イチハツのせい


 ~ 四月十九日(木) 下から十五センチ ~


   イチハツの花言葉 火の用心



 本日は、実に視界が悪いのです。

 というのも。


 机は正常なのに。

 椅子が非常に低いため。


「視界のほとんどが、机の中に突っ込まれた教科書やノートで埋め尽くされているのですが」


 文句を言いながら左上に顔を向けましたけど。

 そんな哀れな罪人を、静かに見下ろしているのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は耳の下にリーススタイルにして。

 左右に一輪ずつ、アヤメの種類の中で最初に咲く、イチハツの花を咲かせているのですが。


 罰ゲームとして椅子を昨日のものと交換されてしまっているので。

 そんな穂咲も、ちょっと遠くに見えるのです。



 今は授業中なのですが、先生の姿は無く。

 授業が始まると、低い椅子に座らされている俺に一瞥をくれた後。

 プリントを配って、どこかへ行ってしまったのです。


 小テストとのことなのですが、これだけ椅子が低いので。

 床に下敷きを置いて、がにまたにした間で書いています。


 頭に血が上りますね、これ。


 ええと、なになに?



 問  次のことわざを完成させなさい。

 青菜に(          )

 海老で(          )

 三月(           )

 たつ鳥(          )



 ……………………。


 おい、なにかが間違ってないか、英語教師。



 突っ込みたいのに本人がいないので。

 もやもやとした気持ちを抱えながら取り組みます。


 三つ目の、分からないなあ。

 四つ目、飛ぶ鳥だと思ってた。


 全二十問。

 分からない漢字をひらがなで書いて。

 よし、できた。


 ……存外、この姿勢は辛かった。

 床にプリントを置いたまま立ち上がって。

 軽くストレッチなどしながら、賑やかな教室を見渡すと。


 クラスのあちこちから笑い声があがります。


「それ、昨日の椅子? いつも変なことやってるのね、秋山は」

「やらされているのです」

「好きでやってるんだろ?」

「違います」


 そう言いながら、口をとがらせて穂咲を見下ろすと。


「裏切り者なの。生かしてあげているだけ感謝するの」


 穂咲の言葉に、昨日の班のみんなが一斉にうなずくのです。


 ……そうですね、昨日は俺のせいですいませんでした。

 溜息ひとつ、肩を落とすと。

 再びクラスが笑いで満たされます。


 そんなみんなは。

 プリントを、協力してやっているようで。


 携帯で答えを調べる人もいるようですが。

 答案を埋めること自体に意味などあるのでしょうか。


 こういうのは自力でやって。

 バツにされたところをしっかりと覚えるべき。


 君もそう思いますよねと、穂咲を見下ろすと。

 その通りとばかり、自力で挑んでいるのですが。


「……さすがにどうかと思う」

「なあに? 道久君、カンニング?」

「ついさっき、君の答案を見てもカンニングにはならない法案が国会で可決されました」

「失礼なの」


 風船みたいに膨れていますけど。

 実際、一個も合ってませんから。



 青菜に(マヨネーズと目玉焼き)

 海老で(す         )

 三月(うまれのお友達~ みー)んな出てきておどろうよ~

 たつ鳥(いぬいー      )



 今年も、テスト前は大変なことになりそうなのです。


「半分は合ってるの」

「どの口が言いますか。いぬいーって何?」

「十二支なの。道久君はやっぱりもの知らずなの」

「へびとうまとひつじとさるに謝れ」

「…………まあ、細かいことはいいの。それより面白いドラマが始まったの」


 そんなことを言いながら。

 久しぶりに劇団員を鞄から引っ張り出す穂咲ですが。


「プリントを先に終わらせなさいな。最後の「溺れる者は」が埋まってません」

「火消しとおかっぴきっていうドラマでね」

「聞きなさいよ。…………時代劇?」

「新米刑事と消防士のお話なの。いつもケンカしてるの」


 へえ、二人の主人公か。

 反目しつつも人を救う、的なストーリーなのかしら。


 あれこれ妄想しつつ眺めていたら。

 こいつは急にマッチなど擦り始めました。


「危ないよ! 何やってるのさ!」

「最初に火事のシーンからで、その建物に……、へっくしょい!」

「うわあ!」


 くしゃみと共に落下したマッチが。

 俺に向かって飛んできます。


 慌てて避けると、マッチは炎をあげたまま。

 椅子でワンバウンドして。



 ……床に置かれた、俺の答案へ落下しました。



「うおお! まてまてまて! あっつ! あっつ!」


 慌てて消そうにも、既に炎を上げた紙が熱くて持てず。

 そうこうしているうちに、あっという間に燃え尽きました。


 悲鳴の上がった教室も、先生が入ってくるとすぐに静かになり。

 淡々と、後ろからプリントを集めるのですが。


 もちろん、一枚足りません。


「……どうしてお前は提出しないんだ?」

「燃えて無くなっちゃったんです」

「ウソをつくならもっとましなことを言え」

「ほんとですって! 問題も十五個は解けました!」


 疑い深い先生が、プリントを一枚掴みながら。

 黒板に問題を書いて、じゃあこれに答えてみろとばかりに俺をにらみます。



 溺れる者は(         )



「…………火の用心」

「立ってろ」

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