最終話 繰り返す日々を
彼が消えたあの夜、私はどうやって里に帰ったのか覚えていなかった。
だが、彼が抱いていた感情はよく覚えていた。私と馴染みのある感情だったからだ。それでも、私は彼の考えを理解出来なかった。
私は彼じゃない。
彼も私じゃない。
でも、いつまでも過去に縛られるのは、何となく分かる。私もけじめをつけて、吹っ切れたふりこそしているが、本当はまだ少し、引っかかっているから。
まだ腹が立つ。けれど彼が救われたなら、それでも彼が一歩でも未来に進めたなら、私は彼を許そうと思う。
今までもこれからも、『いつまでも』を繰り返し続ける私が、自分が存在する意味を持てたから。
* * *
地震かと思うほど揺れる床。びっくりしたように崩れる本の山。
ノックもなしに開けられた戸の向こうで、望月は額に血管を浮かせながら怒鳴り声をあげた。
「奏ぇ! また修行を怠ったな!」
「うるっさいなぁ······あー、昨日何時に帰ってきたと思ってんだよ。別にいいじゃんか。一日くらい朝の日課やらなくても」
「生馬から聞いたことがあるぞ。『日曜日のお父さん』か! そういう考えが怠惰にするんだ! 早く起きろ! 遅れを取り戻すぞ!」
望月は鼻息荒く、私を外へと連れ出そうとした。私は布団を死守して時計を見やった。
まだ朝の六時だ。朝ごはんまでかなり時間がある。弟子が明け方に、ヘトヘトになって帰ってきたというのに、望月はお構い無しか。
──無性に腹が立った。
「··················筋肉バカの破戒僧め」
望月の堪忍袋の緒が切れた音が聞こえた。
大砲のような大きな音をひとつ鳴らして、浴びせかける思いつく限りの罵声を撒き散らし、二人して屋敷を飛び出し里を駆けた。
それを聞いて里の人はぞろぞろと外に出て、互いに挨拶を交わし、顔を洗い、店の前を掃除する。
長屋の女が洗濯に外に出て、どこからかおねしょを叱る声がする。
私と望月が取っ組み合いの喧嘩になると、里の男たちが歓声をあげる。私と望月が同時に札を出すと、野次馬の男たちは被害が出ないように遠くまで呼び掛けに走った。
そして誰かが千代を呼びに行き、私たちは千代の拳骨を喰らって屋敷に戻っていく。それが里の朝の光景だ。
そうして霧に包まれた世界は活気に満ちていく。
私はここでは浮いた存在で、仲間外れの現代人だ。だが、ここはかつての暗い世界じゃない。
太陽が見えなくても、眩しいくらい輝く場所だ。
本に占拠された部屋。
うるさい師匠と優しい仲間。
同類の尻拭いのような仕事。
これが今の私の世界だ。何度だって嫌になる。それでも居心地が良くて、ついつい戻ってくる場所だ。
めんどくさい事ばかりだが、自分を苦しめる事は何一つ無い。
私は朝食を済ませた後で、望月と一緒に千代の説教をしこたま食らう。
何度も聞いた千代の説教を受けながら、私は窓の外に目をやった。
つまらない、なんて言ってられないほど忙しない日が続く。それが今日も始まった。
「奏! 聞いてるのかい? アタシャ怒ってんだからね!」
「ちゃんと聞いてるよ。ん? ······千代姐、なんか出たっぽいよ」
「なんかって何だい。はぐらかすんじゃ──」
「現世で亜種が出たよ! どうしよう! 見越し入道っぽいの来ちゃった!」
汗をかいて走ってきた生馬の報告を聞き、私は望月と競うように屋敷を飛び出した。千代の怒鳴り声と生馬の呑気な声を聞き、私は里の大通りを駆けた。
「私が祓ったら千代姐の昼ごはん完食しろよな!」
「俺が勝ったらお前がやれ」
「はぁ!? 子供にやらせんなよ! 千代姐には悪いけど、アレ死ぬほど不味いからな!」
「もう死んでるわ馬鹿者! それに、お前の命日は十一年前だろ! 大人だ大人だ!」
「享年は十八だやい! 三十路には眩しいだろー」
「今日の夕飯抜きだからな!」
「昼飯はダメ?」
相も変わらず、望月とケンカしながら里の門まで走った。私たちのその背中を、皆が呆れながら見送った。
土の匂い。
風の肌触り。
水の囁き。
炎の舞。
樹木の恵み。
それら全てに耳を澄ませ、私はいつだってつまらない現世を目指す。
今日こそは望月に一泡吹かせようと意気込んで、私はとても濃い霧に身を委ねた。
祓い屋の幽霊 家宇治 克 @mamiya-Katsumi
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