ブプレウルムのせい
~ 四月十二日(木) お昼休み 十八センチ ~
ブプレウルムの花言葉 初めてのキス
昨日、久しぶりに廊下へ立たされて。
なぜだかすこぶる調子のいい俺は、
就職するなら廊下のある所にしよう。
そんなはっきりとした将来設計に我ながら感心している目の前で。
魚の切り身を丁寧にお刺身にしている板前さんは、
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日はゆったりハーフアップにして。
その大き目な付け根に、ブプレウルムをたんまりと活けています。
ブプレウルムは、メインのお花の引き立て役。
フラワーアレンジの名脇役ではありますが。
黄色い小さな小さなお花を包む、
さて、そんな板前さんを。
この時間だけは、こう呼ばねばなりません。
「教授。今日の実験は極めて普通ですね」
「何を言うのだねロード君! 実験は、いつでもアバンギャルドにコケティッシュでドストエフスキーなものでなければならないのだよ!」
「勢いで、なぜか納得してしまったのですが。意味はまったく分かりません」
ドストエフスキーって、どんな時に使う形容詞なのさ。
そんな俺たちのテーブルに。
いえ、実験室に。
しばらくゆっくり話もしていなかったからと。
学校開始早々、一年生の間で既に話題となっている学園のベストカップルがお弁当を広げています。
「穂咲。生ものは最後にしておきなさい。これから暖かくなるから」
「大丈夫だよ
「いつもアドバイスありがとうね、
俺のお礼ににっこりと微笑み返してくれるのは、才色兼備の渡さん。
げたげたと、お腹を抱えて笑うイケメンスポーツマンは六本木君。
クラスの中でも、特に仲良しな二人なのです。
「じゃあ、ちょいとブリに火を通しておくの」
「おお、それはおいしそう……、って、何やってるのさ」
「あっためてるのだよ? ロード君」
そう言いながら、教授が差し出してきたお皿には。
わざわざ手作りした大根のツマに大葉と食用菊を乗せて。
そこに美しく、ブリの刺身が並べられて。
でもその上に、アツアツの目玉焼きを乗せたら台無しです。
「教授、本日の実験は失敗です。食べる前からよく分かります」
「さっき言ったではないか。これこそアバンギャルドなのだよロード君!」
ああ、ちゃんと自分の言ってたことを覚えていたのですね。
そんな教授がもうひと皿、焼いた小魚を机に置いて手を合わせたので。
俺は観念しながら、前衛的な料理を一口食べてみたのですが。
「……やっぱ合わないです、これ」
せめてブリが炊いてあったら合いそうですが。
あるいは玉子が生だったら行けたのでしょうけど。
渋い顔をしながら箸を運ぶ俺を見て、苦笑いを浮かべる六本木君と渡さん。
そのうち、口の悪い方がイヤな事を言い出します。
「とか言いながら、藍川の作った物なら何でも美味く感じるんだろ?」
「そんなわけないでしょう。食べてみる?」
俺がいい感じに白身を乗せて差し出したブリを。
そこまで頑なに拒絶するならそういうこと言いなさんな。
「……道久君。六本木君にあーんするのは香澄ちゃんのお仕事だから取っちゃいけないの」
「なに言ってるのよ穂咲! 私、そんなことしないわよ!?」
「そそ、そうだよなに言い出してんだ!」
おお、ナイスな反撃です。
教授のとぼけた発言に、六本木君と渡さんがうろたえます。
でも、この才色兼備さんは切り返しも上手なのでした。
「穂咲が秋山にあーんしてあげなさいよ。箸が進んでないみたいだし」
ちょっと、冗談じゃないのです。
お鉢が返って来ました。
渡さんの発言に、ほとんど減っていない俺の皿を見つめた教授が。
俺の皿から黄身の滴るブリを取るのですけれど。
その時に、耳の後ろ、サイドの髪を掻き上げたりして。
妙に色っぽく箸を近づけて来るのです。
「はい、あーんなの」
「なんてコケティッシュ! よしなさい! 食わないから!」
顔が熱くなるのを誤魔化しながら、強引に拒絶してみたのですが。
「早くするの。黄身が零れるの」
嬉しさ半分、嫌な気持ち半分。
でも、どうやら前者が勝ったようで。
俺は、目をぎゅうっとつぶりました。
「……道久。初めてキスするみたいな顔になってるぞ?」
「うるさいよ!」
「うるさいのは道久君なの。はい、あーん」
「あ、あー……………………」
ちゅっ!
………………?
今、なにが唇に当たったの?
「ごめんね秋山! 自分で言っといて、恥ずかしくて見てられなくなったの!」
「残念だったな道久。藍川のあーんが、香澄からのキスに格下げだ」
そんな六本木君がニヤニヤと見つめるのは。
渡さんが手にした焼き魚。
「またかい! それはキスじゃなくてししゃも!」
「うるさいの。早く食べるの。えい」
「もがっ!?」
ししゃもの生臭さが残る口に。
ブリの脂と黄身の風味が合わさって。
……実に不味い。
俺は、この味覚に最もふさわしい形容詞を叫びました。
「なんてドストエフスキー!」
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