春(読み切り)

柊 由香

第1話

「君は、フランスの桜の花言葉を知ってる?」


去年の春、君は僕にそう聞いてきた。

桜によく似ていたその子は僕の大切な人で、本当ならば今この場所にいるのは、君のはずだった。

病室の窓から見える桜は、あの日と何も変わらない。

薄いピンク色の、儚げに散っていくその姿は、僕には君によく似ている気がするんだ。


1年前、僕はドナーが必要な病にかかっていて、もう何年も入院を続けていた。そして、この1年の間にドナーが見つからなければもう後は死を待つことしかできない状態だった。

そんな時に突然、僕の元に彼女は現れた。

同い年くらいの、髪が綺麗な華奢な女の子。

それが1番最初の印象だった。

彼女は僕に優しく微笑み

「君は、フランスの桜の花言葉を知ってる?」

と尋ねてきた。

僕はわけがわからずにいると、ふふっと優しく笑って「私は君のドナーになります 」そう言い残して去っていった。

始めは、からかいに来ただけだと思った。

だが数週間後に担当の先生から、ドナーが見つかったと言われた時、嘘じゃないのだと知った。

次の日には手術が行われることになり、僕の両親は涙を流して喜んでいた。

ふいに母親が

「ドナーの方にお礼を言わなければならないわ」

と言い、病室を小走りで後にする。

だが、結局ドナーの子にもその家族にも会うことができず、母親は随分と落胆していた。

僕はあえて言わなかった。いや、言いたくても言えないというのが正解なのだろうか。僕は彼女の名前も、年齢も、居場所さえも何も知らない。ただ、1度だけ病室に現れて桜の花言葉を僕に尋ねてきただけの少女、としか表現ができないのだ。

僕は、手術が終わったら彼女に桜の花言葉を教えてあげるんだと息巻いて、一生懸命、桜の花言葉を調べた。


手術当日、ドクドクという心臓の音が自分でも分かるくらいに緊張していた。成功するかは五分五分、そう先生が言っていたのが尚更に僕を緊張へと追い立てる。

「ほら、深呼吸しましょうね。」

看護師さんに言われて、深くゆっくりと息をする。

落ち着きを取り戻した僕に、先生は麻酔をかけた。

ゆっくりと、深い深い闇に沈んでいく感覚。

僕はその闇に身を任せた…


手術は無事におわって、僕は弱っている筋肉や体力を戻すリハビリをするために、あと1年間は入院することになった。

結局、手術前もその後も、僕は彼女に会うことはなかった。

手術が終わったら、きっと会いに来てくれるだろうと勝手に思い込んでいた分、かなりショックだったし、お礼の一言すら言えてないことが尚更悔しかった。


それから数ヶ月後のある日、僕はかなり体力も戻ってきていた為、自分一人で松葉杖をつきながら病院の庭を散歩していた。ゆっくりゆっくりと歩みを進め、僕の病室から見える桜の木の下まで来ると、そこには見かけたことのある面影の人物が立っていた。

胸が高鳴った。

やっと、やっとお礼が言える。

桜の花言葉、教えてあげなきゃ。

そんなことを考えながら、必死に前へと足を進めその人物に近づき声をかける。

「あの、君、」

「え…?」

振り返ったその人は、僕が探している彼女ではなかった。

「あ…すみません、人違いでした」

僕は落胆して、俯きながらその場を後にしようとした。

「ちょっと待って…

もしかしてあなた、美桜莉ちゃんがドナーになった方…?」

「みおりちゃん…?」

僕は聞いたこともない名前だった。

「あ、あの子、名前言わなかったのね…」

そう言いながら、その女性はスマートフォンを操作して1枚の写真を僕に見せてきた。

そこに映っていたのは、紛れもなく僕のドナーになってくれたであろうその女の子だった。

「あ、彼女です!すいません、彼女、今どこにいますか?」

僕はドキドキするような、ワクワクするような不思議な感覚に襲われながらまくし立てる。

すると、女性は悲しげな顔をして、スマートフォンをそっと自分の両手で包み込み胸に当てた。

「美桜莉は…今、空にいます。」

彼女はそう答えると、僕に向かって悲しげな顔で笑いながら言葉をつづけた。

「あの子は、余命1ヶ月でした。自分が死んでしまうことを簡単に受け入れ、最後まで笑っていたいと私に言いました。そして、数日後、いきなりあなたのドナーになりたいと言い出したのです。」

彼女は、軽く深呼吸をした。

「いきなりドナーになるなんて、おかしなことを言わないでと私は言いました。すると、あの子は優しい顔で、私が死んだら提供してあげて欲しい。約束してくれと頼んできたのです。そして、余命1ヶ月も持たずにあの子は旅立ちました。最後の言葉は、春飛くんを救ってあげて。でした…」

そこまで言って、彼女は泣き崩れてしまった。

僕を救ってくれた彼女はこの世にはもういなくて、でも何故か僕のことを知っていて、僕は彼女のことを何も知らないままでお別れしてしまった。

立ち尽くす僕の頬に、大粒の涙が溢れる。

僕は、彼女の命と引き換えに人生を貰った。

「彼女は…美桜莉さんは、なぜ僕を知っていたのでしょうか」

僕は彼女にそう問いかける。

彼女は、ゆっくりと立ち上がり

「…前に、桜の木の下で男の子が泣いてたことがあって、その子を見た時に一目で好きになった。と言っていました。きっと、その男の子というのがあなたのことだと思います。名前は多分、病室のプレートを見たんだと思います。あの子は人一倍、行動力がありましたから。」

そう言い、彼女は『帰ります、さよなら』と言って僕の前から去っていた。

きっと、あれは美桜莉の母親だと思う。面影も背格好もよく似ていたから。だけど、僕は後を追ったりすることはできなかった。彼女の背中が、僕には『これ以上は触れないで欲しい』と語っているように見えたからだ。


僕のドナーとなり、命のバトンを繋いでくれた美桜莉のことを知ってから月日は流れ、気づけば病室で迎える最後の春になったいた。

去年と変わらない風景。

だけど、どこか違って見えた。

前よりも綺麗に見えたし、その桜の中に彼女が居るような気がした。

ふと、僕は病室の机の引き出しにしまいっぱなしだった紙切れを1枚取り出した。

そこには去年調べた桜の花言葉が書いてある。

それを見て、僕はまた外の桜を眺めた。

きっと、彼女は誰かの心に残っていたいと思ったのだろう。

そして、その誰かは彼女が最後に恋をしてくれた、この僕だった。

僕は彼女に生かされた。

美桜莉、名前にも桜が入っていて、まさに桜そのもののような女の子。


僕は小さなこえで紙切れの文字を読み上げる。

フランスの桜の花言葉、それは

『私を忘れないで。』

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春(読み切り) 柊 由香 @shouyu0528

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