一年生

第一話「そして僕は彼女と出会う。」

 部活の勧誘、クリア。強面こわもての先輩に絡まれることも無かった。高校生活二日目、午後1時36分、無事に終了。いやまあ、一日は終わってないけども。

 玄関を抜けると、早くも仮入部したのか、教室や入学式で見たような気がする顔がサッカーだとか野球だとか、陸上競技だとかをやっていた。高校では人と関わりたくないから、部活動はしないと決めている。強いて言えば帰宅部なのだが。帰宅部のエース狙える自信がある。中学の頃に最速で上履きから靴に履き替える技を習得した。目立つことなく最速で帰るためには努力が必要なのだと誰かが言っていたような気がする。

 その技を使って靴を履き替え、校門をくぐる手前で。

 自動販売機が目に入った。校内に設置されたものであるからやたらと安いという点を除けば、ごく普通の自動販売機。売っているものもそう不思議なものも無く、いたって普通。コーラやら、カルピスやら、ポカリやら。アクエリは無い。

「……まあ、少しくらいならな」

 百円玉を一枚自動販売機に入れ、せめてもの抵抗として力水と言う見たことのない炭酸飲料らしきものに手を伸ばし――

「力水、そんなに美味しくないよ」

 脇から、白く綺麗な腕が横からひょいと伸びる。その手は、少しの間あちこちのボタンの前を彷徨ったあと、カルピスのボタンに触れた。

 ガコンと音がして、カルピスが吐き出される。値段は九十円、おつり十円。

「はい!」

 女の子の声。弾んだ声でそう言って、僕にカルピスを差し出してくる。いや、僕の選択権はいずこへ。

 その女の子は一言で表せば、可愛かった。こんなことを考えるのは、自分でもどうかと思うのだ。色々なことがあったから。でも、それはそれとして、その女の子は可愛かった。まだ自分の感性と言うものが狂っている可能性を否定しきれていないものの、恐らくは可愛いという判断を下して間違いないだろうと思う。

 黒く艶のある髪はポニーテールに纏められており、両のこめかみあたりからは一束ずつ髪が出されていた。鼻は、それほど高いわけでは無いが、全体的に顔立ちが整っているからさしてそれも気にならない。

「あ、ありがとう」

 普通に考えたら、他人ひとが自販で飲み物を買おうとしているときに横から手を伸ばして別のを買うなんて言う行動は、相当に常識のない行動であるのだけれど。――そんなことを考えることもできず、僕は礼の言葉を口に出していた。

 暫く忘れていた十円玉を僕が回収すると、女の子はニコリと微笑んだ。

「私は何にしようかなぁ」

 女の子は、さっき僕の飲み物を買うときにそうしたように、またその指を色々なボタンの前で彷徨わせ、そうしてポカリを買った。

 僕の方を振り返った女の子は、特に何を言うでもなく手を振って、陸上部の練習をしている方向へと走り去っていった。

 はて、一体何だったのかと思いながら、カルピスに口を付ける。何気なく見た、近くの水道の蛇口からは、水がポタポタと垂れ落ちていた。

 ――ハンカチだ。

 蛇口の上に、ハンカチが一枚載せてあった。記念品などで貰ったものなのか、端には「鳥海とりうみみゆき」と刺繍がしてあった。

 たぶん、僕がここに来たときには、無かったと思う。さっきの女の子、だろうか。それとも、その子とはまったく関係のない、別の人なのだろうか。

 都合よく、陸上部らしい生徒がこちら側に走ってくるのが見える。たぶん、飲み物でも買いに来たのだろう。

「あの、これ拾ったんですけど、鳥海さんってわかります?」

「あー、みゆきね。ちょっと待って」

「はい」

 流石陸上部だけあって、足は速かった。すぐにグラウンドの方に戻ったと思えば、今度はさっきの女の子――鳥海みゆきがこちらに走ってきた。

「ハンカチがそこに」

「おお、ありがと。いやー、落とし物が多くてさ。そそっかしいのかな」

「そういう問題なのか、それ……」

「そういう問題でしょ。だって落としてるんだもん」

「水道にあったんだから落としてるっていうよりは忘れ」

「あーあー聞こえないー」

 鳥海さんは、耳をふさぐようなしぐさをする。

「由香ー! 職員室行くんじゃなかったのー!?」

「あ―――っ! 忘れてた!」

 由香と呼ばれた、先ほど呼び止めてしまった人が校舎の方へ走り抜けていく。アホだと思った。

「じゃ、練習戻らなきゃだから。ありがとね!」

 そういうと鳥海さんは、走ってトラックの方へ戻っていった。


 中学の頃にはなかった要素だが、校内には購買がある。バリエーションはあまり多くないし、殆どパンだが、悪くはない、そんな購買。

 陳列棚にパンが色々並べてあって、好きなのを持って担当か何かのおばさんに会計をお願いするシステム。

 丁度昼時で混んでいたから、会計には列ができていた。

「あ、昨日はありがとうね」

後ろから聞き覚えのある声がしたがおそらく僕に向けてではないのだろう。大体、こういうとき勘違いをして振り向いて違ったときと言うのは――

「ねぇ、ちょっと? 無視? あれ?」

 少しだけ首の角度を変えて、気づかれないように後ろを確認する。

 鳥海さんだった。

 いやでも、たぶん僕じゃなくて僕の前に並んでいる――

「はい次の人」

「え?」

「君だよ」

 気づけば前には誰も居らず、あきれ顔の販売員さんが立つばかりだった。

「あい、五百三十円ね。……はい、丁度、おまちどうさま」

 教室に戻ろうと階段を上る。四階まで上がることを考えると、どうも足が重たい。余計に疲れる。

「待って待って!」

 鳥海さんが、僕の前に立つ。

「え、何……?」

「無視はひどくない? 無視は」

「僕に言ってたのか、僕じゃない誰かに言ったのかと」

「君じゃなかったら誰なのさ」

「誰か」

「誰かって誰さ」

「それが分からないから誰かなんだろ」

 鳥海さんは、僕と同じ色の上履きを履いていた。

「確かにそうかも」

「なんだそれ」

 さあね、と鳥海さんは言った。気づけば三階まで来ている。

「ていうかさ、私昨日名前聞き忘れた」

「八野優一」

「八野くんかぁ、ふむふむ、覚えた! よろしくね!」

 クラスの前に着く。僕は一組だから左側。鳥海さんは、どうやら二組らしい。じゃあね八野君と言って二組の中に溶けていった。

 ――いや、なんだったんだ。

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