フィールドBGMを口ずさみながら

 自然公園には、直径10メートル、深さ44メートルの巨大な縦穴がある。穴の周りは壁に囲まれ、一般人は立ち入れないようになっていた。


 高く白いコンクリの壁をキャンパスに、さまざまな連中がスプレーで『作品』を残していく。

 例えば、アメコミのヒーロー、ツインテールのボーカロイド、「夜露死苦よろしく」「◯◯連合参上!」なんて言葉や、あるいは悪趣味でホラーめいた怪物だったりで……まあ、言ってしまえば、単なる『ラクガキ』でしかないのだが。

 しかし、それらで埋め尽くされたカラフルな壁は、どこか雑多で自由な、アーティスティックな魅力を感じさせるのも確かだった。


 この穴は、雨水を効率的に流し込むための空気穴だそうで、よりにもよって『自然公園の中央』に配置されているのは、『設計図でそう指示されてたから』に他ならない。

 ……そうだ。設計図にあったから、作った。

 なにも、おかしくはない。


 炙山父は、そんな穴の真ん中で、仰向けになって天を見上げる。

 夜空の向こう。幾億光年いくおくこうねんの彼方から、無数の星が瞬き、彼を誘っている。


 もうすぐ……もうすぐ、あそこに帰れるのだ。

 この星を後にできる。

 だが、計画に不確定要素が発生しつつある。

 おそらく、あの荒走空那が原因だろう。

 あれほどの演算能力を持った人間ならば、このレベルの抵抗は、予想できる範囲だった。彼は、この星の生物とは思えないほどに、高い演算能力を持っている。


 そこで、炙山父は考えを修正する。

 いや、違う。

 彼は、計算の結果を『知っていた』のだ。

 いくらなんでも、あの演算を一瞥いちべつしただけで行うのは、有機生命体には無理がある。なんらかの方法で、記憶していたと考えるべきだ。


 どのような方法か、ぜひ知りたいと願う一方で、日増しに身を焼く焦燥感しょうそうかんは、もはや抑えられそうになかった。

 地球は、彼にとって『恐怖の星』なのだ。


 緑色の光がチカチカと……貯水タンクの暗がりで明滅する。接続されたケイ素生物から、情報がもたらされたのだ。

 集められた人々は、所定の配置に運び込まれたらしい。


 己の身体情報をもとに生み出して、数十年前から少しずつ増やし続けたケイ素生物……分類するなら、彼らも『子供』と言えるのだろうか?

 アニスと違って、ケイ素生物には『自我』も『感情』もない。いわば、完全に『AI』である。

 しかし、手となり足となり、あるいは目や耳にもなってくれる。

 この貯水タンクは、彼らを隠すのにも役立った。


 そもそも、この貯水タンク自体、炙山父が設計したものだった。

 ……何十年も前から、この土地の役所や責任者の、あるいは指導者のデータを改竄かいざんし、手を加えて作らせたのだ。

 『記録』と『記憶』が違えば、記録を信じるのがこの国の人間だ。ましてや、それが残存する『全ての記録』となれば、記憶の方は問題にさえならない。

 それらもすべて、このケイ素生物を通じて行った。


 ……これから、最後の演算を行う。現在の周囲の環境と、集まった素材のデータを元に、いくつか修正を加えなければならない。


 ケイ素生物が壁に根を張り、有機生命体である人々を守る。人々の神経は、電気信号を通すシナプスとなる。たんぱく質をエネルギーに変換しながら演算を行い、炭素と脂質をわずかに燃やして燃料とする。

