向日葵

「おーい!待ってくれよ!」

 制止の声も聞かず、一心不乱に走る。背の高い向日葵に隠され私の姿は見えていないだろう。

「ふふ、こっちよ」

 キョロキョロと黄色い波の中、私を探す彼がたまらなく愛おしい。今すぐにでも駆け寄って抱きしめたいけど、ぐっと我慢する。もう少しだけ、見ていたい。

 向日葵の間からじっと見つめていると、彼がぐるりといきなり振り返り、ずんずんと距離を詰めてくる。見つかるとは思ってもいなかったので、驚いて尻餅をついてしまった。目の前に来た彼はそんな私の姿を見て、ニコッと笑う。

「見つけた!」

 その笑顔は周りの向日葵より、太陽よりも輝いている。彼の差し出した右手をとり、立ち上がると抱きつく。ふらりと一瞬のけぞったが、男の維持だろうかなんとか踏みとどまった。

「いきなり危ないだろ」

 しかめっ面した彼の赤い顔を見る。その赤さは暑さだけではない。

「ごめんなさい。嬉しくて」

 クスクスと笑いだした私につられて彼も笑い出す。それから、くるくると社交ダンスの真似事を始めた。ダンスなんて習ったこともないので、二人ともお互いの足を踏んだり、転んだりと、その度に大声をだして笑った。

 子供みたいにはしゃいで、ふと空を見ると夕日が煌々と燃えている。あぁ、こんな時間か。

「ねぇ、行かないで」

 口から漏れた声は、風にかき消されるほど小さくて。

「帰ってくるさ」

 顔を上げて彼の顔を見る。先程とは打って変わって、真剣な目をしていた。好きって言いたいけれど、彼はそれを望んでいない。ここで言ってしまったら重荷になる。

「ごめんなさい。私、待ってる」

 今はできることだけをしよう。

「何年も、何十年だって待ってるから」

 視界がぼやけ、頬に暖かいものが伝う。喉がひくつくの必死で堪え、精一杯の笑顔を作ろうとした。

「その時は、おかえりって言って欲しい」

 彼が私の涙を拭う。声が出せない代わりに何度も頷き、彼の掌をにぎりしめる。

 翌日、彼の姿はもうどこにもなかった。


「おばーちゃん」

 小さな孫の声で目を覚ます。

「大丈夫?」

 どうやら眠っていたようだ。少し休むつもりだったのだが、もう三十分も立っている。

「大丈夫よ。すこし、うとうとしただけだからね」

 椅子から立ち上がると、水やりを再開するためホースを手に取った。

「ヒナ、蛇口をひねってちょうだい」

「はーい!」

 軽い足取りで蛇口まで向かうと、まだ小さな子供には硬いのか、ぐっと力を入れているのが見える。それから数秒遅れでホースから水が出てきた。土が濡れ、その色を濃くした。

 口のところを凹ませ、一面の向日葵畑に水を撒いていく。キラキラと水が虹を作り、向日葵たちに元気を与える。

 水やりを終える頃には、日が傾きかけていた。早足に帰りの支度をしていると、道の奥から人が歩いてきているのが見える。その人は私たちの姿を見つけて、小走りに駆け寄ってきた。

「おかえりなさい」

 息を切らして、駆け寄った彼にそう言うと。ニカッと彼は向日葵より輝く笑顔を見せた。

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短編 翠玉 @siugyoku

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