最終話 終わりの唄
報告書······なんて、今まで一度も書いたことがなかった。
よくよく思い出してみると、私が死んだ時はまだ高校生だったし、レポートなんて授業でも宿題でもやったことがない。感想文ですらまともに書いたことがないのに、社会人経験が皆無の私には、報告書をどう書くものか自体、分かっていなかった。
でも『報告』書なのだから、とりあえず詩音の実家の前で胡座をかいて、見たまんまに書いてみようと思う。
──阿鼻叫喚のお礼参りの惨状を。
家の中では早朝から叫び声が止まず、上へ下へと駆け回る音がうるさく聞こえていた。
詩音は心底面白そうに、思いつくだけの
私が確認した限り、呪いの人形、未来を見せる鏡、家の中に落とし穴、突然鳴り出すピアノ、その他口に出来ないことが
彼女は自ら進んで家の中に入り、決して可愛いとは言えないイタズラで脅かしたり驚かせたりと、無邪気にお礼参りを楽しんでいた。だが、される側にとっては、それが子供のイタズラだなんて済ませられるものではないだろう。
家の中からは大声で助けを求めたり、詩音に謝り続ける声が聞こえている。
もう少ししたら、近隣の家が通報して警察が来るだろう。そうすれば詩音の両親は罪を告白し、逮捕され、しばらくの間牢屋の中で臭い飯を食うことになる。
詩音の家の庭に、詩音を埋めた跡を見つけた。家に着いた時に、土の子守唄が聴こえたのだ。
『眠れ 全てを忘れて私の腕の中で
眠れ 温もりを感じて私の胸の中で
嘆きの雫を零す者よ 妖しき夢は
慰める歌だった。詩音の前でそれを口ずさむと、彼女はぽろぽろと泣き出した。そして、「許さない!」と怒り、「絶対泣かせてみせるわ!」と意気込んだ。
自分の娘を殺した挙句、丁寧に隠して被害者を気取っていた罰だ。詩音でなくても腹が立つ。
だからと言って、私は何もしない。
私は彼らとは関係ない。関係がないから手は出さない。けれど、殺しさえしなければ、詩音に全て任せると約束をした。だから私は、ここでただ見ているだけだ。
その魂に恐怖と後悔を刻みつけるまで。じっと、見ているだけだ。
「さてさて、そろそろ終わるかな」
私は報告事項をあらかた書き終えると詩音に声をかけた。壁をすり抜けて出てきた詩音は、満面の笑みで軽やかに踊る。ちょっとばかり、肌がツヤツヤしていた。
「あー楽しい! 『反抗期』がこんなに楽しいなんて知らなかった! もうちょっとやりたいけど、もう試すことなんてなくなっちゃった」
「だろうな。朝から大忙しだったもんな」
そう言って見上げた空は、鮮やかなオレンジ色に染まっていて、夕日に導かれるようにカラスの群れが飛び去っていく。朝一番に来たはずなのに、もう一日が終わろうとしていた。
私は報告書をたたみ、少し住宅街を歩いた。
詩音も私の後ろをついてきて、ため息をついて俯いた。
「ごめんね、朝日野さん。私、あなたや里の人たちにいっぱい酷いことしちゃった」
「あ、そのこと?」
私はすっかり忘れていた。
詩音がした事は許されることではないだろう。だが私にそれを、
私も、里を壊した側の人間だから。
「大丈夫。私も前にやらかしたから。酷かったよ。ホント、日常生活すらままならない有様にした」
「朝日野さんも、悪いことしたの?」
「そうだよ。私は許してもらうのに、時間がかなりかかる。けど詩音はみんなに優しくしてたから、きっと許してもらえるでしょ」
「そうかな。そうだといいな。あれだけやっておいて、許して欲しいなんて、おこがましいのかもしれないけど」
詩音は気まずそうに目を伏せた。
風が吹いた。とても柔らかい風だ。それは詩音のスカートを揺らし、髪をなびかせ、頬を包んで消えた。
私はほんのりと香る青葉の匂いに目を細めた。
癒しの音を奏でる風は、詩音と戯れて消える。詩音は風の音にも、吹き方にも疑問を抱かない。
