第2話挿入用

彼はレバーを引きそのままの姿で目をつむった。目を開けていられなくなったという方が正しいだろうか。立ったまま気絶している。字面にしてみればコミカルだ。あんまり急なことだったから私はなんだか吹き出しそうになった。

そこから数瞬、彼はおそらく生命活動を止めた。私の目にはどうしてもその時の彼が息をしているようには見えなかったし、心臓が動いているなんて夢にも思えなかった。音は彼の周りで止み、風は彼の前で凪いだ。時間さえ、彼の前から離れようとしていた。

立て続く彼の身体の異常は、その身に起きるとびきりの変化の衝撃を、結果的に弱めることになった。彼の身体を這った黒紫の斑点に私が声を上げずに済んだのは、時のとまった彼の姿に私がすでに驚き尽くしていたせいだろう。

彼の身体は依然として静止したまま。となれば蠢く黒紫の粒は彼の意志どころか、生命活動すら無視していた。粒は彼の体の一部分ではあったが、彼とは完全に別の生物として、独立して鼓動していた。

そのうちに、どこからともなく現れた黒紫の一群は、彼の身体にまんべんなく拡散していった。もぞりもぞり、蟲よりおぞましく、そして力強い。

広がりきった粒たちは、その場所を自らの居場所として立ち止った。次の瞬間、彼の体表の点に過ぎなかった斑点たちが、むくむくと隆起を始めた。まったく、ふてぶてしい主張である。

小蝿にも劣る小さな斑点たちは、滲むように広がりながら、最終的にはこぶし大の肉腫と化し膨れ上がった。数え切れない程の斑点は、いまやそれぞれ小動物のようである。

そう、デブリにもめげず、無限に肥え増殖する、不潔なネズミのような。醜い肉腫。

私がネズミを連想したのがマズかったのだろうか。それとも私の見立てが正確だったか。とにかくネズミを想ったことを私は後悔するハメになった。

首元の腫瘍が連結し、ネズミの頭部のように膨れ始めたからだ。

さっきまでの姿も、風船男としか形容できないような惨憺たる姿ではあったが、こんどの肉腫のせいで彼はいよいよ人間に見えなくなっていた。鼠面人?馬鹿な。人面犬じゃあるまいし。

完全にバケモノだ。もう異形の出で立ちというほかあるまい。私はもう見ていられなかった。一部始終のあまりのグロテスクだというのもある。確かにこれは、身の毛もよだつ現象だ。自分の身にもし同じことが起きたと思ったら。足がすくむ。歯が鳴って身体が怖気立って止まらない。

しかしそれより。

彼は一体今どこにいるのだろう?

蠢く肉腫は今も元気に肥大し続ける。

なのに彼はいまだ静止したまま。彼は死んだまま。

なぜ?

彼の命は止まったまま。

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