 この星の生物……『地球人の脳』の構造をもとに、彼が設計した『新しい器官』だった。


 完成まで、あと10時間18分56,27秒……。


 宇宙に飛び出しさえすれば、あとはどうとでもなる。

 この貯水タンクは、『星を渡る船』となるのだ。



「ちょっと待ってて! 忘れ物があるから!」


 皆でミモザホテルへ向かおうと、家を出た直後だった。雪乃が、そう言って走り去る。


 そして、十五分後。彼女は戻ってきた。

 その姿を、猟奇りょうき的なファッションに変えて。

 またもや日本刀っ! しかも、今度は鞘なしの抜き身を右手にぶら下げている。

 その上、腰のベルトには数本の匕首あいくちが挟まれて、オマケに、左手には拳銃まで持っていた。

 片掛けのボディバッグからも重い鉄音が響き、ショットガンと思しき銃身が見え隠れしている。


「ど、どうかな、空ちゃん? 似合ってる?」


 照れて笑う雪乃に、空那は言う。


「あー、うん……。いいんじゃないかな? そのー、頭の上に懐中電灯を二本立てると、もっといいと思う」

「え? えへへぇ、そ、そう?」


 雪乃は嬉しそうに、モジモジした。もちろん、冗談だったのだが……本気で懐中電灯を探しに行きかねない様子だ。

 さすがに気になり、空那はおずおずと尋ねる。


「……それ、どしたの?」


 すると雪乃は、少し照れたような顔で答える。


「えっとね。ほら……駅前にあるでしょう? 暴力団の事務所。あそこから、借りてきちゃったの!」


 そして、イタズラっぽくペロリと舌を出す。

 おぉ! こんな凶暴な武器をぶら下げて舌を出す女の子、見たことない!

 空那はなんだか、感動してしまう。

 彼の手に絡みつく砂月が、仏頂面で文句を言う。


「拳銃に刀にショットガンって……いくらなんでも、欲張りすぎだし! そのまま、イャンクックでも倒しに行けば? ねえ、おにいちゃん。こんな全身凶器女に、近づかない方がいいよー。おにいちゃんのお肌に、傷がついちゃうよー」


 だが、そういう砂月の格好も、雪乃に負けず劣らず極悪だった。

 目は赤く爛々と輝き、頭部の角は大きく張り出している。口からは牙が覗き、両腕は巨大で、ベルベットのような黒く光沢のある毛皮が光り、禍々しい爪が生えている。その上、肩にはいつもの黒マント。

 さっきから巨大な角がゴリゴリと顔に当たってて、空那はちょっとうんざりしていた。


 とにもかくにも用意が済んだ一行は、歩き始める。

 先頭は雪乃、二番目がアニス、殿しんがりが空那と砂月である。

 ……勇者、宇宙人の娘、一般男子高校生、魔王。

 これがゲームなら、とんでもないジョブバランスの悪さだ。お前、もうちょっと考えてパーティ組めよ! と言いたくなる。

 雪乃は油断なく周囲を見回し、警戒しながら歩いている……と、彼女が不思議そうに、首を傾げた。


「あのぉ。炙山先輩……さっきから、なにを食べてるのかしら?」


 見ると、確かにアニスの口がモグモグ動いている。

 慌てて空那も覗き込む。


「えっ、アニス先輩……手に、なに持ってるんです!?」


 握りこんだ小さな右手を開かせると、そこには途中の生垣から千切りとったとおぼしき、緑色の葉っぱがあった。いくつかに歯型がついている。

 空那は青くなった。


「ちょ、ちょっと先輩ッ!? そんなもの、食べちゃダメですよ! ばっちぃです!」


 慌てて捨てさせると、アニスが言う。


「おなかへった」

「おなか減ったって……? さっき、ご自宅で食べてたでしょ!? もう空腹なんですか?」


 アニスは、無言で頷く。

 きゅるきゅるとアニスの腹が情けなく鳴り、わずかに眉が寄せられた。

 空那は焦った。


「えーっ!? まいったなぁ……」


 食べられる物は持ってないか懐を探っていると、アニスが塀から何かをつまみ取る。

 それを、雪乃が奪い取った。


「だ、ダメですよぅ、炙山先輩っ! カタツムリは寄生虫がいるから、生で食べちゃ!」


 雪乃は、「うひぃ」とか、「ぎゃあ!」とか言いながら、手にもったカタツムリを塀に帰す。

 カタツムリを取られたアニスは、空になった自分の手のひらを、恨めしげに見つめている。


 空那は、首を傾げた。以前から変わった所はあったが……基本的にアニスは、ひかえめで大人しい。こんなはっちゃけた野生児みたいな行動は取らなかったはずだ。

 さて、原因はなんだろう……? と考えていると、砂月がアニスの身体を探るように、じろじろと見ていた。

 空那は砂月に尋ねる。


「どうした? なにか、探してるのか?」


 砂月は、不思議そうな顔で首を傾げて言う。


「え……? いや、その左手の機械ね。バッテリーっぽいとこ一切ないけど……どうやって動いてんのかなーって、気になっちゃって」


 しばし、ぼうっとした後で、アニスは答えた。


「カロリー」

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