第10話 再び止まる世界

 日向はコトリと音を立てて自分と妹の前に水の入ったコップを置く。結界は解除済みだ。再び椅子に腰かけ、日向はふぅと一息つくと手を組んだ。


「それじゃあ続きを聞かせてもらおうか、結菜。まずは魔術からだな」


「おっけー。とは言っても、お兄ちゃんが知ってるものとほとんど同じだと思うよ。中二病のとき考えてた設定そのまんま」


「――うっ。……分かった。俺の考えてたのと同じってことは、人の体内には生成炉と圧縮炉がある。それによって、魔力を作り出し、圧力を高める。んで魔術の発動は魔術陣を介する場合、構成、投射または展開、発動の三段階でいいんだな」


「うん、だいたい合ってるかな」


 机に肘をついた左手で頭を支えながら日向は早口で確認する。彼にとっては思い出したくない黒歴史なのだろう、その顔にはいくらか苦悶の表情が浮かんでいた。しかしそれでも日向は問答を続ける。


「その魔術をお前は使えると」


「そうそう、お兄ちゃんも使えるはずだけどね。実際、前は使ってたし」


「それなんだが、本当に俺は中二病時代に使ってたのか? 俺の目には映ってなかったぞ、自分の撃った弾とか魔術とか」


「それは多分年齢のせいだね。基本的には精神が未熟な間、十六歳になるまでは脳の防衛機構が働いて、認識できないようになってるみたいだから。魔術にしろ、人外にしろ、そんな超常のものを見たら子供の頭なんてどこか壊れちゃうからね」


「なるほど。いわゆる正気度が十六歳までは足りないんだな。……あれ? それじゃあ結菜はなんで見えているんだ?」


「それはまあ、お兄ちゃんの監視のためにお母さんたちが裏技を……」


「裏技?」


 妹が小声で呟いたのを耳ざとく拾う日向。彼の問いかけに、結菜は焦った様子で「なんでもないよ」と押しとどめる。


「まあ、そういうわけで、お兄ちゃんは中二病じゃなかったんだよ。ただの妄想じゃなくて実際に使ってたって意味でね」


「中二病じゃない……ね」


 日向は机の隅に置いてある二丁の銃、黒と白のモデルガンに目を落とした――



 昨晩の問答を思い出しながら支度を進めていた日向は、妹からの問いかけで意識を記憶から現実に戻す。


「お兄ちゃん、チェルノボーグとベロボーグはちゃんと持った? 忘れてたら昨日みたいに勝手に入れておくよ」


 日向は「大丈夫、持った持った」とぞんざいに答えながらかばんを叩く。チェルノボーグとベロボーグ、二丁のモデルガンは彼のサブバッグの奥底に入っていた。日向からすれば昨日のように変な場所に入れられるよりかは先んじて入れておいたほうがいくらかましだったのだろう。日向は靴を履いて立ち上がる。


「なんか、重たく感じる……」


「はいはい、そんなの気のせいだよお兄ちゃん。今日の夕方、忘れないでね」


「分かったよ」


「それじゃあ、お母さん、いってきまーす」


「はい、行ってらっしゃい、気を付けるのよ」


「母さん、俺も行ってきます」


 元気よく飛び出していった妹を追いかけるように日向も扉から出ていく。


「日向もゴタゴタに巻き込まれてしまうのかしら……」


 そう呟く母のうれい顔にも気づかずに……






 いつも通りの外面を装備した妹と別れて自転車を漕ぐこと数分、日向は橋の北端に差し掛かっていた。歩道の手すりの向こうには、車、車、車。どちらかといえば田舎なこの町でも通勤ラッシュ特有の渋滞は起きるものである。

 信号が青に変わるのを待つ間、流れるバスや軽トラ、そして頭上に流れる雲。そんなものをぼんやり眺めていた日向は後ろからのパタパタという足音にふと気づき、振り返る。そこには息を切らした香織がいた。彼女は膝に両手をついて顔だけ日向を見上げている。全速力だったのだろう、それによる疲れか目にあたる風のせいか少し潤んだ瞳、そして艶めく唇。それに一瞬目を奪われた日向の顔に僅かではあるが朱が差す。


「やっほー。秋月くん。昨日あの後大丈夫……じゃなかったみたいなのかな? 顔色ちょっと悪いし」


「い……や、大丈夫だって。……雨ではなんともなかったよ」


 本当に雨ではなんともなかったのである。彼が精神的に疲れているのはそのあとの魔術関係に巻き込まれたことが原因だからだ。そのことをそのまま伝えるわけにもいかない日向は嘘とはいえない言葉で誤魔化す。


「本当に? 熱とかない?」


 しかし、まだ心配の表情を浮かべたままの香織は日向の額に手を伸ばし――


「――っ」


 瞬間、世界が止まる。


「結界っ?」


 手を伸ばした状態で固まっている香織から数歩遠ざかり、周囲の状況を確認する日向。人外か敵性存在がいないかどうかを確認するためだ。彼は急いで信号横にある歩道橋の上にまで移動して確かめる。しかし、どちらも日向の確認できる範囲には見つからない。


「この結界は人為なのかシステムなのかどっちだ?」


 日向は朝に引き続き、昨日の妹の言葉を思い出す。


 ――普通はさっき私が発動したみたいに結界を張るんだけど、何故かこの地域は勝手に結界を発動するシステムがあるみたい。いろいろ実験と観察してたら分かったんだけど、多分攻撃性魔術と攻撃の意思を持った人外に反応して展開されるっぽいよ。まあ、どっちにしても結界が発動したら危険な存在がいる可能性が高いから気をつけてね。

 あと結界魔法には精神干渉魔術も使われてるから発動前と後に居る位置がずれてたり、人の前からいなくなってても基本的には大丈夫だと思うけど、念のために解除される前には自分のいた位置に戻ったほうがいいかな。解除の十秒前ぐらいにこんな感じに――



 空間に振動が走った。


「やべっ、意外と短い。とりあえずさっきの位置に戻らないと」


 歩道橋の中央で解除の予兆を感じた日向は香織の元へと走る。しかし、階段を下りるのには思ったより時間がかかるもので、間に合わせることができなかった。


 そして、世界は動きだす。


 ガシャンと音を立てて、日向の自転車が倒れた。


「そんな遠くまで逃げなくても……。ちょっと傷ついちゃうな」


 動きを取り戻した香織は唇を尖らせている。その右手は宙をさまよっていた。日向が自分のいる位置を見ると、香織から七メートルほども離れた場所である。香織のように結界を認識できない人に自分の動きがどう映っていたのか。どう解釈しても、手を伸ばす香織を避けて遠ざかったようにしか見えない。それにようやく気づいた日向。


「ごめん、逃げるなんてそんなつもりは無かったんだけど、ちょっと予想外のことが……」


「……ふーん、そう」


「えっと…………丁度青だし行こうか」


「……ふーんだ」


 色の変わった信号を見てとりあえずこの場からの移動を促す日向。良い言い訳など思いつかなかった結果だ。彼は自転車を起こして立ち止まったままの香織の横を抜ける。そして日向が自転車横断帯を渡り始めたところで振り返ると、香織は頬を膨らませて、彼への当てつけのようにの階段を上り始めたのであった。

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