨はお冷を一口飲んで喉を潤すと、目の前にあったメニュー表に手を伸ばし、メニューを物色し始める。

 日替わり定食、盛りそば、たぬき丼、開花丼、親子丼、カツ丼、うな重、カレーライス……と、まだまだ沢山メニューが載っており、決められないまま目が泳いでいく。


 が、しかし「きつねうどん」というメニューが目に入った途端、目が吸い込まれるようにビタッと止まった。


「……なんだろう、無性にきつねうどんが食べたい。きつねうどんというよりも、その中に入っている油揚げが食べたい……。まさか、妖狐になっているから? そんなバカな……」


 耳を盛んに動かし、「きつねうどん」の文字を睨みつけながら独り言を続けるも、最終的には油揚げの誘惑に負けてしまい、妙な敗北感を味わいつつ店員を呼んだ。


「すみませーん。きつねうどんの大盛りで油揚げ多めって、できますか?」


「できますよー」


「じゃあ、それでお願いします」


「はーい、七百円になりまーす」


「七百円ですね、七百円……んっ? 待てよ、財布どこだ……」


 花梨はふと、そういえば、人間の姿の時にポケットに入れておいた財布は何処いずこへ? と思い、慌てて体をまさぐり始める。

 そして、巫女服の袖の中に、ポケットに入れておいたハズの財布を見つけ、ホッしながら千円札を店員に渡し、お釣りを貰ってから再び席に座った。


「焦ったぁ……。さてと、また来た時に食べる物を先に決めておこっかな〜。カツ煮定食、鍋焼きうどん、月見うどん、おでん……。ぬっはぁ〜、決められんっ」


 どれも美味しそうな膨大なメニューを見たせいか、自然と表情がほころび、ヨダレを垂らしながら腹の虫を鳴らす。

 そんな花梨の元に、飯笥が頼んでいたきつねうどんを運んできて、意識が飛び始めている花梨の目の前に、コトンと音を立たせながら置いた。


「はいー、きつねうどん大盛り油揚げ多めですー」


「へっへへへっ……。あっ、来たっ! いただきまーす!」


 運ばれてきた大きな器の中を覗いてみると、五枚の油揚げが器全体に覆いかぶさっており、下にあるであろううどんの姿がまったく見えない。

 割り箸を綺麗に割ってから油揚げを一枚持ち上げると、普段は何も思わないまま食べていたのに対し、今は油揚げがご馳走に見え、目を輝かせながら口の中へと運ぶ。


 ふっくらとした甘めに味付けされた油揚げは、かつお節と昆布ベースの出汁をしこたま吸っており、噛むたびに出汁が溢れ出てきては、その二種類の風味が混ざり合い、口の中一杯に広がっていく。


「んんっ、ふっくら肉厚でジューシー! 油揚げってこんなに美味しかったっけ?」


 うどんの存在を完全に忘れ、油揚げだけを無我夢中になって食べ続けてしまい、気がつくと器の中には油揚げは無くなっていて、うどんだけが寂しそうに残っていた。


「し、しまった……、油揚げが美味しすぎて先に全部食べちゃった……。これじゃあ、ただのかけうどんだよ……。あっ、んまい」


「妖狐さん、よかったらこれどうぞー」


 花梨が寂しそうにうどんを食べていると、飯笥が声をかけながら目の前に、油揚げが三枚乗った皿を置いてきた。

 それを見て慌てた花梨が、「あ、あの私、注文してないですけど……」と言うと、飯笥が微笑みながら言葉を返す。


「その油揚げはサービスですー。妖狐さんがとても幸せそうな表情で、僕が作った油揚げを食べてくれてたので、嬉しくなっちゃいましてー」


「わ、私、そんな顔をしてました? はいっ、とても美味しかったです! ありがとうございます!」


 サービスで持ってこられた油揚げは、味わいつつ慎重に食べようと決めた花梨は、うどんの汁を吸わせながら少しずつ食べ、合間にうどんをすすって堪能した。

 途中に七味唐辛子を振り撒き、変わった風味にも舌鼓したづつみを打ち、勢いあまってか汁も全て飲み干した。


「ぷはっ、美味しかった〜! サービスの油揚げありがとうございます!」


「はーい、またどうぞー」


 器を飯笥に渡した花梨は、油揚げの余韻に浸りながら定食屋付喪を後にし、お腹を擦りながら妖狐神社を目指して歩き始めた。


「今まで食べた油揚げの中で一番美味しかったや。妖狐になったら、またここに来てきつねうどんを食べよっと。さてと、戻るかな」


 軽い足取りで妖狐神社に戻って境内に入り、辺りを見渡しつつ、大勢の参拝客の中に紛れているであろう楓を探し始める。

 目を凝らしながら見渡していると、道の真ん中で参拝客と会話を楽しんでいる楓の姿を見つけ、参拝客が楓から離れたのを確認してから歩み寄っていった。


「楓さーん、ただいま戻りました」


「花梨か、……お主、油揚げを食べてきおったな」


 その言葉に花梨はビクッと体を波立たせ、口をヒクつかせながら言葉を返す。


「な、なんで分かったんですか?」


「ふっふっふっ、匂いで分かるわ。どうやらその姿を満喫してるようじゃな」


「あっはははは……、とても美味しかったです」


 花梨が苦笑いしながら頬をポリポリ掻くと、妖しく微笑んだ楓が話を続ける。


「それはよかった。それじゃあ次は……、そうさなあ、おみくじをやっている店で接客対応でもしてもらおうかのお」


「おみくじですね、了解です!」


「分からない事があったら、店にいる者に聞いとくれ」


「分かりました!」


 新しい指示を出された花梨は、既に場所を知っているおみくじ屋を目指し、駆け足でその店へと向かっていく。

 おみくじ屋の近くまで来ると、やんちゃそうな女性の妖狐が一人で接客作業をしており、それを見た花梨が急いで店の中へと入っていった。


「お疲れ様です、手伝いますよ」


「あっ、助かるー。見ない顔だけど、やり方分かるー?」


「あー……、簡単に教えてもらってもいいですか?」


「オッケー、おみくじは一回三百円ねー。お客様が引いた棒に番号が振られてるから、後ろにある同じ番号の引出しからおみくじを出して、それをお客様に渡してくれればいいよー」


