ニオイバンマツリのせい


 ~ 四月二十三日(月)  二十代目 ~


   ニオイバンマツリの花言葉 夢の名



 お泊り会が明けた土曜の朝。

 渡さんを起こそうと客間へ入ったら、彼女が勉強している姿を発見し。

 ちょっとだけまじめになろうと決意したのがこいつ、藍川あいかわ穂咲ほさき


 今日は早起きして、三十分も予習したようで。

 そのおかげで。



 午前中ずーっと寝ていました。



 まあ、起きていても遊んでいるわけですし。

 今日は三十分勉強できただけ進歩なのでしょうか。



 軽い色に染めたゆるふわロング髪を一本のみつあみにして、肩から前に垂らして。

 先端の結わえ目に、白と紫のニオイバンマツリの花を一輪ずつくっつけている穂咲ですが。

 偶然とは言え、今日はその髪型でほんとによかったと胸を撫で下ろしています。


「俺が一番痛快に感じたのは、チケット売り場で必ず文句を言われる君が、今日は何も言われなかったところですね」

「映画本編の感想を聞いてるの。プロローグはどうでもいいの」


 学校帰りにメールが入って、穂咲と共に途中下車。

 そこで待っていた父ちゃんと共に最近話題の映画を見て。

 現在、ファミレスで晩ご飯なのです。


 今日の父ちゃんは、土曜日に出勤した代わりのお休みだったようで。

 こうして俺たちを誘ってくれたのですが。


「面白かったの。ありがとうなの、おじさん」

「どういたしまして」

「それより、どういう風の吹き回しさ」


 らしくない、珍しい行動をたしなめると。

 サラダを口に押し込もうとしていた手を止めた父ちゃんが。

 苦笑いと共にメガネを中指で押し上げるのです。


「お前たちも高校を卒業したら、一緒に出かけることも出来なくなるだろうからな。今のうちに子供孝行だ」

「バカな。まだ二年も先の話をしてどうする」

「そうなの。ずっとずーっと先だから、これからも沢山お出かけできるの」


 俺たちの返事に眉根を寄せていますけど。

 父ちゃんのせっかちには困ったものなのです。


 どんだけ先の心配してるんだよ。



 ――それにしても。

 ファミレス、実に幸せなのです。


 流行りの音楽に耳を楽しみ。

 ハンバーグとグラタンという奇跡の組み合わせに目と鼻を楽しみ。

 そしてもちろん、舌を楽しみます。


「うん、うまい!」

「おいしいの。あたしも久しぶりに食べれるの」


 穂咲が口にするのはバジルスパゲッティー。

 おばさんは相変わらずバジルが苦手なようで。

 久しぶりに、おじさんとの思い出の味を楽しんでいるようです。


 そんな穂咲に目を細めつつ。

 父ちゃんが大人なセリフを口にします。


「一品じゃ足りないだろう。好きなものを頼みなさい」

「いや、かっこいいとは思うけど。そこは察してあげて」

「どういう意味だ?」

「うう、最近少し背が伸びてるみたいなの」


 フォークを置いて、俯く穂咲なのですが。


「成長期ならなおのこと。沢山食べなさい」

「父ちゃん、違うのです。こいつの住む地方では、ウエストが太くなることを背が伸びるって言うんいたいいたいいたい」


 ほっぺたをつねりなさんな。

 ハンバーグがひき肉になって口から溢れちゃうよ。


「ダイエット中ならなおさらだ。たまには贅沢して、明日から頑張りなさい」

「……じゃあ、ショートケーキが食べたいの」


 あらら、陥落しちゃいましたか。

 知りませんよ、俺は。


「お姉さん、この二人にショートケーキを追加で。それと、私にはチョコレートサンデーをお願いします」

「なに食う気!?」

「なんだ、知らなかったのかお前は。……俺は今、成長期なんだ」


 知るか。

 横に成長するがいい。


 呆れたものを頼んだ父ちゃんは、再び山盛りのサラダに挑みながら語ります。


「穂咲ちゃんの住む地方、か。……藍川のお屋敷はずいぶんと名門だったな」

「そうだったね。おじいちゃん、なんかの会社の会長さんとか言ってたっけ」


 おじさんは、名家から家出同然という形でここに移り住んだらしいけど。

 もしも君がそんな家で暮らしていたら、きっと息苦しかったんだろうね。


 フォークを何度も何度もかちゃかちゃ空回りさせていますけど。

 きっとそんなことをしていたら、お皿を取り上げられちゃうのでしょう。


 ……いや、何回転させる気だよ。

 そのちょこっとだけはみ出たスパゲッティーは巻き付かないから諦めろよ。


「とんだ名家のお孫さんだ」

「……秋山のルーツだって名門だぞ?」

「それはウソです」


 また妙な事を言い出して。

 きっと今頃、カップ麺二つにお湯を入れて満面の笑みを浮かべてる人を名門の奥方様って呼んだら笑われるよ?


「我が家は、秋山虎繁とらしげにまつわる家系なのだ」

「虎繁って、武田信玄の重鎮、秋山信友のぶとものことだろ? 我が家がそんな名門なわけ……」

「これを見よ」


 ハンバーグに乗っていた目玉焼きを半分、穂咲のスパゲッティーに乗せながら。

 渋い顔をしていた俺に突き付けられた携帯。


 そこには信友から連なる家系図が……?


「二か所ほど、線が繋がってませんけど」

「武芸の弟子か何かじゃないか? 血縁じゃないが秋山を名乗ることを許されたとか、そんな感じだろう」

「全然信友の家系じゃねえ!」

「だれが虎繁の家系と言った。虎繁に家系だと言ったろう。だが家系図と一緒に保管している鎧兜は虎繁のものと言われている。お前だって見たことがあるだろう。昔、端午の節句に飾った……」


 おっとっと。

 調子に乗って変なこと言い出さないでください。


「そ、そんなの覚えてないけど。まるでニオイバンマツリみたいな家系図です」

「なんだそれは?」

「今日の穂咲のお花、咲き始めは紫なのにそのうち白くなるんだよ」


 俺の説明に、穂咲は髪の先を眺めてしきりに感心していますけど。

 誤魔化せたでしょうか?


「あ、急に思い出したの」


 ダメだったかー!


「…………こどもの日の事はすぐに忘れなさい」

「ひな祭りの事なの」

「ややこしい!」

「こどもの日がどうしたの?」

「何でもないです。ひな祭りがどうした」

「あのね、小さい頃、道久君とひなあられを食べた記憶あるの」


 ああ、それね。

 俺もよく覚えていますよ。


「お待たせいたしましたー」


 昔を懐かしむように視線を上に向けた穂咲と俺の前。

 ふたつ置かれたショートケーキ。


 甘い香りがシャボン玉模様の額縁になって。

 幸せな記憶を一枚の名画に仕立て上げます。


「大きな甘い玉を全部くれる道久君は、優しかったの」


 そう言いながら、いつものように。

 まずは俺のケーキからイチゴを奪ってニコニコと頬張っていますけど。



 これは君が思い出しているひな祭りの記憶と同じで。

 君にとっては幸せなのかもしれないですけど。

 俺にとっては不幸せなことなのです。



「でも、大きなひなあられをくれた道久君、あの時なんで泣いてたの?」

「全部穂咲に取られちゃったからだよ!」


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