第6話 突然の……雨
高まる緊張。しばらくの沈黙の後、日向が聞いたのは――
――実は、さっきの二人の会話廊下から聞いてたんだ。最初から、全部。
香織からの言葉に目を丸くして固まる日向。いまだ理解していない様子の彼に、香織は続ける。
「秋月くんって、中二病だったんだー」
その感想を聞いて、さすがの日向も状況を把握したらしい。
「うっがぁぁぁぁぁぁぁぁ」
膝を折り、絶叫する日向。その声は土手で反響を続ける。香織は青い顔をした彼を見て、少しうろたえた。そして彼女は短く深呼吸すると、彼の両肩に手を乗せて、その耳元にささやく。
「ごめんね、そんなに触れられたくないことだとは思ってなかった。でも大丈夫。私は秋月君が中二病だったとしても気にしないから」
日向はその声にビクッと体を震わせた。日向の顔が香織の方に振り向き、見上げる形となる。その結果、至近距離で見つめ合うことになる二人。互いの吐息が頬に当たる。彼らは体の動かし方を忘れたかのように硬直していた。そんな時、日向の額にポツリと水の雫が当たる。それにより魔法が解けた日向がハッと真上を見上げると空はすでに墨で染められた雲に覆われていた。そして辺りにザーッとノイズが掛かったような音が響き始める。
「しまった、降り出した」
慌てて折りたたみ傘を取り出そうとかばんに手を突っ込む日向。しかし、その手に掴む感触は二丁の銃だけ。彼は焦って手探りするも見つからず、そうこうしているうちに目の前の信号が青になった。日向が香織を見ると、彼女も傘をさしていなかった。
「あれ? 名津井さん、傘は?」
「あはは、忘れちゃった。そういう秋月くんも?」
「ああ。っとそんなこと言ってる場合じゃない。走るぞ」
かばんを頭の上に乗せながら駆ける日向と香織。そんな二人を追立てるかのように雨脚はどんどん強くなっていった。バス停を横に見ながら坂を駆け下りる。その坂の途中で二人は脇道へと折れ曲がった。雨特有の匂いを感じながら息を切らして足を動かす二人は、マンションの前で立ち止まる。
「よし、着いた。私のうちここだけど雨宿りしていく?」
「いや、もうこんな時間だし、迷惑になっちゃうから。じゃあね」
早口で言った日向は駆け足で去っていく。
「あ、ちょっと。……もう」
香織はほおを膨らませてそんな日向を見送る。彼女は雨粒に打たれながらも日向の背中をじっと見つめていた。途中で日向が思いっきり水たまりに足を突っ込んだ時には思わずといったようにいとおしむような笑みがこぼれていたが。そして彼の姿が道の角で消えてからようやく彼女は建物へと入っていく。香織の背後ではバタバタと水の落ちる音がしていて、雨はまだまだ強くなりそうだった。
「しまった。早く止んでくれよ」
香織と別れてから五分後、日向は公園にある屋根の下、ベンチに座って肩を落としていた。周りでは滝つぼにいるかと錯覚するような轟音が響いている。日が落ちてきているのと大粒の雨とで視界は灰色に染まり、五メートル先すら危うい。下がった温度と高まった湿度。白い息とともに日向はぼやく。
「名津井さんの好意に甘えさせてもらったほうがよかったかな? しっかし夕立にしてもひどすぎるだろ、これは。それと天気予報で言ってたから、折りたたみ傘ちゃんと確認したはずなのにな……」
かばんの中に常備してあるスポーツタオルで髪をふきながら、彼は隣に置いたサブバッグに目を落とす。乾かすために口を開いてあるため、彼の目に二丁のモデルガンが入った。そのコントラストを眺めていたその時、急に日向は顎に手を当てる。
「待てよ、確か靴紐結んでる時に……」
日向はしばらく目を閉じる。彼が思い返すのは登校直前の一幕。妹のプレゼントのせいでほとんど留まっていなかった朝の記憶。その中で日向のかばんをあさっている彼の妹。原因を見つけた日向は顔をひきつらせた。
「結菜かっ。あいつ、こいつらと傘、入れ替えやがったな。あんにゃろう。帰ったらどうお仕置きしてやろうか」
ブツブツ呟きだす日向。ついにはクックックと笑いながら目に怪しい光を浮かべた彼は、傍から見れば変質者にしか見えなかった。
「っとそんなことを考える前に、どうやって帰ろうか。流石にこんな中を突っ切っていく気力なんてないし」
少し前よりはましになりつつもいまだに上がらない灰色のスクリーンを見ながら、頭をひねる日向。
「母さんにここまで迎えに来てもらうか。あ、そういえばスマホ死んでないよな」
彼は手をこすり合わせながらずぶ濡れのサブバッグから取り出す。そして、側面のボタンを親指で押すと、画面を確認した。ホッと一息つく日向。彼は早速電話帳アプリを立ち上げようとして――
そんな時感じた違和感。それは耳にだった。
「あれ? 雨の音が……遠い?」
不思議そうな顔で周りを見渡して、日向が呟くその瞬間。
世界は色褪せ、その動きを止めた。
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