「分かりました! それじゃあ早速……、いらっしゃいませー!」


 妖狐から仕事の流れを教えてもらった花梨は、すぐさまその通りに仕事を開始する。

 巫女の仕事もした事はあったが、数合わせで組み込まれ、掃除ぐらいしか体験していなかったので、店で働くのに新鮮さを感じつつ接客をこなしていく。


 店の前で自分の引いたおみくじの内容を見て一喜一憂し、様々なリアクションをしている妖怪達の姿が微笑ましく見え、その姿を見るのが楽しみになり、仕事にだんだんと精が出てきた。


 時間の流れを忘れながら作業をこなしていると、急に客足が途絶え始めた。

 不思議に思った花梨が辺りを見渡して見ると、境内の所々で、落ち葉を燃やしている妖狐の姿が伺えた。


 完全に客足が途絶え、ぼーっとその光景を眺めていると、隣にいる一緒に働いていた妖狐が説明を始める。


「ああー、二時半になったから芋を焼き始めたんだなー。そうなると、客が一気にいなくなるんだよねー」


「っと、言うことは焼き芋っ!?」


 急に叫んだ花梨に少し驚いた妖狐が、全てを察したようにニヤッと笑う。


「はっはーん? さては君、焼き芋を食べたいんだなー。今日は参拝客が多いから、私らには回ってこないかもねー」


「ええっ!? そ、そんなぁ……」


 絶望的な言葉を耳にした花梨は、多大なるショックを受け、耳と尻尾から生気を失い、その場に崩れ落ちてすすり泣き始めた。

 その大袈裟な姿を見た妖狐が、少し焦りながら花梨に詰め寄る。


「じょ、冗談だってー。なにもそんなにショックを受けなくてもいいじゃんかー」


「や、焼き芋ぉぉ……」


「大丈夫だってー! ちゃんと働いてれば、私達にもきっと焼き芋が回って来るからー、ねっ?」


「……ほ、本当ですか? ……よしっ、それじゃあ焼き芋の為にバリバリ働きましょう! いらっしゃいませー! おみくじどうですかー!」


 この世の終わりを思わせる表情をしていた花梨が、焼き芋が食べられるかもしれないと説得を受けると、先ほどよりも元気な声を上げ、集客作業を始めた。

 その単純な花梨の姿を見た妖狐は、少しだけ苦笑いをするも、すぐに微笑んで集客作業に加わる。


 花梨のお陰で客足が増え始めるも、三時になると焼き芋が焼き上がったのか、またたく間に客の姿が遠くなっていく。


 妖狐になったせいか花梨の嗅覚が鋭くなっており、辺りから芋の焼けた香ばしくて甘い匂いが、鼻の中に入り込んでくる。

 周りに客がいない事を確認した妖狐が、「ちょっと待っててー」と、言いながら店から飛び出していき、すぐに銀紙に包まれた物を二つ持ってきて、一つを花梨に差し出した。


「ほれ、お目当ての物ー。熱いから気をつけてー」


「これは……、あちっ!」


「だから言ったでしょー、熱いってー。開けてみなー」


 妖狐に言われた通りに銀紙を捲って開けてみると、少し焦げた匂いが立ち込め、中からお目当てであった大ぶりの焼き芋が姿を現した。


「あっ、焼き芋! ……まだ参拝客はいっぱいいるけど、持ってきちゃってよかったの?」


「えっへへーっ、参拝客に渡すって言って、二つくすねてきちゃったー。客も来ないしこっそり食べよ食べよー」


「わぁーっ、ありがとう! いただきまーす!」


 姿を隠すようにしゃがみ込み、焼き芋を二つに割った瞬間、中に閉じ込められていたふわっと濃密で甘い匂いが解放され、鼻をくすぐっていく。

 息を数回吹きかけて冷まし、生唾を飲んでから口に運ぶと、まろやかで砂糖のように甘い風味が口の中に広がっていく。


 その甘みにはくどさがまったく無く、芋がたっぷりと水分を含んでいるお陰か、飲み込んでも喉に引っかかる事はなかった。

 待望とも言える焼き芋をやっと食べられた花梨が、ニコニコしながら口を開く。


「ぬっはぁ〜! ハチミツをかけたような甘さで、中もしっとりしててすっごい美味しいっ!」


「でしょー? 毎日楽しみにしてるんだよねー、これ」


「こんな美味しい焼き芋を毎日食べてるんだ、羨ましいなぁ」


 そう呟いた花梨が、ふと店の外に目をやる。


 夕日が境内と参拝客を赤く染めあげ、涼しい風が紅葉を運んでくる風景が目に映り、弾けていた心がノスタルジックな気分になっていく。

 目と口の両方で、秋の季節を余すことなく堪能しつつ、妖狐と一緒に焼き芋を頬張りながら微笑んだ。

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