まばらに輝く星も、沈む夕日も、塀から伸びる木の枝葉、家へと帰る鳥ですらも、優しい音をこぼし、慰めの音の雨を降らせて消える。
暗い表情だった詩音は、聴こえない音に励まされ、吹っ切れた表情になる。
私は詩音の様子に安心した。
「生きてるうちに、一回くらい反抗しておけば良かったなぁ。でもね、今が一番楽しかったよ。······ねぇ、もしも生きてる時にさ」
「やめときな。戻れない時を思い出しても、なんの利益にもならない」
私たちにとっては、とうの昔なのだ。自分が生きている頃なんて。
『自分が生きているうちに』も、『生きていたら』も、全ては単なる想像でしかなく、どんなに願ったところで叶うことの無い、甘い幻なのだ。
自分はずっと死んだ時の姿でさ迷っているのに、兄弟は皆大人になり、仕事に励み、親も年老いて短い老後を楽しんでいる。時間にとり残された者は、それを羨むくらいしか出来ることがない。
「でも──」
ひとり言を言うように、私の口から零れた。
「『もっと生きたかったな』って思うことはある」
無駄なことだと知っていながら、今も生きていたらと思うこともある。
友達を作って遊びたかった。
バイトで潰されていったけれど、穏やかな休日を過ごしてみたかった。
どこか旅行にも行ってみたかったし、色々な仕事も体験してみたかった。
一緒に遊んだ子供たちの顔も、もう一度だけ見に行きたかった。
本当はやりたかった事なんて山ほどある。私だってまだ子供なのだ。いつも我慢ばかりなんて嫌だった。
欲は際限なく溢れている。いつだって欲まみれだ。でもそれを、押し殺さなければ私は、生きられなかったのもまた事実だ。
その事実は、私の願望を砕き潰す。だから私は『もしも』を望むことを止めた。
「でも、もう手遅れだからさ。私は死後の世界を生きるだけ。変な話でしょ」
「······大人だね。朝日野さん」
「私は大人じゃないよ。大人にもなれない」
詩音に報告書を持たせて、私は夕日に向かって歩き出した。すると突然背中に衝撃が走り、鉛のような重さが足を止めた。腹に巻きついた腕が強く私を締め上げた。
詩音がしゃくりあげて泣いていた。
「悔しい──悔しい! 私まだやりたい事いっぱいあったのに······まだ、いっぱいあったのに······。お父さんのバカァァ! お母さんのアホォォ! 何で殺したの! 何で慰めてくれなかったの! 私は辛かったのに! 私は抱きしめて欲しかったのに! 酷い! 酷い! 酷すぎる!」
「私は、まだ生きていたかったよぉぉぉ······!!」
私は本音を背中に吐きつける詩音の手をそっと握った。
ボロボロと流した涙が背中を濡らしていく。私を強く抱きしめる腕はもう未練を手放していた。詩音の足元から淡い光が溢れ出す。
聞こえ始めた柔らかい鈴の音に、私はふと悟った。
──お別れ。もう、さよならの時間だ。
私は詩音の腕を解き、ちゃんと向き合って見送る。
詩音はまだ泣きじゃくっていた。可愛い顔をぐしゃぐしゃにして、詩音は私のパーカーの袖を掴む。
「朝日野さんとまだ一緒にいたい」
「全く、ワガママな奴だな」
せっかくあの世に逝けるというのに、どうして私といたがるのか。あの世に逝く幸せを掴んでおきながら、どうして自ら苦しむ道を選ぶのか。
私は理解に苦しんだ。
泣いてやまない彼女に仕方なく、私は一つ、唄を紡いだ。
誰の歌でもない、誰かの唄を優しくなぞる。影は伸び、夕日はより赤くなって沈んでいく。
私はこの唄を力を込めて歌った。詩音に向けた歌ではないのに、それを詩音に届けようとしていた。
歌い終える頃には詩音の体は消えていて、残るは顔だけとなっていた。彼女はもう泣いていなかった。
「ありがとう。······ねぇ朝日野さん、また会えるかな?」
「どうだろうね。あの世で暮らしたことないから、知らないや」
満面の笑みで消えていく詩音を見送って、私も家路を歩み始める。詩音の欠片が空を舞う。彼方を目指す光の蝶は幸せだろうか。
「············あ〜、ちくしょう。我慢してたのに」
私は頬を伝う涙を袖でこすった。しかし、気づいてしまうと案外止まらないもので、何度も何度も拭っても溢れてくる。
胸を押さえて私も泣いた。
出来ることなら、あなたに幸せをもう一度──
「························ご冥福をお祈りします」
沈みゆく夕日も、
***
朝から壊れた家や店の修理、近所の安否確認で忙しなくも賑やかな霧の里。
私が壊した時よりかは被害は小さいらしく、復旧作業は二週間でかなり進んでいた。
丘の上から眺めていた私も、今だに直していない部屋の修理に精を出す。
ドケチな材木問屋から買った木材に釘を打ち、焦げた木板を全て剥がして外に運び出す。カンナで木材を削る望月が私にチクチクと説教をした。
「全くお前は、地獄に落としたのなら、拾ってくる必要などなかっただろうに。どうして一緒に帰ってくる」
「いやぁ〜、詩音だって納得したかっただろうし。私にも何となく理解は出来たから。それに、やられたらやり返せってのは望月の教えだよ」
「この馬鹿弟子め」
「お褒めいただき光栄だね」
私はニヤリと笑って釘を打つ。望月は頭を抱えると、深いため息をついた。
「はぁ······女郎蜘蛛がお前らを釣り上げた時は、口から心臓が出るほど驚いた」
地獄から空へ引きずり込まれた先は、浄蓮の滝だった。望月は唖然とし、釣り上げた本人は何だか残念そうな顔だったような気がする。
気に入った物に糸を引っ掛けておく女郎蜘蛛の癖が、まさか役に立つとも思っていなかった。
やるべき事もやりたかった事も終えた私には、もうどうでもいい記憶だ。
「詩音はどうなったんだろうな」
面倒になったのか、カンナを放り投げ、草むらに腰を落として休憩を取る望月がこぼした。私も望月の隣に腰を落とす。
「ああ、裁判で情状酌量の余地ありってことで、地獄に百五十七年の奉公することで免罪になったらしい。んで月に一度だけ手紙送っても良いってことになったみたいだ」
「そうか。······ん? なんで奏が知ってるんだ」
「その第一通が私の元に来たからだよ。後で地獄への手紙の送り方教えろ。ポストとかある?」
「地獄に飛脚は飛ばしていない。後で調べるぞ」
「え、望月も知らないのかよ! 幽霊歴何百年だ?」
「うるさい! ほっとけ!」
望月は「でも、そうか」と言って立ち上がった。安心したような表情で、霞んだ空を見上げている。
なんやかんやあっても、詩音を悪くいう人は一人もいなかった。同情するような声も、ちらほらと聞こえた。
私は膝を抱えて、動く人の群れを見つめた。
私も、人に優しく出来ていたら愛されたのだろうか。ずっと笑顔でいられたら、どこにいても人に囲まれていたのだろうか。
私が考え事に耽っていると、望月は強い力で私の背中を叩いた。
私が睨むと、望月は怒った顔で「この阿呆が」とこぼした。
「お前はそのままでいい。正直なお前を、大切に思う奴もいるだろう」
私はうっかり笑ってしまった。
これから怒る人の口から、まさか励ましが飛んでくるなんて思っていなかったからだ。
私が笑い転げていると、望月は不満げに口を結ぶ。そしてカンナを拾い、いつもの荒々しい声で私をせっついた。
「昼過ぎには修行をしたい。さっさと直すぞ。奏」
「はいはい、お師匠様」
霧の中で金槌の音が心地よく響く。空の音をこぼす風と草花が私の周りで戯れる。
今日は快晴だ。霧の中でも分かる快晴だ。とても晴れ晴れとした朝だった。
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